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聖暦一六三―年八月十五日(皇紀八三七年華月十五日) 十四時00分

オルコワリャリョ西側山麓 七ニ〇〇 メートル付近。 


 精鋭中の精鋭を選りすぐった筈だったが、ここに来るまで隊のおよそ半分を送り返さねばならなかった。

 ほとんどの理由が高山病と凍傷。鍛えに鍛え抜かれた男共ですら徹底的に打ちのめされ這う這うの体で山を下りて行った。

 それほどまでに過酷なのか?天譴の山に相応しい峻烈さは。

 シュタウナウ大佐は絶え間なく責めさいなんでくる高山病由来の頭痛に耐えながらそんなことを思いつつ、進路の確認のため遥か上方を双眼鏡で睨む。

 予想通り無数の巨大な氷塔セラックが行く手を塞いでいる。さてさて、何本氷杭アイススクリューが要る事やら。突破に何時間費やすことになる事やら。

「旅団長殿!十時方向!主稜線上に人影が見えます!」同じく双眼鏡で進路偵察をしていたガンヅ特務曹長が叫ぶ。

 その方向に対物 鏡玉レンズを向けると、スーパイプカラからオルコワリャリョにむかう鞍部へ向け下る人影。

 先頭は長身でその後に続くのは子供の様な小柄な影、それが三つ続き、追うように比較的大柄な四つの影が続く。

 先を行くのは間違いなくオタケベ・ノ・ライドウ少佐だろう。奴はやはりここまで来たのだ。オルコワリャリョ山頂まで二 キロ足らずの場所まで。

 

「旅団長のおっしゃられた通りですな。もうあんなところまで来ている。うかうかしてると先を越されますぞ」


 不安げにこぼすガンヅ特務曹長とシュタウナウ大佐との間に、弱々しい足取りで割って入ったのはデンツァー少佐。

 凍傷でやられた顔面には滲出液に染まった包帯が巻かれ、冬季迷彩の防風服は黄色や茶色の吐しゃ物で薄汚れ、出発当初の眉目秀麗な青年将校の風貌は今はすっかり失せていた。

 指導民族を象徴する高い鼻も、整理対象民族を葬り去る拳銃の引き金を引く人差し指も、凍傷で切り落とさねばなるまい。


「旅団長!何をモタモタしているのです。まほらま民族ごとき整理対象民族に先を越されるつもりですか、今すぐ出発を!さぁ早く!」


 ここまでボロボロに成りながら、上位者にたいして半ば命令口調で詰め寄れる気位の高さに驚きつつ、今まで思うように前進できなかったのはコイツの未熟さのせいでもあるとも思いながら、昨日の滑落のお陰で打ち付け腫れあがった彼の両の瞼の舌の青い瞳を眺めシュタウナウ大佐は。


「我々ガルマン民族あろうが、彼らまほらま民族やイェルオルコ族であろうが、強く運の有る者しか頂を踏めないのが山の世界なのだよデンツァー民族防衛隊少佐。彼らは強く運も有った。だからからあそこまで来れた。それだけの話だ。そしてその彼らに山は決定的かつ破滅的な試練を与えようとしている」


 その言葉に驚いたのはデンツァー少佐だけではなく、ガンヅ特務曹長をはじめとする山岳猟兵全員だった。

「どういう事でありますか?」ガンヅ特務曹長の問いに、愉快気に微笑みシュタウナウ大佐は愛用の氷斧ピッケルでオルコワリャリョ主稜線を差し示し。


「彼らの行く手を見たまえ、あの深く切れ込んだ切戸キレットを。鳥の翼でもない限りあそこを突破するのには数時間、いや氷や岩の状態次第では十数時間を要するだろう。その間に我々はこれから幾つも現れるであろう氷塔セラックを一つ一つ慎重にしかしてすみやかに通過してゆけば、彼らよりはやくオルコワリャリョの頂を踏める。つまり運を征する事が出来ると言う訳だ」


 そして全員を見渡し。


「では旅団将兵諸君、出発しよう。そして彼らを出迎えようでは無いか。ま、あそこで諦め敗退しない限りは、だがな」

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