28 オトナの時間
「可愛い寝顔やったなぁ。お前の息子」
ストラールがさも楽しそうにそう言いながらテーブルに腰掛けた。気を失った息子を文字通り傷つきながら運んだ彼は、そのまま血みどろの恰好でゼトアの前に戻って来た。
魔力を使って傷等一瞬で治せるくせにすぐにはそうしない、そう彼を歪ませたのは紛れもなく魔王アレスで。これだけ歪んでも堕天使にならないところが、彼の聖なる力の強さでもあるのだろうが。
ゼトアはグラスに残っていたワインを飲み干す。甘みと痛みのブレンドされたような極上の味わいは、自分一人で楽しむのはもったいないものだった。
「エルフに触って反発するようじゃ、堕天は秒読みじゃないのか?」
「うるさいわ。天界から追放されたら俺もアレス様ぁって尻尾振ろかな」
「何度も降臨している天使様の言葉とは思えんな」
「実際、魔族のお前触ってもなんもならんくなってもたからな。もう天界……戻れんかもしれんな」
「お前たちの“神”はなんと言ってるんだ?」
珍しく溜め息をついたストラールの表情は、さすがに少しは曇っている。天界からの追放という意味合いの強い堕天だが、その代償は計り知れない。
翼を捥がれ、聖なる魔力をはく奪されるのは当然のこと、地上に生きる生命としての正しき循環にも交わることが出来ない天使は、その特権のみを剥がされた時、地を這うただの器≪モノ≫になってしまうのだ。
それを見極めるは天界における王こと、彼等の言うところの神である。聖なる魔力に守られた天界までは、さすがの魔王アレスも見通すことが出来ず、天界の動向は永らく人間達の祈りによる降臨のみでしか見定めることが出来なかったのだ。
「魔王を殺せ……無理難題言いおるわ」
「さすがにその器では無理だろうな」
「冗談は魔力だけにせえってな」
そう笑いながら注がれたワインに口をつける。もう充分に――愉しんだので血のブレンドではない。ストラールもグラスを用意してゆっくりと飲み干す。そして溜め息。
「今更人間ごっこなんて俺出来んって」
「その割には人の息子で随分楽しんでいたみたいだが?」
「あー……あのコはヤバいな。髪の色のせいか、まるで――」
そこまで言って天使の目が邪に光る。こちらにその目が、顔が近付いてくる。そのまま言葉を続けようとするその口を、喉を片手で強く押さえつけて制止する。
「それ以上は魔王への冒涜と取るぞ」
「――わかったって、ほんまいきなりなんやから……」
ケホケホと軽く咳をしているが、ただのパフォーマンスに過ぎないことは充分に理解している。天使とは身体の――否、生物としての造りが違うのだ。
「でも、それにしても似てるよな。お前の種と、魔王様の髪でも捏ね合わせたんか?」
案の定天使は何もなかったかのように話を戻す。そこには反省も謝罪もない。
「……何を言っている?」
そして道徳や倫理といったものも存在しない。天使は少し驚いたような顔をして、何かを考えるような間を開けてから話し出した。グレーがかった瞳が細められる。
「これは俺の感覚だけの話って、そう前置きをしたいんやけど……」
「問題はない。続けろ」
「天使も魔族も高位の立場の奴らって、そんなに魔力の差って無いと思うねん」
「それは同感だ」
一般兵ならまだしも、そうでなければ同程度の兵力と指揮官同士がぶつかって消耗戦になること自体がおかしい。
「俺ら天使は従者を己の魔力や生物の欠片を使って造り出すんやけど、それって魔族はやってへんの?」
さも当たり前のように語る天使に、ゼトアは内心目を見張る思いだった。新しい生命を無から魔力のみで造り出すということは、魔王アレスから打ち出されたことはない。
おそらく理に反するという理由で行っていないのだろうが、やはり神を自称する存在は、平気で理を超えてくる。
「魔王軍ではそういったことは行っていない」
「へー。なら魔獣とかはどうしてんの?」
「あれは野生動物や軍用動物を魔力に浸しただけだ。もとはちゃんとした生命体だ」
「なるほどなぁ。ならあのコって、ゼトアとアレスの子どもなん?」
また平然と、とんでもないことを言ってのける。おそらく、そうだ。天界にはあの概念が欠如しているのだろう。
「地上では、男と女からでないと新しい生命は生まれない」
「そうなん?お前ら普通にそうやから、性別って筋肉とか骨格の造りの違いだけかと思ってたわ」
「クソ天使め……」
へー、とあっけらかんと笑う天使にはもう溜め息しか出ない。
「母親はルツィア……お前を呼んだエルフの神官だ」
「お前の嫁?」
「そんな言葉だけは知っているんだな。嫁……ではないがな」
「うっわ、カワイソウサイテー」
「本当にお前、意味わかってるか?」
これ以上この天使と話していると頭が痛くなる。ゼトアは溜め息をつきながら立ち上がった。天使はそれには何も言わずにそのままテーブルに座っている。
「そのルツィアの体調が整い次第、西に向かう。天使と神官の祈りがあれば、問題はないのだろう?」
扉に手を掛け振り返らずに問いかけると、思いのほか低い声で天使は肯定し、続けた。
「ああ、それはそれでええんやけど……その神官の女、息子以上にお前に染まってるんやな」
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