可愛いと言って何が悪い?

 美加登が久野原家のメイドになって二週間余りが過ぎた。

 復讐は順調に進んでいるものの、美加登が反撃せずに割と大人しくしているのが唯一の気掛かりだった。

 クビになるのを恐れているのだろうか。

 だが上級生にも食って掛かるくらいプライドの高い彼女の事だ、このままやられっぱなしである筈がない。


「フッフッフ……こんなところに居たのね……」


 と、噂をすれば不敵な笑みを浮かべた美加登が突然現れた。

 というか俺の部屋なんだから、俺が居るのは当たり前だろう。


「何の用だ?」


 俺は露骨に警戒感を表して言う。

 明らかに何かを企んでいる美加登の顔。

 想定していた通り、反撃に出るつもりなのか。

 と、思いきや、美加登はにわかに態度を180度豹変させてしおらしい声でこう言った。


「そ、その……実は今までアンタに酷い事してきたのを謝りたくて……」

「……へ?」


 はて、俺は今夢でも見ているのか。

 あの美加登に限って、過去の過ちを反省するというのは考え難い。

 何か裏があるのではと疑っていると、涙で目を潤ませた美加登が上目遣いでこちらを見つめてきた。


「お願い、私に出来る事なら何でもするから許して欲しいの……」


 ……何でも?

 その甘い囁きに心が激しく揺れ動いたが、次の瞬間、美加登の瞳にキラッと黒いものが光ったのを見逃さなかった。

 あれは明らかに悪巧みしている目。

 読めたぞ彼女の意図が。

 察するに美加登は、俺が誘いに乗る様子をスマホなどで撮影あるいは録音し、セクハラで訴えるつもりなのだ。

 右手をポケットに突っ込んでいるのは、その中にスマホがあるからに違いない。

 俺は様々な嫌がらせをしながらも、性的な要求だけは一切しなかった。

 美加登の意図を読み取った俺は、努めて冷静に対処しようとした。


「ねえ私にして欲しい事を言ってみて。多少エッチな事でも言う通りにするから……」

「……はーん」

「少し恥ずかしいけど、それでアナタの憎しみが無くなるのなら構わないわ。そ、それにアナタになら何をされてもいいから……」

「……ひーん」

「は、早くして、もう我慢できないの……」

「ふーんへーんほーん」

「……ちょ、ちょっとぉ! この私がここまで言ってるのにその塩対応は何なのよぉー!?」


 痺れを切らした美加登が、本性を出して叫ぶ。

 自分で言ってて恥ずかしくなったのか、顔が耳まで紅潮している。


「下手な芝居はやめて本心を言ったらどうなんだ? モテない男子の心を操ろうとしたのだろうけど、当てが外れたな」

「う……」


 図星を刺され、たじろぐ美加登。


「な、何の事かしら?」

「もうバレバレなんだよ。そのポケットにあるスマホで俺の弱みを握るつもりだったんだろう?」

「ぐうぅ……」

「どうせ俺みたいなオタクはちょっと甘い言葉を囁けば思い通りになると思っているんだろう。生憎だが、いくら君みたいに可愛い女でも、そんな手には乗らないよ」

「――か、かわっ!?」


 美加登が大きく目を見開き、動揺したように口をパクパクさせる。

 気持ち紅潮した顔面が更に赤くなっているようにも見える。


「なななななな何言ってんのよ! か、可愛いだなんて適当な嘘ついてんじゃないわよ!」

「はあ、そっちこそ何言ってるんだ。可愛いから可愛いと言って何が悪い?」

「ま、また言ったぁ! 私への当てつけのつもり?」


 天下の美加登ともあろう者が、可愛いと言われる事に慣れていないのか。

 あたふたと慌てふためく姿を見ると、ふと悪戯心が湧いてくる。


「いやいや、わかってないな。鏡を見たら一目瞭然だろう。間違いなく君は学校でもトップクラスに可愛い」

「や、やだぁ! 恥ずかしいから言わないでよぉ!」


 美加登は悶絶しながら両手で耳を塞ぎ、床にぺたんと座り込む。

 俺は尚も追い打ちをかけた。


「そんなに否定するなら君が自覚するまで何度も言ってやろう。可愛い可愛い可愛い可愛い、可愛過ぎて思わず抱きしめたくなるくらいだ!」

「やああぁぁぁ! ううぅ……」


 学校で散々俺をバカにしてきた美加登が、目の前で弱々しく悶えている。

 何て気分の良い光景だろう。これが勝利の愉悦感か。


「うううぅ……う、うふふふふ……」

「ん?」


 とその時、不意に美加登の態度が急変した。


「ふふふふ……引っかかったわね! 今までの台詞は全て録音させて貰ったわよ!」

「何!?」


 勝ち誇った笑みを浮かべながら立ち上がった美加登は、ポケットからスマホを取り出した。

 画面を見るとボイスレコーダーアプリがオンになっている。

 まさか……。


「オホホホ! そうよ。アンタの恥ずかしい台詞もぜーんぶ録音したの」


 どうりで何かおかしいと思った。

 美加登の動揺する様子は全て、俺から恥ずかしい台詞を引き出す為の演技だったのだ。


「アンタも単純ねえ。こんな演技に騙されるなんて」


 傲然と見下す美加登。

 成程、彼女からすると俺はまんまと騙されたように見えるだろう。

 だが彼女は肝心な点を見逃していた。


「さあこれを学校中にばら撒かれたくなかったら――」

「あのー。ちょっといいかな?」

「何よ?」


 話の腰を折られた美加登が不機嫌に言う。


「実は俺も自分のスマホで録音していたんだよね。しかも君が『何でもするわ』って言ってた辺りから録っていた」

「……は」


 瞬間、美加登の周りだけ時間が停止する。

 そう、美加登が不敵な笑みで現れた時点で、俺はポケットに忍ばせていたスマホのボイスレコーダーをオンにしていたのだ。


「な、何ですってぇ!? アンタ、この私を騙したのね!」

「自分が先に騙したんだろう」

「ぐうぅぅ……!」


 盛大に自爆した美加登は、半泣きになりながら「キィー! 覚えてなさいよー!」と捨て台詞を残し、尻尾を巻いて逃げ出した。

 フン、口程にもない。


 それにしても――

 その場の勢いとはいえ、俺も随分と大胆な発言をしてしまった。

 美加登に向かって「可愛い」を連発するなんて。

 ……今更ながら恥ずかしくなってきた。

 取り敢えず、この美加登の恥ずかしい台詞を録音したデータは、念の為に保存しておこう。

 ……断じて他意は無い。

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