被検体036

明通 蛍雪

第1話 被検体036


 20XX年。AI技術の発展により世界は住みやすくなった。だが、便利になったからといって幸福であるとは限らない。

 少年福田はごく普通の大学生だ。福田は平凡な毎日に飽き飽きしていた。何も起こらない平和な日常。事件も事故も極々少数になり、携帯デバイスから流れてくるニュースといえば天気予報か政治について。毎朝鬱屈とした気分で支度をする福田。

 しかし、今日一日は普段と違う。そのことに福田が気づいたのは、大学に向かう電車に乗り遅れそうになった時。

(電車止まってくれないかなぁ、間に合いそうにないや)

 早足で駆けていた福田は心の中でそう思っていた。しかし、AI制御による運転で電車の事故というのはなくなった。完全に入り口が制限されることで人身事故もない。電車が止まることなどありえないのだ。

 しかし、福田が駅についた時、電車は止まっていた。原因は不明だが、おかげで福田は電車を乗り過ごすことなく大学へと向かえたのだ。これだけなら単なる偶然と思うかもしれなが、福田はこの日、ツイていたのだ。朝から、思ったことが現実になるような偶然が数度続いていた。なくしていた物が見つかったり、元恋人から復縁の誘いが来たりと、何かと幸運に恵まれた。

 今日は吉日だと浮かれていた福田だが、電車まではおかしいと思った。本当に偶然か、それとも超能力にでも目覚めてしまったのか。馬鹿らしい考えだと思いながらも、試さずにはいられなかった。

 走って喉が渇いた福田は、自販機に小銭が落ちてないかなと軽く探してみた。すると、お釣り入れのところに百円が忘れられているではないか。ラッキーと心の中でほくそ笑んだ福田は、そのまま百円を自販機に突っ込み缶ジュースを買った。

 それからというもの、福田はやりたい放題過ごしていた。検証の結果、何かしらの力を得た福田は、思ったことが現実になるという状況を楽しんでいた。夢か幻か。何度頬をつねろうと醒めることはなく、福田は人生一の吉日を謳歌していた。

 パチンコで大儲けした福田は厚みを増た財布に頬を緩めながら、昼飯を食べる店を探し歩いていた。

 すると、人の流れに身を任せる福田の正面から何やら人が駆けてきた。さっと別れる人混み。辺りを見回していた福田は駆け寄ってくる男に気付くのが遅れ肩がぶつかった。勢いで転ばされた福田はぶつかってきた男を睨みつけるが、男は謝りもせず去っていく。

「ふざけんな! 頭かち割れて死んじまえ!」

 気が強くなっていた福田は咄嗟にそんなことを叫んだ。一瞬驚いて福田の方を振り向きかける男の歩調が緩まる。次の瞬間、男の頭に重い植木鉢が落下した。直撃を受けた男はその場に倒れ血を流している。誰か悲鳴が路上に響き、その声で福田は我に帰った。目の前で人が死に、パニックになった人たちを掻き分けるようにして警察がやってきた。

「離れてくださいー」

 すぐに事態の収拾が図られるが、福田はその場から逃げるように立ち去る。誰も福田のことなど気に留めないで、福田はとにかく逃げた。

(僕が殺した? いやいや、そんなわけない!)

 逃げて逃げて走った福田は自室へと帰ってきた。、荒れる呼吸とやってきた吐き気に息を乱しながら自室のトイレに籠る。

(そんなはずない。これは夢だ。そうだ、夢だ!)

 現実逃避をする福田はトイレで一頻り吐き切ると、冷蔵庫から冷えた水を取り出し一気に呷った。心が落ち着いてくると、福田は先程の光景を忘れるように部屋の掃除を始めた。何かをしていないと男が死んだ瞬間がフラッシュバックしてしまいそうで。

 部屋が静かなのもいけないと福田はテレビをつける。すると、先程の事故が速報でやっていた。慌ててテレビを消す福田だが、あの時言った言葉が脳内で再生される。

「嘘だ! 僕は殺してない!」

 近くにあったリモコンをテレビの画面に叩きつける。液晶の破片が部屋に飛び散るが、福田は部屋からも逃げるように飛び出した。

 どこかに居場所を求める福田だが、通行人から見られているように感じて気が気でない。いつ犯罪者として警察が自分の元に来るのか。そんなありえないはずの妄想が福田に取り憑いて離れない。

(僕のせいじゃない。あいつがぶつかってきたのが悪いんだ)

 自分を納得させようと必死になる福田。そんな福田に一人の老人が声をかけた。

「お前さん、大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」

「ああああああ、僕に近寄るなぁ! 僕はやってない!」

 いきなり話しかけられた福田はパニックに陥り老人を突き飛ばして逃げる。どこに逃げればいいのか。誰もいないところに。

 福田は街道から逃れるように裏道を通り、廃ビルの屋上にやってきた。捨てられた廃ビルなら、AIで動く監視カメラもなく、福田はそこで閉じこもるようにして座り込んだ。

(僕が思うだけで人が死んでしまう……夢だ、誰か夢だと言ってくれ)

 半べそをかく福田だったが、扉が開く音が聞こえ慌てて顔を上げた。入ってきたのは二人の警察官。追い詰めるような顔をして福田を見つめている。

「老人に手を上げた現行犯で──」

「僕はやってない! あああああああ!」

 口を開く警察官を遮って福田は叫ぶ。逃げ道などなく、福田は錆びついた手すりを乗り越える。

「待っ──」

 警察官の制止も聞かず福田は飛び降りた。八階から叩きつけられた福田の遺体が地面に横たわり警察官たちは慌てて階下へ駆けていく。

『被検体036は自殺しました』

 屋上の監視カメラが地上にいる福田の方を向いた。人知れず福田を観察していた無機質な声は、誰の耳にも届かない。

 AIによって便利になった世の中。本当に便利なことだけならばいいのだが。

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