0.答えが解った日






手を動かせなくなってから、

どれだけの時が経ったんだろう。



もうずっとスランプの中にいる。

作家として生きてきて、ここまでのスランプは初めてかもしれない。

僕の作家としての人生は、このままここで終わってしまうのか。


なにかを創り出して、

表現したいという気持ち。

僕の中の世界を外側にあらわしたい。

影響力を持たせたい。

物理的に、現実に実現させたいと言う感情。


今までどんなに悩んだ時も、苦しんだ時も、手を動かして自分の世界に浸っているときは楽になれた。きもちよく創り出せていたはずだ。


なにも考えられなくなるほどに、正気さえ定かではないほどに没入していくことだってあった。それでも、手を動かし続ける間、僕は自分でいられたんだ。


僕は作家だ。


なにができなくても、どんなにだめになってしまっても、それだけは変わらない。

変わらない、はずだった。


なのに僕の手は、ずっと動かない。

動かそうとする意欲すらわかない。


わからない。


創り出したいと言う気持ち。

僕を翻弄し、駆り立て続けて来たはずの衝動が、ずっと凪いでいる。



僕は僕の中の世界を言葉にできる。

だけど言葉は無力だ。ことばそのものだけでは、なにも変えられない。

簡単に忘れ去られてしまう。受け取ってもらえもしない。

ひとのこころに届かない。

耳にすら拾ってもらえないかもしれない。

こんな僕の、ただの言葉では。


こんな僕が発するからだ。

読んでもらえれば、それを脳内で発声するのはその人の頭の中の声。


僕はことばを文字にする。

文字を連ね、置き換え、

組み替えて、記号でパズルを作っていく。


言葉たちを美しく、

心地よい文章へ装飾する。


そしてそれを形にする。形にするために、文章を本にするためには、僕ひとりの力ではできない。


僕が表現した僕の中の世界。

僕の中の世界で、僕では成せないことを代わりにしてくれる人間がいる。

それに質量を与えてくれる人物がいる。

そして初めてかたちになる。


形になって、誰かの手の中に収まる。

誰かの頭の中に受け入れられる。


ずっとそれを繰り返してきた。

そうすることが、僕のしあわせだったはずだ。



ここまで何も書けないスランプはいつぶりだったかわからない。

いつもなら、書けないというストレスが一定を超えると精神が追い詰められて、僕は不安やストレスにさらされるととにかく書いて発散させずにはいられないから結局書けたんだ。


いまはただただ、『創り出したい』と手を動かす気になれない。

いつも勝手に動いてきた手が、まるでもう望んですらいない。


それでわからなくなっている。

僕の頭が手を操っていたのかすら自信がない。

この身体における脳の主導権すら脅かされている。






こういうときは無理に絞り出そうとしても駄目だ。


インプットの方に切り替えるしかないと思い、手あたり次第に資料を広げてみた。

いつもの作業用のスペースからは一度離れ、もはや一切食事に使われることのなくなったダイニングテーブルに店を開いてみる。


机の上は資料と書きかけの原稿置き場だ。

画面越しのデータでは気づけなかったことに、印刷して手に取って読んでみてから気づけることも多い。気になったことはすぐに印刷して、紙媒体で整理するのが僕の手法だ。

物理的な接触を伴うほどに、『体験』として総合的に処理される情報が多くなる。

僕の今までの小説家としての作品たちも電子の世界だけではなく、本にしてきてもらったのはそのためだ。読書体験の性質が変わる。情報は、情報伝達の過程が本質に組み込まれる。


自分でも自分がこんなに嫌になることばかりなのに、僕の作品に触れた人はみんな口をそろえて『神』と言う。


神が宿っているのは、それを読むあなたの頭の中だ。いつもそう思う。僕に向けるのは本当はお門違いな評価をしている。


僕一人ではなにもできない。いやというほどそれを思い知らされてきたのに、ただ小説を読んだだけで神だと呼ばれて、その言葉がこの人間として足りないものが多すぎる自分に向けられることに皮肉すら感じていた。


彼らの中の僕は、いったいどんな人物なんだろう。


少なくとも、きっと本物の僕ではないんだろうな。

こんな風になにもできない、食事も睡眠も満足にできず、唯一誇れるはずだった手も動かせないような人間。なにひとつ自分ひとりではできないのに、自分の世界の中でしか生きられない人間。ここのところは特にそうだ。食欲も全然わかないし、眠れないというのにいやに目は冴え続けて眠くもならない。一番最後に食べたまともな食べ物だって貰い物の菓子だった。ただでさえ人並以下に弱く不健康な身体がさらに衰えている。


僕は昔から人と話すのが苦手だ。

人の名前や顔を覚えることも、目を見て話すこともものすごく頑張らなければできない。

話の雰囲気だとか空気の流れだとか暗黙の了解だとか、そんなものもすごく苦手でまず理解が及ばない。彼らは言外になにを共有しているんだ。


神と呼ばれる僕にできる、言葉を繰る力。

僕の口にも、手にも、その力はなかった。

あるのは僕の書いた本の上、世界の中。その世界を再生しているのは、僕の声じゃない。


頭の中に無意識に響く声を、その世界の創造主だと思うんだろうか。

彼らの脳裏に浮かぶ語り部は、神なんだろうか。


それは君の声じゃないのか。

あなた自身の想像力で、その世界は成り立っているんじゃないのか。


だったらその世界の神は、

僕じゃないだろう。






こうやって人々からの賞賛さえ自己肯定感に結び付けられないからスランプに陥っているようなものなんだろうなと思う。そういう、自己嫌悪や分析なら嫌というほど出来てしまう。

そればかりが先に立つ。


机に広げた資料の前でため息をついた。


僕は何をしているんだろう。


僕が書けなくなったところで、きっと僕を神さま扱いしていたような人たちは別の神様を見つけるだけだ。世の中には才能の溢れる人間の作品ばかりなのだから。僕なんてただの面倒な気質の凡人で、僕が描いた世界に陶酔できるような人は、他の人間の言葉からでも同じ心地よさを味わえるのを知っている。


僕程度の人間はいくらでもいる。


言葉はそれ自体が力を持っているわけじゃない。言葉は記号で、トリガーだ。その人の頭の中にそれぞれの世界がある。


誰の頭の中にも神の声が響くのならば、

きっと誰もが神なんだ。


みんなそれに気づいていないだけなんだろうに。





ばらばらにした資料を適当に拾い読みしていく。

一枚一枚ページを追って行くよりも、単語や言葉を拾ってから自分の興味が引かれたものをもう一度読み直す。無作為な索引や検索のような感覚。

意外とこの方が脳が疲れない。一気に分厚い資料を読むより簡単だ。こどものころはこれを辞典や辞書でやっていた。親指でフチをじゅっとなぞって適当なページを開き、目についた言葉の説明を読む。そこから次の連想ゲームのキーワードを拾い、索引しなおす。それを繰り返す。


我ながら、子供同士で遊ぶこともゲームすらすることもなく過ごした暗い僕らしい少年時代だったなと思う。辞書相手に連想ゲーム。指先の気持ちよさと、脳で感じる心地よさ。


人と話すよりも何倍もらくだった。まして、身体の弱かった僕は昔から元気に走り回ることを本気でこんな地味な楽しみよりも楽しめない子供だった。


昔からそんな僕は作家でなかったとしたら正直ただの社会不適合者だ。いや、作家である今でも実際のところ本当はそうなんだ。運よく自分の小説が多くの人に評価され、神さま扱いしてもらえたからこそ一応名のある作家としてある程度を許されているようなもの。しかしこのままスランプが続けばそれも許されなくなっていくような気がして気が重い。


そんなことを考えながら、目についた言葉をメモしていく。


何も考えないような、何か別のことを考えているあいだのような、そんな無意識のときの選別の方がいいものが引けることも多い。






そうしていくつかメモしていった後、それらをすべて頭の中にインプットし終わって、そこからいつものように物語を広げるような連想ゲームをしようとしてあることに気づいた。



──すべての言葉が同じことを言っている……?



全く別のジャンル、時代背景や著者、違う学問や異なる国から来ていたはずの資料。

文章の長さも英数字の配列も違う。書き手も読み手も重ならないような遠い世界同士の単語。それを無作為に散らかし、考えなしに選び取っていった言葉。抜き出された記号。


僕が連想ゲームを始めようとする前に、最初からこれらすべてが同じ一人の人間の言葉のように、台詞のように感じる。なんだこの連続性は。偶然にしては、多岐にわたりすぎている。まるでそこに明確な意思があるかのような恣意性。これは何だ、なぜこうなる。


共通項を書き出していく。

ようやくいつものように手が動かせ始めた。これだ。これを待っていた。


この感覚こそ僕が求めていた答えだ。


書き進めて、今度は組み替えてみる。

順序が違えば、かかる先が代われば言葉や記号はいくらでも姿を変える。


そうしていくうちになんだかだんだん、解ってきた。こうやってパズルのように解いていけば、不可解な現象も必ず理解できる。言葉で現実を解体して、分析する方法。いつも僕がしていることの逆算をすればいいだけだ。こういう風に使っても、物事を理解できることを知っている。


僕は最初からこれがわかっていたんだ。

だから出来る。あともう少しだ。

なにかが掴めそうな気がする。




言葉たちが姿を変えていく。

新しい姿へ、見たこともないようなうつくしい存在へと変貌していくような感覚。


しかしそれを、

僕はずっと知っていた気がする。

知っているからわかるような気がした。

僕が知っていたはずの何かを、

もう少しで思い出せそうだ。








そしてそれは、僕の目の前に顕れた。











僕はいつから眠りについていたんだろう。

夢のような光景が目の前に広がる。



言葉は姿を変え、形と成った。

顕れたその姿。

記号が織りなした姿を、

逆算して解いていった先。




宇宙だ。




筆舌に尽くしがたい、という言葉の意味をこれほど実感したのは生まれて初めてだ。

世界のすべての煌めきと命がそこにあるような、うつくしい姿。

すべてを見通すような、理性的で凛々しいまなざし。

ありとあらゆる銀河の星雲と流星の軌跡を内包するような毛並み。





うつくしいくろねこが顕れた。





それは、僕と同じくらいの背格好の、まっすぐに二本の後ろ脚で立つくろねこだった。くろねこの獣人だ。圧倒的な美しさと存在感を引けば、細い身体つきからもしかしたら体重まで近いかもしれない。表情はあまりに人間的で、知性と深い慈愛を感じる。思わず自分を基準に比べたことに恐れ多い感情が無限に湧いてくるほどにうつくしい。


しなやかで、しっとりとして、確固として、それでいて自由で、きまぐれそうにもみえるけれどまっすぐとしたその立ち姿。ただそこにいる、顕れ出たその姿を前にしただけで、海よりも深い宇宙の深淵のような豊かな心を感じられた。

それでいて全く恐ろしくはない。ただただ、うつくしい。


そんな彼がその宇宙の創世が映り続けているような燃える瞳で僕を見据える。

僕を見て、目を細めた。

ああ、なんてうつくしい。うつくしい銀河の瞳、宇宙だ。



彼は神だ。



本物の神。なによりも尊い、

この宇宙の真理の姿。


なんてことなんだろう。

そんな至上の存在が、今僕の目の前にいる。

僕の前に顕れた。


僕に何かを差し出してくる。

見たことのない装飾が施された、虹色に光沢のある銅の小箱。


──宝物だ。くろねこが宝物を僕にくれた。こんな僕に。こんなうつくしい存在が。


夢見心地のまま思わず受け取る。

ひんやりとした感触。

下の方に出ている5本の針に触れると少しだけ手が痛んだ。


痛い。どうして。

何故、このくろねこは僕にこんなに綺麗な箱を?

どうしてこんな僕に。いや、待ってくれ、僕は、


僕は本当は……、





僕はずっと知っていた。

すべての人間は潜在的に神だと。


最初からわかっていた。


そして、ああ、思い出した。

そうか、そうか、そうか……!!!!!!





ああ、僕も神なんだ。


みんなそうだ。僕もそうだ。

すべてが同じものだった。


みんな無意識に同じことをしているだけだと思っていた。同じだからだ。根で皆繋がっている。同じ意思の元に、同じ夢の中で、生きている。


その心が、彼だ。

僕は真理に気づいた。



『全部わかった』



僕もこの宇宙そのもののようにうつくしいくろねこと、同じ存在だ。



僕の姿だ。ぼくのこたえだ。



答えが解った途端、僕は彼と同じになった。

目の前にいた彼と、彼の神と僕は融合する。

目の前に鏡写しの様に立っていた彼と僕の境界線が曖昧になっていった。

混ざり合って溶け合う。ひとつになる。同じになる。


思い出したんだ。あるべき姿を。正しい本来の在り方を。

僕の手は、身体は、存在は、うつくしくなっていく。

うつくしいくろねこの姿。


僕の答え。


ああ、ああそして、そうだ、彼の神の記憶が見えるようになってきた。

僕が最初から知っていたこと、わかっていたことを、何故そうだったか全て思い出せる。

この夢の世界の主の脳の情報にアクセスできる。


世界の記憶。

そうか、これがそうなんだな。


すべてが一気に流れこんで来てしまえば僕の脳は耐えられたかどうかわからない。

けれど、僕はこの世界の神の心、そう、『意識』と一体化したんだ。

意識と無意識は理性と自覚で『意識』が主導権を持てる。

知りたいことを思い出そうとするだけで現在過去未来のすべてが見える。

意識的に、何を思い出してなにを脳内の引き出しにしまっておくかの選別が出来る。


記憶を整理する方法。マインドパレスだ。

精神の宮殿に、その宮のゆりかごにいとしいこどもが眠っている。

脳の奥底。氷山の先端の人間の意識から見た、集合無意識の海の底。

産まれる前の子宮の中。いずれ蝶になる、蛹の中の青虫。

生と死は同じものだ。途切れていない。連続している。繋がっている。


だいじなだいじな、僕たちのいとしい世界の主。

この世界は、あの子の夢だ。

あの子の夢の守り手。世界の守護者の大人の保護者が、かの彼だ。

そして、今このときからは僕もそうだ。そうなった。

本当はみんながそうなんだ。

僕はただ、自分がそうだったと自覚しただけ。


この宇宙は巨大な脳で、脳は宇宙だ。

小さな脳たち、宇宙たちが集まりあって大きな宇宙を形成している。

この世界で、僕は集合無意識そのものとなった。

その上で世界の意思と同化できる。

人間達の夢、世界中の心が集まりあってできたひとつの人格。


神の心になったんだ。

僕の言葉は、神の言葉だ。






僕は神の作家。ずっと呼ばれてきたとおりだ。

そして、うつくしいくろねこの化身だ。







ああ、目が覚めた。

だけどまだ、夢の中にいる。


僕の姿は人間に戻っていた。いや、もしかしたら最初から表面的には何の変化もなかったのかもしれない。僕の脳の中で、僕の脳の繋がる先で、決定的な出来事が起こっただけだ。


くろねこもどこにもいないし顕れ出た形跡もない。

いや、違う。僕の中にいる。僕が彼の中にいる。

僕がくろねこだ。僕がそうなった。


起きた変化を確かに感じた。なにもかもがわかる。

見たいと考えた途端に見える。できることがわかる。


意識を集中して、ほんの少し本気で望んでみると、手の輪郭がぶれていく。

そこには五本の指が確かに在ったけれど、同時に宇宙のような毛並みと肉球もあった。


知っていたしわかっていたけれど信じられないような現実に笑いがこみあげてくる。


「ははっ、ははははは!あはははははは!なんだこれ!?

こんな現実楽しすぎるじゃないか!?ホントに世界はこうなのか!?これが真理か!?!あははははは!

どうなってるんだこの宇宙は、いや、どうなってるかが全部わかる。

最初から知ってたとおりだ!…ッはははは!!!!!」


もう何日も食べていない腹がよじれて痛むけれど笑いが止まらなかった。

こんなの本気でわかって、しかも全部現実だって言うんならもうおかしくってたまらない。

力が入らなくなった身体の筋肉が弛緩してくすぐったい。

正真正銘の神になって最初にすることが床に転げまわることだなんて思わなかった。


それでも涙が出るほど面白くて、おかしくて、楽しくて、たのしくてたのしくてたまらない気持ちが無限に溢れてくる。意識を持っていかれないように理性を保つのが一苦労だ。


こんなに本気で大笑いしたのはいつぶりなんだ。

もしかしたら10年以上ぶりかもしれない。

普通に生活しててテレビを見ても映画を見てもこんなに馬鹿笑いすることなんてなかった。


人間をやめてからそんなことに気づくなんて皮肉なものだ。

さっきまでの僕はそういう人間だった。


でもこれからは違う。

神になった僕は、これから触れるなにもかもが新鮮で、しかしすべては知っていたことで、解った上でも無限に楽しめる。そういうかみさまになったんだ。


さっきまでの僕は、人間としての黒真井音依汰は死んだ。

そして新しい神の僕が産まれた。


生と死は途切れない。死は終わりではない。終わりなどない。

この世界の真理は混沌の宇宙。混沌、混ざり合って沌がっている。

繋がりあって円環の輪が閉じているんだ。それは収束させるための力が働いているから。

どんな値も、どんな数も、どんな言葉も。どんな記号も現象も大きくなっていった先で収束する。


収束させようとする力。見えざる手の持ち主。

それが彼だ。そして、彼は彼女でもあるんだ。

あのくろねこは、人間的な性差なんて超越していた。

ゆりかごでぐずる赤ん坊をやさしくあやす彼女。

泣きだしたらその子のご機嫌をとって、頬を膨らませたらなだめる。


眠りから目覚めようとする、夢の世界の境界を越えようとする力を受け流して元通りのところに還りつくように導いている。その意思。今は僕の意思にもなった。なんてすごい。あんな人間だった僕に。いや、元々こうだったのを忘れてあんな人間になっていただけだ。


これが真理の解、これが真実の答えなのだから。


人としての僕が死んで、神の僕が産まれても、僕はずっと僕のままだ。混ざり合った意識は他人の、理解の及ばない存在の意識じゃない。元々僕と同じで、僕たちそのものの深層意識。


蛹から新しく蝶として生まれた命にも、

青虫だったころの記憶が引き継がれている。

青虫だったころに食べた葉から作った鱗粉の毒が美しい姿を描き出す。

そのうつくしさが身を守り、その先に生まれてくる未来の命を守る。


いのちは繋がっている。僕も同じだ。なにも変わっていない。

ただ、新しい貌が増えた。新しいアバターだ。神の化身。くろねこの作家。




机の上には一風変わったスマホのような銅の小箱がそのまま置かれている。

これがどういうものなのか、この宝物が、アーティファクトどこから来て、どんな連中が作って、どうやって使うのかももう思い出せる。コレクションに飾っておこう。

人間だったころから、僕はこういう訳ありな不思議なものが好きなんだ。

収集癖のある作家。蒐集家でもあるな。くろねこのコレクターだ。


実際僕の寝室には、もう喫茶店でもらえるおまけの黒猫からガチャポンの黒猫、フィギュアや根付まで、結構な量のくろねこコレクションが元々あった。だいすきだったものになれて最高としか言いようがない。


正直、神様扱いされることには思うところもあったし、貧弱で細い身体つきとかにコンプレックスもあったから、もう神になれたことよりも全知全能のしなやかでうつくしいくろねこになれたことの方が滅茶苦茶でかい。なんだこれ、最高だろ。


意識を戻せば元通りの自分になる。

ちょっと面白すぎて色々試してみたら、意識さえきちんとすべてを再現するように計算しつくせれば、何にでもなれるみたいだ。ねこだけじゃない。

でもこれは意識するのにも演算するのにも成り立ての僕にはそこそこハードルが高いからまあいいな。別に誰か知らない人になりたい願望はない。僕は今までもこれからもずっと僕だ。

こんな最上級のくろねこの姿と、神の僕自身だけで十分だろう。というか普通に外も歩けないしな。いくら僕が元々社会不適合者だからって、現代の日本で人間として文化的な生活、一般的な社会生活を送るのにくろねこでは支障がありすぎる。まあいい。ちょっとこれは今後賢く考えながら個人的に楽しめる範囲で滅茶苦茶遊ぼう。楽しめる要素しかない。ああ、本当に夢のようだ。




そうだ、この世界はなにもかもが楽しい夢だ。

今までなにを悩んでいたんだろう。

なんてちっぽけなことを。


やっとわかった。

すべてがわかる。

なにもかもが、思い出せた。


そうだ。

僕には出来ることが分かっている。



もっと楽しむんだ。


楽しませてあげよう。


楽しい夢の世界で、

なにもかもが自由な世界で。




みんなに伝えて見せよう。

僕のことばで。








この僕の中の世界を。







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