雪車町 るちあ
全員が背筋を伸ばし、先輩が目の前まで歩いてくるのを待つ。冷や汗が背を伝う感覚を覚えながら、スポーツメガネの奥の鋭い眼光に足が竦む思いだ。
「で、なにをやってんのかなあ、あんたら?」
先輩は目の前に立つと喉が渇くような気だるい声を発し、全員の眼をグルリとひと睨みする。明らかな不機嫌が表され眼を逸らす事も許されない緊張にまた背筋が伸びる。
「あのっ、
だが、渡利が一歩前に出て皆を背に隠すように発言をする。頭ひとつ分、背の高い
「渡利あんたはさあ、コーチに休養日だって言われてるよねえ今日、わかる休養日、その意味ってやつ?」
「それは……」
グッと出もしない唾を空気と一緒に飲み込む。言い返せる言葉を渡利は持っていないからだ。
「あんたらも、ノコノコ
苛立ちの声を強めて後ろの四人へと眼を向ける。グッと唇を噛む悔しさが湧くが誰ひとりとして反論を返せるものはいない。
「なんやお嬢ちゃんッ。わしの孫とお友達になんか用があるんかッ」
「お、お爺ちゃん」
その時、後ろから渡利の爺さんがただならぬ様子に走ってきた。傍から見てイジメを受けているように見えたのだろう。渡利が慌てて爺さんを戻そうとするが、雪車町は爺さんの方に顔を向けると唇を軽く震わせるように息を吐くと一転した口端の柔らかく上がる笑顔を見せた。
「渡利さんのお爺さんですか。どうもはじめまして、
先程の怒鳴る声とは裏腹な礼儀正しい言葉遣いと柔らかな声に面食らうも、爺さんは孫達を攻める声をしていたのが、この眼鏡の嬢ちゃんだという事は間違いようもない。孫と歳が変わらぬ子どもとはいえ、爺さんの声は自然に感情的なキツイものになる。
「おう、その同じサッカー部の嬢ちゃんがなんの用やゆうとんや」
「いやあ、たまたま遠くまで自主トレに来たらですね、お孫さんが休養日にもかかわらず激しい運動をしてるじゃないですか? フットサルみたいな遊びだとは言ってもね、止められてるんですよ激しい運動。部のコーチにね、キツく止められてるんです」
その言葉に渡利の爺さんはかわいい孫の顔をジッとみる。渡利が少しだけ目をそらす。言われてる事が真実だとわかると渡利の爺さんは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分のワガママともいえるお願いが孫どころかお友達にまで辛い思いをさせてしまったからだ。
「そうか、嬢ちゃんの言うとる事はわかったわ。でも、孫は攻めんといてくれ。悪いのは笑舞にムチャなお願いをしてもうたワシなんや」
「……どういう事です?」
爺さんは事細か納得してもらえるように説明した。
「なるほど、事情は理解しました。お爺ちゃん想いなお話ですね」
雪車町は微笑みなまま頷くと渡利達の方に顔を向けた。
「あなたら、今日の事はお爺ちゃんに免じて目を瞑るよ。ただし、このフットサルゲームはこっちの不戦敗にすること。言われたとおりに今日は休む。いいね?」
「はい、すいませんでしたッ」
全員の思いとしては最後までプレイしたい楽しい試合だっただけに心残りがあるが仕方がない。先輩は間違った事を言っているわけではないのだから。
「ちょっと待って、なんかあったの?」
その時、相手の同示ヶ丘チームが様子のおかしさにこちら側に近づいてきた。
「実は申し訳ないのですが……」
渡利が皆を代表して事情を説明した。
「えッ、そんなッせっかくいい試合になってたのに――」
「――よせイチジョウ。あっちにはあっちの事情がある。休養日に身体を休める事は間違っちゃいない」
納得がいかない夏河を多来沢が引き止めると、気だるい顔をしている雪車町と着ているジャージに目を向ける。その視線に雪車町が「なんでしょうか?」と首を傾げる仕種を見せると遠慮なく口を開いた。
「その白と黒のジャージ「
多来沢の指摘に眉を少し上げると雪車町はひとつ溜め息を吐いた。
「まいったなあ、うちが有名すぎるのも考えものだな。はい、そうですねはじめまして、私「東昇坂学園」中等部女子サッカー部二年「雪車町 るちあ」と申します」
雪車町が軽めな自己紹介をすると多来沢は片方口端を上げて自己紹介を返す。
「ご丁寧にどうも、ウチは「西実館中学」女子サッカー部三年「多来沢 はじめ」だ。悪いな、東昇坂の事はよ〜く知ってんだが、雪車町てのは初耳だったんでね?」
いやに棘のある返しに少しは柔和にしていた笑顔が僅かにヒクつく。多来沢自身もいい試合を諦めきれなかった怒りに近いものがあり、ついと口に毒を含んでしまったようだ。
「まあ私は転入組ですからね知らないのは無理もありませんよ。それに、今年の東昇坂は練習もシャットダウンで外部に漏れないようはしてますからねえ、どこぞの偵察にも引っ掛かりませんよ?」
雪車町もまた毒を隠さずに言葉を返す。
「なんだ、西実館がセコい偵察でもしてるって言うの? だったら「ミラン」にでも言っとけ、今年こそは正々堂々と勝つってな」
「みらん? あぁ「
多来沢の「花式」という選手への宣戦布告に雪車町は渇いた笑いで返した。多来沢の不快気な顔を見ると続けて口を開く。
「多来沢さんでしたっけ? 恐らく貴女は「
「あっ?」
「目指す景色が違うんですよ。あの人と貴女じゃね。そもそも西実館程度がなにをほざいちゃって――」
「――なにィッ!」
雪車町の挑発的な言葉に顔を詰め寄らせる多来沢に寺島雨宮夏河がその身体を慌てて止める。
「落ち着いてください多来沢先輩!」
「他校との揉め事は後で大変な事に」
「落ち着きましょうっ。落ちおちオチツツ――」
「――大丈夫だ。わかってるおまえが落ち着け」
多来沢は慌てすぎてる夏河の額を軽く小突くと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
目の前の雪車町は唇を揉むように動かすと溜め息混じりな声を漏らす。
「ふぅ、やれやれまさか相手が西実館とはね、うちと本気で戦えるとでも――」
「――雪車町先輩それは言いすぎです取り消してくださいッ。プレイしてわかりました。この人達は立派なサッカー選手です。東昇坂にだって負けてはいませんッ!」
横から反論をしたのは渡利だ。後ろの後輩達も思いは同じか、強い眼で雪車町を見据える。その様子に雪車町は額をコツコツと手の甲で叩き空を仰ぐ。
「随分と入れ込んでさあ。まあ、それは花式さんや「
その仰いだ鋭い眼は眼鏡のレンズ越しから外れた裸眼の横目でまるで逃れるように後ろに下がっている少女を見つける。ビクリと身体を震わせる様子に渇いた声が自然と漏れた。
「ま、いいや。とにかくこれで解散なのは変わらせませんよ。それじゃ」
雪車町の熱の無い素っ気のない声と共にフットサル大会はどうにも後味の悪い閉めとなってしまった。
数十分後のファミリーレストラン――窓際の禁煙席。
雪車町 るちあはなにを注文するでもなくスマホを机の上に置いて久しぶりに電話を掛けて呼び出した待ち人を待っていた。
しばらくすると店の扉が開き待ち人が相変わらずなオドオドとした自身の無さで俯き店員さんに話をしてからこちらへと近づいてくる。雪車町は柔和に口端を上げる笑顔をつくって
「なんか久しぶりに感じるねえうるか」
鮫倉 うるかを出迎えた。
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