第20話 離したくなかった。守りたかった。

「命に大事はないそうだ。まあ、この男は簡単に死にはせん。俺はしばらく家を開ける。あとは頼んだ」

「なんかよ、あれだな。こいつには幸せになってほしいよな」

「永倉、行くぞ」

「そんじゃあ、看病頼んだぜ」

「はい。御二方、本当にありがとうございました。藤田様、お家をお借りいたします」


 常世の傷は深いものの、医者に見せると命に問題はないという。しばらくは養生が必要だという事で藤田五郎は東京の家を十羽に貸すことにした。藤田は近い将来、この東京で警察という仕事につくらしい。その前に、いろいろと身辺を整理するのだそうだ。

 十羽を遊郭から救い出した大柄な男、永倉新八は藤田から全てを聞いた。十羽が新選組に関わっていた事にも驚いたが、常世が市村鉄之助に扮した妹の兄という複雑な物語に頭を抱えた。

 何を隠そう永倉は市村鉄之助は男と信じており、まさか女であるとは青天の霹靂だったのだ。そして、目の前に眠る男は妹の意志を継ぎ、土方の遺品を日野に届けたと知って、胸が張り裂けそうになったのはいうまでもない。


 藤田と永倉は十羽に見送られ、藤田の家を出た。深く頭を下げる十羽に永倉は振り返ってこう言った。


「余計な世話と承知で申し上げる。あの青年を、幸せにしてやってくんねえかな。これは新選組の元組長としての頼みだ。せっかくこの世に命があるんだ。一人でも、幸せになって欲しい」


 藤田は振り向きもせず、ただ背中を向けて立っている。黙っているということは、藤田も同じ気持ちなのかもしれない。


「わたしに、できるでしょうか」


 十羽は困った顔をして、常世の眠る方を振り向く。ああまでして常世は十羽を守った。しかし、その行動の真意を理解しあぐねている。自分の気持ちを押しつけると、常世は困るのではないかと。

 すると、黙っていた藤田が一言発した。


「あんた次第だ」


 幸せを知らない十羽が常世を幸せにできるのか。しかし、それは誰にも分からない。そして、何が常世にとって幸せなのか、それも分からない。


「お十羽ちゃんなら大丈夫だ。別嬪だしよ、器量もいいし、嫌いな男はいねえって。それに、歳も近いだろ? ぜったいにうまくいくって」

「永倉、行くぞ」

「おいおい、待てって。相変わらず冷たい男だな」


 玄関先にぽつんと立った十羽は二人の男の背中を見送った。とても大きな責任を十羽に残して。


(わたしが、常世殿を……幸せに)


 今はただ、常世の快復を願うのみ。



 ◇



 十羽は沸いた湯を桶に入れ、眠る常世のそばに座った。医者から聞いて知ったことだが、常世は肋の下に傷を負っていた。屋根裏を逃げるときに、負ってが撃った弾丸がかすっていたのだ。そして、黒川からいたぶられたせいで肩の骨を外すという酷い状態だった。折れていなかったことが幸いだった。

 体中にできたあざ、そして傷口が膿んでしまい常世は発熱している。

 医者からは清潔を保つように言付けられたので、まずは常世の体を拭くことにした。


 手ぬぐいを湯に浸し、そして固く絞る。

 そういえば十羽が襲われたとき、常世が宿を取り汚れた十羽の体を拭ってくれた。しかも、大事な秘薬を十羽に飲ませて命を救ったのだ。


「どうしてあなたは、あんな大事な薬を私なんかに使ったのですか。あの薬があればあなたはこんなに苦しむこともなかったのに」


 十羽は常世の着物の紐を解いて、体を拭いた。常世はときどき苦しそうに口元を歪める。それでも目を開けない。熱にうなされながら闘っているのだ。


「ごめんなさい。こんな私に関わったばかりに。それでも私、あなたのことが、常世殿のことが……」


 それ以上は言えなかった。

 自分のその想いが常世をこんな状態にしたのだと、そう思うとその先の言葉は言ってはならない気がした。せめて常世が回復するまで、十羽は一緒にいようと決めている。


「早く、目を開けてくださいね。何か食べないと、体が持ちませんから」


 湯呑みに入った白湯で常世の唇を濡らし、少し空いた口の隙間から一滴づつ注ぐ。飲ませる量より流れる汗の方が多く、十羽は焦った。


「どうしよう。常世殿、どうかもう少しだけでも飲んで」


 薬も飲ませなければならない。医者がいうには化膿止めらしく、欠かさず飲ませるようにと言われたものだ。十羽は湯呑みに薬を入れ箸で溶かした。これをどうにかして常世に飲ませなければならない。


「怒られちゃうかな」


 意を決した十羽は湯呑みの薬を少し、自分の口に含んだ。そして常世の首の下に腕を通して頭を起こす。おとがいに指を添えて唇を開けた。


(失礼、しますっ)


 十羽はその唇に自分の唇を合わせ、こぼさぬよう薬を口移しで注いだ。うまくいけば、今度はもっと量を増やそう。

 常世の渇いた唇が十羽の唇と重なると、十羽の中で眠っていた何かを刺激した。それがなんなのか、十羽には分からない。


「あ、飲んだ。飲んでくれた。もう少しありますから、もう一回」


 十羽は今度は先ほどよりも多く薬を口に含んだ。とても苦い薬だが、その分効くと信じながら。再び、唇を合わせたとき先ほどとは違う変化が起きた。

 常世が自ら口を開いたのだ。十羽はこの機を逃すまいとした舌先を窄ませて、流し込むように薬をこぼした。


 常世が生きようとしている。それを感じ取った十羽は、嬉しくて涙が溢れ出た。泣くまいと、我慢すればするほどに涙は込み上げてくる。瞬きをした瞬間に、大粒の涙が常世の顔を濡らした。


「ごめんなさい」


 慌てて十羽は手ぬぐいを取り、常世の頬を拭おうと手を伸ばす。視界がぼやけて常世の表情も見えなくなるほどぼろぼろ涙が溢れる。

 ふと、十羽は伸ばした手を止めた。いや、止めたのではない。止められたのだ。


「えっ」


 十羽の握ったはずの手ぬぐいが、なぜか十羽自身の頬に押し付けられていた。まるで流れる涙を受け止めるようにそれはある。


「うそ……どうして」


 十羽が手ぬぐい越しに見たもの、それは常世の怒ったような顔だった。常世はしっかりと目を開けていたのだ。


「泣く、な」

「常世殿! 気が、ついたのですね」


 また、十羽の目から涙が溢れ出る。その度に常世は手ぬぐいを十羽の顔に押し当てる。十羽は常世にされるがままでいた。


「おまえに、泣かれると……困る」

「ごめんなさい。わたし、いつも困らせてばかり。ごめんなさい」

「ら、え……」

「常世殿?」

「わら、え」


 常世は十羽に泣くな、笑えと言っている。十羽は流れる涙をそのままに、頬を上げた。目から溢れる涙は止められないが、笑おうと一生懸命に口角もあげる。

 常世は笑い泣きする十羽の顔を見て、口元を歪めた。常世が笑っていると十羽には分かった。


「もう、笑わないで」

「ほんと、おんた……ばかだな」

「馬鹿でいいもん」

「ばーか」


 常世は泣きながら笑う十羽を見ても、気の利く言葉が思いつかない。しかし、言葉は出ないが体は素直に動いた。常世は十羽の腕を取り、自分の上に引き倒していた。


「ごめんなさっ」


 慌てたのは十羽だ。手を引かれたとはいえ、怪我をしている常世の上に倒れこんでしまったからだ。急いで体を起こそうとするも、なぜか常世がそれを許さない。


「あの……」


 常世の腕が十羽を抱きこんでおり、くぐもった声しか出せない。どうしようかと考えていると、十羽の心に常世と思われる男の声が聞こえてきた。


 ―― 他の男に抱かれずにすんでよかった。あんたが泣くと、俺も泣きたくなる。なんでだ……


「えっ……」


 ―― 俺、あんたを一人にできない。くそ、どうしてだよ。一人で生きていくって決めていたのに、あんたを一人にすることが……怖い。また、知らない男に酷い目にあうんじゃないのか。


 十羽は常世の心の声に驚きを隠せなかった。そして、常世がこんなに自分のことを気にかけてくれていたことが嬉しくもあり、申し訳なく思った。やはり、これ以上迷惑をかけてはいけない。

 十羽は常世から体を離そうと身をよじる。よじるたびに、常世の腕に力が入る。十羽はどうしたらよいのかますます困惑した。


 ―― 俺が、守らないと……。十羽は俺が、守る。誰にも渡さない!


 見知らぬ誰かへの嫉妬なのか、それとも求愛の一種なのか。十羽の心臓は今までにないくらい煩く鳴った。黙って聞いていた十羽は堪らなくなり、言葉を発した。


「常世殿、わたしはあなたに迷惑ばかりかけています。あなたの旅の邪魔ばからりしています」


 すると、常世の腕が緩んだので十羽はその胸から体を起こす。十羽のすぐ近くに常世の顔がある。

 しかも、とても不機嫌そうに十羽を睨んでいる。


「そうだな。俺の周りをちょろちょろして、邪魔ばかりだ」

「うっ……はい」


 ―― あんたが視界にいないと、不安なんだ。


「ずっと、邪魔してて、いいんじゃねえのかな」

「それは、どういう意味でしょう」

「分かんねえなら、いい」

「あの!」


 常世は口をへの字にし、十羽に背を向けて布団を被ってしまった。十羽は首をかしげるしかない。臍を曲げた常世だが、その後も心の声は大きい。


 ―― どうしたらいい。女の扱いなんて知らない。永倉に聞けばよかったか。いや、あのおっさん絶対にろくなこと言わないだろ。藤田はどうだ……いや、もっとダメだ。一度抱いてやればいいなんて言いそうだぞ。


 本人は分かっていないのだろう。心の声がダダ漏れである。その心の声を聞かされている十羽はたまったものではない。ただ顔を赤くしておろおろするだけだ。


「あー、めんどくせえ!」


 常世はいちばん大事な言葉は口にせず、誤解を招くことばかりを発してしまう。でも、十羽は常世の気持ちを知ってしまった。

 常世は誰かに頼ることを知らずに生きてきたのだろう。だからいつも、強くいようとしている。


 十羽は布団に横になったままの常世の背中にそっと、寄り添うように体を預けた。突然のことに常世は肩に力を入れて黙り込む。


「常世、さん。わたし、あなたになら抱かれてもいいって、思っています」


 十羽がそう言うと、常世は勢いよく布団を捲り上げて振り返った。


「いててて……」


 傷を負っていることも忘れるほどの驚きであった。


「大丈夫ですか! 起きてはだめですよ。お薬飲んだばかりですから」

「いでぇ……」

「常世殿ったら」

「おい。さっき、さんて言っただろ」

「うん?」

「殿はいらない。さっきの呼び方が、いい」

「えっと……常世さん?」


 十羽が問いかけるように言うと、常世は縦に首を振った。なんとなく気難しい常世に十羽はつい笑ってしまう。心の中ではとても人思いの優しい男なのにと。


「うふふふ」

「おい、なんで笑う」

「常世さんが可愛らしくて」

「はっ、なんだと! いっ、いてぇ」

「大事にしてください。わたしのせいでこんな事になってしまって。本当にごめんなさい」

「もしかして、さっき言ったことは俺にこんな傷を負わせたことへの償いか? 償いのために、抱かれてもいいなんて言ったのかよ」

「違います! そんなことは決してありません。わたしはあなたのこと、もっと前から」


 十羽はこの先の言葉を言おうかどうか、ここまできて迷いが生じた。常世の心の声を聞いたとはいえ、やはり、悩んでしまうのだ。それでもやっぱり、この気持ちを隠し通すのは無理だと知っている。


「もう、とうの昔から。あなたが鉄之助さんだったときから好きでした。鉄之助さんでなくなっても、やっぱりその気持ちは変わりそうにありません。見た目は違うけれど、ちょっと意地の悪いところは同じだから」

「おまっ! それっ、褒めてないだろ」

「ねえ。きちんと聞いてください。わたしは、常世さんのことが好きだと言いました」


 常世は十羽の真剣な眼差しと恋の告白に、めんくらったまま赤面していた。

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