29 天使のいる朝


 翌朝、揺さぶられる感触でグロッザは目を覚ました。もう寝巻から着替えているグリアスの顔が、視界いっぱいに広がる。

 早速寝起きにキスを落とされて、そこでようやく頭が働き始める。いつも通りのベッドの感触に少し安心した。いつもとなんら変わらない自室の景色だ。

――昨日、どうしたんだっけ? ゼトアと天使がワインを飲んでいて、それで……

「っ……」

 昨日の情事を思い出し、思わずグリアスの小さな身体を押しのけた。顔が熱い。心臓が口から飛び出しそうだ。

「どうしたの?」

 少し怯えたように言うグリアスにようやく落ち着きを取り戻し、小さな身体を抱き寄せる。あれは昨日のことだ。

「昨日……オレ、どうやってここに戻って来た?」

 記憶が曖昧どころか無かった。だから多分、誰かにここまで運ばれたはずだ。どちらかに。

「ストラールさんが運んできてくれたよ。手、血まみれだったけど、凄い反発だね」

「ストラールさんが?」

 反発のことは昨日目の前で見せつけられたのでよくわかった。だが、そうすると、それを覚悟で天使が自分を運ばないといけない、つまりゼトアは運べない状態にあったということで。

「そうなんだ……」

「エルフの血に反発してるって言ってたけど、それって天使としてどうなのかなぁ」

 少し考えるような表情をしながら言うグリアスの言葉に、グロッザは生返事しかすることが出来なかった。

「あ、そうだ! ルツィアさん、目が覚めたみたいだよ」

 こっちが本題、とグリアスが嬉しそうに報告してくれた。まだ一日も眠っていないはずだが、もう起きてきても問題はないらしい。

「良かった。ちょっと顔見に行っても良いかな?」

「ボクも行きたいから、朝ご飯食べてから一緒に行こう」

「ああ」

 朝ご飯って、何か用意してたっけ?







 記憶を辿りながら食堂の扉を開けると、ふわりと美味しそうな肉の香りが鼻腔を擽った。

「おはよーさん。朝ご飯出来てるで」

 天使が明るく声を掛けながら席を勧めてくる後ろで、母が昨日の残り物を炒めて朝食を作ってくれていた。少し疲労の色は見えるが、後ろ姿を見る限りいつもと変わりないように見える。

「母さん、もう大丈夫なの?」

「ええ、グロッザ。心配かけてごめんなさい。さすがに買い物までは行けなかったから昨日の残りだけど……」

「ルツィア、あまり無茶をするな。まだ魔力が不足しているだろう」

 申し訳なさそうにする母をゼトアが労う。その光景を見せつけられて、無意識にグロッザはそこから離れるようにグリアスの隣に座る。母のいつもの席は彼女のために空いている。まだ母も食べていないようだ。

 ゼトアは棚の前に立ったままで、それは天使も同じだ。二人が朝食を食べた形跡はない。

「朝食はボク達だけ?」

 グリアスも疑問に思ったのだろう。少し遠慮がちに聞かれた問いに、天使は聖堂では見せなかった笑顔を零す。

「俺ら天使は魔力が原動力みたいなもんやから。こいつら魔族も高位になると、数日ぐらいなら餓死とかせんのやで」

「試したことはないが、水と魔力を補給出来るなら、生命活動には支障はないだろうな」

 あまりに次元が違う話なので、感嘆の声しか出ない。あまりにもかけ離れた魔力だと、生物としてもここまでかけ離れてしまうのか。

「息子さんらは俺らが見ときますんで、ママさんはゆっくり休んでてください」

 天使が笑顔のまま母に向き直る。その目には昨日見せた危険な香りなどあるはずもなく、ただただ慈愛の天使そのものの表情だ。

「ストラール様にそんなことは……」

 聖職者である母からしたら、大天使であるストラールはとてつもなく高位の存在だ。信じる神とする者に仕える天使。天界の意志そのもの。

 その意志は、恐縮する母に笑顔のままその矛先を突きつける。

「ええから早く休んで魔力を充填してや。そうしな、いつまでもここにおることになるやろ」

 まだ聞き慣れないそのイントネーションに、だが確かに混じった苛立ちに、母だけでなくグロッザとグリアスも反論することは出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る