問題編 第3話

 そこからはあっという間の出来事に思え、それでも濃密で、誰もが真剣に現場を調べた。

 ベッドの枕元に置いてあった鍵は、寺田が皆の見張る(見守るとは言い難い)中で、しっかりと現在の遠山の部屋の鍵であることを、施錠と開錠をして確かめた。尚、鍵はどの部屋もディンプルキーを採用しており、独特な形状の上、ピッキングで開けるのは難しそうだ。ドアの隙間を見るに、古典的な針と糸のトリックも使えそうになかった。

 遠山の登山用ザックも失敬して、散らばった中身を検めた。行動着にウエア、キャップにグローブ等の着用品。トレッキングポール1セットにツェルト、軽量のアイスアックス、ヘッドランプ。水筒、トイレキット、雑多な食糧、食器、ライター、地図、コンパス、救急キット、使い捨てカイロ……。様々な必要品が入っていた。

 南側にあるバスルームにもクローゼットにも、当然ながら誰かが隠れ潜んでいるということはなかった。クローゼットに掛けられた遠山の衣類も乱れはあったものの、それ以上の手掛かりは発見出来なかった。バスルームは直近に使用された痕跡(バスタブや壁面に水滴の付着)があり、換気扇のスイッチが付けられていた。部屋の交換前に雪乃達が手入れをしたのかもしれない。

 窓の桟にある固められた雪には、やはり土の混じりが見受けられる。今では安東と有馬が乗り越えたときに付いてしまった痕跡が増えてしまっているが、幸い他のメンバーが事前の桟の状態を覚えてくれていたため、何者かが乗り越えたであろう痕跡が存在したことは、確定している。

 雪庭を幻想的に照らす大型のライトは、雪庭の中央付近から北と南に進んだ奥に一台ずつ設置されていて、ペンションよりも僅かに高い。それは今も尚、殺人事件が起きたことなど素知らぬ風に泰然として、燦々と光を放ち続けていた。

 外の足跡も当然チェックをした。今はぱらぱらと降る雪によって覆い隠されようとしているものの、窓から雑木林まで、ライトアップされたままの雪庭を湾曲して往復する足跡は存在している。片道の長さは凡そ五十メートルほどで、往復するには十分程度は掛かるだろうと、皆で見積もった。警察が来る前に積雪で消えても困るので、写真に収めた後で一部にシーツと重石を敷いておいた。

 不審者の捜索と戸締りまでを終えた後の話だが、この足跡の形と一致する靴や長靴、登山靴は、ペンション内からは見つからなかった。メンバー五人の靴と被害者である遠山の登山靴も当然ながら検めた。サイズに関しては安東達の靴と比較したところ、二十五センチほど。体格の大きい寺田が二十八センチなので少々難しいとしても往復する程度なら可能そうだ。一番足のサイズの小さい綾乃も靴下などを多用すれば歩けないことはないだろう。

 つまりは、この辺りの証拠から容疑者を絞り込むことは出来なかったわけだ。



 再びラウンジに戻ると、誰もが口を閉ざし、陰鬱な空気が満ちていた。座る距離も心なしか離れているように見える。

 皆、各々の考えを進めているのだろう。安東も例外ではなかった。

 やはり一番のポイントは、遠山の部屋のドアには鍵が掛けられていて、そのドアを開けるための鍵が室内のベッドの上に置かれていたことだろう。外部犯でないとするならば、ある意味これは密室殺人と言えるのではないだろうか。

 しかし、窓は開いた状態であり、足跡もある。

 例えばの話、こういう方法はどうだろう。犯人は犯行後に窓のクレセント錠を下ろす。窓を少し開けておいてもいい。そして通常通り廊下から遠山の部屋の鍵を使ってドアを施錠し、用意していた長靴に履き替えて玄関からペンションを出る。ライトアップされた東側には直接向かわずに大きく迂回し、足跡の行方である雑木林から約五十メートルの雪庭を通って部屋に入り込み、鍵をベッドに放って再び五十メートルを戻る。使用した長靴らしき物は、どこかに捨ててしまえばいい。

 つまり犯人は遠山を殺害するためではなく、密室を作るために往復したのだ。

 だが、何故わざわざ密室を? という疑問は残る。

 部屋に入られる時間を遅くしたいのであれば、鍵を隠すだけで事足りるはず。それに鍵なら……。

 あぁ――。

 そこまで考え、安東ははたと自説の間違いに気付く。

 確認したではないか。玄関前にも、駐車場にも、足跡に類するものは一切存在しなかった。反対側のルートは直接見ていないが、あの三人がこぞって見落とすとは到底思えない。

 迂回説は、言葉にするまでもなく安東の心の中で消滅した。

「ねぇお姉ちゃん」

 ふと、綾乃が姉に声を掛けた。落ち着きは幾分取り戻せている様子だ。

「有馬くんと一緒に遠山くんを呼びに行ったときのことなんだけど」

「……うん」

「あのとき、どんな感じだったか教えて欲しいの。例えばね、鍵はちゃんと掛かってたかとか」

「……いいよ。えっと」

 ちらり、と雪乃は有馬に視線を向ける。

 有馬は姉妹の会話を気にする風もなく、発泡酒を傾けていた。酒はもう飲まない雰囲気だったはずだが。

 雪乃は諦め顔で妹に向き直った。

「遠山君の部屋まで行ったとき、まずは私がノックをしたのね。それで反応が無いから声を掛けて、私の声が小さいのではということで、悠士君が大声でもう一度声を掛けたのよ。ノックも激しくしたんだけれど、やっぱり何の反応も無かった。それで悠士君が、何処からか軍手を取り出して装着すると、ガチャガチャとノブを上下させたり押したり引いたりを繰り返して、「鍵は間違いなく掛かっていますね」って。それで終わり。ラウンジに帰ってきたわ」

 妹に接するときの雪乃の口調は、他人行儀さが抜けてマイルドになる。姉妹と言っても、雪乃は理知的な眼をした瓜実顔の美人、対して綾乃はハーフを思わせる立体的な顔立ちで、あまり似ていない。楽しそうに話す二人は親友のようだ。

「そっかぁ」

 綾乃は何かを考えながら悔しそうに、

「もし鍵が掛かってることを確認していないなら、シンプルなパターンも考える必要があると思ったんだけどね。ざんねんっ」

 シンプルなパターン?

 少しの間、安東は黙考する。

 不意に、密室とされる部屋に真っ先に乗り込んだ人物が、こっそりと室内に鍵を置いて、宛も初めから鍵がそこにあったかのように見せかける方法が思い浮かんだ。

 その変則パターンだ。

 部屋の外側から鍵が掛かっていなかった証言が出た場合、現状と矛盾する。

 こっそりと室内のつまみを捻ったのは、安東か有馬。

 しかし有馬は安東の指示で部屋に入ったのだから、受動的な立場になる。つまり――。

 綾乃は、安東を疑ったということだ。

 そうか。こうなってくると自分が疑われるパターンも十分にあるのだ。などと当たり前のことに安東は愕然とした。

「なあ、議論をするのは賛成なんだが、一度タイムテーブルを整理したいんだ」

「タイムテーブル?」

 本格物は読まない綾乃が首をかしげる。

「あの一時間半の間に、誰が、いつ、何分、席を立ったかを全員で思い出して擦り合わせるんだよ。トイレに立つのにわざわざ時刻を気にする人の方が少なかっただろうから」

「あー。なるほどね」

「それは作っておいた方が良いでしょうね」

 ――それなりの時間を費やした結果、以下のことが判明した。


 午後八時四十分から、午後十時十二分まで、各人の空白時間

 安東正臣  午後九時五十六分から十時三分  七分間

 堀川雪乃  午後八時四十分から四十三分   三分間

         九時二十一分から二十九分  八分間

 堀川綾乃  午後九時二分から九分      七分間

 寺田國章  午後八時四十分から四十六分   六分間

         九時三十九分から四十五分  六分間

 有馬悠士  午後八時五十三分から五十七分  四分間

 遠山朔椰  午後八時四十分から――


 絨毯の上に置き戻したテーブルの上に、完成したメモ用紙が置かれる。皆、近づいてじっとそれを見つめては離れ、異なった思考のポーズを取っていた。

「ねぇ、最初に遠山君を含めて三人が出ていったよね。お姉ちゃんはカメラを取りに、寺田さんはお手洗いに。あのときってさ、遠山君が部屋にちゃんと入るところをどちらか見てない?」

 メモに纏められたタイムテーブルをじっと見つめながら、綾乃が問う。

「俺は、漏れそうだったからな。急いでトイレに入って、気にも留めなかった」

「私は向かいの部屋なので、……ドアを閉める音は聞こえたような記憶はあります。内側のつまみを捻って施錠する音も……多分、おそらくは……。でも遠山君が部屋に入った瞬間を見たわけでもないですから、なんなら寺田さんがドアを閉めた音かもしれませんけれど……」

「うーん、証言が酷く曖昧ですね。まぁ、彼が自分の部屋以外に行く理由もないとは思いますが……。トイレは寺田さんが入ったばかりで、六分間、寺田さんは鍵を掛けて用を足していたんですよね?」

 有馬が寺田に問う。

「あ、ああ。……その通りだ」

 寺田は若干言いにくそうに肯定した。

「ならばトイレは無し、と。じゃあ二階に上がったとして、部長さんも寺田さんも、自分の部屋には鍵を掛けていたと証言できますか?」

 鍵を掛けたかどうかは、人間のすることだ。掛けたつもりで掛かっていなかったなんて話は、偶にあるだろう。普段なら返答に窮するが、今回は状況が全く異なる。

「さっき、ペンションの中を誰か隠れていやしないか一通り回っただろう? そのときに二階の部屋も確認して、俺達二人の部屋も、全員が立ち会った状態でそれぞれの鍵を使って開錠するところを見たはずだ。逆に施錠してしまった覚えはないから、鍵はしっかり掛かっていたと断言出来る」

「完璧な回答ですよ、部長さん。そしてスタッフルームを含めたその他の部屋は初めから施錠されていますよね。さて、仮に遠山君が邪な考えを抱いていたとして、物置部屋は知っての通り高価な品物は置いてありません。後は食堂と厨房ですが……」

「おいおい、話がずれてるぞ有馬。あの少年が盗人だったパターンに強引に持っていこうとしてないか? 仮にそうだとしても、なんで飲み会のタイミングで盗むんだよ。普通寝静まった深夜だろ。それにペンション内の高級品が無くなっていたとしたら、ラウンジにいなかった遠山が犯人だと主張するようなもんじゃないか」

 安東にも、有馬の説はやや恣意的に思えた。そもそも前提からして遠山が悪人だと決めつけるのは如何なものかという思いもあるが、合理的に考えても、誰かの部屋に侵入するなら未だしも、皆が起きてラウンジに集っているときに盗みを働くメリットはあるのだろうか。

「彼の登山用のザックにも室内にもペンションの備品らしき物は無かったんだから、何も盗んでいないはずだろ」

 寺田が追い打ちを掛けるも、しかし有馬は引き下がらなかった。

「はてさて、そうでしょうか。僕には詳細は分かりませんが、一つだけもしや、という物があります。再度犯行現場に赴いたとき、他の方もご覧になったでしょう。そう、――凶器のペティナイフですよ」

 ラウンジを、わずかに戦慄が走ったような気がした。

 安東も胸騒ぎを覚える。盗んだ物がナイフ? 確かにあのナイフは高価だった。待てよ、つまりそう考えると、様々なことが覆ってしまうのではないだろうか。

 遠山は部屋に入ったと見せかけて、こっそりと厨房からナイフを盗む。帰り際、誰かを部屋に呼び入れて刺そうとするが、逆に返り討ちに遭う。

 あのとき、雪乃は三分も経たずに戻ってきていた……。

 そう考えると当て嵌まる人物は……、

「寺田さん、本当に六分もトイレに入っていたんですか? 遠山君に部屋に呼び出されたなんてことは、ありませんか?」

 安東の思考をトレースしたかのように、有馬が問い詰める。

「は……? ば、馬鹿なこと言うなよ。俺は本当に腹が痛くて、便座から立ち上がれなかったんだ」

 疑惑の眼が、寺田に集まっていた。そのとき、

「私……厨房の調理器具はお昼の間に見させてもらったのですが、ペティナイフなんてありましたでしょうか……」

 雪乃の言葉で、安東は客観性を取り戻した。

「待てよ……思い出した。俺は仮にもペンションを預る身だから、物置の雑貨はともかく、厨房の備品はリストを受け取って保管しているんだ。俺が一読した限りでは、ペティナイフなんて無かった。小型の包丁に相当する器具なんて無かったはずなんだ。何なら今からそのリストの紙を持ってきてもいい」

 危うく、彼の説に飲まれるところだった。雪乃に感謝せねばならない。

「そうでしたか。なら僕には反論の余地はありません。部長さんが嘘を付いているようにも見えませんからね……。それでも一応、リストと備品の照合をしてもいいですか?」

 そこまでする必要があるのだろうかと思いつつ、安東はリストの用紙を取りに部屋を往復した。厨房にはメンバー全員で向かい、電子機器から包丁一本まで改めて無くなっている物がないことを確認し終えた。

ラウンジに戻ると、

「やっぱり、素直に遠山君は自分の部屋に入ったと考えるのが妥当ですね」

 綾乃が蒔いた議論の種を、有馬はそう言って完結させた。

 再び沈黙が訪れるかと思いきや、雪乃が誰ともなしに不安げに問いかける。

「犯人はまず……遠山君の部屋を尋ねた。この前提は合っていますよね……?」

「そりゃあそうだろうと思いますよ。出入口はドアか窓しかないんですから」

 寺田が当然だとばかりに言った。

「……あの、窓から入った可能性は、本当にないんでしょうか?」

「ちょ、ちょっと、どうしたんですか。それはさっき雪乃さん自身で否定したでしょうに」

 寺田は困惑顔だ。雪乃は真剣な眼で答える。

「それは、全く知らない人の場合です。……部員の誰かなら、と考えてみて下さい。例えばロープを伝っていって、ドアが開かなくなった、助けてくれと窓を叩いたのなら……遠山君は勿論びっくりするでしょうけれど、最終的には部屋に入れてくれるはずです。そして隙を見て後頭部をぽかりとします。とどめのナイフで殺害し、そして再びロープで戻って、何食わぬ顔でラウンジに戻ればいいんです」

「……わ、分かりましたよ。その説が無理とは言わないっすけどね、しかし薄いと思いますよ。普通に部屋を訪ねれば、遠山君が拒否することはないでしょ。ラウンジは盛り上がっていましたし、万が一誰かに見られたとしても、一旦犯行を中止すればいい。入ることは容易いんです」

 確かに、殺人を行う前ならば幾らでも修正は可能だろう。ざわざわ窓から入るリスクを取る必要はないと思える。

「そうですね……。少し穿った考え方をしてしまいました。……ごめんなさい。犯人は普通に部屋を尋ねたとして議論を進めましょう。……そうすると問題は犯行後に、犯人はどちらの行動を取ったのか、になりますでしょうか……?」

「どちらの行動とは?」

 安東が問うと、雪乃は一本指を立てて、

「部屋を出て、普通に鍵を使って施錠してから、何らかの方法でベッドの上に鍵を置いたパターン。……パターン1としておきます。

 それとは逆に、室内からつまみを捻って施錠し、ベッドに鍵を置いて何らかの方法で部屋から消失したパターン。こちらはパターン2としましょう」

 と言って二本目を立てると、すぐに恥ずかしそうに手を膝に伏せてしまった。

「うーん。鍵は何かしらの方法がありそうだけど、部屋から人間が消えるって難しそうに思えるねー」

「けれど心理面で言うなら、僕はパターン2だと思いますね。遠山君の部屋に入るときは言い訳が利いても、犯行後に出るときに誰かに見られたら、言い逃れは出来ないはず。そこでお終いです。犯人の心理的には、パターン2の方が安心じゃないでしょうか?」

有馬の言い分に、安東も納得した。

「確かにな……。でもいったいどんな方法が……って、そうか。さっき雪乃が言ったやり方を使えばいいわけか。寺田、お前の部屋は遠山君の真上の部屋だよな。事前にロープのような物を垂らしておいて、犯行後にそれを伝って自室に戻る。自分の部屋から出るなら見られたところで幾らでも言い訳は出来るし、体格のいい寺田なら、難なく昇り降りすることも出来るはずだ」

「だから待って下さいよ。部長まで俺を疑うんですか」寺田は困ったように頭を掻きながら、「それを言うなら部長だって同罪ですよ、俺の隣の部屋なんですからね。ロープを垂らした後で、振り子の要領で遠山君の部屋に行くことは、同じ様に出来るはずじゃないですか」

 そう言われてしまうと、返す言葉がない。だがそれなら、遠山の隣の部屋の有馬にも似た様なやり方で可能なのではないだろうか。

「思ったんだけどさ、お姉ちゃんの言ってた逆をやれば、パターン1も簡単に出来るのよ。ロープなどを使って、一階の窓際まで降りて、鍵を放り投げるの。別にベッドの上に上手く乗せる必要はないわ。血だまり付近に変に滑り込まないかぎり、ベッドの向こうの床の隙間に落ちてしまっても、何の問題もないんだからね」

「鍵は手前のベッド……ああもう、ややこしいな。つまり廊下側のベッドにあったんだぞ。もし外側から投げ込むのなら、何故、窓側のベッドにしなかったんだよ? そっちの方が近いだろ」

「寺田さん、意見はそれだけ? だったら拍子抜けだなー」

 煽るように綾乃が口笛を吹く。

「どこに落ちようが関係ないって言ったじゃん。むしろさ、窓から届きにくい位置に投げ入れて、この説を思いつかせないための策だったりして。それにねー、今の話の流れを振り返ると、ちっぽけな反論をするために奥のベッドに投げたように思えてくるね。投げ入れることに挑戦するデメリットは、全くと言っていいほどないんだから」

 半ば犯人扱いされた寺田は怒り心頭だ。しかしこれという反論が思い付かないようでぶつぶつと考えに没頭している。

 それにしても、デメリットはない、か。

 どうだろうか? シーツはぴんと張られて綺麗な状態だった。それは真っ先に部屋に入った安東が一番把握しているつもりだ。普通なら寝ころんだ跡があって然るべきだが、遠山は部屋を交換して、そのままラウンジに向かったのだから不自然ではない。そして、意味ありげな皺などはなかった……。

「鍵は木彫りの札付きだ。それなりの重量がある。もしも投げ入れたとして、高度が足りずに着地後、数センチ滑ってしまったら、あからさまに滑らせた跡が残るだろう。それは非常に怪しい証拠になるのではないだろうか?」

「……んーだったらもう、窓から部屋に入っちゃって鍵を置いた、でいいじゃん」

 ぶっきらぼうに言う綾乃の言葉に、安東は丁寧に反論する。

「それは実際に部屋に入ってみた俺の所感になるが、リスクが大きい。有馬に指摘されるまで、不覚にも靴で血痕を踏んでいることに気が付かなかったんだからな。血だまりが広がっている光景を見て、果たして犯人は部屋に入る気になるだろうか。奥のベッド、つまり窓側のベッドはメイキングされた状態でシーツも綺麗だった。飛び越えたとも思えない」

「それって、ベッドを足場にして鍵を投げた後に、シーツをぴーんっと張り直したで解決できないのー?」

「そこまでの手間を掛けるのなら、……私は窓側のベッドに鍵を置きます」

 雪乃もこちらに加勢してくれたようだ。

「そう。だけど実際にはドア側のベッドに鍵はあったんだ」

「もうー、やっぱり投げ入れたでいいじゃん。犯人は鍵が滑るかもーなんてことまで考えてなかったんだよ。で、偶々上手くいっただけ! 解決よ」

「だからッ、解決も何も、俺は遠山君を殺してないんだって」

 寺田が苛立ちの声を上げた。

「まって、だったらいっそ、パターン2でいいよ。犯人は鍵に触れてなかったんだよ。こっちのパターンでもロープで登ることには変わりないんでしょ? ほら、有馬くんも心理的にこっちって言ってたし」

「だから俺は殺してないし、ロープで昇り降りもしてないんだって! 何なら今から俺の部屋の窓枠を調べてくれよ。雪がちゃんと積もってるから」

「雪が降り出してけっこう経つわよ。ざんねんね、そんなの証拠になんない」

「だったら逆に、俺がロープを使った証拠を出してくれよ」

 水掛け論の様相を呈してきた。

 犯行時の動線に関しては、これ以上話しても切りがないのかもしれない。

 別の手掛かりから推論を重ねていって、それに見合う方のパターンを当てはめた方が得策なのではないだろうか。

 啀み合う二人に安東がそう提案しようとした、

 ――そのときだった。

「…ぁあっ!!!」

 突如として、悲鳴と表現しても過言ではない大声が上がった。その声の主は最も結びつかなさそうな雪乃からだった。

 議論を飛ばしていたメンバーも驚きのあまり沈黙し、何事かと彼女を見る。安東も同じく、そして雪乃とは三年近いの付き合いになるが、これほど大きな叫びを聞いたことはなかった。鬼気迫った表情で何かを必死に思考している。泳いだ目が宙を彷徨い、やがて、安東の眼を見て静止した。

「部長さん……。私の質問に正直に答えてもらってもいいですか? 営業中のペンションには絶対にあるはずの物を、部長さんは持っているのか……です」

 遠回しな言い方だが、安東にはその問いが何か、すでに予想がついていた。

 そして、どう答えようが、安東にとって絶対的に不利になるということも。

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