将来の夢

弱腰ペンギン

将来の夢


「ぼくの将来の夢は、おいしゃさんになることです! おいしゃさんになりたい理由は、いろんなおっぱいがみれるからです!」

 その瞬間、教室がザワついた。

 小学生の将来の夢。それがお医者さんというところまではよかった。だが、理由が問題視されたのだ。

「おいしゃさんは、いろんなひとのいろんなおっぱいをさわりほうだいだからです!」

 つい先日、少年の語るソレが原因で医者が逮捕されたばかりだったのだ。

「ぼくもおいしゃさんになって、いっぱいおっぱいをさわりたいです!」

「っちょ、ちょっと待ってくれるかな、たかし君」

「なんですか先生!」

「元気いっぱいなのはいいことなんだけど、お医者さんになりたい理由がちょっとあの、ソレなんだけどね?」

「はい! いっぱいさわって、みて、ぜったいに病気をみつけます!」

 再び教室がザワついた。

 少年の純真なまなざしは、おそらく医者を志す者ならだれでも抱くであろう、希望の輝きに満ちているように思えたからだ。ちなみに授業参観に来ている親の目はすべからく曇っている。

「ぼくは、おっぱいの病気を、絶対になくします!」

「た、たかし君……」

 しかし、この中で一人。たかしの担任である富士恵子(27歳独身 彼氏いない歴年齢)は知っていた。

 触診ごっこと称し、女の子のおっぱいを触りたがるのを。

 そして自身のおっぱいを、いつも鷹のような目で狙っていることも。

「き、気持ちはぁ、立派、なのよね。でもその、手続きとかいろいろあるし、障害も多……」

「先生! おっぱい王に、ぼくはなる!」

 ここで保護者から拍手が巻き起こった。中には涙を流しているものすらいる。

 ちなみにたかし君のご両親は逃げ出していた。

「おっぱい王にはならなくていいんです。お医者様になりましょう。ね?」

 この時点で、恵子はミスに気が付いた。医者になることを、容認する発言をしてしまっている!

 しまったと思った時には遅かった。たかし君の目が、獲物を捕らえる前の猛禽類のように鋭くなった。

「はい! おいしゃさんに、なります!」

 そして堂々とおっぱいを揉むのだと。そう宣言するかのように、たかし君は胸を張っていた。

 恵子は動揺していた。しかし、ここで引いてはならないことも知っていた。

 この子を正しく導くには、いや間違いであると認識させるだけでもいいのだが、そのためには今、この場でしっかりと認識させねばならないということを。

「たかし君。いいですか。女性のおっぱいを無理やり揉んではいけないんですよ?」

「はい、ちりょうのいっかんです!」

「ち、治療でもしちゃいけないことがあるの」

「はい、かくにんをとります!」

「確認をとってもダメなことがあるのよ? 特に人のデリケートなところなんかはね?」

「はい、さいだいげん、はいりょします!」

 恵子はこの時点で違和感に気づき始めた。

 おかしい。

 してはならぬことを伝えているはずなのだ。なのに「いかにして許可を得るか」という方向にシフトしていっている。

 許可を得てもならぬものはならぬのだ。そう伝えているはずなのに。

「え、えっと?」

 いかにしたらこの子を説得できるのか。そう思い悩んでいることが間違いだと気が付いたのは、たかし君の目を、直視したときだった。

 この子……入念に準備してきている!

 恵子が気が付いた時にはたかし君のご両親は不在。最初の頃には教室にいるのを確認していたので、たかし君がスピーチを始めた段階で教室から出ていったのだ。

 なぜだろうか。答えは一つだった。

『こ、この子……両親を巻き込んだなッ!』

 たかしが、にやりと笑った。

『先生のはんろんは、すべてよしゅうずみだ。ぼくはいしゃになって、おっぱいをもむ。それはけっていじこうなんだ!』

『っく。あり得ない。小学生が……ましてや10歳に満たない子がこんな準備をしているなんて!』

『ありえないということはありえないんだよ。先生、べんきょうになって、よかったね!』

 この間、僅か10秒である。

 二人は黙って見つめあい、まるで仇敵同士のように、視線だけで会話をしていた。

「で、でもねたかし君。病院には男の人も女の人も、おじいちゃんおばあちゃんだって来るのよ? みんな平等に——」

 悪手である。

 ここで話題は完全に「やっていはいけないこと」からシフトしてしまった。

 すでにやることが決定。そして、その際の心構えに移行。つまり。

『かった!』

 たかし君の勝利である。本来であれば、の話だが。

「はい! いろんなひとのびょうきをみつけることが、ぼくのもくひょうです!」

 これが、引き出したかった言葉であった。

「そう……婦人科ではなく、普通科の、お医者さんなのね?」

 こんどは恵子が笑った。たかし君は自らの悪手に気づかない。勝利を確信し、死地に足を踏み入れていることを、まだ知らない。

「はい! りっぱなおいしゃさんです!」

「そうね、よくわかりました。たかし君は男性も女性も平等に、病気を発見し治療する立派なお医者様になるんですね?」

 たかし、気づく!

 驚愕し、足が震えだす。

この僕がハメられただと……そんなまさかあり得なえい!

 そういった表情で恵子を見つめる。恵子は無言で『甘いのよ』と見つめ返す。

「っく」

 たかし君は力を無くし、倒れこむように椅子に座った。その様子は保護者らには「懸命に自らの夢を語り、疲れてしまった少年」に映った。

『いつか……ぜったいにみとめさせてやる!』

 この日を境に、たかし君の挑戦は、始まった。

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