地球最後の日に

月島真昼

第1話


「みなさん、今日は実は地球最後の日なのです」

 朝のニュースで宇宙の映像が出された。そこにはものすごい勢いで地球に向かっている、地球に負けないくらいの大きさの星が映っていた。

「いまから二十四時間後にこれが地球に激突します。絶対に避けられないそうです。混乱を避けるために協議がなされて一般への情報公開はこの時間まで行われないことに決まっていました。これはフェイクニュースではありません。二十四時間後に地球は滅びます。繰り返し申し上げます。これはフェイクニュースではありません。二十四時間後に地球は滅びます」

 テレビでは激突した星が地球をどんな風に砕いてばらばらにするかを事細かに解説している。

 妻と息子が抱き合って泣いていた。

 僕はスーツに着替えて、玄関を出ようとした。

「あなた、どうして出ていこうとしているの。一緒にいてよ」

 僕は笑って言った。

「おまえも義人もうんざりなんだ。僕が会社に出たあとおまえが誰と過ごしているのか知らないと思ってたのか。義人、僕の子じゃないだろ」

 殺されないだけよかったと思えよ、と言って僕はカバンを手にして革靴を履いて外に出た。

 妻はあんぐりと口を開けたまま固まっていた。

 さて、どうしようか。表に出てみると今日地球が滅びることを知った人々が阿鼻叫喚の声をあげている。みんな死ぬと思っていなかったようだ。交通事故や通り魔でいつだって死ぬ危険くらいあるのに。不思議だなぁと思う。

 僕は駅に向かったけれど電車は動いていなかった。社員がすべてボイコットしたらしい。駅前のコンビニはガラスが割れていて商品が略奪されている。やっているのは壮年の男性や熟年の女性だった。ああいうのはもっと若い連中がやるものだと思っていた僕は多少驚いた。

「もしもし。どうして略奪をしてらっしゃるんですか」

 髪の毛が白くなり始めている男性に尋ねてみる。

「何十年も会社に勤めてきてストレスばっかりの毎日だったのに憂さも晴らさずに死んでたまるか!」

 男性は答えた。

「ずーっとずーっとおもしろくもない旦那とかわいくもない子供の世話ばっかりで人生潰されたままだなんてまっぴらごめんよ!」

 女性が答えた。

「なるほど」

 と、僕は言った。

 男性が僕に襲いかかってきたので、僕はカバンを振って男性の顔を殴り飛ばした。スチール製の水筒が収まったカバンの角が男性のこみかみにあたって、男性は昏倒した。倒れた際に頭を打ったみたいだが襲い掛かってきたのが向こうの方なのでまあ自業自得だろう。

 僕はコンビニを離れた。

 タクシーがのろのろと走っていたので僕は手をあげた。タクシーが止まって、ドアを開けてくれた。

「どちらまで」

 僕は会社の住所を告げた。

「お客さん、地球が滅びるってのに仕事もなにもないんじゃないですか」

「うん。実は僕も仕事なんてする気はまるでないんだけど、職場がどんな様子になっているのか見てみたいなと思って」

 運転手さんはタクシーを走らせた。

 道はごったがえしていた。意外にも大多数は信号をきちんと守っているのが多かったが、やはり無謀な運転をする人々は一定の割合で存在した。

「運転手さんも変わってますね。こんなときでも僕を乗せてくれるなんて」

「地球最後だなんて言われても他にやることがなかったもんで。最後くらい美味いもの食いたいと思ったら、おんなじこと考えた連中が店に殺到してるでしょう? やつらみたいにガラス割ってなかのもん奪ってどうこうしようって勇気が湧いてこなかったんですわ」

「とてもすばらしいことだとおもいます」

 今日の最後には妻と浮気相手を殺そうと考えていた僕は運転手さんの人のよさに感服した。

 善良な運転手さんとしばらく他愛のない雑談をしていると、タクシーが止まった。外を見ると会社の前だった。僕は財布を取りだした。

「ああ、いえ、結構。どうせ貰っても使えやしません」

「でもなんとなく無賃乗車は気持ち悪いので」

 そういうことなら、と運転手さんが言い、僕はお金を払ってタクシーを降りた。

 会社の中に入りエレベーターで五階に向かう。エレベーターのドアが開くと目の前に新入社員の蜷川さんがいた。「あら、おはようございます。福崎さん」にこっと微笑む。髪を整えて制服を着て、頬と肩に血痕がついていた。蜷川さんはバットを引きずっていた。髪の毛と血となにかの肉片がこびりついている。バット自体もべこべこにへこんでいる。

 ちらりと蜷川さんの後ろを覗き込むと、会社のパソコンがほとんどすべて叩き壊されていた。

「おはようございます。蜷川さん」

 僕はとりあえず挨拶を返した。

「蜷川さんも会社に出てきたんですね。こんな日なのに」

「ええ、こんな日ですから」

 ちらりとバットに視線を向ける。

「その肉片は」

「北島さんのです」

「ああ」

 僕は上司の北島のことを考えた。女性の新入社員にやたらといやらしい視線を向けて、後ろから肩を叩いたりなにかあると髪を撫でたりしていた。それ以上のことをやっていると一部で噂になっていた。

「どうしてバットなんですか?」

「ナイフとか包丁って、リーチが短いじゃないですか。どうしても男性の腕力に負けてしまう気がして。それでバットだったらなんとかなるかなって」

「北島さんも会社に来てたんですね」

「呼び出されました。多分最後にオフィスで(ちょめちょめ)しようとしてたんだと思います」

 僕は北島が成仏できるように祈、……らなくても別にいいかと思った。

 僕はなにげなく外を見た。まだタクシーは止まっている。車内で運転手さんが煙草を吸っているのが見えた。

「蜷川さんは、このあとは予定ありますか?」

「別にないです」

「一緒にどこか行きません?」

「どこへ」

「さあ、全然考えてないんですけど」

 蜷川さんは少し考えたあとで「じゃあ行きます」と言った。

「バット、置いていったほうがいいですかね?」

「いや、持ってた方がいいんじゃないかな」

「そうですか、わかりました」

 蜷川さんはバットを置いて、エレベーターに乗り込んだ。立てかけたバットが転がってかららんと音を立てた。僕は一階のボタンを押した。

 おそらくだけど、バットを置いていった方がいい、と言っていたら僕は殴り殺されていたんだろうなとなんとなく思う。

 運転手さんはまだ煙草を吸っていた。

 僕がこんこんとガラスを叩くと、蜷川さんの返り血に驚きながらもドアを開けてくれた。

「なんとなくすぐ戻ってくる気がしてたんです。どちらまで?」

「蜷川さん、どこか行きたい場所ってあります?」

「えーと、じゃあ遊園地に」

「畏まりました」

 蜷川さんは北島と二人きりの資料室でどんな風に迫られて尻を揉まれたかについて怒りたっぷりに話してくれた。その怒りは会社の人事部からそういう人間が人の上に立つことのできる日本の社会制度の批判に及び、女性の社会進出が妨げられていて無能な男性がはびこっていることに及び、政権与党へのダメ出しにまで飛び火した。運転手さんはそう言われると我々男性の立場がないですねえ、まことに申し訳ないと苦笑している。僕は人数が多いと車内が賑やかでいいなと思った。やはり女性が一人いるとそれだけで場が華やいだ気がする。例えそれが返り血に塗れて血肉の匂いをぷんぷんさせていても。

 遊園地は人でごった返していた。

 入口には長蛇の列ができている。

「これじゃ遊べそうにないですね」

 蜷川さんが目端を下げる。

 運転手さんが車を止める場所を探したけれど駐車場はすでに満杯で、しかもみんなルールなんて守っていなくてそこかしこ好きなところに止めていて利用率が三百パーセントを超えていそうなくらいだった。仕方なく引き返そうとしたら、遊園地の方から悲鳴が聞こえてきた。

「どうしたんでしょう?」

「行ってみますね」

 すると、さきほどの長蛇の列に乗用車が突っ込んできていた。多くの人が跳ね飛ばされて踏み潰されていた。車はゲートを破壊して遊園地の内部にまで突っ込み、なかでも暴走を続けている。逃げ惑う人々を踏み潰している。人々は我先にと逃げ出そうとして将棋倒しを起こしていた。倒れた人間に車が襲い掛かる。ぐしゃ。ぼきぼきぼき。

「こいつはいけませんね」

 運転手さんが言う。

「……お二人さん、ちょいと無茶してもかまいませんかね? いや、お二人にはここで降りていただいて」

「「どうぞ」」

 僕と蜷川さんは声を揃えた。シートベルトの具合を確かめる。

「すみませんね。どこかに掴まっててください。頭打たないように」

 タクシーが暴走する乗用車に向けて突っ込んでいった。相手の横っ腹にこっちの車体の前方の角をぶつけるようにして進行方向を逸らして、トイレの壁に向こうの車体を叩きつけてた。車内が大きく揺れて、サイドのガラスが砕け散った。僕は目を閉じて耳を手で塞いで欠片が耳穴や眼球に入らないようにした。

 タクシーが停止する。運転手さんが僕らを振り返った。

「お二人とも、無事ですか」

「大丈夫です」

「すごいですね」

「昔、こんなふうにしてぶつけられて怪我したことがありましてね。向こうはピンピンしてたのにこっちだけ大破したもんで。それを真似してみたんですわ」

 運転手さんがシートベルトを外してタクシーを降りた。僕もそれに続く。

 向こうの車を覗き込むと、暴走していた男が運転席で伸びていた。外傷はなさそうだが、頭でも打ったのかもしれない。

 あれだけ集まっていた人々がさっといなくなっていた。

「せっかくだから遊びませんか」

 蜷川さんも車を降りた。

 僕らはすっかり無人になった遊園地をしばらくの間、独占した。運転手さんが「昔、バイトしてたことがありましてね。一通り動かせるんですわ。お二人で楽しんできてください」と言って、機器の操作を買って出てくれたが、僕と蜷川さんも機器の操作を教えてもらって三人で交代で動かす方と乗り物を乗る方をやった。

「こういうの乗るのは、二十年ぶりですかねえ」

 運転手さんが嬉しそうにジェットコースターに乗り込んだ。僕は教わった通りにスイッチを入れた。(絶叫物は苦手なのだ) 「きゃー!」という蜷川さんの楽しそうな悲鳴が聞こえた。

「いやあ、実に楽しかった。童心に帰れました。次はわたしが操作役をやりますので福崎さんもどうぞ」

「いえ、僕は」

 蜷川さんがにっこにこの笑顔で僕の手を取ってジェットコースターに押し込んだ。

 セーフティーバーを下ろしベルトを締める。「それでは」運転手さんがスイッチを操作した。

 ジェットコースターがのろのろと動き出した。ゆっくりと坂になったコースターを登っていく。頂点。青い空。白い雲。下が見えた。「ぎゃああああ」僕は野太い悲鳴をあげた。


「ぎゃああ、って。ぎゃあああ、って」

 蜷川さんは僕の悲鳴がツボにはまったようだった。

 僕はしばらくの間、蹲っていた。しくしく。

 一通り遊園地を楽しんだ僕らは再びタクシーに乗り込んだ。

 暴走男はまだのびていた。もしかしたら死んでいるのかもしれない。

「次はどこ行きますか」

 運転手さんが言う。

「行きつけのラーメン屋さんがあってお二人をご案内したいんだけど、きっと閉まってるでしょうねえ」

 さみしそうに運転手さんが目端を下げた。

「わたしの部屋、来ますか?」

 蜷川さんが言う。

「いいんですか」

「はい。なにもないですが」

 運転手さんがタクシーを走らせた。僕らは途中でスーパーマーケットに寄った。荒らされていてろくなものが残っていなかったが、鍋の汁と野菜を適当に見繕って持ち帰った。僕は五千円札を一枚レジに置いておいた。「律儀な人ですねえ」蜷川さんが揶揄うように言う。「なんとなく気持ち悪いので」僕は曖昧に微笑んでタクシーに戻った。

 蜷川さんの家はマンションで、部屋は随分と高いところにあった。

「ひゅう」

 軽い高所恐怖症の僕は下を覗いてしまって背筋に冷たいものが登ってくる。どうしてこう恐いとわかってるのに見てしまうんだろう。「えいっ」蜷川さんが軽く僕の背中を押した。コンクリートに胸があたる。「うひゃっ」僕は大袈裟に驚いてしまった。

「ごめんなさい、悪気はあったんです」

 蜷川さんがぺろりと舌を出した。

 ひどい。ほんとうにひどい。

 蜷川さんの部屋にはゲーム機が置いてあって、僕がお鍋を作っている間に蜷川さんと運転手さんは一緒にモンスターをハントしていた。僕はゲームをしないので混ざることはできなかったのだが、二人が楽しそうに笑い声をあげながら恐竜?を狩っているのを見るとなんとなく疎外感を覚えた。

 僕らは鍋を囲んだ。

 蜷川さんは思い出したようにキッチンの棚の上の方を開けて「貰い物ですけど」と日本酒の瓶を取り出した。

「いやあ、実にいい日ですな」

「そうですね」

 鍋は美味しかった。お酒も美味しかった。僕らは北島の悪口を言ったり、運転手さんが同僚の悪口を言ったり、妻が不倫していて息子が僕の子じゃないことを話したりしながら楽しい時間を過ごした。そのうち蜷川さんがぼろぼろと泣き出した。

「長居しすぎましたか。不躾にやってきて申し訳なかったです」

 気づかないうちに何か気に障ったことをしてしまったのかもしれない。運転手さんが頭を下げて、立ち上がった。僕を促す。僕も部屋を出ようとしたけれど、蜷川さんが僕のシャツを掴んだ。

「違うんです。私、社会人になってからずっとご飯一人で、男の人に誘われることがあっても下心がある人ばっかりだったから、こういう食事ほんとうに久しぶりで、楽しくて」

 これまでのさみしさとの落差でなんとなく悲しくなってしまって、泣いてしまったらしい。

「お二人とも、ここにいてください」

 僕らはそのままお酒を飲みながら雑魚寝をした。

 実にいい時間だった。


 朝には星が降ってきて地球を砕いた。

 ぼろぼろになった街や人々も、満足して過ごした僕らもなにもかもを破壊していった。

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地球最後の日に 月島真昼 @thukisimamahiru

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