十六夜

おべん・チャラー

第1夜

1

 そこは、農家と牧草地の他には古くて小さい教会があるだけの、のんびりとした村だった。


 村の奥に森を背景として古い屋敷がたたずんでいる。


 以前の家主の金持ち一家が没落して売り払われ、その後ろくに手入れもされなかったという代物だった。


 雨風も強くない穏やかな気候の地域でそのまま時が過ぎ去るばかりだったせいで、昨今の建築物の主流が骨組みとコンクリートとなっていても尚、建てられたばかりの木造建築の姿を貫いている。


 年数が経っているせいで古めかしく不気味な印象もある屋敷に新しい家主が移り住んできたのは、十年前の事だ。


 一家の大黒柱は、アレックスという名の男。その妻はジョルディーヌという美しい女性。



 そしてその二人には子供達がいた。




「今日はどこら辺にいるんだろうね、父さん達」


 昼食を食べ終わった姉、ルシエルは、妹、クラヴェルの分まで食器を片付けながら言った。


 心配性なルシエルがこんな事を口に出すのは、特段珍しいことでも無い。ただ、この日は少し、いつもよりそわそわした、落ち着かない感じだった。


 姉に答えてクラヴェルが、

「そーだなぁ、南の島あたり?」


 そう気楽に言い、「判るの?」と姉が訊けば「うんにゃ。ただ何となく」と答える。それがいつもの姉妹のやりとりだった。


 姉、ルシエル、十五歳。妹、クラヴェル、十歳。冒険好きの父と、常にスリルとサスペンスを求める性格の母、そんな夫婦の間に生まれた二人だけの姉妹だ。


 父の様な金色の髪が平凡である村で、二人とも母親譲りの真っ黒い髪を持ち、似ている所はそれ以外皆無と言って良い二人だった。その黒髪も、姉はセミロングに、妹はショートヘアに、思い思いに整えている。


 姉妹の両親は軍隊に所属していて、あまり屋敷に戻ることは無い。つい最近では軍の遠征に行くと言って、もう三年も帰ってきていなかった。


 屋敷は広いが、生活の維持はなんとなく二人だけでできている。特段シッターなどを雇っている訳でも無いし、昔から定期的に軍の関係者も様子を見に来てくれる。


 二人にとってはそんな生活は疑いようも無い『普通の生活』で、特別な不満があるわけでもない。


 しかし、生活には無いからといって『不満』が無いわけでもない。


「じゃあ、いってきます」


 二人分の食器を片付けた姉・ルシエルが、コートを羽織りながら妹に告げる。


 その様子を見てクラヴェルはいつものことながら、呆れ半分に言った。


「何、今日も教会に行くの? よく飽きないね」


 この村には恐ろしく何も無い。特産品や有名なものなど特に無く、遊びといったら落ちた小枝片手に追いかけっこするのが関の山。


 これこそ、クラヴェルの不満。


 遊ぶところは何も無く、ただ生きているだけの生活なんて、嫌いだった。


 こんな生活は自分には似合わないと、彼女は常日頃からそう思っていた。自分の中に脈打つ母親の血が、自身にそれを感じさせる。


 しかし姉のルシエルは、妹とは正反対にこの村が、この生まれた土地が好きだった。


 小さい子供は草原一杯を走り回り、自身も青い草原に寝転んでは手足を伸ばす。


 そんなゆったりした、生きていることがこんなにも素晴らしいと思える生活が、大好きだった。


 だから彼女は、村に一つだけある教会で、神に祈りを捧げるのだ。


 明日も次もその次の日も、これから訪れる日全てが平穏で、素晴らしい一日でありますように、と。


 妹の問いに、ルシエルは笑んで答える。


「うん。世界平和、家内安全、旅業大安」


「旅業大安って、父さん達の?」クラヴェルがまた訊き、ルシエルは頷いて答える。


 クラヴェルが食卓の席を立って肩を竦めた。


「別に私達が祈らなくても、軍人は危険な旅で我が身を守る方法をこの村の誰より知ってるよ」


 そう言って、隣の部屋にあるソファにどかっと座る。置いてあった読みかけの本を開いて、どこか偉そうに足を組んで読み出した。


 そんな妹の言い草にルシエルがむっとするのもいつものことだ。言い返そうと口を開いて、ふと妹が手にする本に気がついた。


「あれ、クラヴェル、それ、母さんの本じゃない」


「あ、ばれた? 読む本が無かったんで、母さんの研究室から少々拝借を」


 背もたれに肩を預けてニヤリと笑う妹がこれ見よがしに見せびらかした表紙には、『召喚術のメカニズム』というタイトルが煌びやかに踊っていた。


 若干十歳の少女の選ぶ読み物としては、些かごつすぎる。


 物心ついた時から妹は本の虫で、それも同い年の少年少女が好む冒険譚やロマンスものの小説よりも、小難しい学術書などが好きだった。


 何が面白いのかルシエルにはさっぱり分からないが、『分からない事象が分かる様になる』という快感はクラヴェルを惹きつけてやまないらしい。


 それにしても、次は召喚術と来たか。


 両親が軍属――それも召喚術士と封印術士である事から、ルシエルもぼんやりとは召喚術について理解はしている。


 この世ならざる者を呼び出し、使役する術だ。


 そんな恐ろしい術を母が使っている事に幼い頃はショックを覚えたものだが、今はその道を進んでくれた母がいるから、自分たちの生活も成り立っている、と深くは考えない様にしている。


 ルシエルにとっては父の『封印術』――あらゆるものに封印を施し、他者を護る術――の方が、なんとなく好きだった。


 屋敷は一家四人が暮らすとしても十分に広い。


 ここに移り住んだ時、一階にサロンが二つもあり、その内の広い方を両親が書庫に改造して自分たちの所有する膨大な書物を収めた。


 姉妹には広すぎる玄関ホールから伸びている階段を二階に上がると、昔は客室として使われていたであろう部屋が八つあり、それぞれ一部屋を寝室として使っている。


 それ以外に両親は二階に研究室を作り、越してきたばかりの時はよくそれぞれ籠もって術の研究に励んでいたものである。


 本当は研究室と書庫はもっと近くに作りたかったそうだが、蔵書の重みで床が抜ける事を懸念して書庫だけ一階になった。


 両親の不在で今は使われなくなった研究室に、たまに妹が出入りしているのは知っていたが、まさか本漁りをしていたなんて。


 ルシエルが呆れて訊いた。


「なんで召喚術の本なんて。この間中佐が買ってくれた、海洋冒険記があるでしょう」


 中佐とは、軍においての両親の上官であり親友でもあった。アーフ・ブレドルフの事だった。


 若くして戦績を上げた出世株であり、親友が不在のこの家に、定期的に二人の様子を見に来てくれる、二人にとっては兄の様な存在だ。


「つまらんかった」


 クラヴェルはにべもなくそう言い捨てて読書に戻る。


 家に様子は見に来ると言っても、あちらも忙しい身。


 妹分の読書傾向なんて分かるはずもなく、昨今少年少女の間で大人気だという冒険物語は、彼女の心を射止めなかったらしい。


 ため息を吐いたルシエルは、準備を整えるため自室に上がる。程なくして下りてきた彼女は、いつもの木刀を帯袋に入れて背負っていた。


「じゃあ、行ってくるね。ついでに兄弟に稽古付けて貰ってくる」


『兄弟』とは彼女が熱心に通う教会の司祭の息子の事だ。


 ルシエルがお祈り後の軽い運動のつもりで始めた剣術は、先生が良かったのか彼女の努力と才能のお陰なのか近頃めきめき腕をあげているという。


 クラヴェルは本に目を落としたまま、振り返らずに手をひらひらとさせる。妹の無言の「いってらっしゃい」だ。


 ルシエルがそれを見てむっとした時、屋敷のドアがノックされた。


 ――コンコン。


「あれ、誰だろ。――はぁい」


 ルシエルが応えて両開きの玄関扉に近づき、右の扉を何の疑いも無く開いた。


 開いた隙間から、見知らぬ男がルシエルを見下ろしていた。


「安全確認はしっかりしないとダメだよぉ、嬢ちゃん」

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