問題編 第4話
それでも質疑を逃れることは出来ない。
「部長さんは……マスターキーを持ってきているはずですよね?」
「あ!」と言う声が二名ほど挙がる。
安東は表情作りに困りつつも、努めて真面目に答えた。
「……マスターキーなら従兄弟から預かったんだ。だが、いざという時のために通常のルームキーとは別にしておこうと考えたのが失敗だった。ショルダーバッグの方に入れておいたら、恥ずかしながらそのバッグを丸ごとアパートに忘れてきてしまった。だから俺は今、自分の部屋の鍵だけしか持っていないんだよ。厨房などの各鍵は部屋の旅行鞄に仕舞ってあるが……。信じてもらえないかもしれないが……本当のことだ」
言い終えて、安東はメンバーを見渡す。当然のように疑惑の眼が、こちらに向けられていた。覚悟していたことだが居心地の悪さは尋常ではなかった。
「そうは言いましてもねぇ」寺田も対処に窮した表情で、「それがあれば、明らかに遠山君殺しも、中途半端な密室の謎も解けるんですよ」
「……分かっている。こんな議論のさなかで信じてくれと言う方が無茶かもしれないが、俺は殺していないんだ。だから、無暗にこの情報は出したくなくて、あわよくば気付かれないならと黙っていた。本当にすまない……」
安東は頭を下げる。利の薄い言動はしない性格が、ここにきて凶と出てしまった。この行為がどれだけ意味を成すか分からないが、そうせずにはいられなかった。
「遠山君の状況を見に行く段階で、気が付くべきでした……。私達も愚かだったんです」
「ペンションなんて初めてくるから、全然気づかなかったよ」
安東の失態を深く追及する言葉はなかったが、メンバーは思い思いの言葉を口にする。
「部長はもう顔を上げてくださいよ……。……で、結局どうするんだ」
「あのね、わたしの思ってることを言うと、部長さんがマスターキーのことを黙ってたのはすごく怒ってるの」
面目ない、と安東は思う。
「でも犯行が可能なのが一番なだけで、寺田さんだって、有馬くんだって、やろうと思えばできるでしょ? わたしとお姉ちゃんは部屋が西側だし、女の子だから、そんなこと出来ないし」
「さりげなく自分達を圏外に置いてるのが怪しいんだけどな……」
「さりげなく、じゃなくて、論理的に、よ」
「――実は僕も、綾乃さんの意見に賛成なんですよ」
再び諍いが起りかねない二人の間に割り入ってきた有馬が、語調を強めて言う。
「可能性だけを並べるなら、部長さん、寺田さん、僕、の順で犯行が行い易いですね。しかし部長さんが犯人だとすると、心理的にはどうでしょう。いつかはバレてしまうマスターキーの存在を蔑ろにして、遠山君の部屋に施錠などするでしょうか? 僕だったら絶対にしませんね」
「なるほどな、納得はできる。それでも、人を殺してしまった動揺と現場を隠したい心理が働いて、つい鍵を掛けてしまった、という場合も考えられると思うが? ……まあいいさ。それよりも有馬、何で俺の方がお前よりも犯行を行い易いんだよ」
「体格差ですよ。と言いたいところなんですけど……部屋の位置の方が重要ですね。真上の寺田さんならロープを何かに括り付けて垂らすだけですが、部屋が隣同士の僕場合、現場側にもう一つロープを括り付ける箇所を設けなくてはいけませんからね。それに僕の空白時間は最も短くて、四分でこの一連の流れを行えるのか、というのもあります」
「……ううむ。まあ、そうだな」
寺田は言い包められ仕方なさそうに頷くが、
「ん? それだと結局、俺が一番怪しまれてるってのか?」
「そうよ。だって寺田さん、普通に怪しいんだもん」
「なんだと……!」
またも諍いになりそうな二人を遮るように雪乃が、
「……鍵の件は、一旦置いておきましょう」
そう言って場を収めた。
一旦、か……。いや、我が儘を言う立場ではない。安東の失態を咎め続けてこないだけ手厚い対応なのだ。安東は苦い表情で沈黙の姿勢を貫く。
少しの間、静寂がラウンジを包んだ。寺田は温かい紅茶を飲み終えたカップに、二リットルペットボトルのお茶を注いでごくごくと飲む。安東も真似をして喉の渇きを潤した。
皆少し、話疲れてきている様子だ。
「んー……じゃあ、他には何をはなすの? 足跡?」
「足跡はサイズを測ったところ、誰にでも履けることが分かっています。偽装は誰にでも出来ますよ」
有無を言わせぬ有馬の口調だ。実際に鑑識係が臨場すれば、サイズの違う靴を履いたときの歩幅、大きさ、深さなどで見抜かれるはずだが、今は介入の出来ない状況下だ。
「あの足跡はいつ作ったのでしょうか……」
「犯行時よりも、犯行前にこっそり作ったと考える方が、時間的にも余裕がある分合理的でしょうね」
再び有馬が答えた。
「思うんだが、実際に堀川姉妹が初っ端から解いてしまったように、犯人は何故すぐにばれてしまうはずの外部犯に見せ掛ける偽装をしたんだろう?」
「それも単純明快です」
と、またもや有馬。
「僕は雪乃さんが言ったような論理的推理に思い至りませんでした。寺田さんもそうなんじゃないですか? ……部長さんはどうです」
「正直言って、俺も気が付かなかったよ」
安東は本音を吐露した。
実際にあの時の安東は、愚かにも外部犯だと全力で考えていたのだから。
「まぁ、それを逆手にとり、自分は安全圏へと一番乗りで逃げる。ミステリでは常套手段でもありますけどね……」
有馬は意味深な目線を雪乃に向けている。つまり彼は、大胆な足跡の偽装を自ら否定して見せることで、まんまと容疑者から逃れたのは、雪乃ではないのか、と疑っているのだ。
その言外の言葉は、当然彼女にも届いていて、
「私を疑っているの? ……いいよ、推理があるなら言ってみて」
雪乃は冷淡な口調で有馬に詰め寄る。
「……やめておきますよ」有馬は困り果てた顔に苦笑を付した。「残念ながら現状では、雪乃さんも綾乃さんも、鍵を室内に残す方法がどうしても思い付かないんですよ」
思い付いたら言うのか、と安東は身構える。この二人が対立的に議論を発展させたら、さぞ熾烈な争いになるだろう。
「それは当然よ、わたしたちは犯人じゃないんだからね」
何故か綾乃が胸を張りながら、
「足跡はもういいや。でも、他に何が手がかりになるんだろうね?」
「……凶器の片方なんだが、殴ったときに使ったやつは何処に消えたんだ?」
言われてみれば、何かで気絶させたのだろうという程度にしか考えていなかった。
「角材のような直角に近い角度の物だと思われますが」遺体に最も接していた有馬が即座に答える。「特徴的な形状ではありませんでしたね」
「だとすると、仮に犯人が外に投げ捨てずにペンションに隠しておいたとしても、誰がやったか区別は付かないってわけか?」
「残念ながらそうなります。因みに、勢いよく突き飛ばされた弾みにテレビ台等の角に打ち付けた可能性もありますが、犯人が痕跡を拭き取らないはずはありませんから、警察の鑑識頼みということになりますね」
「うーーん。それじゃあ、ほんとにもう話すこと無くなってきた気がするね」
確かに、次に議論の余地のある手掛かりは何があるだろうか。最重要だと思われた密室の話では、鍵を巡る議論の末に、安東を含む三人に犯行が可能という結論が限界だった。
後は、何を議論すればいい?
何を議論すれば、犯人の影を追うことが出来る?
「なら、俺から一つ言わせてくれ。推理というほど立派な説じゃあないんだが……」
寺田がそう前置きしながら、
「時刻だけを考えると、部長は容疑者から最も遠いと思うんだ」
思わぬ方向からフォローが飛んできたものだ。
安東は全神経を集中させて、次の台詞を待つ。
「ほら、モバイルバッテリーが未開封の状態で置かれていたのは全員見ているだろ。あれは窓の外から見ることが出来たから、俺は鍵よりも先にそれが目に入ったんだよ。だから部長がこっそりと置いた物でもない。
それで、だ。遠山君は何をしに部屋に戻ったか。それは当然スマホを充電するためだ。もし部長が犯人なら、その犯行時刻まで、遠山君は写真を撮ることを忘れてしまい、あるいは執筆に夢中になってしまい、部屋から出てこなかったことになる。彼はその間、モバイルバッテリーをスマホと接続していたはずなんだよ。あれは開封してすぐに使えるタイプの製品だったからな。
何が言いたいかと言うと、未開封である以上、遅い時間帯に空白の時間がある人物ほど犯人ではない、はずなんだ」
なるほど、と安東は感心する。遠山が部屋で何をしていたにせよ、切れそうな充電は優先して行ったはずだ。直前に言われた写真撮影を忘れても、目的である充電を忘れるとは考えづらい。執筆をしていたなら、尚のことだ。彼はスマホで執筆をしていたのだから。
「んー、面白い推理ですよ。一理ありますね」
有馬が妙ににこにことしている。
「モバイルバッテリーを使わなかった理由……。存在ごと忘れてしまって、スマホ以外のことに夢中になっていた……わけないですよね。だって、荷物の中から取り出してベッドに置くまでしているんですから」
雪乃は自己完結して口を閉ざした。
望外の説だと思った。マスターキーの件で濃くなっていた安東の容疑が、ここにきて薄くなるかもしれない。
寺田に感謝しなければな。
そう、彼に恩義を感じていた矢先、
「ふむ。誰も反論しないなら、ここは僕が頂戴しましょうかね」
有馬が不敵な笑みでそう言った。
「こういうのはどうです? あのモバイルバッテリーは元々、遠山君の物ではなかった。つまり犯人が偽装工作として持ち込んだ物という説です。
今までの話の流れに従うなら、死亡推定時刻の後半では、すでに十分な量の充電がされていたと考えていいでしょう。スマホの充電量を見られたら、犯行が行われた時刻が極端に絞られてしまう。だから犯人は、彼のスマホとモバイルバッテリーを盗み、代わりに自分が持ってきていた物をベッドに置いたんですよ。これならスマホだけが盗まれた理由にも説明が付くでしょう? ……おっと、これだと寺田さんにも当てはまりますね。もしや、先ほど部長を庇ったのは、自分にも該当する理論を皆の頭から消しておきたかったからなのでは、なんてことを邪推してしまいます」
有馬は言い終えると、片足を立てた膝に左手を乗せ、口元を覆いながらクツクツと笑みを浮かべる。その姿がいみじくも絵になるせいで、半ば犯人だと指摘された憤りも湧き上がらない。
「そんなことは……」
寺田も開いた口から、次の言葉が出ないようだった。
「でも、遠山君は登山者で用途が違ったからモバイルバッテリーを持ってきていたわけで……。部長さんは、と言うより、私達はみんなコンセントに差す充電器を持ってきていますよね。それなら、すり替える以前の問題にも思えますが……」
そう、ペンションには当然のようにコンセントがあるのだから、安東も他のメンバーも通常の充電器しか持ってきていない。しかしこの理屈は、自身だから言える話であり、
「非常時のために、モバイルバッテリーも買って持ってきていたのかもしれません。これは用意周到な部長さんだからこそ、有り得そうなことです。結局のところ、荷物検査を事前にしていない以上、所持していなかったことは悪魔の証明に成らざるを得ないんですよ」
さすがの雪乃も、口を閉ざすしかないようだった。
それにしても、スマホの充電量……そんなところに目を付けるとは。彼の悪魔的な発想が、純粋に恐ろしい。
容疑が薄くなるどころか最もな理由のある偽装の線を追われ、安東は寺田と共にますます立場を失いつつあった。
「……温かいもの、入れ直しますね」
そう言って雪乃がカップとソーサーを回収し、キッチンに立つ。
そのタイミングで場は一時休戦の状態となった。
それでも非日常から脱却出来るわけもなく、安東を含め皆何かを考えていた。
安東はキッチンに視線を向ける。雪乃は密室を作れなかったのだから、共通認識としては容疑者圏外だ。だが、彼女を信じ切って大丈夫なのだろうか。コーヒーなどに毒を入れられないだろうか。今更なことを思いながらも、そもそもお酒やペットボトルのドリンクに細工がされてはないかと、茫漠とした考えに囚われそうになる。
しかし、そう考えること自体、安東自身も疑心暗鬼になっている証左ではないか、と自嘲して意識を改めた。
だめだ、疑いすぎるな、内部犯とは完全には決まっていないのだ。
雪乃がキッチンから戻り、新しくカップを配り終えたところで、
「おい、待てよ、……完璧に忘れてた」
寺田は何かを思い出したように言う。
「……俺たちが犯人じゃないと言える証拠なら、あるじゃないか」
寺田は寺田で、自分の潔白を証明しようと次の案を考えていたようだ。
「俺と有馬は、部屋が交換されたことを知らなかった。よって俺と有馬は、犯人ではない」
シンプルな説ゆえに、皆が少し考える間があった。
つまり寺田は、遠山を殺そうにも部屋の交換を知らず、それでも遠山が死んでいたのだから、自分は犯人ではないと言いたいわけだ。
ややあって、
「ねぇ、わたし、動機について考えてみたの」
「おい! 別の話をするなら俺の説を打ち砕いてからにしろ」
砕かれるのは宿命なのか、とツッコミを入れたくなるが、彼も疑われ続けて疲弊しているのだろう。憔悴した表情をみせている。
「違うわよ。寺田さんのそれに繋がる話。なんで遠山くんが殺されたんだろーって、ずっと考えてたの。だって彼は、今日助けを求めてペンションにやってきて、初対面なのよ。部員の誰とも喧嘩するどころか、あんなに楽しくミステリトークしてたのに……。殺されるような動機なんて一つもないと思わない?」
「動機なんて、それこそ分からないだろ。もしかしたら犯人は初対面じゃなくて、以前に深い恨みを抱いたけれど行方の知れなかった彼が、偶然のこのことやってきたことをチャンスと思って、犯行に及んだのかもしれない。あるいは恨みを抱いた対象の親類かもな」
「完全に妄想じゃない」
「可能性はあると言ってんだ」
「寺田さんせいで話が逸れちゃった。それでね、――部屋の交換を知らない人物こそ、動機があるんじゃないかなって思ったのよ」
「なるほど、つまり本当は雪乃か綾乃を狙ったのではないか、と言いたいわけか」
安東は得心して答えた。
「そう! むしろ動機を軸に考えるなら、そっちの方がしっくりくると思わない? 例えば寺田さんなんて最初にラウンジを出たとき、お姉ちゃんがカメラを取りに向かったすぐ後で『飲みすぎたからトイレに』なんて、いかにもなことを言ってたよねー」
「結局、疑われるのは俺なのか……」
寺田はほとほと疲れを滲ませた顔だった。
「うーん……。綾ちゃん、その状況だと部屋を訪ねたときに、勘違いしたって気付かない?」
姉が疑問点を突く。
「んー、えっと、たとえば凶器を構えて持ってて、相手に見られてしまったから差しちゃった、とか」
「それだと、急に部屋に押し入ったことになるよね。遠山君は何で声を上げなかったのかな」
「それはー、背中を向けていた……から?」
「だったら犯人は間違いに気づいて、凶器を収めたんじゃないかな」
「え、っと、……」大分、苦しくなってきた様子だ。「じゃあ、やっぱり最初にノックをしたの。それで凶器を構えてたから……」
「それなら、ノックに反応する声で間違いに気付くよね。女性と男性なら、ドア越しでもさすがに判別がつくと思う」
「うーんと……うーーんと、……もういいっ!」
綾乃はぷいっとそっぽを向く。それを雪乃が慌てて「ごめんね」と宥めていた。雪乃の普段ならしない容赦のない返しも、彼女に余裕がなくなってきている証に思えた。
「部屋の勘違いと言えば、有馬はどうなんだ?」
「残念ながら僕は、寺田さんみたいに女性の後ろを追っかけたわけじゃないので」
「妙な言い方をするな。それに違うって、俺が言いたいのは、真逆。有馬が犯人なら、遠山君の部屋だと知っていた上で狙ったんじゃないかと思ってな」
「ほう、どういうことでしょうか?」
有馬の眼が真剣味を帯びる。
「タイムテーブルを見る限りだと有馬ってさ、四分しかないように見えるだろ。だが実は、有馬には一分に満たないけど、空白の時間が存在するんだよなあ」
「そんな時間あったっけ?」
機嫌を直したらしい綾乃が首をかしげる。安東も考えたが思い付かなかった。
「ほら、遠山がラウンジを出てから一時間半経った後の流れを思い出してくれ。いくら何でも遅いって俺が言い出して、まず初めに呼びに行ったのは有馬一人でだったよな」
堀川姉妹の部屋の方をノックして、応答なしと判断してラウンジに戻り、それが部屋違いだと雪乃に言われた場面だ。
「しかしそれは……」
「部屋を間違えていたっていうのか? 俺も散々誰かさんに言われたことをここで有馬に返すなら、お前が部屋の交換を知らなかったと、どうして言える? 本当はどこかでこっそり聞いてて知っていたとしたら?」
「まさか」安東は思わず身を乗り出して、「ラウンジまで微かに届いた、部屋をノックするような音や声は演技だったって言うのか……? いやしかし、その演技をしながら一分程度の間に何が出来るって言うんだ」
「その一分間に何らかの方法で鍵を戻したのかもしれないっすよ。残念なことに、俺にはこれ以上の考えは浮かばないんですけどね。でも怪しいことは怪しい。可能性を突き詰めるってんなら、話しておくに越したことはないと思いましてね」
そんな言葉で締める寺田に対して、有馬は何も言い返さなかった。珍しくばつの悪い表情で、何かを考える仕草をしていた。
それにしても、別枠でプラス一分の空白時間か……。
考え得ることとすれば、前半の空白時間である四分間で犯行を行い、後半の一分間で鍵を戻す。そんなパターンだが……。分からない。これなら序盤で議論したロープを伝う方法のが現実的に思える。
そもそも、この一分間は偶然による産物だ。安東か雪乃のどちらかが、あのとき早めに気付いていれば、有馬がラウンジに戻る前に知らせに向かっていたはずなのだ。そうなれば、演技を含めた何かしらの行為は目撃される、あるいは中止せざるを得ない。
それに、ややこしい説明になるが、有馬が部屋の交換を知っていたと仮定するならば、有馬が部屋の交換を知らないだろうと思っている雪乃達が、部屋を交換したと知らせにやって来る可能性が大いにあることを、彼が考慮しないわけがないのだから。
穴だらけだ……と心中で結論を下す。
安東は有馬犯人説を頭から除外し、別のことを考え始めた。
分からないと言えば、堀川姉妹、雪乃と綾乃のこともそうだ。
この二人には、鍵をベッドに置くことが出来なかった、あるいは遠山の部屋から抜け出す方法がなかった、という理由で容疑者から外れた状態で議論が進んでいる。
彼女達が犯人でなければ、当然の事なのだが、安東はどうにも引っ掛かりを覚えていた。
なぜなら、犯人が寺田か有馬で、尚且つ計画的な犯行の場合、雪乃と綾乃の二人もが容疑者から外れることは想定の範囲内だったはずだ。必然的に犯人は三人に絞られてしまう。つまり今の状況というわけだ。
ならば、犯人はこの展開を予想出来なかったのだろうか。まさか部屋の交換によって計画が狂ったのか? よもや、衝動的な犯行だったのだろうか……? しかし何故施錠を?
どうにも釈然としない。
本当に彼女達には、犯行が不可能だったのか。
不意に、安東の脳裏にある一つの可能性が思い浮かんだ。もしや、……鍵のすり替えが行われていたのではないだろうか。
飲み会が催されていたラウンジの様子を出来る限り思い出し、素早く脳内で整理する。それから安東は問うべき人物に向く。
「寺田……」
「また俺ですか。もう、勘弁してくださいよ」
「そうじゃない。訊きたいことがあるんだ。お前が持っている部屋の鍵は、飲み会の間ずっと身に着けていたのか?」
「もちろ……ん? 待ってくださいよ? そういやあ、木札もポケットに入れるには大きくて邪魔だからと思って、絨毯の上に置いていたな」
安東は眼を見張り、詰め寄る。
「最初にトイレに立ったときはどうだ?」
「ううんと、あぁ、鍵はラウンジに置いたままでしたね……」
「確かか?」
「酒にはもう飲まれないように心得てますって。確かです。間違いありません。それで部長は何を」
寺田はここで何かに思い至ったように眉を顰めた。
「……そうか。……部長、あなたの言いたいことが段々と見えてきましたよ」
車座に座っているのだから、誰かが場所を動いても、酒やつまみを取るためとしか認識していなかっただろう。その大学生らしい雑さに、付け狙う隙が生まれてしまっていた。
有馬も気付いたらしく、質問をしてくる。
「念のために訊きますが、部長さんは部屋の鍵をきちんと仕舞っていたんですか? ああ、僕の場合は木札を外してズボンのポケットに入れてましたから、大丈夫だと言い切れますよ」
「俺も同じ状態で上着のポケットに入れていたからな。取られた瞬間は元より、戻される瞬間にも気付かないなんてことはないだろう。それにリスキーな上に、盗むとすれば真上の部屋である寺田の鍵を狙う方が合理的だ」
雪乃と綾乃も何の話か察しているのだろう。黙したまま、安東を直視している。それに答えるかのように口を開いた。
「話を纏めるとこうだ。寺田が鍵をぞんざいに扱っていた以上、何食わぬ顔で鍵をすり替えた人間がいたとしても気付くのは困難だ。それにキーリングは簡単に取り外しが出来るからな。つまり、以前に話していたロープを使用した犯行は、俺達三人だけではなく、雪乃と綾乃の二人にも十分可能だったわけだ」
「考えましたねぇ、部長さん。お見事ですよ」などと有馬が褒めそやしてくるのを尻目に、
「それでだ……寺田、ちょっと鍵を見せてくれ」
「まあ、構わないっすけど」
首を傾げる寺田から鍵を受け取ると、「一度もキーリングから外してないか?」という問いを投げかけた。彼は頷く。
先ほど、安東は自室の鍵のキーリングを外すときに錆び付いて固まっていた感触があったことを思い出していた。ペンションは一年程営業を休止していたのだから、接続部の切れ込みが酸化していてもおかしくはない。従兄弟の親族も清掃に訪れていたとはいえ、安東達のように故意に鍵を分離させる必要はなかったのだろう。
「……有馬は、キーリングを外すときに物理的な抵抗感はあったか?」
「錆び付いていたか、ってことですよね。ありましたよ、抵抗感」
「私もキーリングを外してラウンジに来たんですが、錆びて固まっていると感じました……」
雪乃からも同調を得られたことは大きな収穫だ。
「外した三人共が実感してるわけだ。これなら寺田の鍵だけ例外という線は薄いだろうな。……さて」
安東は少しの間逡巡した後で、有馬に確認を任せることにした。木札の付いた鍵を渡して、着脱するための環の切れ込みを外すように促す。メンバーが見つめる前で、彼は慎重にそれを外した。
「おっと……。簡単に取れましたよ」
嬉しそうな笑顔で有馬がCの字になったリングを掲げてみせた。
安東は判明した事実に肌が粟立った。独特の抵抗感はなかったということは、外した形跡があることが判明したわけだ。
有馬はそのまま双眸を細め、矯めつ眇めつリングを見定る。「このキーリングはクロムメッキのようですね。チタン製なら錆びることもなかったでしょう」渡りに船の情報と言えた。
寺田が、捲土重来とばかりに発言する。
「ははあ、見えてきたぞ。つまりは俺の鍵がすり替えられた形跡がある以上、雪乃さんと綾乃の方が現状怪しいってことになるんじゃあないか?」
少なくとも自室から遠山の部屋に辿り着ける男性陣は、鍵のすり替えをする理由が無いに等しい。それにより、自然と疑惑の目は姉妹に向いた。
綾乃が慌てた口調で弁明する。
「でも、でもさ、変な人が潜んでないかペンションを見回ったときに、寺田さんの部屋は自分の鍵で開けたんだよ? 本当に自室の鍵だったってことだよ?」
「それはタイムテーブルを見れば納得がいくだろう。寺田は最初の六分間と後の六分間に席を外している。一方、雪乃と綾乃の二人は、その寺田の空白時間の合間に、席を外している。もう一目瞭然だろう? 最初の六分で鍵をすり替え、途中の自分の空白時間に犯行を行う、そして後の六分ですり替えた鍵を元に戻す」
「そ、それでも、寺田さんがトイレに行くかなんて、わたしたちには予測できないよっ」
「いい具合に寺田の空白時間があったから、説として当て嵌めただけだ。車座の状態から、雑談しやすい位置に移動することは度々あった。酒も入っていたのだから尚更、本人がいてもすり替えの難度はそんなに高くないだろう。まして寺田の鍵に注目していた人なんて皆無だっただろうからな」
綾乃は蛇に睨まれた蛙のように固まり、押し黙ってしまった。
納得のいく反論は雪乃から提出された。
「……待って下さい。キーリングの外された形跡から私達が疑われるのは、どうにも釈然としません。いずれこの推理を話すときの為に、犯人が予めキーリングの錆を取っていた場合もありますでしょう……? 錆び付きを知っていたのも、私達が各々のキーリングから鍵を外したことから既知の事柄です」
なるほど……寺田の鍵が一時間半以上もの間に誰でも触れることが出来たからには、姉妹二人に容疑を向ける推理をする為の布石とも考えられるわけだ。犯行は通報の前だったから、本来なら警察の眼を欺く為と言えるが。
結局のところ、メンバー五人が犯行可能という結論に還元した。
再び沈黙が降りる中、しかし皆の視線は雪乃と綾乃に集まっていた。
長らく、犯行は不可能と判断されていた二人が、ついに容疑者の輪に加わったのだ。
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