34 父の真実
「……う、嘘、だ……」
――ゼトアが父親?
生まれた時から家族は母親一人だけだった。どこか遠くに行った父親の話は何回か聞いたが、その男のことを悪く言うと母が悲しむので、次第にその話題を口にすることも、考えることすらもやめてしまっていた。母親の確かな愛をその口調に感じ取ったこともあり、自分自身その男を憎まないように考えてもいた程だった。
それがゼトアだというのか。初めて見た時にその強い瞳に惹き込まれた。まるで憧れの軍人さんをそのまま形にしたような、そんな頼りがいのある背中。多くを語らないその口が、自分への愛情だけは伝えてくれて。そして母を、『全て』を愛していることを見せつけられて。
おかしくなりそうだった。彼のことを考えると。心の中の暖かいところも汚いところも全て、全て引きずり出されそうで怖かった。怖かったから、蓋をした。小さな、違う、愛しい少年へと、その愛情を挿げ替えた。
そんな彼が、父親?
「ほんまやで。魔族とエルフの混血やから、この計画はお前の魔力も混ぜ合わせれるねん。どうや? お前も混ざらんか?」
まるで食事への誘いかのように軽い口調。だが天使の目は笑っていない。欲望に滾ったその目が、グロッザを捉えて離さない。
「……グリアス……知ってたのか?」
先程の慌て方だ。多分少年はこの事実を知っていたに違いない。少年は否定も肯定もせずに、ただ黙って俯いている。だが、沈黙は肯定だ。
「お前も憎いアレスを殺したいやろ? 愛しいゼトアの『全て』を殺したないか?」
誘うような天使の言葉に、グロッザの心がギシギシと悲鳴を上げた。それは先程告げられた真実――いや、心のどこかではわかっていたのだ。彼が自分の父親だと。どこかではわかっていたのに、わからないように蓋をしたんだ。そして天使から続けられた言葉は、グロッザの心を掴んで揺さぶる。
――魔王を、殺す?
魔王を殺せばきっとゼトアは怒り狂う。魔王は彼の全てなのだ。それはもう間違いなく。息子や、それを産み落とした女よりも大事な。いつ何時も彼の心は、気持ちは、意識はその全てに向いていた。
その全てを殺せば、恨まれて彼に殺されてしまうかもしれない。でも――もしかしたら、全てから目を、彼の意識がこちらに向くかもしれない?
「魔王を、殺す……?」
「ダメだよグロッザ! 魔王様を殺してもゼトアさんはグロッザを愛してはくれないよ! だからっ! だから、ボクだけを見て愛してよ!」
小さな身体を押し付けるように、グリアスがそう叫んだ。まるで駄々をこねるように頭をぶんぶん振りながら、グロッザの身体を抱き締める。少年の悲痛な叫びに、グロッザの心の奥底が揺さぶられる。
――そうだ。彼はきっと、愛してくれない……
「うるさいガキやな。さっさと魔力渡してもらおか」
天使の輝く手が唐突に少年の身体を貫いた。グロッザの目の前で少年の口から鮮やかな血が零れ出る。
「グリアスっ!!」
少年の胸から光輝く槍が現れた。徐々に空間に馴染むかのようにその槍はゆっくりとその全容を現わしている。まだ柄の部分だけだが、少年の身体を貫通するだけの切れ味は既に現出しているようだった。
ゆっくりと伸びる柄がグロッザの胸に触れる。
「さぁ、うるさいのも静かになったし、グロッザくんも一緒に恋敵を殺そうや」
「……あ、あんたは、なんでそんなに魔王に固執するんだ?」
恐怖に少し声が震えたが、それでも天使へ問いかける。欲望を隠そうともしない天使の表情は、とても天命からの使命感とは思えない程歪んでいるから。
「これは俺の性癖みたいなもんや。愛する男性<ヒト>の心底愛する対象を殺したい。それだけやで。最初はグロッザくんにしよか思たけど、どうやら魔王には及ばんかったみたいやから」
天使の言葉に光を刻まれた腹が疼いた。その悪寒のような乱れは、すぐにグロッザの心にも不必要なさざ波を起こす。
「グ、グロッ……ザ……」
口から噎せ返る程の甘い血を流しながら、少年がふわりとグロッザを包む。もう出血により力が出ないのかその抱擁に拘束力等なにもなく、心から零れ落ちた優しさだけをグロッザに伝えた。
愛しい、小さな身体には、まだ生命の暖かさが残っている。光を失いそうなその愛らしい瞳が、それでもグロッザを映している。
「グリアス……」
愛しい少年だった。自分達は似た者同士だった。これまでもずっとそう少年が言っていたように。本当によく似た境遇で、そして惹かれ合っていた。なにもおかしなこともなく、それが当然で必然だった。
小さな身体を抱き締め返す。グロッザの胸を光の槍が突き抜けていく。それは生命を奪う痛み等ではなく、ただただ目の前の愛しい少年と混じり合う、魂の底から突き上げられるような暴力的な快感だった。甘き香りが一気に噴出し、そのまま身体の感覚が曖昧になっていく。いつの間にか閉じられた瞳に、快感が更に高まるようだった。
「この天界の岸辺を砲身にして、魔王アレスを混ぜた魔力で貫くんやで。気持ちエエやろ? 最高の快感やで」
天使が恍惚の表情で語る。それをどこか遠くで聞いているような感覚だったグロッザは胸元で、何か光とは別の熱源を感じ、やけに重い瞼をなんとか薄く開ける。
グリアスの首元で、首輪の鈴が激しく熱されたようなオレンジ色に染め上げられていた。まるで燃え上がるようなその熱に、グロッザの頭が覚醒する。目の前でグリアスも同じように目を見開いている。
――誰がお前となんて……お前となんて混ざってやるか!
これは二人の交わりなのだ。愛する少年と、二人で、二人だけで混じり合う。その魔力の中には他者は邪魔だ。いらないのだ。彼も、天使も、母親だって……
少年の紫色の瞳に自分が映っている。まるで抱き合うかのように貫かれた二人の間に、他者や移ろいは不要だった。
「グリアス……愛してる」
少年への何度も伝えたその言葉で、初めて憂いのない真っ直ぐな愛情を伝えた。少年の血まみれの口元に笑みが浮かぶ。
初めから歪だったのだ。欲しがる愛は、その方向性を捻じ曲げ、意味合いは歪み、そして与える者達をも狂わせた。与えられる者もまた、その歪に気付かぬまま、その愛をことさらに求め続け、歪んでいく。
そんなものはもう、いらない。愛する者と二人で、それだけで良い。どうか、もう、それだけで――
「なんやねんこの魔力……お前、ゼトアの魔力混ぜてるとか、気付かんて……」
天使がグリアスに向かって呟いた。それは天使が初めて見せた焦燥で、それでいてまるで愛しき者の裏切りにでもあったかのような悲痛な声でもあった。
――裏切りは、オレの方だ。
口から溢れ出てしまいそうなその言葉には蓋をした。孤独な器が愛を欲したように、揺れ動く器には愛という、重く“過ぎる”蓋で揺らぎを止める。
――もう、オレだけのグリアスだ。そしてオレも、グリアスだけだよ。
光り輝く槍等もう二人には関係ないのだ。傷口が広がること等気にもせずに、二人は抱き合う。静かに、ただ愛を分かち合う。分かち合う魔力。
天使の慟哭が聞こえる。だがそれもほんの些細なことで。少年の首元では熱源と化した鈴が、まるでその存在を主張するかのように熱を帯びていた。
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