第3夜

 ロビーの戦況は、終局に向かおうとしている。


 暴徒達が部下の手によって次々と捕縛されていくのを見ながら、ブレドルフは何かがおかしいと感じていた。


 クラヴェルの御仕え達の力もあり、暴徒達の鎮圧は程なくして完遂するだろう。


 暴徒一人一人の力は決して強いとは言えない。


 その上武器も性能が良いとはお世辞にも言えなく、剣や棍棒を振り回す中で、銃器を扱っているのはたった一握りだった。


 そしてそれらは、封印がかけられた扉を破壊できる武力にはとうてい及ばない様に見えた。


 封印を施した術士の力量にも寄るが、その力を破るには同じ力を持った封印術士が解除するか、異世界からの力である御仕えが破壊するしか、方法はほぼないとされている。


 現にブレドルフは行方知れずとなったアレックスの施した封印が、あまたの銃撃に耐えるのを実際に見ている。


 御仕みつかえの攻撃と同等のエネルギーがあれば人間にも封印の破壊は可能だそうだが、暴徒達はそれを可能とする武器、もしくは兵器を所持している様には見えなかった。


「……何だ、この胸騒ぎは……」


 ブレドルフは戦況を見つめ、下唇を噛んだ。




 クラヴェルは御仕え達が戦う姿を見ながら、ただ息を吐いていた。やけに体が重く感じる。


主君しゅくん!」


「うわっとぉ!?」


 どこからか飛んできたナイフを弾き飛ばした十太の後ろで、その主人は尻餅をついた。


「主君、ご無事で」


「おう、ありがとう……あれ」


 十太が差し出した手を握り返したクラヴェルだったが、立ち上がろうとして足腰に力が入らない事に首を傾げる。


 十太が見る主人の顔は、僅かに青ざめていて、血の気が引いている様に見えた。


「主君。主君の体力では、三人を同時に操るのはここが限界です。あの二人を帰還させてください」


 真に迫った表情の十太に言われて、クラヴェルは、御仕みつかえの活動時間の制約は召喚士の肉体的付加となって顕れる、という御仕え召喚においての基本を思い出した。


「そう、だな……。くそっ、私ってこんなに体力無かったのか」


 自分の情けない体に悪態を吐きながら、クラヴェルは再び十太に手を借りて、おぼつかない足取りで立ち上がった。


 ロビーに目を向け、暴漢の一人を足蹴にして空中へ飛び上がったリュウを見つけて、数珠を構えて印を結ぶ。


「〈たけたたかいを知る烈火れっかの魔術士〉、ヘルクライルの扉を開け、彼の地へと還れ。〈リュウ・ミレトラー〉!」


 滞空時間を過ごしているリュウの下方に、重厚な鉄の扉が現れる。その意味を察したリュウは、重力に従って扉に落ちていきながら最後の足掻きを見せた。


「おいっ、ちょっと待て、俺はまだ暴れたりな――」


 言い終わる前にその姿が中へと消えて、扉が閉まった。そしてそれはバシッという雷光の様な音と共に、跡形も無く消える。


 リュウが足蹴にした暴漢が、軍人の手によって拘束されている。


 戦況を見る限りもう一人帰還させても大丈夫だろう。


 クラヴェルが再び数珠を構えた時だった。


「危ない!」


 声が飛んできたその瞬間、クラヴェル目がけて瓦礫が襲いかかった。


 とっさにぎゅっと目をつぶった妹をルシエルが背中に庇うと、彼女の眼前から青い光が広がっていく。破られた扉を覆った光と同じものだ。封印術。


 光は彼女の眼前から瞬時に広がっていき、ルシエルとクラヴェルを中心に球を作った。


 瓦礫が半透明の青い壁に阻まれて、その場に落下する。


結界封印けっかいふういんだなんて、父さんが見たらなんて言うだろうな」


『結界封印』は封印術の一種だ。


 物質そのものに封印をかけるのとは違い、目の前の空間に所謂『バリア』を張る術であり、本来封印術の修行をしていない者がほいほいと使いこなせる様な術では無い。


 背後でニヤリと笑った妹に、ルシエルは訳も分からず返す言葉が無い。


 使おうと思って使っている訳では無いのだ。第一、使えても自由に解けなければそれは不便にしかならない。この壁、どうやったら消せるの?


 すると戦場の間を縫うように、這ってくる様な不気味な低音が聞こえてきた。


「見ぃぃいつけたぁ」


 姉妹は現れた声の主を見る。


 ボサボサに伸びきった、汚らしくくすんだ金髪。


 筋骨逞しい肉体を包む白いシャツとサバイバルパンツは薄汚れ、太い両腕に巻かれた鎖が、他の暴徒との違和感を醸し出している。


「あの扉を封印した術士、どこにいるのかと思ってたんだよなあ。どうもこいつらの中にはいなさそうだし」


 そう言いながら、男は下卑げびた笑いを浮かべて足下に転がる軍人を蹴飛ばした。彼が僅かに呻いたのがクラヴェルの耳に聞こえてくる。


「まさか術士がこんなお嬢ちゃんだったとはな。こんな子供まで戦場に駆り出すとは、やっぱりイカれてるよ、この国は」


 そう言ってゆっくりとした足取りで近づいてきた男は、鎖の巻き付いた左の拳でルシエルの結界封印を叩き割った。


「え――」


 ガラスの様に砕け散った封印の破片を、ルシエルが呆気にとられて見ている。


 そして眼前に迫る拳がその顔を捉えようとした瞬間、間一髪で十太が姉妹二人を引っ掴んで大きく後ろに下がった。 


「逃がさねぇ……!」


 男はその巨体からは考えられない俊敏さで、姉妹を抱えた十太に追いすがる。クラヴェルの顔ほどもある拳を再び振り上げた。


 ここだ。


 飛びかかるようにして大きく踏み切った男は、自分の腹の下に何者かが滑り込んでいたのに気づかなかった。


「逃がさないは、こっちのセリフさ」


 ロビーの床に背を預けたシノが両手で構えた、銀の小銃が火を噴く。


 男は勢いを殺されて、十太に追いつけないまま床を転がった。


 颯爽と立ち上がったシノは、小銃を両手で巧みにくるくると回転させてもてあそんでいる。


 銃は彼の頭上で二つに分かれ、銀のトンファーに戻った。彼はそれを隙無く構える。


 銃弾に捉えられた右肩を押さえながら、男は再び立ち上がった。左手の下から血がボタボタと流れ出している。


「いい腕……とは言い切れねぇな、小綺麗な面した兄ちゃんよお。銃弾は一発で“ここ”に当てるもんだぜ」


 武器を構えてもなお、優美な笑顔を崩さないシノに、男は自分の眉間をトントンと叩いて見せた。シノが答える。


生憎あいにく、『殺せ』との命令は受けてないものでね。子供にそんな命令をさせる趣味も無い」


 シノの言葉に、男の視線が奥にいる三人に走る。封印術士のガキ。変な格好をした男に、もう一人のちっこいガキ。


「……ははぁ。お前が〈御仕みつかえ〉か。契約者はあの、ちっこいガキだな」


「どうかな」


 二人はにらみ合い、やがて先に男が動いた。


 鎖の絡んだ左腕を、棍棒のように振り下ろす。


 シノは腰を落とし、トンファーを十字にして衝撃を受けきった。



 二人の攻防とは離れた所で、クラヴェルは立ちくらみを覚えて膝を折った。ルシエルがとっさに支える。


「クラヴェル、どうしたの!?」


「主君、このままでは主君のお体がどうなるか判りません。ラフェクラスの帰還を。主君とルシエル様は、私が守ります」


 そう言って刀を抜いた十太だったが、クラヴェルは鎖男と渡り合うシノを見、周囲に目を走らせる。


「……〈主君しゅくんたっと忠誠ちゅうせいの魔術士〉」


「主君!?」


 呪文を聞いて十太は狼狽する。無視してクラヴェルは続きを唱えた。


「オサクニの扉を開け、彼の地へと還れ。〈下国十太〉」


「主君、駄目です! 私は、主君を……」


 十太の前に雷が落ち、重厚な鉄の扉が現れる。扉が開き、クラヴェルは十太に笑顔を向けた。


「十太、私はお前と同じくらい、シノの事も信じるぞ。私を信じろ」


 十太が扉に吸い込まれ、閉まり、消えた。

 



「……来た!」


 シノと打ち合っていた鎖男は、十太が消えたのを見計らって、標的をクラヴェルに変えた。


 先ほどの瞬発力で、打撃を繰り出すシノを躱してルシエルとクラヴェルに差し迫る。


 召喚術士を殺すのが最優先だが、封印術士も一緒に殺れるとは運が良い。


「……させないよっ」


 シノが追ってくるが鎖男は脇目も振らずに姉妹へと走る。


 肩で息をするクラヴェル。再び妹を背中に守ろうとするルシエル。


 鎖男の振りかぶった拳が彼女に届こうとした刹那に、彼女と男の間にブレドルフが入り、構えていた拳銃をためらいなく連射した。


「中佐!」


「ルシエル、結界だ!」


 ブレドルフが叫ぶように言い、ルシエルは先ほどの感覚を思い出して結界封印を張ろうとする。


 しかし、目の前には円鏡の様な小さい結界しか出来なかった。先ほどの様に、それ以上の広がりを見せない。


「――えっ、あれっ!? どうして……!」


「がはははは! なんだ、妙に若い術士だとは思っていたが、嬢ちゃんはまだ封印術を使いこなせてねぇな!」


 高笑した鎖男が、その鉄の拳をブレドルフの顔もろとも小さな結界に叩きつける。


 彼は血を流して倒れ、結界が再び跡形も無く粉々に破壊された。


「そんな……中佐!」


 姉妹がブレドルフに駆け寄って助け起こそうとする。


 鼻血を抑えながらやっとの思いで半身を起こした彼は、嗜虐の喜びを噛みしめて立ちはだかる鎖男を見上げて言った。


「〈封印術〉を使って〈封印術〉を壊す者……。お前、破壊者サバーだな!」


「封印術を使って……封印術を壊す……!?」


 ルシエルの呟く様な問いに、ブレドルフは答える。


「封印の内側に封印を作り、それを爆弾の様に破裂させる事で封印を破壊する手口だ」


 男は再び笑った。


「ご名答! 軍の術士もよく研究してくれているらしいな。“封印術士は全てを守る”なんて、ちゃんちゃらおかしいにも程があるぜ」


 その言葉に、ルシエルの幼い頃の記憶が蘇った。



 *


 とうさん、怖いゆめを見たの。


「そうか、そりゃ眠れないなあ。おいで」

 えへへ、あったかい。


「怖い夢なんて父さんが封じ込めてやる」

 ……ふういんじゅつ?


「おっ、よく知ってるな、ルシエル。待て、もしかしてお前、天才じゃないのか?」

 ん~? わかんない。


「いいか、封印術は、皆を守る力だ。怖いものを封じ込めて、みんなを守る事ができるんだ」

 ……おばけも?


「もちろんおばけもだ。見てろ、これからルシエルの夢の中に入って、お前を怖がらせたおばけを封印してきてやるからな!」


 ほんとう? とうさん、すごい! とうさん、大好き! 


 *


 次の瞬間、ルシエルの木刀が繰り出した突きが、両腕を振り上げて攻撃態勢を見せていた男の顔に突き込まれた。


 鎖男がバランスを失って後方に倒れる。倒れた男に向けて、ルシエルが断固とした声で言った。


「守るための封印術を、破壊に使うなんて許せない!」


 ルシエルの木刀が、仄かに青く輝き出す。


 まるで彼女の思いが、記憶が、そこに伝わっていく様だった。


「くっそがぁぁ、ガキが調子に乗るんじゃねぇ!」


 そう吠えて起き上がった男が、遮二無二ルシエルに飛びかかろうとする。


 ブレドルフが彼女の名を呼び、クラヴェルは声を振り絞ってシノに命令を出した。


「ルシエル!」

「シノ、ルシエルに力を貸せ!」


 ルシエルは青白く光る木刀を構え、飛びかかってきた男の手を次々に打った。


 すると男の手が結界封印で包まれ、鎖男は腕を宙づりにされてその場から動けなくなる。


「なんだ、こりゃあ!?」


 宙づりになっている自分の手を見上げ、男が叫ぶ。


 次の瞬間、シノが男の後頭部にトンファーを思い切り振り下ろした。


 鎖男は腕から宙に吊られたまま、かくんと意識を手放した。 

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