12 少年達


 グリアスは数年前に母親と死別している。

 物心ついた時には、父親は母子の前から姿を消していた。それが魔族の血を嫌っての失踪か、単なる戦死なのかはわからない。この際それは重要ではなかった。

 母は一言で言うなら狂っていた。そんな自覚はしないようにしていたけれど、母が死んでからの周囲の大人達の対応は、グリアスにそのことを自覚させるに容易かった。

 母はまだ幼いグリアスを“武器”として扱おうとしていたのだ。人間達に対する魔法兵器。強大な魔力を封じ込めた人形。暴発の危機を孕む愛しき刃。

 莫大な魔力を産み落とした母は、それと引き換えに自身の魔力の衰退を感じ取っていた。元から戦勝の兵士と捕虜という主従関係のあった夫婦のカタチは、完全に確立されていた。

 それを覆すための愛おしい産声。しかしそれは方向を見失う。魔族としての魔力――即ち人生を賭けた教育は、“いつか訪れる時”まで継続した。父親の帰りを、待つ、歪。






「お母さんはね、お父さんを待ってたんだよ」

 甘い吐息と共にグリアスが囁く。愛らしくもたれ掛かってくる仕草には、思わずどきりとさせる妖艶さが潜んでいる。

「ボクに殺させるために」

 にぃと吊り上げられたぎこちない笑みを見ないように、グロッザは目を窓の外の月に向けた。薄い雲に隠されつつある光に、胸の中の少年への希望を探そうとする。

「お母さんはいつもこうやって……」

 少年の手がグロッザの腰に下がってくる。ついそこに目をやってしまい、艶かしい手付きに視線を外すことができなくなる。危ないところで慌ててその手を握って制止する。

「さ……さっきから、そんなことばっかり……やめろよ」

 ひっくり返りそうな声が出て、恥ずかしさやら情けなさやらでいっぱいになる。

 そんなグロッザにグリアスは優しい笑みを湛えている。なんでこんなに余裕なんだよ。慣れて……る?

「グロッザも好きでしょ? こうされるの……性的な関係を持つと魔力が共有されるんだって。より強い者に流されるんだ。それが強い快感になって、離れられなくなる」

「……お、お前……まさか母親、と!?」

「お母さんからはたくさん魔力を貰ったよ。これで憎い人間を殺しなさいって。もちろん愛情だって……」

「息子にそんなことするなんて! そんなの愛情じゃない!!」

 思わず出た大声に、自分自身が驚いた。グリアスも目を真ん丸くしている。なにをオレは、こんなに……

「グロッザはわかってないんだね」

 クスクスと小さく笑う少年と見詰め合う。

 その瞳は言葉とは裏腹にしっかりとこちらを見ていた。嘲笑や憐れみなどではなく、心のこもった、愛しさを湛えて。

「お父さんから……貰いたくない?」

 何、を……? オレは父さんに何を貰いたいんだ? 愛情?

 大きな手に頭を撫でられる。稽古をつけてもらって、それから……それから――どんな心の内も葛藤も、押し流してしまいそうな口づけ。何もかも見透かしたようなダークブルーの瞳が、脳裏で咎めるように細められる。

「……オレは、そんなのっ、いらない!!」

 親子でそんなの、おかしい……から。

「よく言えました」

 いつの間にか瞳から溢れ落ちていた雫を、グリアスが満足そうに舐めとった。その痕が甘く痺れるような錯覚を覚える。甘い香りに、愛しき姿が重なる。

「それならもう、ボクだけのグロッザだね」









 ほんの小さな音も立てずに、扉に背中から寄り掛かる。窓から零れる柔らかな月光が、少年達の身体を神秘的に染め上げる。

 はじめは少し心配だったが、小さな身体に組み敷かれたまま眠りに落ちた息子の姿を見て、つい溜め息をついてしまう。

 涙や唾液で汚れたその表情は、思わず手を伸ばしそうになるほど扇情的だ。雫を湛えたまま閉じられた瞼の下で、まだ余韻が残っているのか甘い声が小さく響く。

「なーに? 息子が心配だって顔ぐらい、したらどう?」

 はだけた寝巻きを直すこともせず、グリアスがこちらに向かって挑発的な視線を投げた。

 息子よりも幾分華奢なその身体で、ベッドにゆっくりと腰掛ける。当の息子はぐったりとしていて、眠りに落ちていることがわかる。

「いつから気付いていた?」

 くくっと笑いながらゼトアが聞くと、少年もまんざらではなさそうに答える。

「グロッザがゼトアさんの名前呼びながら泣いちゃったところ、かな。本当、酷いお父さんだね」

「お前の母親程ではない」

「……グロッザに魔力は渡さないの? ゼトアさんが渡さないなら……」

 グリアスは視線はこちらに向けたまま、優しくグロッザの頭を撫でた。ぴくりと反応を返す息子に、思わず二人の意識が占領される。麻薬はいったいどちらだろうか。

「ボクが渡しちゃおうかなぁ」

 尖った耳を甘噛みし、小さい呻きごと貪る小さな身体。

「あまり俺を――」

 そこまで言ったところで気配を感じ取ったのだろう。グリアスが立ち上がりこちらに掌を向けるのと、ゼトアがその細い首に腕を押し付け反対側の壁に叩きつけるのは同時だった。

 かはっと空気を吐き出す苦しそうな息づかいが響く。体重が軽いためほとんど音もせず、少年の身体は宙ぶらりんだ。掌から水泡が滴る。

「――怒らせるなよ。クソガキの一人ぐらい、魔王との謁見の前に殺してしまっても構わない」

「魔王アレスの側近ゼトアは、本当に忠実なる部下、なんだね。ねぇ……本当に部下、なだけ?」

 まだ苦しげに、しかし強く睨め上げるその瞳は、挑発的な光に満ちている。腹立たしいことだが、その表情に惹き付けられる快楽が潜んでいるのも確かだ。

「魔王様って言葉、凄く愛情を感じたよ? ねぇ、ボクの手を持って……」

 そろそろ本当に殺してしまいそうなので足を床につけさせてやりながら、その小さな手を言われるがままに握ってやる。

 ぐちゅり、と強く重ねた手の間から水音が響いた。たちまち少年の顔に焦りが広がり、それをもっと乱してやりたくて、更にきつく両手の自由を奪ってやる。

 悪戯っ子にはお仕置きだ。魔力の反発を起こさないように、更に強く割り入り、流し込む。

「魔王アレスは俺にとっての全てだ。友情、尊敬、愛情、それに……」

 小さく尖った闇に染まりし耳元で、「快楽も」と続きを囁いてやると、その肩がぞくりと身震いした。なかなかいい反応だ。親の顔が見てみたい。

 教育者としては最低だが、“教育”としては申し分ない。

 他者を引き込む罠のような、魔力の渦。長年育てた孤独という名のその渦に、蓋をするのは愛情だけだ。

「俺の全ては魔王アレスのためにある」

「そんなの……グロッザは」

「不服か? なら、俺から奪ってみろよ」

 思いの外自然と溢れた笑みを見て、目の前の顔が歪む。涙と唾液で汚れた顔は同じでも、他者の引き込み方が違う。

 この少年は、巧みで意識的だ。

「ボクだけのグロッザにする……」

 小さく囁かれた言葉に歪んでしまう口元を隠しもせず、ゼトアはグリアスをもう一度持ち上げる。幼い身体がぶらんと吊り上げられ、両腕の痛みにグリアスの顔が歪む。

「ならお前は、まだ誰のものでもないんだな」

 遥か遠くの憂いを帯びたエメラルドグリーンを夢想しながら、敢えて今夜は欲望を抑えることはしないことにする。

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