漆黒の騎士と凍える華

聖 直貴

イェルド王国編

縁は異なもの味なもの

【1】

「人には相性というものがある。相手にいだく直感的な波長もそうだ。ただ、理屈ではない感覚や目に見えない親和性は、努力や折り合いでどうにかなる代物ではないし、妻になる予定の女性に微塵も興味が持てない時点で破綻はまぬがれなかった。つまりは、なるべくしてなった結果だ」


 見慣れた庭園。指に馴染む茶器。そよ風に乗って鼻腔をくすぐる花の香り。

 そしてテーブルを挟んで向かい合う、わたしたち。


 いつもと同じ代わり映えのしない光景のはずが、ゆがみをきたしながらしだいに色を失っていく。


 年若く、未熟で危なっかしい関係だけど、心を添わせて築き上げる幸せのかたちは不変で、明るい未来へと繋がっている――そう信じて疑いもしなかった二人の絆に、不協和音の亀裂が走る。


「誤解がないよう言っておくが、面倒に感じてはいても別に君を嫌ってのことじゃない。正直、面白みに欠け、物足りなさも多分にあったけれど……それでも二年のつき合いだからな。従順で気が利くところはそれなりに気に入っていたし、出しゃばらない控えめな性格は邪魔にならなくて都合がよかった。だがけっきょくは、いようがいまいがどうでもいい、名ばかりの許婚でしか価値はなかったってことだ」


 耳に吹き込まれる抑揚はとても軽やかなのに、意味を成す言葉の羅列は侮辱きわまりない。ため息まじりの無関心さは日常的で、よそよそしい態度で距離を置かれるのは珍しくなかった。


 しかし、こんなふうにあからさまな物言いで鞭打つ人ではなかった。


 わたしが知る彼は、当たり障りのない会話とつまらなそうな顔つきで、義務感を漂わせつつ淡々と接するだけだった。


 体面を保つための交際。儀礼的な触れ合い。ひと摘み程度の配慮しかもらえなかったけれど、今の彼はなけなしの社交辞令すら捨ててしまったように感じる。


「寒々しい色合いはどうしようもないとはいえ、可もなく不可もない平凡な君が俺の隣に立つだなんて、エスコートさせられるこちらが恥ずかしくてたまらなかった。貴族女性に求められる貞淑さは及第点だが、話術も乏しく、おとなしさだけがとりえの相手と一緒にいて楽しいと思えるはずがない。それに――」


 わたしに向ける疎ましげな表情から一転して、甘やかな夢に浸るように端整な相貌を綻ばせた。


「ようやくめぐり会えたんだ。君など足下にも及ばない、すべてを捧げるに値する運命の女性に」


 愛を綴った詩の一節でもそらんじる饒舌さで、恍惚とした熱い吐息をその唇に絡ませる。


「豪奢な花々も一瞬にして霞むくらいの微笑。磨き上げられた所作。魅惑的な美貌と匂い立つようなオーラは極上だ。ひと目で心が奪われたよ。俺には彼女しかいない。女神の化身の如き彼女が手に入るなら、額づくことさえ厭わない。これは紛れもなく真実の愛だ」


 真実の愛。


 熱に浮かされる口調で紡がれた単語が、脆くて無防備な胸の中心を容赦なく抉る。呼気を吐く喉は渇き切り、どうしてとなじりたいのに、声帯が麻痺して掠れ声すら出てこない。


 鏡で確かめなくともわかる。血の気が引いた顔は幽鬼のように青白く、平静を装うべき頬は、さぞ無様に強張っていることだろう。


 苦しくて、悔しくて、無惨に踏みつけられてもやっぱり好きで。根底から否定された想いが、嘆きと悲しみを伴って渦を巻いた。


 それでもと、うずくまりそうな気持ちを叱咤する。

 なぜなら破局を示唆する予兆は、幾度もあったからだ。


 わたしを軽視し、片手では足りないほどの女性と浮き名を流してきた節操のなさには、ずっと傷つけられてきた。口さがない周囲から、放蕩に耽る噂を囁かれるたび耳を塞ぎ、ぐらつく気持ちを押し殺さんと何度も唇を噛み締めてきた。面白おかしく嘲笑されてもなお、彼を信じるのだと一縷の希望に縋ってきた。


 いっときの遊びに違いない。いずれ目が覚め、再びわたしを瞳に映してくれる。

 不実なおこないを問い質した瞬間、うるさげに手を振り払われるけれど、感情的になっていただけ。


 多感な年齢は揺れがちだから、きっと虫の居所が悪かったのだ。

 ぎこちなく冷めた間柄は過渡期だけで、結婚後はお互い手さぐりしながら歩み寄っていけるはず。


 つらい現実を受け流し、暗示をかけるようにして、くり返し言い聞かせてきた。


 それなのに悪びれるでもなく心変わりを告白し、よりによって挙式を半年後に控えたこの時期に婚約の解消を突きつけるだなんて、身勝手にもほどがある。


「そういうわけだ、アニエス。リヴィエ伯爵家との姻戚は家のためだと、口うるさい父に従うかたちで継続してきたが、今日をもって君との婚約を白紙に戻す」


 破棄に関する正式な書状は、近いうちに父から送付されるはずだと、事務的な補足が上滑りするなか、膝の上で丸めた指をぐっと握り締め、あふれそうになる涙をひたすらこらえつづけた。



 ***



「見事にうわの空ね」


 年齢を重ねた声音がしっとりと漂い、どこかさぐるような気配は、過去の残骸をなぞっていたわたしに据えられていた。


 指摘されたばつの悪さに思わず睫毛が震えたけれど、見るともなしに見つめていたティーカップから視線を離すと、対面に座る貴婦人を窺った。


「わたし、ぼんやりしていましたか」

「ええ。一応、話の要所要所に相槌を打つけれど、判で押したような生返事でしたよ。しかも虚ろな瞳は物を認識しているのか疑わしいほどくすんで見えましたから、さすがのわたくしも少々心配になりました」


 呆れまじりのため息をこれ見よがしに吐くと、しょうがない子ねと言いたげに、年長者らしい口角をそっと和らげた。


「……ごめんなさい、叔母様」


 からかい半分でちくりとやりこめるその人は、ドレッセル侯爵夫人アドリーヌ・シュリック。幼い頃に母を亡くしたわたしをなにくれとなく気にかけ、実の娘同然に愛情を注いでくれた父の妹だ。


 そして傷心するわたしの傍らに立つや、「紳士の風上にも置けないあんなクズとの縁が切れたくらいで、デュノアの直系ともあろう者がいつまでもめそめそしていてはいい笑い種です。しゃんと背を伸ばして、顔をお上げなさい」と、叱り飛ばしてくれた豪胆な人物でもある。


 彼女の言葉はもっともだ。なにしろ私室にこもりがちのわたしは瞼が腫れるまで泣き、悲嘆に暮れるあまり信頼する侍女をも遠ざけて過ごしていたのだから。我が儘なふるまいを謝りこそすれ、反論しようなんて露ほども思わなかった。


 二度と元には戻らない婚約にしがみつけばつくほど自分がみじめで、よけい気鬱に陥った。食が細くなり、肌も荒れた。鎖骨は際立ち、コルセットを着けずとも、十分なくびれを保てる胴回りになった。


 ふっきるどころか、ますます深みにはまっていく姿を見かねた叔母は、やつれ顔のわたしをのぞき込むと飾らぬ口調でこううそぶいた。


 成婚前に、先行きが不穏だらけの仮契約がご破算になってよかったと思いなさい。もしも挙式後に離縁だなんだと騒動が起これば、煩わしい醜聞につきまとわれる面倒は必至。なにより、心に負う傷が浅いうちに別れられたなら僥倖のきわみなのだと。


 忌々しい枷の消失は一番の朗報とほくそ笑み、衰えを知らぬ美貌に満足げな輝きを浮かべていた。


 当時ベッドですすり泣くしかできないわたしは、混沌とする感情と未練に振りまわされ、踏ん切りをつけるには至らなかった。


 しかしながら、観点を変えた捉え方をするだけで気持ちが楽になったのは事実だし、前向きな励ましの効果か、目からうろこが落ちたような気分だった。


 気概の塊と言っても差し支えない叔母には、いつも救われてばかりだ。彼女のおかげで、あの日を境に心の整理をつけはじめ、今ではずいぶんと落ち着いた。


 凪いでゆく気持ちの変化を見越したように、破談話が色褪せて間もなく、お茶会や夜会といった催しの誘いもちょくちょく届くようになった。けれど――。


 折に触れ、破れた恋心が爪を立てるからかもしれない。

 生乾きの傷が疼くせいで、怖気づいてしまうからかもしれない。


 心配性の父は、小さな茶会から顔を出してはどうかと勧めてくれたが、噂好きな人間が集まる場所に赴く勇気は、まだ持てそうになかった。


「心ここにあらずのあなたにもう一度訊くけれど、久しぶりに開催される盛大な行事に参加してみる気はないかしら」


 きょとんとして首をかしげる反応は、すでに織り込み済みなのか。なにを言われているか無理解のわたしなどお構いなしに、さっさと話を進める叔母はテーブルに広げた手紙をとんと指さした。


 よく見ると、丁寧な折り目がついたそれは案内状のようだ。案の定、手に取った紙の手触りは上質で、そのうえ透かし模様まで描かれていた。品のよさに感嘆しつつ、横一列に揃う文面をゆっくりと追う。


「王家主催の園遊会?」

「来月の初めに王城の園生そのうで開かれるのですって」


 時候の挨拶を筆頭に、形式美に則った記載文の内容を要約すると、こうだ。


 隣国ローウッドから数十名のお客様を招待している。両国の友好と親善を兼ねた社交の会に、ぜひとも自国の民も出席してほしい。なお来賓の方々は皆男性なので、主催国側の参加資格は未婚の成人女性に限定する。


「あの、これって、まるで……」

「ええ、あなたの想像どおりでしょうね。名目上、友誼を深めるなんて文言を使っているけれど、ようするに国家規模のお見合いパーティーなのだと思うわ」


 幸いにも全面対決にこそ発展していないが、地続きで隣り合うローウッド王国とは、境界に接する領地をめぐってわがイェルド王国とたびたび小競り合いをくり返してきた歴史がある。


 自国の一部だと主張を譲らず、長きにわたっていがみ合う原因となった属領は、地図で確認するかぎり広漠とした面積があるわけでもなく、また特筆すべき産業を有しているでもなかった。


 利を生む貴重な土地かと問われれば、判断に窮するような領土だ。しかし、例えささやかであろうと自国に取り込み、少しでも勢力圏を拡大したいと望むのは、一国を動かす権力者なら誰しもが持つ野心なのかもしれない。


 臣民に不安の翳りを落とす情勢が共同統治という譲歩案をもって終息を迎え、めでたく講和条約が結ばれて数百年。


 長期に及ぶ軋轢が取り払われた効用か、物流などの交易が飛躍的に盛んになり、種々様々な商品や芸術が身近に触れられるようになった。街には異国の香りがそこかしこにあふれ、それと同様にこちらの生産物も、かの国にすっかり浸透していると聞く。


 国家間の安泰を掲げたい狙いか。もしくは政治に疎いわたしでは推し測れない思惑のためか。良好な関係が築かれて以降、両国友好の証を可視化するように、何年かに一度という頻度で大がかりな宴が設けられている。


 確かここ最近でおこなわれた招宴といえば、三年前の交流会がそれに該当するのだろう。当時、隣国のお客様が大路を通過すると聞いて、矢も盾もたまらず父がこもる書斎の扉を叩き、沿道に立つ許可をもぎ取った記憶がある。


 ちょうど同じ頃、婚約したての彼とは睦まじい仲に歩み寄るどころか、関係はとんと希薄で、家同士の駆け引きを介在した繋がりしかなかった。


 だから表面上のつき合いだけでなくお互いを知るきっかけになればと、勇気を振り絞って行列の見物に誘ってみたのだが、あいにく「先約がある」のそっけない一言で一蹴されてしまった。


 外出を機に少しでも距離を縮められたらと期待していたぶん、袖にされた落胆は大きくて、悄然と落ちた肩はますますうな垂れてしまった。


 おそらく傍目にも、塞いだ様子は一目瞭然だったのだろう。数日後、元気づけるように行進の観賞に連れ出してくれた兄たちのおかげで、豪奢な箱馬車の歩みを目の当たりにしたとたん、消沈した気持ちはあっという間に霧散した。


 パレードというほど仰々しさはなかったものの、王城へと繋がる行列は、人混みからちらりと垣間見ただけでも壮観な眺めだった。


 どんな人たちが乗っていて、どのような親交を目的として訪れているのだろうか。彼らの容姿は、生の声は、価値観や風習はと、見知らぬ文化と空気にわくわくと思いめぐらせた興奮はいまだ鮮烈に残っている。


 けれど、王家が指揮を執る人的交流の実態が、まさか男女の出会いの場だったとは夢にも考えていなかった。


 親睦を通して両国の関係を密にするというのなら、見合いも交歓会の括りに入るのだろう。とはいえ、そびえ立つ垣根を取り払い、不特定多数の男女が知り合う催しにしては、さすがに規模が雄大すぎるのではないだろうか。


「無理です。お見合いだなんて……わたしには」


 こぢんまりしたお茶会ですら気が進まないのに、一足飛びで大勢が集まるパーティーに勇めるほど、二の足を踏む心理面が持ちなおしたわけではない。ほぼ一年を経た今でも想いが逆行してしまい、活発で行動的だった昔の自分を取り戻せずにいる。


 むろん、このままではいけないと重々承知しているし、いずれは社交界に復帰しなくてはならない身だ。それでもあと少しだけ、意気地なしの心を奮い立たせる猶予が欲しい。


 雁字搦めの葛藤が、曇る顔に表れてでもいたのか。口ごもるわたしを凝視した叔母は、「あなたの価値を、あなた自身が安く見積もってはなりません」と諭すような声音でやんわりと窘めた。


「政略にしろ恋愛にしろ、婚約という名の約束事が立ち消えただけで、とたんに女性は傷物あつかい。口惜しくも次の結婚を阻害し、醜聞が大好物な魑魅魍魎どもの餌食になる。あげくの果てには、もらい手のない娘が行き着く先は修女か後妻と嘲笑される一方、傷をまぬがれた殿方は新たな婚約にこぎ着ける」


 眉根にしわを刻んだ叔母は、サファイアを彷彿とさせる青の瞳にかすかな怒気をよぎらせると、


「いつの時代も泣き寝入りを強いられ、不利益をこうむるのは女性ばかりだなんて……不公平が過ぎると思いませんか。まったく、男尊女卑もはなはだしい貴族社会の風習には、心底辟易してなりません」


 不快感に染まったため息を宙に溶かし、洗練された仕草で取り上げたカップを口元に運んだ。


 一つ一つの動作は美しく、ひそめた柳眉でさえとても魅力的だ。勝ち気な性格は淑女と呼ぶには型破りだが、貴族子女としての素養が高かった彼女を見るにつけ、やはり社交界で生きる根っからの貴婦人なのだとつくづく思う。

 手本にすべき先達は、憧れてやまないレディの鑑だ。


「あなたたちの婚約は政略的な意味合いが大きかったとはいえ、もともとあちらからごり押しされた話でしたし、毒にも薬にもならない家と縁づいたところで、デュノア家には無益以外のなにものでもありませんでしたからね。だからこそ、当初は歯牙にもかけていなかったのだけれど」


 先方に請われたがゆえの婚約だとは初耳だ。というより、まるきり逆の事情だったことに驚いた。


 聞くにたえない艶聞に傷つくつど、あの人は恩着せがましい口振りと露骨な態度で優位性を顕示していた。父のほうがぜひにと頭を下げ、しぶしぶ承諾した婚約なのだから、娘のわたしも分を弁えるのが筋ではないのかと。


 ことあるごとに念を押されていた経緯もあり、降って湧いたような婚約はてっきりこちらから申し入れた話なのだと思っていた。


 顔合わせという名目で紹介された瞬間、恋に落ちた。ひと目で彼を好きになった夢見る乙女は、愚かにも甘酸っぱい初恋に有頂天になっていたのだろう。


 愛する人が許婚となった喜びに浮かれるあまり、そこに至る仔細など考えもしなかった。いくら視野が狭くなっていたとはいえ、わたしたちの結婚が両家にもたらす利点くらい、関心を差し挟んで然るべきだったというのに。


 恋は盲目とはよく言ったものだ。遅まきながら、微塵も疑問を覚えなかった自分がひどく恥ずかしい。


「ごうつくばりの提案に取り合わなかったステファンが……あなたのお父様が最終的に婚約を認めたのは、甘ったれのクズを憎からず思っていた、愛娘の恋心を尊重してのことでしょう。一族の当主らしくおくびにも出さないでいましたが、おそらく胸中では憤懣やるかたないと歯がみしていたのではないかしら」


 思えば、わたしが婚約して以降、父は時どき柔和なおもてに憂いを浮かべていた。あの人と出かける予定を伝えた拍子に、苦虫を噛みつぶしたような表情をよぎらせたのは一度や二度ではなかった。


 界隈を賑わせる彼の浮き名に肩を震わせた時など、「不誠実で無責任な男は、お前に相応しくない。もしも解消を望むなら、じゅうぶん引き返せる」と慰めに物々しさを織り交ぜながら、あやすように抱擁してくれた。


 叔母が告げたとおりだとすると、不本意ながらも賛成しかねる婚約に同意した理由は、娘の思慕を最優先に慮ってくれたからだ。いずれ訪れるだろう破綻を予見してなお、わたしの幸せを願うがゆえに目をつぶってくれたのだろう。脆くて儚い土台の上に成り立つそれを、憎々しく唾棄しながら。


 一族を束ねる家長としてではなく、父として決断を下した親ごころを思うと、昔も今も家族に心配をかけてばかりの自分が不甲斐なかった。


「この一年、集いという集いをかわしてきましたが、腹立たしい過去の汚点は綺麗さっぱり払拭して、そろそろ新たな縁を結んでもいい頃ではなくて? アニエス」


 彼との婚約を汚点と言い切った叔母は、艶然とたわめた唇に朗らかな美声を乗せ、躊躇するわたしをその気にさせんと流暢な話法でそそのかす。


「王家主催と聞こえは堅苦しいでしょうけど、リハビリを兼ねたお茶会と思えばよろしい。豪華絢爛な装飾を楽しむでも、たわいないおしゃべりに興ずるでも、お菓子に舌鼓を打つでも、委縮してしまった心がなごむのならなんでもいいのです。あなたはまだ十九歳。花盛りのまっただなかにあります。救いようのないクズに引きずられ、寡婦さながらに枯れた人生を送るなど、わたくしが許しません」


 貴婦人にあるまじき険しさをたたえた叔母は、「あくまでも主旨は殿方を交えたお茶会であって、伴侶探しはただの副産物。難しく考えずともよいのです」と、物騒な覇気を消し去りながら眦を和らげた。


「でも、叔母様……案内状に記されているイェルド側の参加条件は、“未婚の成人女性”という一点のみです。裏を返せば、出自や婚姻歴などいっさい問わないと解釈できますから、きっと国じゅうの該当女性が殺到して、膨大な参加人数になるのではありませんか」


 例えば、わたしのように曰くの烙印を押され、いまだ嫁ぎ先が未定の者。家格に兼ね合う花婿選定が難航している家の娘。もしくは叔母が引き合いに出した、夫と離別した若き未亡人など。


 抱える事情はさまざまだが、一堂に会した女性を目にした男性には、しょせん瑣末な理由でしかないのだろう。


 人はまず最初に、外見や雰囲気でふるいにかける。

 好みかそうでないか、好感をいだくか否か。


 見目麗しい女性から庇護欲をそそる可愛らしい少女まで、幅広い年代とタイプが揃うのだから、あちこち目移りするのは火を見るよりも明らかだ。


 まさに美の共演となるだろう宴は、想像に難くない。仮にわたしが出席者に名を連ねたところで、彩りあでやかな彼女たちに埋もれ、瞬く間に霞んでしまうのは言わずもがなだ。


 嬉々として勧めてくれる叔母には申し訳ないけれど、殿方の目に留まる以前の問題だと思う。


 鮮やかさとは真逆の寒々しい色味。印象に残らぬ平凡な容姿や、絶望的な話術。面白みがなく、一緒にいる価値を見いだせない女。


 女性遍歴が華美な元婚約者いわく、わたしという人間はひどくつまらないらしい。もちろん彼の主観に偏った心証だと理解しているし、すべてを鵜呑みにするつもりはない。


 けれど残念ながら、真っ向から否定できるだけの材料を持ち合わせていないのも事実だ。もしも本当に女としての魅力が欠落しているのなら、意を決して参加したとしても徒労に終わるのは明白だった。


「あなたの懸念も一理だけど、その可能性は低いと思うわ。おそらく一定水準の教育を受けた子女……正確に言えば爵位を賜っている貴族、あるいは裕福な商家の令嬢に絞られているでしょうね。漏れ聞くところによると例年は中流層が主体らしいのだけど、なんでも今回の招待客は半数が身分ある方々なのだとか……。ならば恥ずかしくない程度の知識を持ち、いくらか会話についていけるだけの教養は必須と考えるはずです」


 確かに。叔母の推測は理にかなっている。市民階級で構成されているとはいえ、賓客の五割を貴族が占めているのなら、男女の身分がつり合うよう女性側も上流階級に限定する狙いは納得できる。


「それに庶民にまで範囲を広げてしまうと……あなたがこぼした先ほどの憂慮ではないけれど、希望者がおびただしい数に膨れ上がってしまいますからね。それらを踏まえたうえで、礼儀作法を学んだ妙齢の娘を持ち、なおかつ王都を基点とした近郊に居を構える上層に厳選しているのではないかしら」


 案内状を無作為にばら撒いているわけではないという筋立ては、あながち的外れではないように思う。


 イェルドの国土はとても壮大だ。そこに住まう“成人した独身女性”なんて星の数ほどいるだろうから、王家所有の庭園がいかに大きかろうと、あっという間にあふれ返ってしまうに違いない。


 少し考えればわかることだ。運営する王宮勤めの官吏が、前もって想定しておかないはずがない。


「難しく考えなくてもいいと、叔母様はおっしゃってくださいますけれど……自身の品格や値打ちを磨いてきた大勢の淑女が集います。やはり目にしてしまえば意識せずにはいられないでしょうし、ましてや影が薄い地味なわたしではご期待にお応えできそうにありません」


 とたん、ちくりと棘が刺さる。卑下するような自分の台詞に、胸を痛めるなんて世話がない。無意識にまろび出た自虐的なそれはことのほか自己嫌悪を刺激して、ますます気持ちが縮こまってしまいそうになる。


 どうやら自覚していた以上に、昇華できずにいる想いや傷は根が深いらしい。高い授業料を払ったと思って忘れなさいと、家族や叔母は慰めてくれるけれど、失恋がこんなにもつらくて苦しくて後を引くものだなんて知らなかった。


 すっぱりと断ち切ってしまいたいのに、彼への思慕が絡みつき、痛みとなって心を縛る。婚約解消から、はや一年。だというのに未練がましく過去に捕らわれ、皮肉や当て擦りにさらされる苦痛に怖気づいている。


 ならば、褪せない思い出ごと決別するには、あとどれくらい時間がかかるのだろう。三年後? 五年後? それとも――。


 諦めを呑み込むように瞑目する。残酷な別れにも、打ち込まれた劣等感にも素知らぬふりで、「……ですから、参加するだけ無駄だと思うのです」と辞退を匂わせる抗弁を絞り出した。


「ねえ、ポーラ。傲慢で自信過剰、品位の欠片もない令嬢たちに埋没してしまうほど、わたくしの可愛い姪は魅力がないかしら」


 自嘲めいた弱々しい言葉は直後、使用人に向ける澄まし声に遮られた。


 逸れた矛先に戸惑いつつも、追いかけるようにして瞳を移す。


 紅茶のお代わりを注ぐ人影は、濃紺のエプロンドレスを隙なく纏う二十代なかばの侍女。声かけされ、流麗な手つきで陶器製のティーポットをワゴンに戻した彼女――ポーラは、落ち着き払ったていで背筋を伸ばした。


「恐れながら、この場をお借りいたしまして、忌憚なき発言をさせていただいてもよろしいでしょうか」


 ポーラは今でこそわたしの専属侍女だが、元来はシュリック家の使用人で、叔母に仕える侍女の一人だった。


 父に連れられ、幾たびか訪問している侯爵邸はとても大きく、その建物に見合った人数の雇用者が立ち働いていた。


 邸を取り仕切る家令も、下の者を管理する侍女長も、もちろん勤務する奉公人も皆如才なく、侯爵家に仕えるに相応しい質の高さだった。


 来客への礼儀は下働きの習わしだとしても、子供のわたしにも折り目正しく挨拶してくれる彼らは、非の打ちどころがなかったように思う。


 帰路の途についたさい、なんでもスマートにこなすシュリック家の使用人を誉めそやせば、「徹底した教育の賜物なのだろう。けれどね、デュノア家とて負けてはいないよ」と、張り合うように笑っていた父が印象的だった。


 たくさんの奉公人が勤めるなか、侍女職に就くポーラは、とりわけ群を抜いて有能だったらしい。仕事への取り組みは真摯で、人柄も至って真面目。主家に仕える姿勢は一本芯が通っているのだとか。


 とにかく洞察力というか鑑識眼というか、人を見る目に肥えている叔母のお眼鏡にかない、姉がわりの立ち位置で寄り添える侍女として、幼かったわたしのもとへ職を移すことになった。


 以来、陰になり日向になり、献身的な配慮と慈しむような優しさで尽くしてくれている。わたしにはもったいないくらいの彼女は、もはや姉がわりではない。かけがえのない姉そのものだと断言しても過言ではなかった。


「いいでしょう、許可します」


 叔母の許しにありがとうございますと礼を執ったポーラは、冷静さがつねの端整なおもてに、挑戦的とも好戦的ともつかない微笑をうっすらと浮かべた。


「私どもが敬愛してやまぬお嬢様を苦しめたあの方をクズとすれば、人を貶めるしか能がない生き物もまた同然。人の不幸は蜜の味と、誹謗中傷をさえずる嘴しか持たぬ雀は、カスと呼ぶに似つかわしいかと存じます」


 いきなり不適切な所感が飛び出てくるとは思わず、ぎょっとした弾みに口元を引きつらせてしまった。


「しかしながら、嗜みある令嬢とは思えぬ下品な婦女子が多いなか、汚濁を物ともせず凛と咲くお嬢様はとても健気で際立っておられます。真の令嬢としての気品と女性らしいたおやかさ、そして清廉な雰囲気を纏わせる透明感ある繊細な美貌。すべてを満たしていらっしゃる、私ども自慢のお嬢様です。底辺以下のカス如きが束になろうと、聡明で気高きアニエス様が霞んでしまうなど絶対にあり得ぬことでございます」


 こそばゆさを誘う過大な賛美と、時おり閃かせる歯に衣着せぬ物言いはいつものことだけれど、さすがにこれはまずいのではないだろうか。


 看過できる範囲か、階級社会の不文律に抵触するか、きわどいところではある。だが聞きようによっては、辛辣を通り越して暴言と取られかねない。


 シュリック家で勤務していた当時は、見込みがあると目をかけられていたにしろ、いかんせんポーラの身分は一介の使用人に過ぎない。


 姉として慕っているわたし相手ならともかく、同じ貴族社会に身を置く叔母の前でこうもはっきり酷評しては、礼節を重んじる彼女の逆鱗に触れてしまわないだろうか。


 自他ともに手厳しい人だけれど、基本的にはおおらかな性格の叔母だ。そんな事態にはならないと思うが、万が一のことがあれば間に入って宥めなければ。

 そんなふうに内心でハラハラしながら二人を見守っていると、


「カス! まあ、なんて痛快な響きなのかしら。心が醜い塵あくたには、似合いの呼称に相違ありません。素晴しいわ、ポーラ。本質を突くセンスと詩的な舌鋒には、いつも驚かされます。アニエスの専属侍女にと、あなたを抜擢したわたくしの勘に狂いはなかったわね」

「恐縮でございます」


 こちらの心配もどこ吹く風と、叔母は感銘を受けたように頬を寛がせ、一方のポーラも清々しい笑みを慎ましげにのぼらせていた。


 片やソファーに品よく腰かける、年嵩の貴婦人。片や一分の隙なく給仕に徹する、二十代の侍女。


 生まれ育った環境、社会的階級、世代、価値観。あらゆる面において共通する点などない二人なのに、まるで志を共にする仲間が手を握り合っているかのように見えるのは、人として青いわたしの目の錯覚だろうか。


「くどいようですが、改めて言いますよ。世間がなんと揶揄しようと、すべては勝手にすり寄ってきて勝手に翻意したクズ一家に非があるのです。あなたは被害をこうむっただけ。恥じることも卑下することも不要です」


 逸らすことを許さない叔母の厳しい視線が、容赦なくわたしを射る。それはさながら、戦いに竦む兵士を鼓舞する将軍のようだった。


 そういえば、連れ添う夫婦はしだいに似てくると小耳に挟んだことがあるけれど、どうやら彼女も例外ではないらしい。


 従事する仕事の性質上、不条理な事柄に膝を折る屈辱をよしとしないドレッセル侯爵。当人は気づいていないようだが、卑劣なやり方に物申さずにはいられない夫君に思考や言動が似通ってきている。

 

 だからだろうか。つい襟を正して、みずからを省みなければと思わせられるのは。


「いいですか、アニエス。女は度胸としたたかさ、そしてほんの少しの演技力さえあれば、大抵の雑音はどうとでもあしらえます。ピーチクパーチクやかましい雀……いいえ、それに劣るカスでしかない女など蹴散らしておやりなさい」

「案じるには及びません。デュノア家に咲きほころぶお嬢様は、清楚で可憐なお姿だけでなく心根もお美しい女性です。正常な美的感覚をお持ちの殿方であれば、放っておくはずがございません。どうぞご自身を誇ってくださいませ」


 表向き優雅で趣きある園遊会を装っているけれど、その実態は背水の陣に追い込まれた女性たちの戦場と言えないでもない。


 なにしろ、身の振り方に困窮している現状に救いの手が差し伸べられるだけでなく、家同士の利害を抜きにした恋愛結婚が期待できるのだ。淑女の慎みをかなぐり捨て、意中の殿方に迫る大胆な令嬢が続出してもおかしくない。


 相思相愛の上に成り立つ夫婦の形は、女性の理想であり憧れだ。

 かくいうわたしも、三年前には夢を見ていた。愛し愛される関係を築けられたらと。


 しかし恋に破れた現在、男性が囁く愛情とはいともたやすく移ろうものだと、身をもって学んだ。彼らは花から花へと欲望の赴くまま飛びまわり、味見をするように蜜をすする蝶なのだと。


 移り気なたちは男のさがと、卑しめるような物言いで切って捨てたのは、果たしてどこの誰だったか。


 恋愛も結婚も否定するつもりはない。しかし、世の中の殿方全員が心変わりするわけではないと思えるようにならないかぎり、すべてを委ねるなんて怖くてできない。


 淹れなおされた紅茶を手に取り、ひそかに思う。


 叶うことなら、花婿探しの交流会は不参加でお願いしたかった。あるいは今年の交歓会は時期尚早と、先延ばしにしてもらえるだけでもありがたかったのだけど……。


 すでに臨場は決定事項になっている二人の台詞からして、わたしに拒否権はないらしい。


 本音を漏らせば、華麗な演出で彩られた会場はのぞいてみたい。だが惜しむらくは、見合いという独身女性の競争心を煽る催し内容がいただけなかった。


 きっと往生際わるくあがいてみたところで、結果は同じなのだろう。であれば、ひとまず叔母を安心させるためにも行くだけ行って、あとは終了時間が来るまでのあいだ、目立たないよう庭園の隅でやり過ごす。


 わたしにできる最善策は、風景に紛れて息をひそめていることだけだ。


 憂鬱でしかないパーティーを思い描けば、もはや苦いため息しか出てこなかった。

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