死んだラノベ作家、ラブコメの神としてオリュンポスに列席する。
青キング(Aoking)
プロローグ
ぼんやりとした薄暗さを残した朝まだき。
照明が点いていないアパートの暗い一室で、神司憲史は厳しい顔つきをして文机に載せたパソコンのキーボードを打ち込んでいた。
エンターキーを押したところで彼の眉間に皴が寄り、文字を打っていたキーボード上の指が止まった。
「これじゃダメだ……」
誰に向けるでもなく呟き、キーボードから手を離して頭を抱えた。
頭を抱えた左右の手の間から、自身の小説を眺める。
「こんなもの駄作だ」
怒ったような声を出して、忌々しそうにパソコンを閉じた。
神司憲史は召神つかさというペンネームのライトノベル作家で、齢十六で新人賞を受賞すると、デビュー作のラブコメで瞬く間に多くのファンを獲得し、続刊を出すたびにラノベの売り上げでトップを取った。さらにデビュー作はアニメ化も成し遂げた。
そんな華々しいデビューから五年、十八巻に及んで同ラブコメのシリーズを書き続け、三か月前に刊行された最終巻でシリーズの完結を迎えた。のだが、
現在は新作の制作中ラブコメが、どうもデビュー作を超える作品になる予感がせずに思い詰めている。
「なんで、面白いアイデアが沸いてこないんだろ」
デビューした時は、そうではなかったはずである。
神司は先程まで書いていた作品を思い返しながら考えた。
しかし徹夜で疲れた頭には少々荷が重く、思考はてんでばらばらに飛んでいく。
「はあああ」
ぼうっとするような疲労を感じ、大きく息を吐く。
陰気な部屋の中にいても、余計に気分を落としていくだけだ。
神司は腰を上げ、ハンガーラックに掛けてあるダッフルコートを手に取ると、コートに袖を通して胴の部分を開いたまま玄関から部屋を出た。
たちまち冬の外気が頬に突きさす。
「ううっ、今日は一段と冷えるな」
暖冬が続いていた近頃に比べてこの日は一層気温が低く、コートなしではとても外に出られない。
誰も起き出してきていない共通廊下を通って外階段を降り、神司はマンションを後にした。
住宅街を抜け、幹線道路沿いの歩道を当てもなく進んでいく。
冬の冷たい空気の中を当てもなく歩いていると、次第に彼の頭は冴えていった。
こんなところで何を悩んでいるのだろう。
神司は自分の現状を省みる。
すると彼の脳裏にショートカットの髪の幼馴染が浮かんできた。
頭の中の幼馴染は、神司に嬉しそうな笑顔を向ける。
――私と同じ年なのに憲史は凄いね。これからはプロの作家なんだもん。
デビューを伝えた時の幼馴染の台詞。
あの時の自分はただ浮かれていた。
神司は内心で臍を噛む。
「有希、俺は凄くなんかないよ」
口を衝いて出た呟きが、冬の空気に溶けていく。
若さに物を言わせた勢いだけで書き、たまたまその作品が巷の好評を得ただけに過ぎない。
才能なんてものは、もともと持ち合わせていなかったんだ。
デビューした当時は自分でも才能があると実感したし、周りからも天才と褒めそやされた。
途端に脳内の幼馴染の顔から、突然に笑みが消える。
今の自分の姿を見せたら彼女に失望されるのではないか、と思い神司の口元が自嘲的な笑みで歪んだ。
「馬鹿だな、俺は」
過去の自分へ悪態を吐く。
作家としてデビューしていなければ、今頃は有希と一緒の大学にでも通っていたのだろうか。
そんな想像をするたび、彼の自信は揺らぐ。
才能が無いことに早くから気が付くべきだった。
後戻りなんて出来ないと知っていながら、そんな後悔をしてしまう自分も忌々しい。
その時、落ち込む彼を戒めるように冷気を含んだ風が彼の頬をなぶっていった。
神司はコートの襟を掻き合わせ、後悔の沼に沈んでいた意識を現在に戻した。
「思ったよりも寒いな」
途端に温もりが欲しくなった。
神司は右方へ視線を遣る。
神司の立つ位置からガードレールと道路を挟んだ向かい側で、コンビニが朝早い時間でも支障なく営業していた。
温かいコーヒーが飲みたくなった。
真っ直ぐ行った先に、コンビニ側へと渡る横断歩道が見えた。
神司は横断歩道の前で足を止め、走行車が来ないか左右に目を配る。
何の前触れもなく、高校時代から同じコーヒーを買っているなと唐突に思い出す。
たしか、最初は有希に勧められて飲んだんだっけか。このコーヒー美味しいから飲んでみなよって。
幼馴染との穏やかな記憶に微苦笑を漏らしながら、横断歩道へ踏み出した。
たまには、他のコーヒーでも買ってみてもいいかもな。新鮮さを味わえて予期しないアイデアが生まれるかも。
次こそはという意欲が胸に湧き、神司の横断歩道を渡る足に力を加えた。
と、その刹那。彼の視界の右半分に影がかかる。
突然に視界が暗くなった神司は、驚いて右方向へ首を回す。
神司の目が愕然と見開かれた。
なんだこれは?
そう驚く彼の背丈よりも大きい荷物トラックのフロントが、飛びつけば届く距離にまで急迫している。
目の前で進んでいる事象が信じられず、神司は頭を回転させる。
だが、回避するために思案する猶予など無かった。
神司はトラックの衝突をまともに受け、玉突きの玉のように勢いよく突き飛ばされた。
早朝で走行車がない道路のアスファルトの上で一度弾んで、うつ伏せの状態で身体を打ち付け動きが止まった。
死ぬのか、俺は?
衝突を受けた部位から全身に痛みが広がっていく。
俺が死んだら、有希は悲しんでくれるかな?
自身の葬式で涙を流す幼馴染の姿を思い描いて、神司の瞳から雫が溢れ落ち、乾いたアスファルトを濡らした。
「こんなことなら……伝えtれおけばよかった」
お前の事が好きだと。
神司の視界は滲み、瞼が重くなる。
今さら叶わない思いに、生涯一の後悔をしながら彼は息絶えた。
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