7-5 (作中作)

『落日の眩耀』(中編)


・・《二日前》・・

愛知県蒲郡市 県警管轄病院解剖室


「ドクター、司法解剖中に失礼するよ」

「いいえ、構いませんよ。でも、こんなところに。……捜査の指揮を執らなくてもよいのですか」

「いやね、先程所轄から愛知県警に、捜査権限が移行した。私は指揮権を剥奪されたよ」

「そうだったんですか……あっ警部補、この仏さんは高校生と聞きましたが」

「かわいそうに、3年生だよ」

「……はぁ……」

「死因は絞首による窒息死だろ。この手首やら、足首やらの鬱血は……、縛られてから首を絞められたということなのか?」

「はい。正確には縛られて、強姦された後に、首を絞められて殺されたのでしょうね」

「この顔つきからは、想像出来ないな……」

「そこなんですよ謎なのは。強姦ならば、膣口や膣壁に損傷があってしかるべきだが、それがない。手首、足首の他に目立った傷は見つからない。抵抗しなかったのか、綺麗なもんですよ」

「しかし、被害者ガイシャからはストーカー被害の届けが出ていたんだよなぁ」

「ストーカーですか……」

「誰かに見られているようだとか。証拠不十分で見送られたんだよ」

「でもね、確かに性交の跡はあるが、体液が残されていない。強姦者がゴムして犯すかなぁ?」


「お忙しいところ失礼します。鑑識からの報告で、被害者のアパートから盗聴器が見つかりました。ストーカーが仕掛けたのだと思われます」

「ああご苦労、直ぐに署に戻る。しかし、主任もちょっと見てくれないか。ガイ者の顔つきだがな……」

「……はい、苦しんだ様子がありませんね」

「そうなんだよ。抵抗した跡もない」

「……そのようですね……」

「なぜ、被害者は自宅を離れて、一人暮らしをしていたんだ?」

「母親が3年前に再婚をしておりまして、多感な時期だけに、被害者は同居を拒否したらしく。高校進学を機に、アパートを借りたと」

「そうだろうな、母親とはいえ女だ。一人暮らしの承諾はするだろうな。君も女性だから、そのへんの感覚は解るだろ」

「…………まぁ……」


「あぁそれで、犯行現場のアパートからは指紋は出たのか?」

「はい。被害者のものとは別の指紋がありました。特に、ベッドの周辺に密集していました」

「そうか、多分、犯人のものだろうな」

「その犯人なんですが意外なことに、義理の父親と指紋が一致しております」

「なに! 父親だと」

「はい」

「それで、義理の父親の身柄は確保できたのか」

「いえ、事件発生の夜から家には帰っておりません。逃亡しているのかと思われます。指名手配の方向で県警本部は動いています」


「では ストーカー行為をしていたのは、そいつなのか……」


・・《決して来ない時》・・

中に入るとそこには、床も壁も天井も全て漆喰で塗り尽くされた真っ白な、外観からは想像もできない程の『空間』が広がっていた。

透明感と奥行きのある光沢、これはイタリア漆喰、その中でもベネチアーノか。高級ホテルのロビーのようでもあり、美術館のようでもあった。

高い天井からは、無数の間接照明が、様々な角度から空間全体を照らし、演出された自然な光は、私の影さえ落とさない。


「白」の世界。


暫く見渡していると、背面からス~と風が入る気配を感じた。振り返ると、黒い喪服を着たスラっとした女が、ステンドグラスのドアの前に立っている。

白の中に浮かび上がる黒衣こくいの女。

山道のあの女だとすぐに気がついた。また、なにかを話している。口だけが微かに動く。同じ言葉を、ゆっくりと、何度も繰り返している。唇を読むと、「や… め …な… さ… い」。

止めなさいと動いているのが解った。

「なんのことだ」と問いかけても反応がない。いや、私の声そのものが出ていない。

女のように唇だけが動いている。

音のない世界なのか……


女は遠い目をしていた。

私を通り越した女の視線の先に目をやると、いつ現れたのか、奥の壁中央に大きな絵画が飾られており、その横に真っ黒なドアがある。

初めて見る絵ではない。

絵画の下には作品の題名が記されている。「決して来ない時」と書かれていた。

そうだ、絵画展で見たことがある。確かフランスの画家だ、バルテュスと言ったか。

バルテュスの絵には少女が描かれた作品が多い。なぜ少女を描き続けるのかについて、「それがまだ手つかずで純粋なものだから」と、答えたのが印象深く、記憶に残る。


「決して来ない時」

椅子に浅く腰掛けて片足を投げ出し、上半身を反り返らせるような、不自然なポーズで眠っている少女。その奥にいるもうひとりの少女は、大きな窓から遠くをただ見つめている。窓からうっすらと差し込む陽は、その絶妙な色彩により、観る角度で、朝陽にも夕陽にも想起させる。それは、観る者のその時の感情により、左右されるのであろう。


私には、夕陽にみえた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る