【3】

 反応を窺うように瞳孔を伸縮させた彼と、視線を交わしつつ考える。


 斬新にして奇体な姿を前に、つい動揺してしまったけれど、いくら珍しい形状をしているとはいえ、妙に存在感を放つこの植物はれっきとした贈り物だ。


 感想を綴るに、ひどく困難な風情だとしても。例えこの方の感性が、イェルド人のそれと少々異なっているのだとしても。きてれつな贈品にこめられた真心や気づかいが、本物であるのは疑うべくもない。


 なにより大切な点は、商品のよし悪しでも、金額の大きさでもない。用意してくれた、その人の気持ちなのだから。


 であれば、見慣れぬそれへの戸惑いにはひとまず蓋をして、角を立てぬよう当たり障りのない美辞麗句で覆い隠しておくべきか。


 それとも稀少性が高そうな珍種をあえて選んだ理由に、なにかしら意味があるのか尋ねてみるべきだろうか。


 などと沈吟ちんぎんに耽るあまり、知らず知らずのうちに眉根を寄せ、葛藤の狭間で煩悶する心境が表情に出ていたらしい。


 つと瞳をずらしたワイズナー様は膝上の両手をやんわりと組むや、「女性への贈り物として選ぶには、見栄えの欠片もない物騒な造形だが」と、言葉を探しあぐねる素振りでサボテンなる植物を眺め、


「花粉を備えず、さほど手数がかからず、かつ生命力の強い手頃な植物に絞った結果、すべての条件に合致する種類は乾燥地原産のこれだけだったのだ」


 気まずげな物言いで補足したのち、気骨を帯びる唇に微苦笑を滲ませた。


「花粉?」


 引っかかりを覚え、復唱と同時に首をかしげる。


 ワイズナー様がこだわったらしい三か条のなかで、世話が簡単なことと、丈夫な品種であることは納得できる。


 生花であれば毎日の水替えや、気温にまつわる耐性の有無などを含め、瑞々しい花弁を一日でも長く持続させるのは存外大変だからだ。繊弱せんじゃくな特徴が顕著ならばなおのこと、こまめな世話が必須とされ、思いのほか労力がいる。


 したがって、楽に面倒が見られる品種を買い求めるのは、とても自然な流れだ。けれど今しがた台詞の先鋒に立った、花粉という腑に落ちない単語だけが、あぶれた欠片さながらに、おさまるべき場所を求めて彷徨っていた。


 女性に物を贈る場合の常套手段を挙げるなら、花束もしくはお菓子が一般的だ。添え物としての役割をこなすには妥当だし、相手も気負うことなく気軽に受け取れる。


 以降は段階を経て、異性間での親密度が増してゆけば、装身具の類いが選択肢に加わるのだが、それはまた別の話だ。


 わたしたちは知り合って間もない間柄だから、奇をてらった植物だろうと、最初の贈り物としては常識の範囲である。決して誤りではない。


 そう、誤りではないのだけれど、そもそも堅実な花束を避けてまで、無花粉に固執したのはなぜなのか。


「俺の稼業は騎士だと、昨日の茶会で伝えたが……覚えているか」

「はい」


 聡い彼のことだから、頭のなかで飛び交う疑問符を、持ち前の勘のよさで察知でもしたのだろう。話の駒を進めるように双眸を戻したワイズナー様へ、もちろんだと力強く頷き返した。


「ローウッドが擁する騎士団は傘下型の組織形態――つまり総括的機能を担う師団を筆頭に、大隊・中隊・小隊と複数に分割された構造になっている」


 いきなり転換した話題に訝しんだのは、ほんの一瞬。騎士と花粉がどう繋がるのか。まろび出そうになった発言をとっさに嚥下し、すまし顔で相槌を打ちながら、国軍に帰属する年の離れた次兄を思う。


 事あるごとに帰参する彼もまた自国の騎士だが、職掌しょくしょうについての具体的な内容はいっさい口にしない人だった。


 ひょっとすると、踏み込んだ質問でなければ答えてくれたのかもしれないが、女性にとって専門的な解説ほど退屈でつまらないものはないはずだと、頭から決めてかかっている節がある。


 もとより思考の切り替えを含め、公私の線引きは徹底する性分らしいので、仕事に関する材料を邸に持ち込むつもりはなかったのだろう。


 あるいは軍規がらみでなにがしかの頸木くびき――機密や秘匿情報が漏洩せぬよう、口外無用の黙契もっけいが厳しく付帯していたとも考えられる。


 それゆえ、わたしが会得した騎士団についての基礎知識は、内憂外患を平定する巨大規模の組織という、底が浅すぎて一笑に付されてしまう程度しかない。


 加えて、その名のとおり一つの纏まりとしか認識しておらず、茫漠たる印象とは裏腹に、各部隊がここまで細分化されているとは想像だにしていなかった。


 あくまでローウッドにおいての形態だけれど、軍隊の括りのみに限定するなら、おそらく両国とも編制に大差はないのかもしれない。


「統制下は違えど、合同演習や武技の勝ち抜き戦などの行事を機縁に、他部隊と交流を持つ場は多々ある」


 人であると同時に竜でもある種族だ。生半可ではない体力と戦術を勘案すれば、教練を土台にした模擬戦とはいえ、さぞ壮絶で迫力に満ちた光景だろう。きっと圧巻のひと言に尽きるに違いない。


 そういえば西に位置するディザール王国とは、現在進行形で攻防をくり返していると吐露していた。果てのない勢力争いが続くなか、三年ものあいだ国境を鎮守する砦に在勤していたとも。


 敵対する相手も同じ有翼の民である以上、留意すべき箇所に比例して、防備の範囲も多岐にわたるはずだ。蒼穹は彼らの主戦場。当然、翼を駆使した交戦がかなめとなる。ならば竜体で空を舞いながらの鍛錬や連携も、おこなったりするのだろうか。


「遠慮のない会話ができるほど親しくなった先達のなかには、今回のように園遊会で良縁を引き寄せ、晴れて貴国の女性を娶った者が幾人かいるのだが」


 前日のやり取りに織り交ぜられた寝耳に水の実情が、さざ波を描きながら呼び起こされた。


 叔母いわく、招待客の比率は中流層も特権階級層も共に等しいとのことだったので、てっきり寧静ねいせいな暮らしを享受する方々ばかりだと信じて疑っていなかった。


 しかしながら実際のところは、全員が故国に忠誠を誓う王国騎士。どうやら参加資格に貴賤は無関係のようだから、これまで催されてきた集いに軍籍の殿方が加わっていても、さして不思議ではない。


「イェルド行きの顔ぶれに俺が交じっていると知った他部隊の既婚者は、ある日官舎を訪ねてくるなり、激励がわりにこう忠告をくれた」


 いったん言葉を切ったワイズナー様は、わが物顔で鎮座するサボテンを一瞥したあと、ついに一風変わった植物を選んだ動機をつまびらかにした。


「女性に贈り物をするさい、人によっては毒にもなりうる花束だけは絶対に避けろ。人族はアレルギー性疾患を持つ繊細な種族なのだから、贈物の選考は熟慮に熟慮を重ねる必要があるのだと」

「……え」


 突如として脈絡がない軍組織の骨組みに始まり、次いでイェルド女性との成婚を叶えた先達者の存在を明かした隣国の武人。


 せせらぐように語られる話の着地点は、どこにあるのか。そんな心持ちでじっと耳を傾けていれば、おそらく誰も結びつけないだろう驚愕の理由をさらりと告げられ、はからずも言葉を喉に詰まらせてしまった。


「男の細君は花粉アレルギーだそうだ。花を受け取ってしばらくすると、くしゃみを誘発されるという。体調いかんでは、目元や頬などの肌に痒みが現れるのだとか」


 わたしの周囲では見当たらないけれど、確か従姉の友人に、酷似した症状で悩まされている令嬢がいた。


 今ではおぼろげな記憶だが、花壇や温室、あげくには樹木が茂る公園をも敬遠する念の入れように、度しがたい苦難とつき合っていかねばならない彼女に、いたく同情したものだ。


「幸いにしてお互いひと目ぼれだったため、くだんの花束が原因で二人の仲がいたずらにこじれることはなかったが……男はその出来事をきっかけに、生まれてはじめて“無知は罪なり”という言葉の意味を痛感したらしい」


 並外れた特性を持って生まれた竜人族は、総じて病魔も裸足で逃げ出すほどの強健だと、まことしやかな風説が国内に浸透して久しい。火のないところに煙は立たないはずだから、体の造りが桁違いに丈夫というのは事実なのだろう。


 常人でしかないイェルド国民にしてみれば、健康がそこなわれない肉体だけでもうらやんでしまうのに、驚異的な速さで傷を癒す賦活ふかつ力まで兼ね備えている彼らは、まさしく竜に翼を得たる如しだ。


 もしも、病や怪我とは疎遠の暮らしがあたり前なのだとすれば、全美な健康体が裏目となり、アレルギー疾患そのものの概念が存在しないのかもしれない。


 あるいは膨大な知識の一端として刻まれていたとしても、どのような経緯で症状が発露するのか、大多数の者がまったく把握していなかったとも考えられる。


「不調をきたす要因を孕んではいるが、やはり女性は誰しも、多種多様な花弁や芳香が楽しめる贈花を好むのだろう」


 いずれにせよ、身近な症例が皆無だったと仮定するなら、自分たちに直接関わりのない疾患に馴染みがなくても無理からぬことだ。


「むろん、必ずしもあなたが花粉に反応する体質とはかぎらない。しかし、人体に悪影響を及ぼす可能性がわずかでもあるのなら、例え親しみ深い花束とて厳格に除外すべきと判断した」


 それなのにこの方は、同じ轍を踏むなと知恵を授ける先任の助言を踏襲し、譲歩できぬ項目を前提条件に贈り物を吟味してくれた。


 儀礼や不文律にとらわれることも、漫然と倣うこともよしとせず、彼なりの観点から検討を重ねて善処してくれた。


「切り花の寿命は短いと聞く。季節によって異なるようだが、およそ一週間前後だったか。花々は美しいぶん、とても儚い。天より与えられた命数だと、正論を突きつけられればそれまでとはいえ、色褪せるにはさすがに早すぎる」


 女性への受けは望むべくもないと承知のうえで、あえて物珍しい植物を選択した意図についても同様だ。


 異性宛ての花束を選定するさい、イェルドの殿方はおしなべて、最初から最後まで生花店の係りに丸ごと負託する傾向がある。


 所狭しとひしめく百花繚乱には目もくれず、貨幣だけを渡してあとは馬車で待機している人や、時間を惜しみ、ひいきの生花商へ従者を使いに出す合理的な人も少なくないのだとか。


 あくまでわたしの憶測に過ぎないけれど、飽きさせないよう花の組み合わせに試行錯誤を加えたり、ちょっとした趣向を凝らしたりする手間が、回を追うごとに億劫だと感じてくるのではないだろうか。


 もちろん、すべての男性に当てはまるわけではないし、店員まかせにする現状に異を唱えるつもりもない。おのおのの事情はさておくとして、その方面に精通している商売人を頼るのはなにも間違ったことではないのだから。


 贈花選びを面倒がる背景には、殿方にしかわからない苦悩があるのかもしれない。差し出されるそれを受け取る側の女性が、意識改革を求めるなどおこがましいとも理解している。


 それでもせめて、外部に悟らせない程度の無精にとどめておいてほしいと願うのは、果たしてわたしの我が儘だろうか。


「愛でるにはそぐわぬサボテンで申し訳ないが、これの生命力は悪辣な環境に適応しているだけあり、かなり長持ちする。必要最低限の世話を怠らなければ、十年から二十年は生きるそうだ」


 出会ってまだ二日目だけれど、ワイズナー様には驚かされてばかりだ。


 花束なんてどれも同じと、適当に見繕うこともできただろうに。硬質で荒削りな雰囲気とは真逆に、配慮と細やかさにあふれるこの方は、わたしのために最善を模索し、そして尽くしてくれた。


 律義にも上輩の勧めに従っただけでなく、もらい受ける側の心情もすくい上げ、長い年月をゆっくりと生きてゆける品種をわざわざ探してくれた。


 全身に棘を蓄える、乾地原産のサボテン。衝撃的な風采ふうさいにはいまだ違和感がぬぐえないけれど、ひょんな理由でやって来た異色の植物には、ちゃんと意味があったのだ。


「申し訳ないだなんて……すてきな贈り物をありがとうございます。とても嬉しいです」


 物の価値は二の次。そこにこめられた気持ちが大切なのだと再認しておきながら、わたしもご多分に漏れず、刷り込まれた固定観念に捕らわれすぎていた。


 あろうことか、胸に灯った驚喜と謝意を脇に追いやり、純粋な感想を模範的な羅列で書き換えるべきかと計算してしまった。


 虚飾の代名詞たる社交辞令を、まっすぐなこの方にもちいようとした自分が恥ずかしい。


「花といえば……」


 かすかな自己嫌悪に見まわれていれば、流暢だった弁がふいに立ち止まる。なにかを思い出した様子の彼は、途切れた言葉の代わりに上着のポケットをさぐると、手のひらで柔らかく包むようにしてこちらへ差し出した。


 他にも渡す物があるのだろうかと、乗り出す姿勢で上体を屈める。呼応して、骨張った指が広げられたとたん、視界に映り込む小ぶりのそれ。鮮やかな発色と華やぐ輪郭を焼きつけたまま、「これは……」と揺らぐ吐息を空気に溶かした。


「園遊会を差配する官吏から預かってきたのだが……すまない。本題を失念していた」


 ほんのりと眉尻を下げたワイズナー様に瞳をあてがってすぐ、大きな手に乗せられた小物へと再び視線を落とす。


 真紅に染められた幾重もの花びら。緻密に作りこまれた花弁は夜露の匂いを連想させ、支えるようにのぞかせる突起のない茎が、形状全体の均衡を優美に演出していた。


「身分証の役割を請け負う花飾りだ。気づかぬうちに遺失してしまったせいで、あなたは本日の茶会に出席できずにいたのだろう?」

「ワイズナー様……」


 俯けたおもてをゆるりと持ち上げ、昨日の顛末をよぎらせながら、苦笑まじりに唇をたわめる。


 帰邸後、衣裳部屋をはじめとして、使用した馬車の床から歩いた廊下に至るまで、あらゆる場所を切迫した形相で探しまわっていたポーラ。


 責任感が強い彼女のことだ。自責の念に駆られていたに違いない。セオドアやベリンダに断りを入れ、日没を迎えてもなお邸じゅうを探索しつづけていた姿は、本当に見るに忍びなかった。


 父と二人でどうにか説き伏せ、失せ物さがしを断念させなければ、頑固な一面を持つ有能な侍女は、果敢にも王城まで問い合わせに赴いたことだろう。


 当たらずといえども遠からずの指摘に曖昧な表情を浮かべたわたしは、ガーデンパーティーへの参加を示す赤薔薇のコサージュを、伸ばした指先でためらいがちに摘み上げた。

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漆黒の騎士と凍える華 聖 直貴 @slow-footed

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