うだつの上がらない国語教師ツノダと女子生徒の絵 作・保井海佑
辺鄙な田舎の高校でうだつの上がらない国語教師をしているツノダが、普段通り、チャイムが鳴って五分後に教室へ入ると、大胆な色使いと繊細なタッチの絵が、でかでかと黒板に描かれてあるのを発見した。うだつの上がらない国語教師としてこの高校に着任して今年で一〇年となるツノダにとっては、取り立てて珍しくもない光景である。生徒とは、一般に、大胆な色使いと繊細なタッチで黒板に絵を描く習性を持つ生き物だからだ。
ツノダはうだつの上がらない一介の国語教師であるから、絵の美的センスはないに等しい。ツノダに絵の批評はできない。それゆえツノダは黒板の絵を一瞥するや否や、一言の感想すらも述べることなく、黒板消しを手にしてさらさらと絵を消していった。
悲鳴が上がった。
うだつの上がらない国語教師を一〇年もやっているツノダにとって、悲鳴とは日常のBGMにすぎない。生徒とは、概して、悲鳴を上げがちな生き物だ。
うだつの上がらない国語教師のツノダは、黒板をすっかり綺麗にしてから悠々と生徒たちのほうを振り返った。すると大勢の生徒たちがツノダを睨みつけている。一人の女子生徒に至っては、さめざめと涙を流している。
うだつの上がらない国語教師にすぎぬツノダは、ここでようやく気づく。知る。
黒板に描いてあった絵は、自らに向けて描かれた絵だったのだ、と。
うだつの上がらない国語教師としての役割を果たすべく、ツノダは、忙しく脳みそを働かせる。計算する。推理する。そしてツノダはたった一つの真実を見抜く。真理に辿り着く。いま涙を流している女子生徒こそが、絵を描いた張本人だったのだ。彼女はうだつの上がらない国語教師に対して、大胆な色使いと繊細なタッチの絵をプレゼントをした。うだつの上がらない国語教師としてこの高校に勤務して今年で一〇周年となるツノダを祝う、ささやかな贈り物のつもりだったのだろう。しかしうだつの上がらない国語教師は、彼女の絵を無残にも消去してしまう。除去してしまう。女子生徒は悲しむ。泣く。
かくしてうだつの上がらない国語教師はいま、教師人生最大の試練を迎えることとなった。
ツノダは真っ白なチョークを手にし、黒板に向かった。
うだつの上がらない国語教師にできることと言えば、絵を消してしまったことの言い訳を考えることでも、女子生徒に許しを請うことでもなかった。所詮うだつの上がらない国語教師に、そんなことはできない。できるはずがない。
ツノダにできる唯一のことは、黒板に、詩を書くことだった。
絵に対する返礼として、詩を詠む。書く。
うだつの上がらない国語教師たるツノダは、大学入試出題範囲の古文と漢文と現代文の知見を活かして、この場を納得されられるだけのクオリティを放つ詩をアドリブで作らねばならない。即興で作り込まねばならない。
もし、それを成し遂げられたならば、ツノダはうだつの上がらない国語教師から、うだつの上がる国語教師へと昇格することになるだろう。
もし、それを成し遂げられなかったならば、ツノダはうだつの上がらない国語教師として、一生を終えることになるだろう。
女子生徒の泣き声を作業用BGMとして、ツノダはいま、世界最強の詩の制作に取り掛かろうとしていた。
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