大連旅行記   作・紫水街

 二〇十九年、春。ゴールデン・ウィークは忽然と消失した。


「D大学、行ってみない?」


 鶴(ボス)の一声により一週間の大連行きが決定したのは、同じ研究室の修士一年生……私を含む三人である。なんでも大学どうしの交流がどうのとかD大学のなんらかの記念がどうのとかで大会(要は交流会)らしきものが開かれるらしい。つまり何がおこなわれるかもよくわかっていないまま、我々は一路大連へ飛ぶことになったのである。日程はゴールデン・ウィークの初日から最終日まで。まあ学校のお金で旅行できると思えばいいか……。




 というわけで、大連での思い出をざっと記していく。


 ※これは新型コロナウイルス発生前の出来事です。それにしても、まさかこんなことになるとはね。






 *






 当日、誰も遅刻せず福岡空港に集合。このあたり普段所属している某サークルとは雲泥の差である。このサークル、ちょっと社会に適合できてない人が多すぎるな(棚上げ)。


 空港の吉野家で牛丼を食べて、日本食にさよならを告げる。まあ中国だしアジアだし、そこそこ馴染みのある料理も多い。アメリカやヨーロッパに行ったときみたいに日本食が恋しくなるようなことはないだろう。




 搭乗。飛行機に乗ってうとうとしていたらどうやら遅延していたらしく、ちっとも離陸しない。機内は薄暗く、雑音が飛び交っている。自分が起きているのか寝ているのかよくわからないような時間、飛行機に乗るとたまに訪れるこんな時間は割と嫌いではない。早起きしたしちょうどいいね、と心地よくうとうとしていた。




 うとうとしているうちに着いた。大連は近い。遼東半島に位置する、風光明媚な土地である。歴史の教科書では日露戦争で日本が租借した旅順・大連の括りで馴染みがあるかもしれない。飛行機の窓から見ると、まるでコピー&ペーストしたように同じ形の建物が立ち並んでいた。レゴブロックとかマインクラフトとかで作った街並み、と言えばイメージが伝わるだろうか。ミニチュア模型をそのまま拡大したみたいだ。


 遠くがかすんで見えるのは春霞……のはずもなく、砂埃とスモッグとその他諸々なんだろうな。風景が目に沁みるぜ(物理)。




 空港で待機していると、送迎バスという名のワンボックスカーがやってきた。ここからD大学まで送迎してもらい、昼食。今日の予定はそれでおしまい。ホテルでダラダラゴロゴロして、寝て起きたら開会式からの交流プログラムスタートだ。




 昼食時。レストランで凝っていない中華料理を食べた。煮込んだ鶏肉とか、青菜とか、そんなの。家庭料理って感じのやっぱりどこか馴染みのある味わいで、とはいえなんだかこう、本場中国で食べる中華料理には何かしら共通する味があるのだ。根底に、明らかに日本では食べ慣れていない何らかの味付けがある。あれは何の味なんだろうな。




 グラスに熱々のお湯を注がれた。びっくりしたが、別に嫌がらせではないらしい。生水を飲んではいけない=水道の水をそのまま出すのは危ないため、煮沸してあるよ、というのを示すための温度だそうで。ほへー。やっぱり水道の水をがぶ飲みできる日本が特殊なだけなんだな。




 ちなみにホテルは十何階建てのかなり大きな建物。二人部屋にしては広い。風呂はガラス張りで部屋の中からシャワーシーンが見えるようになっている。どうして?




 夜、近所のスーパーで酒を買って部屋で酒盛りをする。瓶の青島ビールが安くて薄くてうまい。日本の生ビールは濃くて苦くて実はけっこう苦手なので、海外の瓶ビールのほうが口に合う。あと中国の蒸留酒、白酒パイチュウを買って飲んでみたものの香りも味もとにかく強烈で、今まで飲んだ中で一番口に合わないお酒だった。二番目は紹興酒である。中国の料理は好きだけど酒は無理なのが多いな……むぅりぃ……ちなみにムゥリィは中国語で「牡蠣」です。




 テレビのチャンネルをかちかち回していると、ニュースとか抗日映画とかに混じって見覚えのある画面が流れてきた。みんなで笑った。NHKだ。なんで中国でNHK総合が映るんだ。近いからか? 受信料払ってるんだろうか。






 *






 今日からいよいよD大学へ。朝食はここの学食である。それなりに量がある。ここで我々はとても大事なことを学んだ。食べたことのない料理は、まず少量とって試すべきである(太字)と。




 列に並んで進んでいくと、いくつかの窪みがあるプレートに料理がどかどか盛られていく形式である。プレートの窪みに対して倍ほどの数の料理が並んでおり、好きなのを選んで壁の向こうのおばちゃんに「これとこれと……」と指さすとそれらをたっぷり掬って載せてくれる。プレートの窪みの数より多く指差すと、同じ窪みに二つ以上の料理が豪快に放り込まれることになる。つまり少量とって試すことなど初めから不可能だったわけだが……酢豚や青椒肉絲など見覚えのあるもの、見覚えはないがピリ辛でおいしいもの、そして当然ながら異様においしくないものもあり、その中でも特筆すべきは「何かのスープ」と「紫色の粥」であった。どちらも一切の味がない。塩味さえ。唯一、舌の奥になんだか覚えのある味が残ると思ったら、どうやら水道水を飲んだときわずかに感じるものと同質であった。塩素の味である。


 粥のほうは米を水道水で三日三晩ふやかしたような食感といい、端的に言うとゲロマズかった。


 洗礼である。




 そんな超ショック朝食から始まった一日だが、中国語の授業や大連の学生との交流会などなど、いろいろと充実していた。自分の名前を中国語読みできるようになったりした。紫水街は無理やりカタカナにするなら「ズー シュエイ ジェ」となる。というか紫水街、グーグルマップで探せば中国のどこかに実在してそうだな……。


(後日、実際に調べてみたら謎の運送会社が出てきた)




 D大学で日本語コースに在籍している学生たちが、日本から来た学生二人につき一人の割合で一緒に行動してくれる。通訳のようなことをしてくれるのだが、あまりにも流暢で驚いた。ほぼ問題なく話せている。中国語ナンモワカラン状態で突撃した自分が恥ずかしくなるほどだった。そろそろ日本に留学する予定らしく、なんというかエネルギッシュだなあ、と感嘆した。これがあの国力の源か。


 とはいえ通じないことも多いので、できるだけ簡単な日本語で、英単語を交えて会話することになる。だんだん自分の喋り方までもが片言に近づいていくのを感じる。




 一日の予定を終えて夜。スーパーに寄るとき道路を横断する必要があるのだが、その道路がかなり大きめの幹線道路らしく、恐ろしい量の車が行き交っている(もしかしたらここは幹線道路などではなくただの道路で、それでこの交通量なのかもしれない。そうだとしたらとんでもない)。常にどこかでプップーと鳴り響いている。数メートル走るごとに一回以上クラクションを鳴らさないと罰金みたいなノルマがあるのかもしれない。




 一日の終わりは酒盛りと相場が決まっている。白酒がいよいよおいしくないのでスーパーでスコッチを探してきた。あまりのおいしさに涙が出そうになった。これですよこれ。




 青島ビールは相変わらずおいしい。そして青島ビールというと高樹のぶ子の小説「甘苦上海」を思い出す。日経新聞で連載していて、私は若く、小学生か中学生か高校生かそのどれかであり、毎日のように新聞を読んでは母と感想を言い合っていたのだ。懐かしい、そしてもう二度とは還れぬ日々である。いや生きてますけどね。母。






 *






 朝は学食。料理のレパートリーは昨日と少し異なっている。巨大な大釜に入った青菜のスープがとても気になったので好奇心に負けて一杯注いでしまった。


 案の定、後悔した。昨日のスープも薄かったが、今日のこれは次元が違う。毎日具材も味付けも変わっているようだが、味付けはもしかして無味と塩素味の二択なのかもしれない。現地の学生さんに「それは無料のスープですよ」と言われた。なるほどね! 言われてみればそんな味がするというか味がしないというか。




 しかしここの学食、固形の料理にはどれもこれも野菜がたっぷり入っている。味もそこまで濃くないし、健康にはめちゃめちゃよさそうな気がしてきた。毎日一時には寝て七時に起き、三食野菜たっぷり、日中は適度な運動、夜はビールをグラスで二杯。ちょうど四月の健康診断で血圧が高めだったので生活習慣改善の必要に迫られていたところだが、困ったな、こんな生活を続けていたらどんどん健康になってしまう。




 今日は機械科の実習棟の見学をした。自分で引いた図面を実際に旋盤で加工して完成させるところまでおこなうらしく、旋盤やフライス盤などの工作機械がズラリと並んでいた。一台でもけっこう素敵なお値段するんだけどな……うちの大学には一台しかないやつが……こんなに……。教育にお金を使うのは大事。わかっていてもそれをここまで実行されると溜息しか出てこない。日本、もうちょっと頑張ってください。いや、自分も頑張るべきなんですが。それはそうなんですが。




 「朝は学食」と書いたが昼も学食だ。ちなみに夜も学食である。健康健康!




 夕食が終わり、解散し、夜はまたスーパーへ。交通量は相変わらず。そして通行人の数も大量だ。歩行者に道を譲っていたら車は永遠に先に進めないだろう。しかし車に譲っていたら、歩行者は永遠に道路を横断できない。無間地獄だ。いちおう横断歩道は存在するものの、信号が青になった瞬間に点滅を始め、あっという間に赤になる。尋常ではないスピードだ。そのうち青になる前に赤になる信号とか現れると思う。




 少し歩いたところに屋台が立ち並ぶ区画がある。特にお祭りをやっているわけではないはずだが、毎日こうなのだろう。せっかくなので立ち寄ってみた。肉のようなものをじゅうじゅう焼いており、旗には「面皮」と書いてある。調べたらまさかの湯葉だった。湯葉を甘辛く味付けして焼いてあるのだ。へえ!


 同様に「面筋」もあり、これも調べてみると麩だった。麩を甘辛く味付けして焼いてあるのだ。もしかしてこれらはヴィーガン用の食事なのだろうか。肉の食感とは違うが、いい感じに腹が膨れた。


 あと麻花も買った。これは長崎の中華街で見たことがある。「よりより」だ。おいしかった。




 五月一日。時差一時間のここではまだ四月三十日二十三時。


 NHK総合では元号が変わる瞬間を中継していた。平成の終わりに合わせて乾杯をした。さようなら平成。こんばんは令和。




 買っておいた青島ビールと大連ビールと台湾ビールを飲み比べてみた。どれも日本の生より薄くて飲みやすいことに変わりはないけど、大連ビールだけ苦味がやや強かったかな。やっぱり青島ビールが一番好きだ。






 *






 僕が通っている大学の食堂が出すスープは、向こうが透けて見えるティッシュ・ペーパーのように薄いことで評判だった。それよりも薄いスープというのを、僕は人生で初めて飲むことになった。ひどく透明だった。ひと抱えもある大きな鍋にはスープがなみなみと入っていて、それでも鍋の底はくっきりと見えていた。薄茶色のスープの中には申し訳程度の海藻と、それからスープになろうとしてなれなかった悲しみの残滓のようなものが漂っていた。


 朝食のスープが薄すぎてちょっと村上春樹みたいな文章になってしまった。なってないか。ごめんなさい。


「どうしてハズレだとわかっているのに毎日スープもお粥も食ってるんだ」


 友人が呆れたように言う。


「いつかおいしいスープや粥が出るかもしれないだろ。大連の思い出を薄いスープとまずい粥で固定するつもりか? 引かなきゃハズレは出ないけど、その代わりアタリも出ないんだぜ」


 この言葉は比較的早めに現実となった。


 今日の昼食である。


「味が……ある!」


 僕は叫んだ。水道水でもない。塩素でもない。スープの味だ。


 ちなみに具体的な味は覚えていない。味が「ある」のに衝撃を受け、実際どういった味だったかは味蕾から吹っ飛んでしまったのだ。


 でも、それでいい。BUMPも「カルマ」でこう歌っている。


数えた足跡など 気づけば数字でしかない


知らなきゃいけないことはどうやら1と0の間


 ってね。味さえあれば味なんてどうだっていいんですよ。何を言っているんだお前は。




 今日は3Dプリンタの体験実習だった。デーモンコアの形にしてチェレンコフ光体験キットを作ろうかと思ったが(半球の組み合わせなので大変モデリングしやすいのだ)さすがに不謹慎なので中止した。


 結局、鈴を作った。中空の球を半分に割ったようなお椀型をふたつ。中に小さな球を入れて貼り合わせる。簡単なようでいて案外難しい。3Dプリンタも相変わらずズラリと並んでいた。うちの大学では、研究室独自で持っているところはあるものの、こうやって授業で使うようなものは導入されていない。予算……。




 大学周辺にはいろいろお店がある。タピオカミルクティーを見つけたので迷わず注文した。女子大生なので。


 出来心で具材全部載せ、おまけにホットにしてみた。結果、ひと吸いすれば口の中にあたたかなタピオカとナタデココと小豆と仙草ゼリーとプリンとミルクティーが押し寄せてきてわやくちゃになった。おいしい……のか……?




 相変わらず水道水は飲んではいけない。ので、ありとあらゆる場面で飲料水入りのペットボトルが配られる。これが本当に事あるごとに配られるため消費が供給に追いつかず、ついにうがいをしたり果物を洗ったりするのにも飲料水を潤沢に使えるようになった。


 このペースなら最終日は飲料水でシャワーを浴びられるかもしれない。






 *






 大連滞在も折り返しを過ぎた。大学でのプログラムは今日で終わりだ。


 しかしいまだに中国語の四種類の発音さえおぼつかない。中国語を学習したことがある方には馴染みがあるであろう、マー→とマー⤵︎とマー⤴︎とマー↘︎みたいなやつだ。むっずかし〜!




 今日の朝食には蒸したヤムイモが置いてあった。味は甘さ控えめのサツマイモといった感じ。おいしかった。ヤムイモとかタロイモとか社会の教科書でしか見たことがなかったものを、こうやって食べる機会が来るとは。不思議な気持ちだ。




 午前中は会議室のような場所で講義を受けたのだが、どうも牛乳を拭いたあと三日放置した雑巾で丁寧に包んだ下痢みたいな匂いが漂ってくる。ずっと。しかも自分の足から。自分の足ってもしかしてこんな匂いだったのか……とショックを受けていたが、やがて原因が判明した。椅子の下にあったのだ。乳製品のパックと、そこから漏れ出した乳白色半固形の液体が。誰かが置き忘れ、そのままそこで腐敗したのだろう。僕は知らないうちに靴でそれを踏みつけていたのだ。そりゃあ臭うわ。僕は自分の嗅覚の鋭さに感服した。前述した比喩はほぼ正しかったのだ。後半まで正しくなくて本当によかった。




 その後、首筋が痒くて手で払ったら2センチ近い虫がいた。




 午後はバスに乗って大連にある企業の工場見学へ行ったが、乗ったバスがもう揺れる揺れる。路面の凹凸がダイレクトに背骨に伝わり奥歯を揺らす。路面が悪いのか運転が悪いのか太田が悪いのか。やがて原因は判明した。ガイドさん曰く、バスのダンパ(端的に言うと衝撃を吸収するやつ)が壊れているらしい。そりゃあ揺れるわ。




 腐った牛乳といい虫といい壊れたバスといい、どうにも今日は運が悪い。なんて思っていたが、どうやら最後だけは違った。




 バスは二台に分乗したのだが、もう一台については途中で故障し、高速で立ち往生していたという。もう片方のバスの帰りが遅いと思ったらそういう事情だった。こちらはガタガタ揺れながらも無事に帰り着いたわけだから、バスに関してだけは運がよかったのだ。このために運を蓄えていたのかもしれない。いや、運がいいほうでも故障はしているけれど。




 夜、ずっと通訳として付き添ってくれた学生に別れを告げた。秋には日本に留学するらしい。どの大学かはわからないけど、また会えるかもしれない。楽しみにしておく。




 今日で学食も最後だ。


 野菜は多い。量も多い。スープやお粥は相変わらず。この食事にも愛着が湧いてきたところなので、少し寂しい。




巡り逢ひて飯はそれでもわかめだけ雲隠れにしスープの具かな




 最後に和歌を載せて昔の随筆みたいにしようとするんじゃないよ。今更無理だろ。






 *






 いろいろあって疲れていたので、目を覚ましたら朝だった。いつ寝たのかも覚えていないし、眼鏡もかけたままだった。今日からは大学ではなく大連市内の観光だ。




 バスに乗ると、バスガイドさんはとんでもなく流暢な日本語を話す。海水浴場の近くを通っては「芋を洗うような」と言い出し、マンションが立ち並ぶ区画に差し掛かっては「億ション」と言い出し……日本人でもあまり使わないような単語がポンポン飛び出してきて、これがプロかと大変感服した。




 道沿いの樹木は、どれも下半分が白く塗られていた。ペンキだろうか。それとも防虫剤のようなものを塗布しているのだろうか。ガイドさんの答えは簡潔だった。


「ガードレールの代わりです」


 そんなことある????




 海水浴場で少しだけ自由時間があり、さすがに泳ぐわけにはいかないので大きな岩場によじ登って写真を撮ったりした。みんなで手を繋いでジャンプして写真とかいう青春ちっくなことをしたばっかりに、機種変して一週間のiPhone XRがポケットから飛び出してこの長い長い下り坂を転げ落ちていった。


 幸い、割れてはいなかった。




 他にもいろいろ巡ったが、急ぎ足だったので疲れてしまった。たまにセグウェイですいすい移動している人を見かけたが、本気で欲しくなった。いいなあ、転んだら痛そうだけども。




 夜。大きなデパートの中をいろいろと見て回る。


 その場で果物を絞ってジュースにしてくれる店とヴィレヴァンみたいな謎の雑貨店、このふたつが異様に多い。どの階にもある。どうして……?




 学食ばかりだったが、ここに来てようやく外食である。店で日本で言うところの肉うどんを頼んだら、とてもシンプルでおいしかった。卓上には花椒とかミントを漬け込んで黒ずんだ油のような調味料があったので、ええいままよ、とどばどば入れてみたら絶望的に刺激的な味わいになった。まだ舌が麻痺している。




 怪しげな屋台の土産物屋で鎌と槌がデザインされた超安物の懐中時計を買った。共産党支持の友人へのお土産にしようと思う。




 中国も日本もゲーセンの雰囲気は一緒だ。ダンスダンスレボリューションとjubeatを見つけた。さすがにプレイはしなかった。




 いろいろな店に入って冷やかして回ったけど、ちょいちょい日本の製品があった。主に「明らかなパチモン(パッケージは中国語)」「日本で見たことあるからたぶん海外展開製品(パッケージは中国語)」「日本で並んでるのと同じ (パッケージも当然日本語)」の三つに分類されている。明らかなパチモンについては正直面白さが勝つ。顔面が崩壊したドラえもんとか。




 大連最後の宿泊である。


 ホテルに戻り、初日に買って放置していた白酒をなんとかかんとか飲み干した。もう二度と飲むことはないだろう。






 *






 一瞬で過ぎ去った一週間だった。




 ボスに言われて半ば強制の大連突入だったが、蓋を開けてみれば実に楽しい交流だった(ここにはあまり詳しい交流の内容を載せていないけれど実際はいろいろやっていろいろ仲良くなったのだ)。中国語も微妙に読めるようになってきたのに。あまりの風の強さに閉めた窓の隙間から轟々と風が吹き込んでくる大連にもようやく慣れてきたのに。楽しい時間はあっという間だ。




 ホテルを引き払い、空港へ。飛行機に乗ると、一瞬で故郷である。


 空港で麻薬探知犬にあちこちフンスフンスされた。どうやら新米犬らしく、隣でいろいろ指示している人の言うことを一切聞かずにいろいろな人をフンフンしていた。大変かわいらしかった。




 帰国して落ち着いてから、お土産を渡して回った。例の懐中時計とか、麻婆豆腐味のプリッツとか、謎のお菓子とか。


 研究室の他の人々には現地で買った火鍋の素を。研究室で鍋でもやるとき使おうという算段だ。ちなみに、中国からの留学生はそれを見て顔を顰めていた。


「僕はそれ食べられないヨ。辛いの苦手だから」


 僕の知る限り、その留学生は辛いものをまったく苦手としていない。日本の辛さは生温い、と言っていたのも記憶している。それがパッケージを見ただけで拒絶するとは。もしかしてかなりヤバい部類のやつを買ってしまったのではないだろうか。






 後日、研究室で火鍋パーティが催された。










 死ぬかと思った。

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