第2話 天野 礼子のこと
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放課後は嫌いだ。
クラスの掃除委員に多数決とはいえ殆んど強制的に任命された天野礼子は、曜日每決められた掃除担当者の、やり残した後片付けをするのが日課のようになっていた。クラスメイトは部活動があるからと言って、礼子に残りを押し付けるのだ。
部活動をしていない彼女は、楽しそうに向かうクラスメイトにひきつる頬を隠しながら、「行ってらっしゃい、頑張ってね」と無理やりの笑顔で見送る。そんな自分が嫌で堪らない。祖父母は二人とも御光(みひかり)の家で働いていたので、家事や夕食の支度は礼子の仕事なのだ。
その日も部活動で賑わうグラウンドの横を、下を向きながら足早に通り過ぎ自宅に向かう。ポツリと冷たい雫が額に落ちた。見上げると、秋晴れの空にいつしかどんよりとした分厚い雲が現れ、みるみるうちに辺りが暗くなりかけている。知らずと早足が駆け足になった。
息を切らし、玄関前でドア鍵をポケットから出しながら郵便受けを覗くと空であった。何時もこの時間には新聞の夕刊が差し込まれているのにそれが無い。おかしいなと思いながら引き戸に手を掛けるとカラカラとドアが動いた。祖母が早く帰ったのかしらと思いながら、ドアを開けて家に入ると人の気配は無かった。「ただいま、誰かいるの?」と声を掛けても返事はない。靴をぬぎ、三和土から八畳の居間に上がり隣の台所で手を洗う。うがいをしながら窓に目をやり裏庭を視ると、土塀脇の柿の木の下で祖父が倒れていた。慌てて勝手口から裏庭に出て「おじいちゃん 大丈夫!」と、側まで駆け寄り覗き見る。
「うっ!……」
そこには、喉にロープが差し込みダラリと舌を出し、淀んだ
思い返せば不思議なのだが、初めて見る人の死に顔、しかも尋常では無いその顔つきを見ても、後の対応は我ながら驚くほど冷静だった。
幼少から喜怒哀楽を表に出さない子であった。両親の顔は遺影でしか知らぬ、思い出もない。 幼稚園や保育園に通わなかった為、同じ年頃の子供と遊んだことがない。祖母に手を引かれ御光の家に行く。祖父母が仕事をしている最中は、鶏小屋や豚小屋の薄汚れた動物達を眺めたり、本堂の広い畳部屋で、ひとり絵本を見ながら過ごしていた。人との関わりが希薄だと目を合わせるのが怖くなり、いつしか下ばかり見るのが癖になった。たまに口角を上げぎこちない笑顔をみせるが、それは、不安を隠す本能的な対応術で心など無い。
小学校に入学すると、教育下積みの無い礼子は、他の子供達に学力で差をつけられた。人見知りでうまく皆の中に溶け込むことが出来ない為、教室ではいつもひとりぼっちでいた。容姿は二重で美人だが、無口で人相が暗く人を寄せ付けない雰囲気がある。いつしか男子生徒を中心に、「礼子のれいは ゆうれいのれいだ。ゆうれいが来た、ゆうれいが来た」と、虐められるようになった。
学力面では、二年生になる頃には他の生徒と大差がない程度まで回復したが、性格は変わらない為、虐めは続いていた。
そんな礼子にも楽しかった思い出がある。四年生の時に、父母参観日に初めて来てくれた祖母の目の前で、『わたしの家族』という作文を発表した際、他の親たちから自分と祖母に対し拍手を貰った。亡くなった両親に代わり、自分を一生懸命育ててくれている祖父母の様子を綴った作文だったが、教室にいた皆が感動してくれた。そのことがきっかけで、以降、虐めは日に日に少なくなって行った。
書く楽しみを見出だした礼子は、以後日記を毎日綴るようになる。書くことで今の自分と向き合うようになると、これ迄無意識に押さえられてきた感情が徐々に解き放たれ、日記の世界に没入していった。
五年生の時に『わたしの夢』という中学進学への憧れを書いた作文が、県のコンクールで入賞した時の感動は、何よりも自身の励みになった。しかし、中学に進学してからの現実は厳しく、いつしか日記を綴る手も止まってしまった。
警察の調べで自宅から遺書が発見され、祖父は自殺と判定された。
葬儀は御光の家の流儀にのっとり粛々と執り行われ、葬儀後、教祖である大原
「心配なことがあったら何でも相談に乗りますよ。遠慮せず修行に励んで下さい」
同席した光洋の息子
視線を逸らし、小さな声で「はい」とだけ答える。
礼子、十四歳の中秋であった。
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