第22話 男が女に櫛を贈る意味

 町にやってきた常世と十羽は久しぶりの人の流れに圧倒されていた。ほんのひと月、ふた月を世間から離れていただけなのに、町の様子は以前とは違った。

 刀をして歩く武士風情はおろか、それらしき輩も見当たらない。着物を着た人々に混じって、洋服をきた人も増えた。丈のある帽子を被った男がちらほらおり、土埃をあげて馬車が道の真ん中を通り抜ける。


「常世さん。なんだか、前とずいぶん変わりましたね」

「ああ、時代が本当に変わったんだな」

「そういえば、お隣の奥様が言っていました。刀のない世の中になると。お侍様だった人たちはどうなるのでしょう」


 不安そうに十羽が着物の合わせをぎゅっと握った。時の移り変わりがこんなに早いものとは思わなかった。徳川の時代もいろいろあったが、まさか新政府というものに変わるとは誰が想像しただろうか。


「もう殿様はいない。武士はもう必要ない。だから、刀もいらないのさ」

「藤田様や永倉様はどうするのでしょうか」

「さあな。あの二人はどうとでもなるだろう」

「あのお家もお返ししないといけませんね。いつお戻りになるか」


 十羽の言葉には、これから私たちはどうなるのと問われた気がした。痛いほどに伝わってくる不安に、常世は苦しくなった。時代の渦に自ら飛び込んだというのに、いつの間にか渦の外、取り残された気分になる。

 十羽の不安は常世の不安でもあるからだ。


「さっさと買って、帰るぞ」

「はい」


 考えることから逃げたくて、常世は十羽の手を引っ張った。文句も言わずについてくる十羽を横に、常世の眉間の皺は深くなるばかりだ。



 ◇



「お味噌もお塩も買えましたし、帰りましょうか」


 買った品は常世が無言で十羽から奪う。味噌も塩も重いのに、どちらも十羽が持とうとしたからだ。


「ありがとうございます」


 町には活気があった。もう、戦争はないという安心かもしれない。

 店先で主人や女将が道ゆく人に声をかけている。常世と十羽も例外ではない。ちょっと寄っていけ、見ていけと誘うのだ。十羽はにこやかな笑みを送り、店の前を過ぎていく。本当はどこか入りたい店でもあるのではないかと、常世は思った。

 目の先に根付けや簪などの小物を売る店が見えた。そこを通るとき、心なしが十羽の足が遅くなった気がする。常世は通り過ぎる十羽にぶっきらぼうに声をかけた。


「おい」

「はい、なにか」


 不思議そうに振り返る十羽に、常世は言った。


「まだ、時間がある。その店に入るぞ」


 常世は十羽の返事も待たずに店の暖簾をくぐった。十羽は慌てて後を追う。

 常世が初めて十羽を助けたとき、ボロボロの着物があまりにも可哀想で、店の主人に金を渡し十羽に小袖を見繕わせた。今日もその時の小袖を着ているが、簪も櫛も挿していない。


「常世さんっ」

「いらっしゃいまし。ささ、手にとってご覧ください」


 中に入ると店主が現れ、十羽を見ると優しく微笑んだ。店の中には沢山の櫛に鏡、簪や小物があった。どれも綺麗で可愛らしく、十羽をそれらに見惚れた。


(うわぁ。きれい……)


 少し前に吉原で、無理やり化粧をされ煌びやかな簪や櫛を挿した。しかしあの時はちっとも嬉しくはなかったのだ。今は少し気持ちが違う。

 自分も、すこしは女らしくありたいと思うようになった。

 常世は相変わらず無愛想な顔をしているが、店主にすすめられたのか、おとなしく座っている。気にせずに見たい物を見ろと言っているようだ。


「お嬢さんは紅を差すと、より別嬪になると思いますよ。世の中は変わったとは言え、こういうものは無くなりやしません」

「そうですよね。ああ、これもかわいらしい」


 花の形をしたものや、蝶が舞う姿をかたどったもの、色も美しいが、値段もいいものだった。目移りしながら見つけたのは、いつか見かけた玉簪であった。


(あ……わたし、なに浮かれているんだろう)


 常世には思いびとがいたのだった。布に包んで懐に入れるほど、大事な大事な玉簪。


「これが、お気に召されましたかね」

「えっ、いえ。それはっ」

「若旦那。お嬢さんはこれが欲しいようですよ」


 店主が常世にそう伝えると、常世は黙って十羽の隣にやってきた。

 朱色、桃色、黄色、緑色の玉簪が並んでいる。常世はそれらをじっと眺めると、十羽の顔をちらりと見て隣の棚にあった藤色の小さな花がいつくか連なった簪と、黒地に金色の桜の花が咲いた櫛を手にとった。


「これを、包んでくれ」

「へい! 毎度ありがとうございます」

「え、常世さん?」

「十羽には玉簪より、色のあるこっちが似合う」

「でも、お高いですよ。どちらかひとつで」

「これくらい買えないような男ではない。それなりに給金もあったし。気にするな」


 十羽は嬉しいような、悲しいような気持ちになった。自分には常世の好いた、あの玉簪の女性には及ばないのだと。素朴でありながら凛と咲く椿には勝てないのだと思った。それでも、常世自ら選んでくれたことに感謝をしなければならない。


(一生、大事にします。例え常世さんがあのひとのところに帰っても……)


 帰り道、常世にもらった簪と櫛を胸に抱きながら、そんなことを考えてしまった。



 ◇



 十羽の顔が晴れない。女は簪と櫛を買えば喜ぶものではないのか。あの店の主人が言っていた。見ているときは嬉しそうにしていたのに、常世が買った途端に十羽の表情が曇ったのだ。

 いまもあまり言葉を出さない。行きはあんなにたくさん話してくれたというのに。


 夕刻、予定より少し遅くに家に戻ってきた。


「お夕飯の準備をしてきますね」

「おい」

「はい」


 常世は十羽を呼び止めて、座らせた。十羽の顔をじっと見る。泣いたあとがないか確かめたかったのだ。


「あの」

「また、泣いただろ」

「えっ。泣いてなどおりません。どうしてそんな」

「俺が買った櫛が気に入らなかったか」

「そんなことありません! 嬉しかったです。わたし、一生大事にしようと思いましたもの」

 

 そう言いながら、十羽は目に涙をためていた。常世はそっと十羽の目尻に指を伸ばす。


 ―― どうして俺は、いつも十羽を泣かせてしまうのだろう


「あなたのせいではないです。わたしが、勝手に」

「勝手になんだよ」

「わたしが、勝手に……あのひとに、やきもちを妬いただけ」

「あのひとって、誰だよ」

「あの、玉簪の女の人。常世さんの、思いびとでしょう。あのひとの所に、行きたいのではないですか。あえてあのひととは違う物を買って、忘れようとしないでください。わたしはもう充分によくしてもらいましたから。だから、会いに行ってください」


 十羽はこれ以上、常世を留めていてはいけないと思っていた。自分の気持ちを抑えて、違う女と一緒にいることはとても辛いことだからと。

 その言葉を聞いた常世は、顔を引き攣らせた。そして、とても怖い顔になる。


「言っておくが、あの玉簪は俺が買った物ではない。あれは、妹から託されたものだ」

「妹、さんから託されたもの」

「そうだ。妹も新選組にいた。女としてではなく、男に扮して土方の小姓をしていた。そのとき世話になった女の軍医に渡して欲しいと、箱館で頼まれた。うまく説明できないけど、あれは俺のじゃない。確かに、あれを届けなければならないが、少なくとも好きな女ではない。俺はその女に会ったことないしな」

「そうなのですか」

「俺にこんな作り話ができると思うのか」

「……思いません」


 常世は少しずつ、過去の自分の話をした。歳の近い妹がいた事、会津で合流したこと、そして箱館戦争で戦ったこと。土方の形見と玉簪を預かり、いまに至ったことを。それを十羽は黙って聞いていた。目からたくさんの涙を流しながら。


「だから、泣くな。十羽に泣かれると、困る」

「だけどっ、我慢できないです。お辛かったでしょう?」

「もう終わったことだ」


 十羽は首をいやいやと振りながらも泣いた。そんな十羽を見て、常世はため息をつきながら十羽の頭をそっと撫でた。常世に撫でられた十羽は驚いたのか、涙は止まった。


(頭、撫でてくれている!)


 十羽が泣き止んだとは知らない常世は、独り言のように小さな声で言う。


「男が女に櫛をやるってさ、大変なことなんだぞ」


 ―― その髪は二度と他の男に触らせない。俺のものだという、しるしだ。


(男が女に櫛を贈る……意味)


「あっ!」


 十羽は勢いよく顔を上げた。少し驚いた顔をした常世が近くにある。


「急になんだよ。びっくりするだろ」

「あの、その意味はもしかして」


 十羽はそこで言葉をきった。もしも思い違いだったら、恥ずかしくて死んでしまうかもしれない程のことだったからだ。


「十羽にはいつも笑っていて欲しいんだ。泣いてほしくない。泣かれると、苦しくなる」

「はい」

「俺は捻くれ者だから、幸せにできるか分からない」

「はい」


 その先の言葉は常世に言ってほしい。どんなに時間がかかっても、その口から紡がれた言葉で聞きたい。


「櫛を贈るということは……俺と一緒に生きてほしいと思ったからだ」


 常世はそう言い切ると、十羽から顔を逸らした。十羽の美しい瞳をこれ以上見ていられなかった。曇りのない美しい瞳は、常世の全てを見透かしているように思えたからだ。


「常世さんっ!」

「うおっ」


 常世は十羽に抱きつかれていた。自分の胸に顔を埋めた十羽は、こもった声ではっきりとこう言った。


「わたし、あなたのお嫁さんに、なりたい」


 常世は瞼を閉じて、その細い身体を抱きしめた。

 初めて心の底からひとりの人を愛おしいと思った。


「ばかなやつ」

「はい」


 気持ちを言葉にして吐き出すと、不思議と身体から余計な力が抜けていく。もう、誤魔化さなくていい。


 ―― 俺も、俺の人生を歩くよ

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