言い訳して良いわけ?(短編)

うちやまだあつろう

言い訳して良いわけ?

 男は慌てた様子で崩れたスーツに袖を通すと、テーブルに出されていたコーヒーを一気に飲み干した。

「あなた、今日はどうしたのよ。そんなに急いで。」

「目覚ましが壊れてたんだ! 会社に遅れる!」

「あらあら。たまには遅れても良いじゃない。あなた、いつも焦り過ぎよ。」

 マイペース過ぎる妻に多少怒りを感じながらも、男は着々と出発の準備を進めていく。

 ただでさえ会社ではお荷物扱いを受けている身だ。遅刻などしてしまえば、要らぬ陰口を叩かれることは目に見えている。

 妻は空のマグカップを片付けると、男に封筒を差し出した。男はそれを見て首を傾げる。

「何だこれは。」

「生命保険の何か案内よ。」

「生命保険? そんなもの入ってたか?」

「昔、入っても損はないって言って、二人で入ったじゃない。」

「そうだったか。まぁ、帰ったら見るよ。」

 男はそう言うと、ボロボロになった鞄を持って家を飛び出した。


 額の汗を拭きながら、ホームへ続く階段を降りた。電車を待つ行列を見て、軽い眩暈に襲われる。

 腕時計を気にしながら行列の最後尾に並ぶ。急いでいけば、遅刻は数分で済みそうだ。

 だからといって良いわけでも無いのだが。

「随分と焦ってらっしゃいますね。」

「……。」

「貴方ですよ。貴方。」

「な、なんですか……。」

 突然、隣に並んでいた髭面の男が声をかけてきた。

 汚れた服にボロボロのリュックサック。何とも怪しげな男だ。

「いえね、何やら急いでいらしたので、何かお役に立てるかと。」

 そう言うと、彼は名刺を手渡してきた。電車はまだ来ない。無視しようにも、彼は覗き込むようにこちらの顔を窺ってきている。

 仕方なくチラリと名刺を見ると、男は首を傾げた。

「……言い訳屋?」

「そうでございます。」

「なんだそれは。」

「長い人生、生きていれば幾つか失態を犯してしまうものです。そんなとき、私たちが失態の言い訳づくりをさせて頂く、という事です。」

「……言い訳をして、意味があるのか?」

「例えば、今の貴方。寝坊して遅刻をしてしまったが、同僚に『寝坊した』とは言いづらい。そんな時、我々にご依頼いただきますと、無難な別の言い訳をすることができる訳でございます。」

 何とも胡散臭い男だ。目を逸らしても、名刺を差し出してくる。

 正直なところ相手にしたくないが、後ろにも人が並び始めている。電車が来ない以上、ここから離れる訳にもいかない。

「これからの保険として、ぜひ名刺をどうぞ。わが社の電話番号が書いてあります。持っておいて損は無いと思いますよ。」

 確かに貰っておいて損は無いだろうし、名刺を受け取るまで、彼も引っこめるつもりはないらしい。

 渋々名刺を受け取ると、その男は嬉しそうな顔で両手をすり合わせ始めた。

「ところで、今、我々をご利用する気はございませんか?」

「はぁ? 何を言ってるんだ。」

「遅刻の言い訳をおつくりいたしましょう。」

 時計を見るが、電車が来るまで数分ある。

「いかがですか?」

「はぁ……。そこまで言うなら、やってみせてくれ。」

「はい。かしこまりました。通常、千円いただくのですが、今回は初回ですからね。特別に無料で行いましょう。それでは、またどこかで……。」

 男はそう言うと、人ごみの中へ姿を消してしまった。出勤ではなく、飛び込み営業だったという事か。

 だが、男が去った後も特に変化は無い。言い訳屋というのも出まかせだったのか。

 そう考えた時、ちょうど電車が到着した。扉が開き、乗っていた数人が押し出されてきた。普段よりも遅いせいなのか、いつにも増して人が多いように見えた。

 これに乗らなければいけないのか。

 憂鬱な気分で、人の壁自分の体を押し込もうとすると

『お客様にお知らせ致します。』

 突然、アナウンスが入った。

『次の駅にて、人身事故が発生したため、現在到着した車両をもちまして、一時、運転を見合わせ致します。お客様にはご理解とご協力を……。』

 ホームのあちこちから怒りの声とため息が聞こえてくる。

 しかし、その中でも一人だけ、ポカンと口を開けて驚いている男が居た。


 言い訳屋の言っていたことは、どうやら本当らしかった。

 その後も何度か遅刻したのだが、その度に何らかの事件が発生するのだ。千円払ってしまえば罪悪感なく遅刻できる。

 一体、どのような方法で言い訳づくりをしているのかは知らないが、それは企業秘密というやつだろう。深く詮索して、言い訳屋を使えなくなるのも困る。


 そうして、数日が経ったある朝の事。

「あら、おはよう。」

「……あぁ、おはよう。」

 欠伸をしながら答えると食卓に着いた。すると、すぐに妻が朝食を用意してくれる。

「おう、毎朝ありがとうな。」

 そう言うと、妻は小さく笑った。

「いえいえ。最近、なんだか落ち着いてきたわね。」

「そうか?」

「前は毎朝とんでもない慌てようだったのに、今は朝食もしっかり食べていくじゃない? なんだか、ゆったりしてて楽しいわ。」

 マイペースな妻は嬉しそうに言って、ちいさな包みを差し出してきた。

「ん? なんだこれ。」

「お弁当よ。久しぶりに作ってみたの。」

「確かに、君にお弁当を作ってもらうのは久しぶりだな。ありがとう。」

 言い訳屋を利用し始めてから、心に余裕が出てきたのを実感する。

 何かやらかしてしまっても、千円払えば正当化できるのだ。自然と失敗を恐れなくなってきた。

 受け取った弁当を年季の入った鞄にしまうと、男は丁寧にアイロンがかけられたスーツに袖を通した。

「おあよー……。」

 ネクタイを締めていると、息子が二階から降りてきた。

「今起きたのか。もっと早く起きなさい。」

「今日は二時限目に間に合えばいいから、今起きてもヨユーだわ。」

「大学に入ってから、だらしなくなったんじゃないか? 高校の時は朝練にも行ってただろう。」

「サボれるときにサボるのが大人なんだよ。」

 そう言って大あくびをすると、息子はソファに寝転がった。

 けしからん息子だが、自分の大学生時代を思い返すと、あまり強くは言えない。

 結局黙ってネクタイを締めると、そのまま家から出た。


 腕時計を見ると、今日も少し遅刻気味だ。

 男は赤信号で立ち止まると、スマホを取り出して電話をかけた。

『はい。こちら言い訳屋、電話相談窓口です。』

「私だ。」

『あぁ、はいはい。もしや今日も遅刻でございますか?』

 電話の向こうで男が笑いながら言う。

「そうなんだ。また頼むよ。」

「承知いたしました。」

 これだけだ。あとは普通に通勤していれば、自然と何かに巻き込まれる。それを言い訳に遅刻すればいいのだ。

 満足げに電話を切ろうとするが、そこで男の手が止まった。ふたたびスマホを耳にあて、小声で問いかける。

「……質問しても良いかな?」

『はい。もちろんでございます。』

「遅刻以外の言い訳も可能なんだよな。」

『えぇ。当然です。』

「……それなら、『しばらく会社に行かなくて済むような言い訳』をお願いすることもできるのか?」

『もちろんでございます。』

 即答されてしまった。そんなことが本当に可能なのか? いや、言い訳屋が「できる」と言っているのだから、きっと可能なのだろう。

『まぁ、少し難しいので多少お値段はかかりますが、可能でございます。』

「いくらだ。」

『一万円になります。』

「よし。頼んだ。」

『かしこまりました。』

 男は頬を緩ませながら電話を切った。あとは普通に通勤するだけだ。ふと顔を上げると、信号が青に変わっている。

 どのような方法なのだろうか。会社に何か連絡でも入れてくれるのだろうか。

 ぼんやりと考えながら横断歩道を歩いていると、突然大きな音が鳴った。

「危なーい!」

 誰かの叫び声で男が顔を上げると、それと同時に横から大きな衝撃に襲われた。

 それが車であることはすぐに分かった。そして、これが言い訳屋の仕業であることも。

 跳ね飛ばされた男は地面を転がると、「仕事が早いな……」と呟いて意識を失った。


 結果、全治二か月の怪我だった。どうやらひき逃げだったようで、未だに車は見つかっていないらしい。

「やっと仕事に復帰ね。」

「そうだな。」

「仕事のやり方忘れてない?」

「大丈夫だよ。窓際族だから仕事ないんだ。」

「またぁ、そんなこと言って。」

 妻は笑うが事実である。

 それにしても、言い訳屋の仕事には驚いた。おそらく轢いた車を運転していたのは言い訳屋の人間だろう。だとすれば、電話するまで後をつけてきたのだろうか。

 ただ、分からないことは考えるだけ無駄である。

 男は久々に革靴を履いていると、息子が慌てた様子で二階から降りてきた。

「どうした、そんなに慌てて。」

「今日、一時限目から授業なんだよ! 寝坊した!」

「毎朝だらだら起きてくるからだぞ。」

「うるせーよ!」

 息子はそう言い捨てて、リビングへと駆け込んでいった。


 さて、久しぶりの通勤だが、どうにも足が重たい。しばらくの入院期間のせいで、通勤すること自体が億劫になってしまったらしい。

 いつも使う駅のホームへ降りると、たまたま電車が行った後だったのか、あまり人の姿が無かった。

 男は電車待ちの列の先頭で立つことになった。

「お久しぶりでございます。」

「うわっ!」

 突然、隣の男が話しかけてきた。汚れた服にボロボロのリュックサック。言い訳屋の男だ。

「いつもご利用いただき、ありがとうございます。」

「いやはや、いつもお世話になってます。」

「今日は大丈夫ですか?」

「あぁ。今日のところは大丈夫だよ。」

「それは良かった。」

 それきり、言い訳屋の男は黙ってしまった。沈黙に耐えられなくなった男は、つい喋りかける。

「前回、随分無理なお願いをしましたが、大丈夫でしたか?」

「何がです?」

「その……、警察の方とかに……。」

「あぁ、大丈夫ですよ。プロですから。どんな事態でも言い訳をお作りいたします。」

「そうですか……。」

 再び沈黙が訪れる。男は少し考えると、再び話しかけた。

「……あの、」

「はい。」

「『もう会社に行かなくても良いような言い訳』を作ることもできますか?」

「お辞めになればいいのに。」

「それでは家族が路頭に迷ってしまいます……。何か、まとまったお金を得られつつ、会社に二度と行かなくていいような……。」

「出来ますよ。」

 言い訳屋の男は淡々と答えた。

「……え?」

「可能です。多少、お値段は高くなりますが。」

「いくらです?」

「五万円です。」

「払います!」

 男は急いで財布を取り出すと、五万円をとりだして、言い訳屋に握らせた。

「これで良いんですね?」

「えぇ。かしこまりました。」

 言い訳屋は不気味な笑みを浮かべて言うと、「それでは、またどこかで。」と言って去って行ってしまった。

 本当にこれで出来てしまうのだろうか。不安もあるが、期待の方が大きい。また、不思議な方法で言い訳を作り出してしまうのだろう。

 その時、電車の到着を報せるベルが鳴った。電車はもうそこまで来ている。

 男が少し下がろうとすると、背中に何かが当たった。そして、次の瞬間。

「えっ?」

 体が宙に浮いていた。下には線路が見える。

 そのまま硬い枕木の上に頭を打つと、男は慌てて立ち上がった。回る視界でホームを睨みつけて叫ぶ。

「おい! 待ってくれ! これは……、これは」


 ◇◇◇


「こら! ちゃんと食べて行きなさい!」

「そんな時間ねーんだって!」

 大学生の少年は母に向かって叫ぶと、家を飛び出した。走りながら腕時計を見て舌打ちする。

 一時限目は遅刻が評価に響く授業だ。成績上位を狙う少年にとって、遅刻は許されない。

 だが、少年は突然立ち止まると、スマホを取り出して電話をかけ始めた。

「あの、もしもし。」

『はい。こちら言い訳屋、電話相談窓口です。』

「俺っす。」

『あぁ、はい。今日も遅刻でございますか?』

「そうなんすよ。マジお願いします。」

『かしこまりました。』

 それを聞いた少年は電話を切ると、大きく伸びをして歩き出す。そして、ニュースアプリを開くと、嬉しそうな声で言った。

「お、マジで人身事故おきた。サンキュー、言い訳屋。」

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