悩む二年生
翌日の西実館中学校2ーC教室―――午前の休み時間。
「……はあっ」
武田 礼奈は机に突っ伏してため息を吐いた。
「どうしたの、数学の授業難しかった?」
武田の様子に横から落ち着きのある控えめな声が話しかけてきて、友人がひとり自分の椅子をわざわざ近づけて、丸まった背中を優しくポンポンと叩いた。
「別に、難しく無かったよ。予習した通りだったし」
武田はグダリとした無防備な顔でいつもの心配げな優しい顔に向かって問題無しなオッケーサインを形づくった。生活の中心がサッカーであっても武田は勉強を疎かにはしない女子だ。サッカーばかりやってるから成績が落ちた等とは他人に言われたくはなく、来年は受験生という事も考えれば予習復習の勉強時間を取るのは当然だというのが武田の意見だ。そのお陰か同学年でも成績は上な方にある。
「ほんと、じゃあその数学ノート。見せてくれる? 実はさっきの授業、黒板写しきれなくて」
同じく来年受験生な目の前の友人は勉強は以外にもからっきしだ。真剣な表情をすると理知的に見えるのであるが、そんなのは偏見だよというのが友人の主張だ。
「良いけど、丸写すんじゃなくてちゃんと自分の身になる勉強に使ってよね。時間は有限なんだから」
「んんう、このスパルタ・ロッテルダム、痛いことを言ってさあ」
スパルタ・ロッテルダムとは、オランダの都市ロッテルダムを本拠地とするサッカークラブの名前だが、熱心なサッカーファンでも無ければわからないだろう。恐らく勉強のスパルタと掛けた精一杯なギャグだろうが武田は特にうまいとは思わず脱力気味に身体を起こしながら微妙な顔をしてトドメを挿す。
「いや「タテカス」それは寒いよ。同じサッカー部が私ら二人なC組じゃ解りにくいってそのネタ。これは、後ろからバッサリ大減点させてもらうね」
「ええっ、レナっちゃんそれはちょっと厳しすぎやしないかな?」
軽く二の腕にチョップをかましながら意外と厳しい評価な武田に、太い眉を八の字に下げて西実館中女子サッカー部不動のセンターバッグ「
そんな立壁と武田は一年の時から同じクラス、隣の席、同じ部活のレギュラー同士という運命的な腐れ縁だ。武田の数少ないニックネームで呼べる砕けた無防備さを晒せる仲が良い友人。いや、親友と呼べるのは立壁だけだろう。
「それじゃぁ、本当の悩みはなんなの? 力になれるかな?」
そんな、遠慮ない仲の良さからか、武田の昨日からの異変には気づいていた立壁は渡されたノートは横に置いて武田へと対面できるように椅子の向きを変えた。
「うーん、実はーー」
問題を抱えるとひとりで解決策を探す自分の悪い癖を貫くよりも、優しく聞き上手な立壁に吐露したほうが楽になると思い、武田は昨日の鮫倉達とのやり取りを素直に話した。
「それは、レナっちゃんが深く悩まなくてもいいんじゃない?」
話を聞いていた立壁は両手指を膝の上で組みながら自分の意見を言う。
「えぇ……」
武田のあまり納得が言ってない表情に、立壁は眼を優しげに細めた笑顔で応える。
「そのイチジョウって一年、本当にシュート練習のやり方がわからなかったのかもよ?」
「いやいや、そんな事ってありえんのかな、小学校低学年くらいならともかくもう中学生だよ?」
「ありえないって考えはありえないって思わないと。次にイチジョウの練習をよく見てみれば理由がわかってくるんじゃない?」
立壁の言う「ありえないという考えはありえない」は卒業した先輩ディフェンダー達の教えだ。
「じゃぁ、鮫倉の方の「コワイ」っていうのはどういう事だと思う?」
「それは……ん、このあたしタテカス、苦手な予想外な例だと正直に言います」
鮫倉の「コワイ」発言はさすがの立壁も理解するのは難しいと認める。過去の自分と照らし合わせるとこればかりは本人でないとわからないデリケートな問題であると立壁は思う。ただ、培った教えに従い思考を柔らかくして考えてはみる。
「ううん、あの攻撃的に鋭い目つきから普段もバチバチに闘志むき出しって固定概念が、真実を曇らせてるの、かも?」
「固定概念ねぇ」
「ほら、
(……多来沢先輩が、良い例なのかあ?)
一瞬、武田も納得しかけたが、急に現れた多来沢の名前に眉を寄せた難しい顔をする。確かに、多来沢には目つきの悪さという鮫倉との共通点はあるが、武田の中での多来沢の眼は鮫倉のような生意気そうな鋭い眼ではなく、自分の要求を突き通す王様のような、多来沢の言葉を借りるならワガママな眼というやつである。武田の前での多来沢はあの鍛えた美脚を存分に発揮して動き回るワガママな先輩なので良い例としては少し否定してしまいそうだ。とりあえず、そこは置いておく事にして、立壁の話にまた耳を置くことにする。
「だから、鮫倉ちゃんもピッチを離れたら実は獰猛なサメじゃなくて可弱い小魚ちゃんの可能性? 以外とコワイって言ってるのは
「可弱い小魚、
確かに、呼び出した時の鮫倉の声はか細く聞き取りづらくはあったが、しかし、本当に精神が弱い人間が、あんな荒々しいストイックプレイができるものだろうかと思いながらジッと目の前の立壁を見つめる。
「なに?」
「いや、ありえないって事はありえないかなって」
例として一番身近な存在を武田は近すぎて忘れていた。最も良い例とは親友、立壁 香住以上の存在はいないだろう。本人は特にわかってはいないようでキョトンとしている。
「でも、ここであたし達がアレコレ言っても解決できるわけじゃないんだよ、本人が正直に話してくれるのが一番いいんだけど、あと」
「あと?」
休み時間ももうすぐ終わると椅子を元に戻す立壁に武田は聞き返す。
「先輩達や監督が、なんも考えて無いって事は無いと、このあたしタテカスは思います」
立壁は視線を三年教室のある下の階に落として柔らかく笑った。
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