誰が彼らを殺したか?

赤木爽人(あかぎさわと)

第1話 これから僕の話をします

 ──これから僕の話をします。


 僕はみなさんもご存知のとおり、北海道の小さな漁村の生まれです。

 漁師さんも10人いるかいないかといった本当に小さな漁村です。村というよりは部落といった方が近いかもしれません。

 冬になると、海は凍り船が出せなくなりましたから、漁期はさほど長くありませんでしたが、厳しい環境で育ったお魚は、脂がのっていて、それはそれは美味しいんです。

 だから結構高く売れて1人乗りの小さな船で漁をしても、みんなそこそこいい生活はできていました。

 もちろん、僕のお父さんも、漁師さんの1人でした。

 1人乗りの和船で漁をしていました。

 お父さんとお母さん、僕の3人で住んでいましたが、部屋がたくさんある結構大きな一軒家に住んでいました。

 お父さんがとってきたお魚が僕は大好きでした。中でもカジカ鍋は忘れられません。カジカの切り身と色んなお野菜を入れて味噌で煮込んだ鍋なんですが、白っぽい鍋汁に、オレンジ色のカジカのキモを入れると、パッと鍋の表面にオレンジ色の幕ができるんです。

 味噌仕立てなのになぜ白いのかというと、僕のうちは北海道の白味噌を使っていましたから。

 小学校2年生の時に、家族旅行で食べた京都の白味噌みたいに甘い味噌じゃありません、普通にしょっぱい味噌なんですが、白っぽいんです。


 ──ああっ、そうですよね、聞いておられるみなさんも、この辺りの人だから当たり前のことですよね…


 お母さんの作るカジカ鍋は本当に美味しかったんです。


 すみません、つい、脇道にそれてしまいました、やはり最後に思い出すのは、いい思い出ですね、ごめんなさい。

 でも、この土地の厳しい環境に若い人は堪えきれずに、みんな、みんなといっても、その頃はもう数えるほどしか居ませんでしたが、都会へ出て帰っては来なかったんです。

 だから、通っていた小学校も、クラスメイトは中田くんと、坂下くん、もみじちゃんの3人しかいませんでた。

 でも、小学校4年生の時にお母さんが肺炎で、付近に大きな病院がないこともあって、亡くなってしまいました。

 不幸は続くもんですね、同じ年にお父さんも、流氷が来る直前の海で、漁船が転覆して心臓麻痺で死んでしまいました。

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