イチジョウの名は


「なんだ、デートって両手に花かよ」

「あれれほんとだねぇ、いつの間にもうひとりぃ?」

 背後からのハスキーな声と緩やかに間延びした声に赤木が振り返る。

「ん、タッキにアリゾウ」

 そこにいたのはやはり、多来沢たきざわ有三ありみつだ。

「と、レナちゃんとカベちゃんも?」

 その後ろから武田たけだ立壁たてかべたち二年生コンビも後から顔を出す。

「団体さんでなにしてんの?」

 ぽけっと首を傾げる赤木に多来沢は鋭い眼を細めて肩を竦め、有三は口元がむふふなωオメガ笑いだ。

「なにしてんのはこっちのセリフだっての」

「一年生ふたり、こんな所に連れ込んじゃってぇ、お邪魔しちゃったかなぁ〜?」

「ぇ、連れこーーべっ、別に一緒にサッカーボールで遊んでただけだってばっ、ねえ?」

 後輩女子二人とサッカーをしていた。別段、慌てるような事では無いのに有三の意味深を装う柔らかな言葉尻をきくと、なぜだか若干やましいのかもと錯覚してしまいそうになる。慌てた赤木は雨宮に同意を求める。雨宮は目配せで頷くので、ホッと胸を撫で下ろす。

「そうです、キャプテンを誘ったのはサッカーにワタシからですっ」

「リアッ、それ言葉足らずで誤解されるやつではっっ!?」

「いやぁ、もちろん冗談だからぁ、慌てなくても大丈夫だようぅん」

 慌てる赤木とよくわかってなさそうな雨宮を眺めて有三はからかい過ぎたかなと両手を狐の形にパクパクとパペットのように動かし冗談をアピール。赤木も手を狐の形にして「く〜ら〜え〜」と有三狐にスローモーションで赤木狐を突撃させると、有三は「お〜わ〜あぁ〜」とコマ送りなオーバーリアクションで狐を倒されるといった寸劇コントを繰り広げた。

「実はイチジョウさんにリフティングのコツを教えていた所なんです」

 だが、寸劇を目の前にした雨宮はこれを華麗にスルー。口端を片方あげて少しは笑って観賞している多来沢になにをしていたか詳しく説明をする。スルーされてしまった赤木と有三は、お互いの狐をパクパクとさせて、どこか寂しそうだ。

「ん、イチジョウ?」

 言われて多来沢が顎に手を当ててイチジョウをマジマジと眺める。初対面で多来沢のギロと鋭い眼に見つめられると竦んで硬直する者が多いが、イチジョウは

「……」

 サッカーボールを手にしたまま大きな眼で多来沢を、見ていない。

 見つめる視線は後ろへと流れている。

 多来沢も少し気になったか、視線を追って後ろを見る。そこにいるのは武田と立壁の二年生コンビだ。二人がどうかしたのかと、イチジョウに声を掛けようとした時、黙っていたイチジョウが突然に声をあげた。


「やっぱり武田センパイだよねっ!!」

「ぇ、な、なにっ!」


 いきなりなんの前触れも無く名前を呼ばれた武田は不意打ちなカウンターアタックでも食らったかのようにビクリと背筋を伸ばして驚く。そこを盤面フィールドのすき間を埋めるプレスするが如くイチジョウがダッシュで密着に近づいてきて、思わずたじろぎ後ろに一歩ニ歩と下がった。

「武田センパイ! わたしイチジョウです! 部活のときのシュートアドバイスありがとうございましたっ。すっごい参考になりましたっ!」

 武田は一瞬、わけがわからないと広めなおでこに指を当てて天を仰ぐ。

(あぁ、イチジョウね)

 目の前の後輩が、少し前に部活でシュート練習を見たイチジョウだと言うことは一秒と待たずに思い出す。この元気すぎるサイドアップ女子の事は恐ろしい程に忘れるほうが難しい。とりあえず、恐らくあの時のシュートアドバイスを凄いものだと勘違いしてそうなイチジョウを正そうと先輩らしい威厳のある落ち着いたトーンのつもりで声を掛ける。

「ん、イチジョウ、そういうのいいから、頭あげな。うん、早く上げな、ね」

 正直、鬼コーチ多来沢が興味深げに見つめてくるので武田も心臓に悪いので本当にこの状況を早くなんとかしたい。

「なんだよアヤナ。アドバイスなんてしてやったんか」

 多来沢が腕を前に組んで薄く笑う。武田の心は悲鳴を上げそうだ。

「はいっ、武田センパイはわたしのシュートのお師匠ですよっ」

 更に追討ちを掛けるようなイチジョウの「師匠」というぶっ飛んだ言葉ワードには先輩としての威厳よりも慌てて釈明する方を選ぶしかない。そもそも、目の前の多来沢先輩ストライカーを差し置いて師匠呼ばわりなどどういうつもり、勘弁してと武田はイチジョウの口を押さえてこの場から逃げ出したい気分だ。とにかく早く、早く釈明をしなければと焦る武田。

「何いってんのイチジョウ。あれはねーー」

「ーーへぇ、アヤナがお師匠かあ」

 意味ありげに頷く多来沢。

「はいっ、そしてわたしはお弟子ですっ」

 更に意味のわからない言葉ワードミサイルをぶち込むイチジョウ。取り返しのつかない事になりそうな予感がしてたまらない武田は必死に弁明だ。

「ちがチガ違いますっ。そんな大層なもんになった覚えはありませんっ、お願いイチジョウやめてっ、誰の前で言ってるのか理解してっ」

「ぇ、でもわたしに正しいシュートの撃ちかたを教えてくれたのは武田センパイだから、やっぱり、シュートのお師匠ですっ」

「イ、チ、ジョウッ、あれはっっ、アドバイスでもっ、なんでもないっってっ、言ったでしょっっ!!」

 あんなゴールの隅にシュートを撃つ初歩練習なんて、アドバイスじゃなく当たり前の事だと部活終わりに一応言っておいたはずなのに、武田は全く理解もしていそうもなく、かといって悪気もなさそうなイチジョウのパチクリとさせる大きな瞳に頭を抱えた。


「まあいいじゃんかアヤナ。慕ってくれる後輩を邪険にするもんじゃないって」

 だが、意外にもイチジョウの態度に好意的な反応を示したのは多来沢だった。

「ま、イチジョウの方もちゃんとアヤナと話ししてお互いに納得してから師弟関係は結びな」

「はいっ、わっかりましたっ」

 多来沢にしては説き伏せるような柔らかい口調でイチジョウの眼を見て言う。ギロとした鋭い眼を真正面から受けとめたイチジョウは特に竦んだ様子は無くピシッとした敬礼で応じた。

(あの多来沢先輩が私に優しい事を言ってくれているっ)

 普段の鬼コーチな多来沢を見ている武田には失礼だがショッキングな場面だ。

「つっても、アヤナは基本的にいけるヤツだから押してダメなら押しまくってみな、根負けするから」

(いけるヤツってなんですかっ。てかやっぱり私に優しく無いいっ)

 やはり優しさは幻だったかと心の中で叫びを上げる武田。イチジョウも敬礼ポーズのままに「はいっ、押しまくりますっ」とまた恐ろしい事を言ってくる。

「けど、アヤナも悪い気はしてないんじゃないか。で呼ぶなんて、仲良いじゃん」

(そんなことは……て、ぇ?)

 心の中でツッコミを入れようとした武田は多来沢の言葉に妙な違和感を感じた。

「ああ、それはあたしも思った。リアは同じ一年だからわかるけどね」

「ん?」

 言われた雨宮もなにか違和感を覚えてるらしく眉間にシワを寄せて、同じく難しい顔をしている武田を見つめて、赤木へと顔を向ける。

「あの、なにを言って、イチジョウさんは、イチジョウさんですよ?」

 自分でもなにを言っているんだと言うような頭の悪そうな言葉だが、雨宮は困惑な表情で赤木と多来沢に尋ねるが、二人の先輩は顔を見合わせて首を傾げる。

「んと、リア達は「夏河なつかわ」さんの事を名前で呼んでるよね。あれぇ、違う。あなた「夏河なつかわ 苺千嬢いちじょう」さんでしょ?」

 言われてた当の本人は腰に手を当て、なぜか得意げに顔を上にあげて答える。

「はいっ、わたし「苺千嬢いちじょう」ですっ」

 武田と雨宮の脳みそは理解が追いつかず、ゆっくりとパズルのピースを嵌め込むように思考して、唇を震わせる。

「つまりあなた……名字が「ナツカワ」さんなの?「イチジョウ」さんじゃなくて?」

「うん、そだよ。最初に名字呼びはよそよそしいから苺千嬢イチジョウって呼んでって言ったっしょ?」

 なにを今更とでも言いたそうな顔でサラッと応えるイチジョウこと夏河 苺千嬢に思わずツッコミをいれるしかない。

「あなた普通、イチジョウって、名字だと思うでしょっ」

「ぇ、そんなこと言ってもーー」

「ーーそうだっ、私も名字だって思ったっ」

「だってだって、武田センパイも名前を聞いたから正直に応えただけでっ」

 武田も加わり圧を強めに詰め寄られて、さすがにタジタジと「夏河 苺千嬢」は後ろに下がるのだった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る