第6話 天(アマ)駆ける豊穣の姫

「私を妻にしてください」


真剣な眼差しでこちらを見上げる少女。

まだ十になったばかりのその子は

いっぱしの顔をしてそう言った。


俺様は二十歳で、気ままな流人生活を楽しんでいた。

ぶらぶらと時間を潰し、佐々木の兄弟達とつるんで悪さする。


その辺りの女に声をかけ、一時の快楽を求め楽しむ。

女など、よりどりみどり。


高いプライドを持ちながら、

ただ無駄な毎日を繰り返す生殺しの刑に処され、

正直、俺は鬱屈していた。


だから言った。


「いいとも」


なぁにが、いいとも、だ。

俺様、いいとも、よりとも様。


結婚する気などなかった。

こんな片田舎の小豪族の娘となど。


どうせなら、

父と同じように三浦か千葉の娘を側室に

鹿島神宮か諏訪大社の姫を。

そのくらいじゃなければ釣り合わない。


絶対、都に返り咲いてやる。

そう思っていた俺にやっと巡ってきたチャンス。

伊豆の大豪族、伊東氏の預かりとなったのだ。


伊東をバックに、俺はのし上がってやるぞ。


……が、その野心は見事潰える。

伊東氏に殺されかけた俺様は伊豆の北条へと逃げ帰り、

そこで政子に再会した。




――痛ぇ。


身体中がバラバラになりそうな痛みの中、

俺は何かに縋り付こうと必死で手を伸ばした。


「大丈夫」


明るい声が聞こえる。


「あなたが死んだら私は尼になって菩提を弔ってあげるから」


童の

少女の

頓着ない声。


冗談じゃねぇ。

俺様は死にたくない。

何のために生き残ったんだ。


「そうなの? じゃあ助けてあげる」


直後、圧倒的な波が押し寄せてきた。

波は渦を巻き、俺様を押し流し、大きな門へと寄せる。


古く崩れ、色褪せた朱の門。羅城門。

ここから先は洛外。魑魅魍魎の跋扈する世界。


その門の口に鈍く光る二つの眼玉。

ヒゲを長く伸ばしとぐろを巻いた龍だ。

龍はニヤリと意地悪に目を細め、

ゆっくりとその咽を大きく開いて俺を迎え入れる。


飲み込まれる。

龍の肚の中へ。


嘘つきめ。

助けてあげる、じゃないだろう。


飲み下され、辿り着いた龍の肚の中は

真っ暗で生ぬるく、どくどくと脈動していた。


でも絶望感はなく、

その理由を俺様は知っていた。

これは夢なのだ、と。


同時に、見も知らない記憶が蘇る。

母の胎内の記憶。


孟母三遷、熱心な教育を俺様に施した母。

鬼のようだった、マジで怖かった母を思い出す。


あの鉄のような母でも

胎内はこんなに温かくて

柔らかかったのだろうか。


母が亡くなったのは俺様が十三の時。

仕えていた内親王が上西門院へと昇格し、

それと同時に俺が昇進したのを確認して逝った。


もうこれでガミガミ言われずに済むのだと

安心したと同時に胸にポッカリと穴が空く。


その痛みが癒えぬうちに

俺は初陣へと立たされ

手酷い敗戦を経て

愛馬一頭だけを連れて

父と兄と共に都落ちした。


俺はゆっくりと目を閉じ、

龍の肚の中で身を横たえる。

じわじわと皮膚を溶かしていく強い酸。


溶かしたいなら、溶かせばいい。

栄養にすればいい。


俺は骨まで溶かされて

とぷん、と龍の肚で無になった。


いや、無ではない。


魂は生きている。

魄(はく)が腐り、朽ち果てても

エネルギー体は変わらず意志を持ち、

為すべき事柄に向かって手を伸ばす。


『俺様は死なない』


そうだ、政子に見せてやるのだ。

この世の果ての永遠楽土を。




深い闇、沈むような静寂の中、

夢の終わりを告げる光がゆらゆらと水を揺らして

水面下から登ってくる。


同時に涸れ果てていた体内に

湧き水のように満つる力。


「おっしゃあ、キタキタ〜!!」


ドクドクと波打つ脈動と

全身を這い上る快感に武者震いする。


『体力充填、気力ゲージ回復

頭脳回路オールグリーン!

進路クリア! 目標、十種の神宝。

頼朝機、発進準備OKです』


管制塔からのオペレーターの美声に

俺様はコックピットのレバーを思いっきり押し上げる。


「俺様、行っきまぁす!」


途端、身体に重くかかるG。

否が応でもテンションが上がる。


ガンダムの発進ってアレだよな。

鬨の声。

そりゃあ盛り上がるはずだ。


「でも、発進の声で一番カッコいいのは

やっぱ『刹那・F・セイエイ、未来を切り開く!』だよな」


その時、俺は

自分の声が耳から聞こえることに気づいた。


「……おや?」


圧迫感のある低い天井が目に入る。

その壁面には、細かな印が刻まれていた。


五芒星。

安倍晴明の呪印だ。

それが天井に細かく無数に散りばめられている。


どこだ? ここは?

御所ではない。


その時、突然響いたのは無粋な男の声。


「な・に・が、『俺様は死なない』だ。

『発射準備OK』だ、『切ない SayYes』だ」


俺はギクリとして、その声の主を確かめる。


腕を組み、ムチャクチャ不機嫌な顔で立つ一人の男。

頑固そうな高い鼻、太い眉、デッカイ目。


真面目くさった顔でそいつは続けた。


「どうせアニメの台詞なんだろう?

政子を悪の道に引きずり込みやがって。

このアニオタめ! とっととベッドから出ろ!」


言うと同時に、その男は俺にかかっていた布団をバサッと剥ぎとった。


「きゃっ! えっち!」

そう叫んでやろうと口を開きかけた俺様の前で、

セクハラ男は口をあんぐり開けて、俺の隣を指さした。


「せ……せーこっ!?! お前、いつの間に……」


政子が俺の隣で眠っていた。

それも俺にピッタリと寄り添って。


ふおおぉ……

あったけぇと思ったぜ。

柔らけぇと思ったぜ。

ああ、どうして俺様は気づかなかったんだ。


政子が目をこすりながら起き上がる。


「あ、おはよう、お兄ちゃん。

おはよう、トモ。身体は大丈夫?」


大丈夫だ、そう答えようとした瞬間に、

俺様は太い腕によってベッドから突き落とされた。


「政子! お前、まさか一晩中そこにいたのか?」

「うん。だって、トモちゃん起きなかったから。私も眠くなっちゃって」

「だから兄ちゃんのベッドで眠るように言っただろう!」

「だって私がお兄ちゃんのベッドで寝たら、お兄ちゃんが眠れないじゃない」

「俺は床でいい! それより、こんなヤツとベッドを共にするなど

嫁入り前の娘が何を考えてるんだ!」

「やだ、お兄ちゃんったら、トモは女の子だもん。一緒でいいじゃない」

「ダメだったら、ダメだ。こんな腐った社会不適合人間!」


「ちょっと待って」

俺は床に打った頭をさすりさすり、立ち上がった。

「その『社会不適合人間』って何なのよ」


セクハラ男は俺様を振り返り、ギロリと睨みつける。

「社会に適合せず、アニメなどの二次元の世界に溺れる馬鹿者の総称だ」


チッ

政子のいる手前、俺は心の中だけで舌打ちをする。


「大体、寝言で『俺様は死なない』とか『発射準備OK』とか

『切ない SayYes』とか、気味の悪い台詞を叫ぶなど、

脳内が穢れ腐っている証拠だ!」


……ん?


「あのさ。『切ない SayYes』って、刹那・エフ・セイエイのこと?」

一応聞いてみる。

するとセクハラ男は、真面目な顔のままで返してきた。

「は? 切ない絵図、SayYes?」


俺は噴き出した。

「切ない絵図って何それ? やだぁ、えっちー!」


途端、真面目くさった男の顔が真っ赤に染まる。

「この……! だから、アニメなどいかがわしいと言ってるんだ!」

言って、ブルブルと震える拳を握りしめるセクハラ男。

俺様が男の姿だったら、既に殴り飛ばされてるだろう。

一応は遠慮しているらしい。


政子がそんなセクハラ男と俺の間に立った。

「お兄ちゃん、そんなこと言わないで。

アニメは日本の文化よ、勇気や正義を教えてくれるのよ。

お兄ちゃんなんか、何も知らない癖に決めつけないで!」


政子の言葉に、セクハラ男は慌てて言い訳を始める。

「いや、俺はアニメ全てを否定しているわけではないぞ。

現実をしっかり見れないヤツが多いから俺は危惧しているんだ」


フン、現実を見るのは、お前の方だ。


俺様はスカートのシワを払うと

ベッドの脇に置かれていた犬笛を手に歩き出した。


「あ、トモちゃん、待って」

政子が追ってくるが、その手をやんわりと外して扉を開け、

セクハラ男を振り返る。


「社会不適合で結構よ」


セクハラ男は何も言わずに俺を見返した。

その顔を三秒間睨みつけ、俺は扉を閉めた。

階段を下りる。


『世界に適合していたら、新しい世を作ることなど出来ない』

昔、俺にそう言ったのはお前のクセに。


でも、それは言えない。


シスコン&セクハラ男は政子の兄だ。

前世でも妹の政子を溺愛していた。


北条宗時。


俺様の誰よりも心強い味方であり、

そして

誰よりも油断ならない恋敵だった男。

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