第45話 怪我

「奏介! 待って!」


背後から聞こえる千尋の声に耳も傾けず、走って自宅に戻り、鍵を閉めていた。


部屋の中にはドアを叩く音と、インターホンの音が響き渡る。



せっかく、合宿に英雄さんが来ると知り、かなり喜んでいたのに、自宅の前に千尋がいたせいで、浮足立つ気持ちはすっかり沈み、ため息だけが零れ落ちた。


「お願い! 話を聞いて!! お父さんが会いたいって言ってるの!!」


この言葉に、思わず反応しそうになったけど、沈黙を貫いていた。



翌朝、学校へ行くためにドアを開けると、そこには千尋の姿がなく、ホッと胸を撫でおろす。


けど、普段使っているルートで待ち伏せされている可能性もあるから、遠回りをして学校へ向かっていた。


少し歩くと、中田の後ろ姿が見え、思わず駆け寄ってしまったんだけど、なぜか胸が弾んでいる。


『何ウキウキしてんだ?』


不思議に思いながら駆け寄ると、中田はため息をついていたんだけど、中田はまるでボクシングの試合後のように、左こめかみの辺りを大きく腫らし、眼帯で隠していた。


「それどうした?」


「こけた」


「お前が? あんなに体幹いいのに?」


「誰でもこける」


中田はそう言いながら歩くスピードを速め、隣にぴったりとくっついたまま歩いていると、中田はイラっとしたように言い放ってくる。


「ついてくんな!」


「同じ学校に行くだけだろ? それ、誰に殴られた?」


「こけてぶつけた」


「本当は殴られたんだろ? 誰にやられた? ボクシング?」


どんな言葉で聞いても、中田は一切答えず、沈黙を貫くばかり。


返答のない質問を繰り返したまま、学校につくと、一人の女子生徒が中田に駆け寄り、切り出してきた。


「どうしたの?」


「こけた」


「陸上部、秋季大会まで参加してもらえないかな?」


女子生徒の言葉を聞き、思わず口をはさんだ。


「ちょっと待て。 こいつはボクシング部のマネージャーだぞ?」


「先生の許可は取ってあるよ。 後で坂本先生から言われるはず」


「ふざけんな。 掛け持ちなんかさせるわけねぇだろ?」


女子生徒の言う『陸上部』の言葉に、なぜか無性に苛立ち、思わず口論になってしまうと、中田が呆れたように口をはさんだ。


「いいよ。 陸上行く」


「はぁ!? マネージャーどうすんだよ?」


「薫くんがいるじゃん。 怪我治ったら、陸上部、参加するわ」


「ふざけんな!」


歓喜の声を上げる横で、思わず怒鳴りつけたんだけど、中田は苛立ったように玄関に入ってしまった。


『ふざけんなよ… 何勝手に決めてんの? つーか、なんでこんなにイラついてんの?』


自分の感情を不思議に感じたまま、玄関に入ると、薫が駆け寄ってきた。


「奏介君、今、なんかもめてなかった?」


「中田が陸上部に行くって」


「ああ。 ボクシング部に来る前は陸上部だったもんね」


「マジ?」


「うん。 卓球部のマネージャーの後、少しだけ陸上部にいたんだって。 元部長にグランド60週命じられて、難なく走り切ったらしいよ?」


「60? 嘘だろ?」


「坂本先生が言ってたから本当だと思う。 千歳ちゃん、体育の時もかなり足が速いから、毎日走ってるのかもよ? 長距離走も常にトップだし、今まで話しかけにくくて声かけてなかったみたいだけど、普通に考えれば陸上部が欲しがるよね」



薫の言葉に呆然としつつも、頭の中が『中田千歳』でいっぱいになっていた。

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