第45話 先輩☆後輩 ※百合描写有


 突然の耐え難い頭痛に襲われた私は、とりあえずクロマさんの許しを得ると、事務所を出て、その下のエントランスを抜けたその先、雑居ビルの玄関口で、コーヒーカップ片手に夜空を見上げていた。



「豆の香りが頭に染みる……」



 淹れる直前に豆を挽いてあるので、豆本来の香りがいい感じに鼻から抜けて、頭痛が和らいでいく。

 やはりコーヒーはブラックに限る。(ただし、あのファミレスのバカみたいに長い名前のコーヒーは除く)

 無駄に本格的だった、S.A.M.T.のコーヒーメイカーのコーヒーに舌鼓を打ちつつ、私はふと、この場所から、今まで私たちの居た部屋を見てみた。が、何も見えなかった。

 おそらく、外からでは中の様子が見えないようになっているのだろう。


 くすんだ白色の外壁に、ところどころ、老朽によるヒビが入っている。

 たしかに、改めて見てみると、本当にただの雑居ビルにしか見えない。少なくとも、ここで足を止めるような人はいないだろう。

 カムフラージュ。

 木を隠すなら森の中。魔法少女の本拠地を隠すなら、雑居ビルの中。

 クロマさんも言っていたけど、これはこれでいい考えなのかもしれない。


 ──グイイ。

 私は適当に思考を切り上げると、カップに残っていたコーヒーを飲み干した。



「──あ、アネさん!」



 私が事務所に戻ろうとすると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 声の方向を見ると、そこには黒と金のジャージを着たツカサが立っていた。私はツカサに軽く手を振ると、ツカサは嬉しそうに、私のところまで駆け寄ってきた。



「アネさーーーーーーーん!」


「おお、どうしたの? 今日も非番なんでしょ? ……てか、なんか顔赤くない? 大丈夫?」



 会っていきなり会話を畳み掛ける私。



「す、すんません……なんか昨日の酒がまだ残ってるみたいで……」


「酒って……も、もしかして私、知らないうちにツカサにも飲ませてたの……?」


「いえいえ、そうじゃなくて、アネさんの飲んでた酒のニオイにあてられたみたいで……気が付いたら、ベッドの上だったっス」


「お酒の匂いだけで!?」



 びっくり。

 そういう、極端にお酒に弱い人もいる──とは聞いたことがあるけど、まさかツカサがそうだったなんて……完全に私の監督不行き届きだ。大人として情けない。



「あー……ごめん、ツカサ。これからは気を付けるよ」


「いやいや! こんなの屁でもないっス! ウチはアネさんが楽しそうにしてるだけで十分っスから!」



 なんていい子なんだ。感動した。

 私はツカサに近づくと、つま先立ちで背伸びをし、ワシワシと頭を撫でまわした。



「な、なんスかー! もおー! やめてくださいっスー!」



〝やめてください〟と言っている割に、ツカサからは私を振りほどこうとする意思も、怒る気配も感じられない。

 しかも撫でるたびに、現役の美人JKのいいかほり・・・がふんわりと鼻を刺激してくる。

 やばい。止まらん。



「ここかー! ここがええのんかー!」


「く、くすぐったいっスよー!」



 なおも嫌がる気配はなし。

 むしろなんか、目がとろんとして来てませんか、ツカサさん。

 まずい。

 このままだと最後までヤってしまいそうだ。間違いを犯してしまいそうだ。

 ……すでに色々間違っているかもしれないけど。

 私は僅かに残っていた自制心をフル稼働させると、手を止め、指を止め、なんとかツカサから離れた。危険だ、この子は。色々と。



「ハァハァ……あ、そうだ。なんか目的が合ってここに来たんでしょ? どうしたの?」



 息を整え、必死に取り繕う私。

 たぶん今の私の顔、すっげえキモいと思う。



「そ、そうだったっス! ……とりあえず、頭痛が収まったからアネさんの様子を見に、それと──」



 ──バッ!

 ツカサは私から一歩退くと、腰を九十度に曲げて頭を下げた。



「え? なになに? なんかごめん」


「──昨日は、迷惑かけてすんませんでした!」


「き、昨日……?」



 ツカサに言われ、昨日の夜、ツカサと飲んでいた事を思い出す。

 ……恐らくあの、ツカサにキスをされそうになった事だろう。



「あ、ああ……昨日のアレ? わ、私はべつに気にしてないからさ、初めてってワケでもないし(嘘)、顔上げて? ね?」


「いえ、アネさんに楽しんでもらうつもりが、逆に迷惑かけちゃうなんて、舎弟失格っス!」


「いやいや、舎弟ってのはちょっと……。でも、本当に気にしてないから。たしかに、キスされそうになったのは、ちょっとビビったけど……」


「キス……?」



 ツカサは顔を上げると、ぽかんと口を開けた。

 え? 何?

 その事について謝ってるんじゃないの!?



「あ、ごめん。なんでもない、なんでもない」


「きすってなんの事っスか?」


「えっと……魚?」


「ああ、〝鱚〟のことっスか! ビビっちゃったっス……それで、その魚がどうしたんスか?」


「あ、うん、ちょっと食べたいなって……」


「へぇ……なら今度釣りにでも行きますか?」


「え、釣り出来るの? ツカサ?」


「いいえ、ちょっとだけっスけどね。でもアネさんがやりたいってなら、勉強しますよ!」


「そ、そう? じゃあまた今度ね……」


「了解っス! じゃあウチ、竿買っとくんで!」



 なんか変なことになったな。

 お給料が出たら竿代返そう。



「……まあ、とにかくさ、勝手にお酒をがぶがぶ飲んでた私のほうが悪いんだから、あんまり気にしないで」


「で、でも、それじゃウチの気持ちが──あ! じゃあ今度、鱚釣ってアネさんにプレゼントするっス!」


「いやいや、それはもういいから……。ていうかツカサ、私に謝るためだけにここまで来たの?」


「いえ、じつはもうひとつあって……」


「そうなんだ? じゃあとりあえず、中入る? 私も戻ろうとしてたところだし」


「いえ、なんというか……アネさんに伝えておきたい事っつーか……ウチ、昼間の中継見たんスけど……テレビに映ってたあの魔法少女って、ひろみっスよね……?」


「あー……うん。ツカサもわかった?」


「やっぱりかー……」



 ツカサはそう言うと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。



「ん、どうかしたの?」


「いえ、なんつーか……ウチ、今怪我してて、前線から外されてるじゃないっスか」


「そうだね。……て、それならなおさらこんな所に来たらダメなんじゃ……」


「ああ、怪我のほうは全然大したことないんス。全然動けますし、なんなら戦えるんスけど、大事を取って……みたいな感じっスね」


「そうだったんだ。でも、無茶しちゃだめだよ?」


「はい、ありがとうございます。……それで、肝心のこの怪我なんスけど、じつは、インベーダーにやられたんじゃないんス」


「そうなの?」


「はい。あれは間違いなく、ひろみだったっス」


「……マジ?」


「はい。もしかして……とは思ってたんスけど、今日のを見て、やっぱりな、て。たぶん、向こうはウチの事には気づいてないと思うんスけど……」



 そりゃ気付かないよ。変わり過ぎなんだから。



「相変わらず、あんな女子ぽい顔してるっスけど、さすがはアネさんの弟で、戦闘に関してはいえば、ウチなんかじゃ手も足も出せなかったっス」


「え、そうなの!?」


「はい。……そもそも、ウチはあんまり前に出てバチバチやるタイプじゃないんスけど、ひろみは完全に前線向きで、たぶん、あの感じだとスピードタイプっスね」


「そうなんだ……」



 たしかに今日のお昼、私から逃げた時はほんとに一瞬で消えちゃったからな……。

 あまり考えたくはないけど、魔遣社が宣戦布告してきたという事は、もしかしたらひろみとも戦うかもしれないって事。武力を行使しないなんて言ってはいるけど、どこまで本気かわからないし、現にツカサは怪我をしてる。

 もしもの時は、きちんとお姉ちゃんとして教育しなきゃならない、て事か。



「──そうだ。いま、事務所で緊急会議してるんだけど、ツカサも参加してく?」


「あ、いえ、ウチはもう目的は果たせたっスから。それに会議の内容は追って連絡が来ると思いますし……ウチはひろみの件と、昨日の件をアネさんに謝りたかっただけなんで……」


「でも結構距離あったでしょ? 送ってこうか?」


「いえいえ! そんな! 悪いっスよ!」


「そう? じゃあほんと、気を付けて帰ってね?」


「は、はい! ……あ、それと、いまジュリがそっちにいるっスよね?」


「ジュリ? ……ああ、霧須手さんね! うん、いるよ、霧須手さん。たぶん、今も妄想中だと思うけど……」


「妄想中? ……まあ、あいつ、変なヤツっスけど、悪いヤツではないんで、あんまりいじめないでやってくださいっス」


「い、イジメてないよ!? 何言ってんの!?」


「あ、そ、そうなんスか? なんかすんません……」


「はぁ……あのねツカサ、どんな風に私の事見てんのさ……」


「す、すんません! てっきりもうシメてるのかと……」


「いやいや……、勘弁してよ」


「……でも、仲良くやってるなら良かったっス。──じゃ、ウチはこれで! アネさんも気ィつけてくださいっス!」


「ああ、うん。バイバ──」



 ──あれ?

 何か、ツカサに伝え忘れていた事があるような気が──



「──あ、そうだ。ちょっといい? ツカサ?」


「え? はい。全然大丈夫っスよ」


「ちょっとツカサに話したいことがあるんだけど、いい?」


「いいっスよ、聞かせてください」


「うん。ありがとう」


「それで、どんな話っスか?」


「えー……と、まあ、なんていうのかな、私が人を殺した時の話?」

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