麺処 いちじょうにて3
メニューが全員みぞれ和風パスタに決まり、夏河が注文を伝えに向かう。
―――ガラリ
と、貸し切りの筈の麺処いちじょうに来店者がやってきた。ワイシャツとネクタイの上から色の褪せた工務店の
「……今日、貸し切り、貼り紙」
厨房からヌボっと顔だけを出した店主、夏河 ユラがボソリとした低い声で中年男性に言うと、中年男性は目を丸くして、少ない髪を無理やりリーゼントにキメた頭を掻きながら
「え、今日貸し切りっ!? あーごめんごめんユッちゃんうっかりしてたは、ハッハッハ」
と別段 悪気はなさそうに豪快に笑う中年男性。どうやら、彼は麺処 いちじょうの数少ない常連客のようだ。
「いいよいいよ、入ってもらって、たぶんこれ以上は友達来ないと思うし、貸し切りはおしまいおしまい」
夏河がそういうと、ユラは数秒黙って中年男性をジッと見つめてから、コクリと頷いて、カウンター席を指さした。座ってよいという事だ。
それを確認した中年男性は嬉しそうに笑うと
「いやぁ、ありがとうイッちゃん。悪いね」
と、夏河へとお礼を言いながら示されたカウンター席に重そうな身体をドッコイセと座らせた。
「いいっていいって、常連さんは大事にしないと、うちみたいなお店は潰れちゃうから。注文はいつものでいいの? 今日は和風がおトクだよっ」
「え、そう、うーん……いや、やっぱ俺はいつものナポリタンでいいよ。大盛りライスとジャガイモの味噌汁付きで」
商売上手におトクなメニューを勧めてみるが常連さんにはこだわりの定番メニューがあるようで、和風キャンペーンの割り引きはお断りした。店側としては売り上げ的にはありがたい。こういった常連さんは大事にしたいものである。
「ほいほい、聞こえてるけど一応復唱。おいちゃんのいつものスペシャル定番お願いしまーす。こっちは鶏団子のみぞれ和風パスタ四つね。味付けはポン酢二つとダシ醤油二つ」
夏河が注文を伝えると、厨房の店主ユラは、すでに調理を開始していた。ヌボっとした風貌とは裏腹にその手際は早い。こういう働く姿は素直に尊敬できると、夏河が頷く横で常連さんはおしぼりで顔を拭きながら夏河になんの気無しに話をふってきた。
「あぁ、そういやイッちゃん。サッカー始めたんだって? 奥の友達もサッカーの?」
常連さんが奥をチラリと見ると可愛いツインテールと目があって、彼なりににこやかに笑うと、ギョッとした顔をされて頭が引っ込んだ。
「ちょっと、おいちゃん怖がらせないでよ。おいちゃんの顔ちょっと強面なんだから」
「えー、失礼な話だなぁ。こんなイケメン掴まえてぇ」
夏河のジョークめいた皮肉に特に動じる事なく常連のおいちゃんは強面な顔を笑わせた。根は凄くいい人だ。
「で、アイドルみたいなツインテールちゃん達もサッカー部なの?」
いやにしつこくサッカー部なのか聞いてくるのに首を傾げながら、夏河は頷いた。
「うん、そうだよ。みんな同じサッカー部。それがどうしたの?」
それを聞くと常連のおいちゃんはなにやら嬉しげにセルフのお冷やを一杯飲みながらこういった。
「じゃあさぁ、ちょっと二時くらいから、なんかイヌやらキジやらサルやらよくわかんないだけど、なんかサッカーみたいなのを商店街のやつらがやるんだけど。人数足りないらしくて助っ人頼めないかなぁ」
「イヌキジサルのサッカーみたいなやつの助っ人?」
言われてもなんのことやら夏河にはさっぱりだ。
「と、いうわけなんだけど、どう?」
それはそれとして、困っているなら助けてあげたいのが
「いや、いきなりどうと言われても、てかイヌキジサルのサッカーみたいなのって、それ「フットサル」の事だろ?」
なんだか子どものなぞなぞみたいな言い回しにツッコミを入れるのを我慢できなかったのは、寺島だ。
「へー、フットサル?」
なるほどとわかった風に頷く夏河だが、特になにもわかってはいなさそうな妙な不安がよぎった寺島はとりあえずと聞いてみた。
「ちなみに聞くんだけど、フットサルやったことあるの?」
「いや、ないよ?」
真顔で即答な夏河に寺島は頭痛がしてきそうだ。
「急な話ね。地域活性の催し物かしら?」
その横で特に動じていない雨宮を見ると、寺島はこいつ夏河に随分と慣れてんなと寺島は妙に感心してしまった。
「てか、急にいわれても、あーしら私服しか持ってきてねえしなぁ」
恐らく商店街催しのフットサル大会なら自前の服にゼッケンを付けてやるようなやつだろうと寺島は予想する。こんなヒラヒラとしたスカート姿で走りまわれるものではない。ここは夏河には悪いが満場一致で断るしか――
「駅まで戻ればコインロッカーにスポーツウェア入れてるから、参加できなくもないけど」
―――無い。と、思う寺島とは裏腹に雨宮はサラッとそんな事を言ってきた。
「え、なんでコインロッカーにスポーツウェア」
「食事会が終わったら、軽くトレーニングする予定だったから。まぁ、食後の運動にフットサルをやるのもちょうどいいんじゃないかしら?」
確かに食後に軽く運動をするのはよい事だが、まさか雨宮が家に帰る前に速効でトレーニングをしようと考えていたとは、寺島は思いもしなかった。
「うん、リアは参加してもOKねっうるかっちょは?」
「……ぅん」
夏河が鮫倉に参加するかたずねると、後ろに置いていた手提げカバンをポスポスと叩いた。どうも、スポーツウェアを彼女も持参していたらしい。意外事に、鮫倉もフットサルに参加してもよいという。
「うん、じゃあ寺っちもOK?」
なにやら、フットサル大会に参加する流れになっているような気がするが、寺島はスポーツウェアなんて持って来てはいない。
「いや、あーしは私服だし――」
「――えー、わたしのジャージ貸すから一緒にやらないせっかくなんだしさぁ」
「いや、なにがせっかくなのか知んねえけど……まぁ、ジャージ貸してくれんならやってもいいけどさ」
どうせ断ってもなんだかんだと巻き込まれて参加させられそうな気がした寺島もフットサル大会に参加することにした。
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