第2話 戦後GHQ(アメリカ進駐軍)時代へようこそ


       ( 1 )


 再び鐘也は舞台袖から舞台へ出た。

 舞台と客席を仕切る、定式幕は上手袖に束ねられていた。

 すっきりと客席全体が見渡せた。

 上手下手フロント、シーリングライト、バルコニーライトが目に入る。

 一瞬、目つぶしにあったかのように眩しい。

 鐘也は真っ先に、客席に目を走らす。

 先程までの全席升席、観客全員かつら、着物姿はいなくなり、がらんとした空間で、椅子席に戻っていた。

「現代だな。よく短時間で元に戻しましたね」

「何云ってるのよ」

「その戻す作業を見たかったです」

「何わけわからない事云ってるの。さあここに立って止まって」

 ほとりは、舞台の真ん中に誘導させた。

「では、お願いします!」

 真正面に立ち、大きな声で叫んだ。

「一体誰に声掛けしたんですか」

「決まってるじゃない!芝居の神様よ」

「えっ!」

 鐘也の驚きが切っ掛けで、舞台の盆はゆっくりと上手から下手、時計方向に回り始めた。

「この方向で回るのを(上出し)。その逆は(下出し)と云います」

 盆はゆっくりと180度回り出す。

 目の前の客席が徐々に見えなくなる。

 と、同時に乗っているセリが沈み始めた。

「あれっ、セリが動いてる!どこ行くんですか!」

 暫く、目の前のセリが沈むので、釘付けとなった。

「ねえ、ほとりさん、どこ行くんですか」

 何度目かの同じ質問したが返事がないので、ふと横を向く。

 ほとりの姿は消えていた。

「ほとりさん!消えた!どこ行ったんですか!」

 セリに乗ったまま、辺りをキョロキョロするが、見えているのは、切り取った舞台の側面と歯車などの無機質なものばかりだった。

 セリが沈み切り、盆の回転も止まった。

 目の前に、サングラスをかけた外人の男が立っていた。

 顔を動かして、降りろと合図した。

 降りると、背中をカービン銃の先で押された。

「ほとりさん、知りませんか?」

 外人は日本語が解らないらしい。

「シャラップ!」(黙れ!)

 鐘也は、従った。

 舞台の底。つまり、俗に云う「奈落」だ。

 よく、「奈落の底に落ちろ!」と云う。その奈落だった。

 薄暗く、所々裸電球が盆の円形に沿ってぽつんとぶら下がっている。

 四隅には、使わない材木が置かれていた。

 奈落を通り、迷路のように何度も角を曲がり、一つの部屋の前に来た。

 元々は、障子戸だったのを、ドアに改装されていて、障子戸の溝はそのままだった。

 ノックしたのは、背後の監視員だった。

「オウ」

 低い声がした。

 鐘也が入った。

 部屋は畳のままで、カーペットが敷かれて、奥に机がある。

 机の脇には、奥が深い傘立て用の陶器があり、傘の代わりに、星条旗がささっていた。

 机の上には一台のダイヤル式黒電話があった。

 机の隣りには書棚があり、英文の本がある。

 広さは8畳くらいだ。

 天井には和室には不釣り合いの、シャンデリアが吊ってある。

 机の背後には真っ赤なカーテンが吊ってあり、そのカーテンに世界地図が吊ってあった。

 連れて来た男はドアの前で逃げ出さないように、両足を広げ立っていた。

 正面に座っていた外人と目があった。

 スマートグラスにデータが浮かぶ。


 時代 1945年(昭和20年)

 イチジョージ 日本文化担当 日系二世 20歳


「イチジョージ。日系二世かあ」

 思わず鐘也はつぶやく。

 イチジョージの眉毛がぴくりと動く。

「お前は何んで、私の名前と経歴を知っているんだ!」

「いや、その閃きです」

 この状況では、スマートグラスの説明しても、理解してもらえないだろうと、まさに閃きで応えた。

「嘘つけ!スパイだろう!」

「いえ、違います!」

「じゃあ何だ!」

「都座のバックステージツアーの観客です」

「バックステージツアー?観客?都座で今は、バックステージツアーも芝居もやってないぞ。何出鱈目な事を云ってるんだ」

「出鱈目じゃないです。ガイドのほとりさんに聞いてみて下さい」

「ほとり?出鱈目人間め。お前は許可なく侵入したスパイだ」

 もうどうしようもない。

 こいつには、何を云っても通じない。すぐに鐘也は諦めた。

「それに、そのポケットの膨らみは何だ!」

 イチジョージは、背後の男に目配せした。

 男は手荒く、ポケットをまさぐり、なすびを机の前に置いた。

 楽屋番華代が持って来た、社の供物だ。

「なすびが出て来た!ますます怪しいぞ」

 イチジョージはここで立ち上がる。

 背はそんなに高くない。

 175センチの鐘也とほぼ同じくらいだ。

 鐘也の顔を見つめて、その周りをゆっくりと回り始めた。

「背負っているのは、刀か?」

「いえ違います。これは・・・」

「待て!動くな!」

 反撃を恐れていたのだろう。

 イチジョージは、男に顎で合図した。

「ゆっくりと外せ。慎重にな」

 男の粗暴さを知っていたのか、細かく指示を出した。

 背中から外されて、机の前に置かれた。

 今度はイチジョージがゆっくりと布袋から三味線を取り出した。

「義太夫三味線だな」

 今度は鐘也が驚く番だった。

 三味線を知っている外人がこの時代、ある程度いただろう。

 しかし、義太夫三味線とまで云いのけるとは、かなりの日本通だ。

「二年前から、我がアメリカ進駐軍は日本上陸、占領に備えて、日本について徹底的に教育を受ける機関を作った。それは・・・」

 イチジョージの説明が始まった。

 それを鐘也は、直立不動の姿勢で聞く事にした。

 日本語、会話に始まり、習慣、慣習、しきたり、歴史、さらに上陸先に分かれて細かく徹底的に教育されたそうだ。

 京都担当となったイチジョージは、祇園お茶屋、寺社、祭、歌舞伎そしてこの都座について学んだそうだ。

 本棚から一つの袋を見つけて、中から写真の束を取り出して、ばさっと広げた。

 都座の外観、内部、屋上、舞台、客席などを映した写真、さらには、設計図まで見せた。

 改めて、米国の情報の凄さを思い知った。

「京都は私にとって、両親の田舎でもあり、私のルーツでもある。青春の地でもあるんだ」

「そうでしたか」

「しかし、日本は素晴らしい国だ。歴史の層がうずたかくある。これぐらいね」

 と云って、右手を背伸びして高々と挙げた。

「一方、アメリカはこれぐらいね」

 右手の親指と人差し指を突き出し、その感覚は、一センチほどだった。

 思わず鐘也が笑った。

「アメリカンジョークは理解出来たようだな」

「ええ、まあ」

「しかし、なすびがスパイ道具とはなあ。他に何が出来る」

「これはどうでしょうか」

 ポケットにあったスマホを起動させて、音楽を鳴らした。

「凄い!手品師か!」

 イチジョージが取り上げようとした。

 すぐにロックさせて、電源を切った。

 指紋認証ロック機能なので、他の人間が触っても電源も入らない。

「どうした。何も起こらない!どうしてだ!」

「神の手のみぞ知る」

 少し大げさに手を広げて、芝居かかって重々しくつぶやく。

「神の手か!お前は面白い奴だ。名前は」

「常盤鐘也です」

「常盤だと!」

 一瞬間を置いて、イチジョージはスマホを返却した。

「取り上げないんですか」

「そんな個人の所有物にかまってるほど、暇じゃない」

「有難うございました」

「ところで、なすびは、何の道具なんだ」

「それはつまり・・・」

 ここでも鐘也は閃いた。

「神との交信に使用するものです」

 呆れかえったように、まじまじと鐘也を見つめた。

「そうか、そうか。日本は神の国だからな。ところで、好きな歌舞伎は何だ」

 これも閃きに近い感じで即答していた。

「はい、仮名手本忠臣蔵、判官切腹の場です」

 みるみるうちに、イチジョージの顔色が露骨に変化した。

「オーノー!忠臣蔵!ノー!カタキウチ!ノー!ハラキリ!ノー!」

 イチジョージの突然の怒りが全く理解出来なかった。

 快晴の空が、一転にわかに曇り、あっと云う間に雷雨が襲って来たようだ。

「こいつを、牢屋にぶち込め!」

 背後にいた男に首根っこを掴まれると、即座に引きずり出された。

 今来た道を引き返して、奈落の片隅に連れて行かれた。

 牢屋だ。

 こんな所に牢屋がある。

 真ん中の天井に裸電球一つあるだけだった。

 中に人影が二つある。

 ぶち込まれて近づいた。

「若人よ、何やらかした」

「あっ、八幡寿司の大将!」

 さらに横には、華代までいた。

「楽屋番の華代さんまで。どうしたんですか」

「名前もその職種も違います」

「わしも寿司屋の大将と違うで」

「いいえ、八幡八郎さんに、双ヶ丘華代さんです」

「まあ、そこまで云うなら、それでええ。で、お前さん何でここへ」

 鐘也は的確に話した。

「よりによって、好きな演目を聞かれて、(仮名手本忠臣蔵)のしかも(判官切腹の場)て。大きな地雷二つ踏んだがな」

「何がいけなかったんですか」

「あのなあ。よう聞きや。今、日本はアメリカさんが占領してる。日本政府はないの。アメリカが一番恐れているのは、民衆のアメリカへの反逆。その流れの中で、敵討ちを題材にしてる歌舞伎なんて、もってのほかって云う話」

「そうだったんですか。でも華代さんのお陰で、あのなすびで、一つ面白いエピソード出来ました。八幡寿司の大将は何で捕まったんですか」

「それはおいおい、話す」

「私は、実家が進駐軍に接収されたんです」

 華代の実家は、銀閣寺の近く双ヶ丘で、敷地200坪と、広く、離れが洋館だった。

「だったら、感謝こそすれ、何でこんな酷い目にあうんですか」

「それは、また私もおいおいお話します」

「お二方は捕まって長いんですか」

「いや、二人とも昨日や」

 とその時だった。

 日本語と英語が交互に聞こえて来た。

 薄暗い中から顔を出したのは、イチジョージ、さっきの男、そして・・・

「姉さん!走流(はしる)姉さん!」

 鉄格子を掴んで、鐘也は叫んだ。

「姉さん!やっと見つけた!僕です!弟の鐘也です」

 三人は一瞬立ち止まって、鐘也を見た。

 イチジョージが何やら話込んでいた。

 姉の走流は、ちらっと鐘也を見た後、すぐにイチジョージに向かって何やら話した。

 すぐに三人は立ち去った。

「引きつけ作戦失敗やな」

 半笑いで八郎が云った。

「本当に姉さんだったんです」

「まあ牢屋の中でもその元気さ、よろしい」

「おーい、出してくれ」

 鉄格子の前でなおも鐘也は叫び続けた。

 しばらく、様子をみていた華代だったが、

「もうそれぐらいにしましょ」

 と云って軽く背中を叩いた。

「そうやでえ。体力は温存した方がええ。何も一生ここから抜け出せひんわけでもないがな」

「じゃあ何日で出られるんですか」

 振り向いて鐘也は詰問した。

「お兄さん、何で、何日と日数と決めるんですか」八郎が静かに云った。

「じゃあ、一年、二年!最悪だあ」

 鐘也は、他の二人と共に、やっと腰を下ろした。

「何で肝心な時、ほとりさんがいないんだ」

「ほとりさんって、誰」華代が聞いた。

「バックステージツアーのガイドのほとりさん。皆さんとも会ってます」

「そう、会ってる。お前さんの妄想の世界でな」

「妄想じゃなくて、現実です」

「わかった。お前さんの世界では、わしは寿司屋の大将で、華代さんが楽屋番なんだ」

「そうです」

「じゃあそれで行きます」

 華代は素直に従った。

「ただ一つだけ云っといてやろう。世界は一つだけじゃないって事」

「具体的にどう云う事なんですか」

 両手で顔を覆い、うつむいていた鐘也が八郎を見た。

「分かりやすく云えば、目の前の世界が全てじゃないって事」

「全てじゃないんですか」

「そう。多くの国民は、全てだと信じてた。その信じた結果が、三百万人の国民を死なせて、家屋が灰になった」

「騙されてたって事ですね」

「騙される?そんな生易しいもんじゃない。正義も時として変わる。ほんの少し前まで、鬼畜米英だった。しかし、今度はアメリカの国旗を振ってにこやかにおもてなす」

 鐘也が高校の歴史の教科書で習った世界だ。

「でもなあ」

 ここで八郎は言葉を区切って、唾を呑み込んだ。

「歌舞伎だけは違う。どんなに態勢が変わろうとも、歌舞伎の世界は変わらない。四百年続いて来たんだぞ。アメリカの建国の歴史何年だ」

「二百年かそこらです」

「だろう。歌舞伎の歴史の半分にも満たない国の連中が、今、この都座、いや日本を牛耳ってやがる。あいつらにその凄さを見せてやりたいよ」

「だったら、見せてあげなさい!」

 牢屋に響く、ほとりの声だった。

 三人は、一斉に声の方に顔を向けた。

「ほとりさん!今まで何してたんですか」

「説明はあと!さあ、逃げるのよ」

 ほとりは、手にした鍵で開けた。

「さあ、あんたの大事な物よ」

 兵士に取り上げられた義太夫三味線を渡した。

「この人誰?何で顔が真っ白なの」

「説明はあとだと云ってるでしょう。さあついて来て」

 奈落を出て、迷路の地下通路を走る。

「逃げたぞ!」

 兵士の声と英語の叫び声。

「銃は打つな!」

「捕獲しろ」

「周りこめ!」

 どこをどう走ったかは分からない。

 恐らく、ほとりの後ろに続く三人誰も分からない。

 ほとり自身わかっていたのかどうか。

 ほとりは突き当りのドアを開けて中に飛び込んだ。


    ( 2 )


 一瞬、まばゆい光が目に飛び込んだ。

「舞台だ!」

 最初、誰しも都座の舞台だと思った。

 目が慣れて来て、様子がわかる。

 観客席が全くない。

 それに何より、観客はいたが、日本人は誰もいない。

 いたのは、外人兵士で、手にコーラやサンドイッチを持っていた。

 鐘也のら四人の登場に彼らの身体も目の動きも、時が止まったかのように固まっていた。

 舞台には、ドラム、ベースなどの楽器があった。

 でも人はいない。

 ほとりは、躊躇することなく、ドラムに座る。

 華代は、ピアノに座る。

 八郎は、トランペットを手に持つ。

 まず景気よく、ほとりがドラムの連打を始める。

 女性ドラマーの登場に、静まり返った客席が一瞬にして、熱い情熱がほとばしる、コンサート会場へと変身した。

 舞台袖まで来ていた、イチジョージら追手は、他のスタッフにより制止された。

「さあ、あんたもやってよ!お得意のあれを!」

 ほとりが叫んだ。

 鐘也は、すぐに反応した。

 背中に背負った袋から義太夫三味線を取り出した。

「This is Japanese Gutter!」

 と叫んで、すぐにドラム即興演奏に加わった。

 義太夫三味線の音色が、ダンスホールに響く。

 最初きょとんと見ていた、観客は、笑い、口笛、拍手、足でリズム取ったり、カップルで激しく踊り出した。

 鐘也のアップテンポ義太夫三味線の音色がさらにパワーを持ちだした。

 ふと見ると、舞台袖のイチジョージまでもが、手を叩き、足先で軽く舞台を踏んでいた。

 そこへ華代のピアノの連打、八郎の金属音のトランペットが重なる。

 一度も稽古も打ち合わせもしてないのに、完璧な「即興山」を瞬く間に構築していた。


  ジャズ版 創作浄瑠璃「みんなでスイング!」

 ♬

 私は逃げた     魔物から

 たどり着いた地は  楽園か

 じゃあ踊りましょう 歌いましょう

 皆さん座ってないで 手足動かしましょう

 あらあら不思議   勝手に動き出す

 そらそらそらと   こりゃあたまらん

 まるで操り人形   動き早くなる

 それ見て民も    踊り出した

 クルクル来ると   幸も来る

 クルクル来ると   子も来ると

 さあ皆さん     後に続きましょう

 国のこれからの   未来に向けて

 争い戦争のない   平和建設じゃ

 どったんどったん  かっかっかっと

 男も女も      老若男女

 さあ一斉に     踊り出す

 こりゃあたまらん  今宵は幸せじゃ

 さちとさち合わせて さちさち山の賑わいじゃ

 合わさる先に    見える物

 幸せ王国      幸せ大地

 皆が王様      皆が生きる

 幸せ家族      幸せ民たち

 皆が家族      皆が笑う


 外人が鐘也を指さして、大きくどよめいた。

 怒髪天の金髪に始まり、両目に炎がともしび、さらに目を抜け出して、顔の前で揺らぎ出す。

 背中から葉っぱがにょっきりと顔を出して、ぐんぐん伸び出す。

 葉っぱは緑から、炎が幾つも生まれて燃え出した。

 炎が3メートルばかし成長した。

 普通なら熱いのに、熱くない。むしろ、炎の風が外人の頬を撫でて気持ち良くなる。

 義太夫三味線の三本の糸が黄色から金色に輝き出した。

 さらに義太夫三味線自身、周りから金色の光りが幾つも投射し出した。

 レーザー光線が、義太夫三味線から生まれているのだ。

ついには、台詞を云う口元から炎の丸いものが勢いよく飛び出して、外人に直撃した。

熱くて、苦痛の表情なのに、直撃を食らった外人の顔は押し並べて至福の表情だった。

 反応してほとりが激しく左右に身体を揺らして、ドラムの太鼓、シンバルを叩きまくる。

 すると、今度は今までピアノを弾いていた華代が、今度は琴を持って来た。

 弾きながらどうするのか見ていたら、何と琴を、ステージの床に置かずに、そのまま、縦にしたまま弾き出した。

「マジックプレイヤー!」

「琴を縦にしたまま、弾いてやがる!」

「クレージーな奴らだ!」

 日本文化に精通する兵士達は、この離れ業にいたく興奮したようで、紙テープが乱れ飛ぶ。

 ぴったりと華代が鐘也の隣りに寄り添う。

 すると次の瞬間、ほとりもびっくりの行動に出た。

 鐘也の右手が、義太夫三味線から琴に移る。

 と同時に華代の右手が鐘也の持つ義太夫三味線をバチで叩き出した。

 つまり互いに楽器はそれぞれ持ったまま、手だけを交換するまるで、壮大な手品を披露するパフォーマンスに打って出た。

 何故打つ合わせもしてないのに、こんな事が出来るのか、鐘也自身全く理解不能だった。

(身体が勝手に動く)

 べたな表現だが、これしか思い浮かばない。

 八郎はそんな二人の姿を見ながら、自身もトランペット吹きながらすり寄って参加した。

 ほとりの持つドラムのバチ、太鼓の皮、シンバルに白い模様が生まれた。

 ほとばしる汗で、顔に塗っていた白化粧が剥がれ出したのだ。

 鐘也の身体中からも、汗の大群が踊り出す。

 華代の琴も、汗の溜まりがにじり出す。

 それでも演奏をやめなかったのは、客席のないホールにいた兵士達の熱狂ぶりだった。

 日本人の熱狂ぶりとは段違いに、喜び、興奮を現わすパフォーマンスはけた違いだった。

 このリズムの激しい中でも男女はぴったり身体をくっつけて踊る。

 肩車した二人が、同じ肩車した連中とぶつかっていた。

 喧嘩にも似た、身体のぶっつけ合いだった。

 喧嘩と違っていたのは、四人は皆けた違いな笑顔をホールを覆っていた。

 舞台袖からイチジョージが拍手、踊りながら出て来た。

 また捕まるのかと、一瞬鐘也が身構えた。

「大丈夫、捕まえないよ。少しあのテーブルで休もう」

 イチジョージは、ホールを指さした。

「わかりました」

 ステージを降りると、人垣が自然と起きる。

 鐘也にコーラなどを差し出す兵士もいた。

 人垣に埋もれて、後に続くほとりらを見失った。

 奥の四人掛けのテーブルに座った。

 鐘也が座ると隣りにイチジョージが座り、向かいに八郎、華代が座った。

「ほとりさんは?」

「さっきまでいましたよ」

 華代が振り返る。

 鐘也の目の前に、ほとりの代わりに、走流がひょいと顔を見せた。

「姉さん!」

「あのねえ、その姉さんってやめてくれるかな、坊や!」

「だって、姉さんは姉さんなんですから」

「だから違うって!」

 むきになって走流は、テーブル叩いて否定した。

「いいか坊や!」

「坊やじゃないです。常盤鐘也です!」

 鐘也もムキになった。

「では鐘也くん。私の本当の名前を云うわよ。出町柳子。本当の名前っておかしいわよねえ。本当も嘘も出町柳子は一人なんだから」

「あんたがしつこく云ってる走流って人は姉さんで、何なの」

「この都座の中にいると云われています。僕の姉です」

「ふーん、そうなの。写真あるかな」

「あります」

 ポケットからスマホ取り出そうとして、ない事に気づいた。

「どうしたの」

「ない!スマホがない!」

「スマホ?次から次へと解らない言葉を云う坊やねえ」

「鐘也です」

「そう、鐘也くん。そのスマホって何なの」

「電話です」

「あんたってバカねえ。ポケットに電話が入るわけないでしょう」

「電話でもあり、音楽聞けて、テレビ見れて、ラジオも聞ける。さらにゲーム出来て、マグライトついてて、時刻もわかって、天気予報も見れて」

「もういい。君の誇大妄想につきあってる暇はない。出町さん、まあ座ろうじゃないか」

「そうねえ」

 柳子は、仲間が用意した追加の椅子に座った。

 何も頼まないのに、テーブルの上には数えきれない料理が次から次へと出て来た。

 サンドイッチ、空揚げ。飲み物はコーラ、ビール。

 軽く乾杯した。

 鐘也は瓶入りコーラを一気飲みした。

 ライブで喉が渇いていた。

「かなり、苦いですね。今まで飲んでいたコーラと違う」

「コーラ呑んだ事あるのか!どこの進駐軍のキャンプなんだ」

 イチジョージは目を丸くした。

「道端の自動販売機です。コイン入れると自動的にコーラが出て来るんです」

 イチジョージと柳子は、やれやれと云った表情で顔を見合わせた。

「あとで病院へ行こう」

「病院ですって」

「精神科」

「いやです。行きません」

「どうして!」

「事実を話しているからです」

「わかりました。暇人じゃないから、あんたとのおつきあいはこれまで。次は私達の話を聞きなさい。まず、このホールですけど」

「都座ですよね」

「やっぱり勘違いしてたか。違う。無理もないのよ。最初の頃私達も、何度も勘違いしてたの」

「じゃあ、何処なんですか」

「ここは、祇園甲部歌舞練場なの」

「何ですって!そんなはずはない」

 都座から祇園甲部歌舞練場は歩いて七分以上かかる。

 直線距離でも五百メートル以上ある。

 実際は、四条通りから花見小路を通らないといけないから、本当はもっとある。

「じっくり見て下さい」

 優しく、イチジョージがつぶやく。

 鐘也は云われて、じっくりと辺りを見渡した。

 確かにそうだ。

 さっきまで熱狂ライブやっていたステージは、都座に比べると確かに小さく、狭く、第一高さが圧倒的に低い。

 都座には、客席があったのに、ここには何もなくて、ダンスホールになっていた。

「わけがわからない」

 頭を抱えた。

「あなたが、悩むの無理ない。初期の私達と同じだったから」

「えっ」

 鐘也は顔を上げた。

「これから話す事、信じるか信じないかは、あなたの勝手。じゃあ話すわよ」

 柳子は、鐘也の返事を待たずに一気に話し出した。


 都座から、祇園甲部歌舞練場へとダイレクトで行ける秘密の抜け穴がある

 そこは、時間短縮出来てすぐに行ける。

 逆にも行ける

 それを知っているのは、ごく僅かな人間のみ

 鐘也らは、偶然、その秘密の扉を開けた。

 普段は施錠しているのに、何故か開いていた

 抜け穴から行けるのは祇園甲部歌舞練場ともう一か所ある

 祇園甲部歌舞練場は、アメリカ進駐軍が接収していて、今は「カブキハウス」と呼ばれて、ダンスホールとして使用されている

 都座は、接収されていない


 一気に話し終えた柳子は、目の前のビールを飲みほした。

「上手い!」

 プハーと大きなため息ついて云った。

「あのう、質問してもいいですか」

 少し間を置いて、鐘也は尋ねた。

「どうぞ、なんなりと」

「どうして祇園甲部歌舞練場が接収されて、都座はそうじゃないんですか」

「あつ、良い質問ですねえ」

 半笑いで柳子は、鐘也、イチジョージを交互に見た。

「その答えは私の方からしよう」

 イチジョージが話し始めた。

 太平洋戦争が終わり、日本各地に進駐軍が占領した。

 実質、イギリス、米国だった。

 本州は米国だった。

 京都にも米国進駐軍が来る。

 病院、個別の家屋、施設を接収した。

「中でも、兵士の息抜きの娯楽が必要なんだ」

「そこで、ダンスホールなんですね」

「そうだ。祇園界隈で候補にあがったのが、都座と祇園甲部歌舞練場だったんだ」

「で、祇園甲部歌舞練場がダンスホールに決まった」

「そうだよ」

「鐘也くんに質問。何故祇園甲部歌舞練場に決まったか」

「そこですねえ」

 もう一度、改めてダンスホールとなった祇園甲部歌舞練場を見渡した。

 交通の便から行けば、都座の方が便利だ。

 広さも都座の方が圧倒的に広い

 祇園のお茶屋には、祇園甲部歌舞練場の方が近い。

「ダンスホールが出来る空間を見つけたかったんですね」

「そうだ」

「どっちも行ける。けど、決定的な違いが二つの劇場にあったわけですね」

「鐘也くんは、頭がいいぞ!」

「頑張れ!」

 二人は拍手した。

「それがわからないなあ。交通の便から行けば、京阪電車祇園四条駅から近い、都座が有利だけど、そもそも進駐軍は電車なんか乗らない。ジープでしょう」

「で、答えは」

「わかりません」

 軽く頭を下げた。

「答えを教えて下さい」

「答えは、今、きみが云ったダンスホールの空間。ダンスするには何が必要?」

「もちろん、踊るための平らな空間」

「それ、そこ。もう一度云ってみて」

「だから、平らな空間でしょう。それぐらい僕でもわかりますよ」

「それが答えよ」

 勝ち誇ったように柳子が答えた。

「もう少し、きちんと説明して下さい」

「わかった、わかった」

 イチジョージが説明し始めた。

 終戦末期、日本軍の指示で、祇園甲部歌舞練場は爆弾兵器工場となった。

 観客席が全て取り払われたのだ。

 一方、都座の劇場は観客席がそのままだった。

 この観客席がある、ないが二つの劇場の未来の命運を分けた。

 すぐにダンスホールを始めたい進駐軍が祇園甲部歌舞練場を接収した。

 都座だと、椅子を取り外す手間がかかる。

 ダンスホールとステージがある祇園甲部歌舞練場は、進駐軍の思惑にはピッタリだった。

「実は、それを進言したのは、この私なの」

 少し自慢げに胸を張る柳子。

 柳子は、女子大で英語を勉強していた。

 その英語の実力を買われて、現地通訳として採用されたそうだ。

「私は都座の歌舞伎上演劇場を守るために、祇園甲部歌舞練場を進言したの」

「そうだったんですか。あと抜け穴がもう一つ行ける場所があるって云いましたよね」

「それそれ、今から説明しようとしたの」

 柳子は笑った。

 その時だった。

「じゃあ私達、準備があるので」

 華代と八郎が立ち上がった。

「準備?準備って何ですか」

「いいから」

 柳子が、顎でしゃくって二人を追い払った。

 二人は去った。

「じゃあ私達も行きましょう、もう一つの場所に」


      ( 3 )


 鐘也、イチジョージ、柳子の三人は、舞台袖から狭い通路を潜り抜けた。

 最後の扉を開けた。

 強烈な光が身体全体に降り注いだ。

 今までずっと、都座の場内にいたので、久し振りの太陽光だった。

 舞台でライトの光を浴びていたが、自然の光は、やはり強烈で、身体全体を突き抜けた。

 いきなり、樹木に覆われた野原だった。

 夏の匂いを残す乾いた風が、鐘也の髪の毛と頬を通り抜けた。

「どこですか、ここは」

 辺りをきょろきょろしながら鐘也は尋ねた。

「北山にある京都植物園」

 すぐに「京都植物園」を検索しようとして、思わず、鐘也はポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出そうとした。

 そこで、はたと気づいた。

 今は、検索できない時代。しかもそもそも、スマホをなくしていたのだ。

 手持無沙汰を極めた。

 煙草を吸った事がないけど、禁煙を始めた当初は、きっとポケットに手を突っ込んで、煙草を探す。

 同じ動作かなと思った。

(事実はスマホの中にない。目の前にあるのよ)

 ほとりの言葉が蘇る。

「今は、進駐軍の将校ハウスを建設してるの」

 日本各地で、空襲を免れた大きな個人の屋敷は、接収されていた。

 京都は、東京、大阪等のように、大規模な空襲を受けなかったので、多くの町家がそのまま残っていた。

「数多くの町家が接収免れるようにしたかったの」

「それで、広大な植物園に目が行ったわけですね」

「そうだ。最初はもっと近い、京都御所に目をつけたんだがね」

「それは強く私が反対しました」

「柳子が云うには、神聖な天皇の場所。そんな事したら、暴動起きますよと云われたんだ」

 進駐軍が一番恐れたのが、今は素直に従っている民衆の一斉蜂起だった。

 それは過去の歴史を見てもわかる。

 意外にも何も反乱も起きず、素直に従った日本国民。

「しかし、進駐軍はそうは見てない。いきなり、ある日、何かの合図で一斉に民衆が立ち上がるんじゃないかと、ひやひゃもんの進駐軍なんだ」

「何しろ、カミカゼ特攻隊生んだ国だからね」

「そうだったんですか」

 片道の燃料しか積まずに、米国の艦隊目掛けて、体当たりした悲劇の特攻隊である。

 鐘也が知らない「近代日本史」だった。

 高校で、占領の事は習っても、ここまで詳しい事は習わない。

「じゃあ、その将校ハウス行ってみよう」

 外観は、白いペンキで塗られた一軒の家に入った。

 大きな冷蔵庫、ソファ、テーブル等が置かれていた。

 今の日本では当たり前の光景である。

 しかし、焼土と化した日本から見れば、ここは天国、別世界だった。

「植物園が犠牲になり数多くの将校ハウスが建設されるの。つまりその数の京都の家屋が接収されずに済むのよ」

「花を愛でるほど、今の日本は余裕がないって事かあ」

「鐘也くん、段々と分かって来たじゃない」

「きみは、優秀な青年だ」

 イチジョージがポンポンと肩を叩いた。

 部屋は、今で云う2LDKである。

 リビングには、写真盾があった。

 イチジョージと柳子との2ショットだった。

「そう云う仲だったんですね」

 写真を見ながら鐘也は微笑んだ。

 柳子をよく見ると手に何か握っていた。

 灰色の石で出来た何かの欠片だった。

「手に持っているのは何ですか」

「お守り」

 次の言葉を待ったが、それ以上柳子は云わなかった。

 何か部外者には云えない、二人だけの秘密かもしれない。

 鐘也もそれ以上追及しなかった。

「実は、イチジョージは私に(戦争花嫁)にならないかと誘われているの」

「何ですか、その戦争花嫁と云うのは」

 またしても、鐘也にとっては、初めて耳にする言葉だった。

 (戦争)と(花嫁)と云う言葉の響きからは真逆のものが、一つの単語として使われる違和感がこころの中でみるみるうちに、増幅した。

「端的に云うと、進駐軍の兵士と結婚する日本女性を云うのよ」

「これには、少しわけがあってね」

「単なる好き、とか愛とかで結婚するのじゃなくて、プラスアルファとして、米国の豊かな生活に憧れての結婚なのよ」

「プラスアルファですか」

 鐘也は、柳子の発した言葉を反すうした。

「でも日本は、これから米国のような豊かな国になります」

 未来を知っている鐘也は力強く答えた。

「きみは素晴らしい。こんな未来志向の青年がいるなんて、日本も見捨てたもんじゃない」

「それはわかってる。いつまでも焼土の上で泣きはらしているわけじゃない。でもねえ、その豊かになる生活、国民が皆送れるようになるなんて、何年かかると思うのよ」

「10年もかかりませんよ」

「あんた馬鹿じゃないの。10年で元通りになれるわけないでしょう。京都は焼けてないけど、東京、大阪は壊滅的被害なのよ」

「わかってます。でも立ち直れます。勤勉で優秀な国民ですから」

「あんた、国会議員になれば、当選するわよ」

「19年後には、東京でオリンピックが開催されます」

 柳子とイチジョージは顔を見合わせて二人は大笑いした。

「また始まった、鐘也くんの妄想ワールド!」

(妄想じゃない)と反撃しようとしたがやめた。

 もう幾ら云っても理解してくれないと思ったからだ。

「それで、柳子さんは、戦争花嫁になるんですか」

「正直、迷っているの」

「進駐軍の占領時代もいつまでも続きません」

「ずっとじゃないんだ、占い師さん」

 柳子が即興で(占い師)とつぶやいた。

「そうです。昭和26年まで。つまり6年だけです」

「有難う、妄想くん」

 今度は、(妄想くん)とあだ名が一つ増えた。

 イチジョージは笑って、スルーした。

「その時が来たら、柳子は私と米国に渡ります」

「イチジョージ、ちょっと待って!」

「柳子、この前云ったじゃないか」

「だからちょっと待って。実は迷っているの」

「何を迷っているんだ」

 二人は、鐘也を放っておいて、議論を始めた。

 鐘也は、そっと玄関を出た。

 目の前に、日本人の老人が怒りを充満させて立っていた。

「お前は、日系二世兵士か!」

「いえ、そんな・・・」

「黙れ!もう許さんからな!」

 老人は、手に花を握りしめていた。

「何がですか?」

「何がですかだとう。来い!見せてやる!」

 鐘也は後ろを何度も振り返る。

 ここでなら、普通騒ぎを聞きつけてイチジョージ、柳子が駈け付けてくれる。

 そう期待していたが、リビングでお互い大声で云い合っていた。

「わかりました。行きましょう」

 腹をくくって出かけた。

 老人は歩きながら云った。

「これだけは云っておく。日本は確かに米国に戦争に負けた。けど、ここから先、耳をよくかっぽじって聞け!魂では負けないからな」

「何の魂ですか」

「色々さあ。年上を敬うこころ、師を仰ぐこころ、女子供を守るこころ。それに何より、この日本を敬い、誇りに思うこころだよ。俺が許せないのは、この日本の大地で、俺たちのこころを力づくで踏みにじる行為だ」

「どんな行為なんですか」

「あれを見ろ!」

 お花畑の半分以上がブルトーザーで掘り返されていた。

 綺麗な、黄色、柿色の花をつけた花の前で人々がうずくまっていた。

 その周りを進駐軍の兵士が取り巻いていた。

 工事担当者で、日本人を排除しようとはせずに、物珍しい動物を見るような素振りだった。

「お花畑を踏みにじるブルトーザー」

「そうだ!許せん!」

 老人が片手を高々と挙げると、それが合図だったのか、寝転ぶ連中も同じ仕草をした。

「何の花ですか」

「カンナだ。原爆の象徴でもある」

 またしても、鐘也の脳裏に現出した未確認言語だった。

「カンナと原爆、どんな関係があるんですか」

 怒られるのを承知で尋ねた。

「教えてやろう」

 老人は語り出した。

 広島に原爆が投下されて、数多くの命が一瞬にして奪われ、家屋が倒壊した。

 放射能に汚染された町は、今後75年間、草木は一本も生えぬとさえ云われた。

 しかしだった。

 廃墟の中からカンナの花が咲いた。

 色鮮やかなカンナは、文字通り復興への、未来の希望の花として、広島の人々の生きる希望としての象徴の花として、愛されている。

「どうじゃ、わかったか」

「わかりました」

「わかったなら、この場で義太夫三味線で、創作浄瑠璃を歌え!」

「はっ?何でわかったんですか」

「お前さんの背中に背負ったものは、義太夫三味線じゃろがあ」

 きちんと袋に包んでいたのに、わかった。

「わしも、義太夫三味線やっている。同じ袋でな」

「祖母、蘭世のお知り合いですか」

「お前さんの祖母?そんな年寄りは知らん」

「鐘也くん、またやるの」

 ここでようやくイチジョージ、柳子が来た。

「これはこれは、茶山さん、ご苦労様です」

 知り合いらしく、イチジョージはその老人に声をかけた。

「茶山さんですか?」

「茶山咲太郎です。カンナを愛する広島人じゃ。戦前からここの京都植物園にカンナを広める仕事しとる」

 カンナが咲くと云うなら、原爆投下前に種はまかれていたはず。

「そう。でもまさか、原爆投下される事なんか、夢にも思わなかった。まして、残暑激しいあの時期に咲くなんて、びっくりしたわい」

「広島では何をされてたんですか」

「今云うた、義太夫三味線を教えておった」

「おった?もうやめたんですか」

「カンナの花の方がええけんのう」

「それだから、鐘也くん、ちょっと弾いて差し上げなさい」

 いとも簡単に柳子は云った。

「つまり、即興でやれって事ですか」

「そう。あなた、即興演奏が得意じゃないの」

「祇園甲部歌舞練場での名演奏が、ここ京都植物園で再現されるとは!」

 イチジョージまでノリノリだった。

 祇園甲部歌舞練場での即興演奏は、八幡のトランペット、華代のピアノ、琴と云う強力な助っ人があったから出来たのだ。

 幾ら出来ると云っても、自分一人の力では到底無理だ。

 無理に決まってる。

 その事を柳子に進言した。

「そしたら、わしが助っ人、援軍でツレ弾きやろうじゃあ」

 茶山は、そう云うと後ろに控える者に合図した。

 付き人が義太夫三味線を持って来た。

「ここまで云ってくれてるのに、やらないの?」

 柳子はにじり寄った。

「わかりました。やります」

「適当にツレ弾きやる」

「はい」

「皆さん、この青年と茶山さんとで、今から創作浄瑠璃を始めます!」

 続いて、英語で柳子はアナウンスした。

 米国兵士から強い拍手、口笛、歓声があがった。

 こちらは、日頃から肉を食べているせいか、日本人よりも大きな迫力ある声が大地を通り抜けた。

「鐘也君、題名は何なの?」

「創作浄瑠璃(カンナ咲く希望の花)です」

 拍手の嵐が真昼間に京都植物園を覆った。

 もちろん、長い京都植物園の歴史の中で、義太夫三味線が二丁も流れるのは、史上初めてであった。

 未来の人々が、京都植物園の歴史を編纂する時が来たらぜひ、今日の事は載せて貰いたい。

 ここにいる一同はそう云う同じ思いだったに違いない。


創作浄瑠璃「カンナ咲希望花」


 ♬ 

 光り切り裂く      命ときずな

 逃げ惑う民       追いかける死の手

 我先にと        走り出す

 川の水が        死に水となり

 死出の旅立ち      哀れなり

 阿鼻叫喚の       広島に

 いつしか来たりし    静寂の闇

 民の声もいつしか    消えて行く

 亡骸から飛び立つ    魂の出発(たびだち)

 がれきの中で      一つの命

 芽生えし花が      顔を出す

 その名を問うと     カンナなり

 死の大地突き抜け    命のきずなか

 カンナの花は      民に勇気生ませた

 あなた知ってますか   カンナの花

 あなた覚えてますか   カンナのこころ

 あなた思い出しますか  カンナの未来

 カンナ、カンナ     カンナよ

 ついに咲きました    カンナ花

 廃墟の中で咲いた    希望の花

 どこまでも咲き誇る   カンナ花

 生きる希望よ      カンナ咲く

 生きる証しよ      カンナ咲く

 魂の民よ        見えますか

 無事に咲いた      カンナに集う民

 手を取り合って     今日も元気に歌おう

 カンナ、カンナ     生きるカンナよ

 カンナ、カンナ     みんなのカンナよ


 鐘也の義太夫三味線の音色と、哀愁を帯びた声、歌が京都植物園に響き渡る。

 鐘也の身体がまた一つ変化を見せた。

 歌い、義太夫三味線を弾く手元、足元から赤ではなくて、青い炎が幾つも生まれていた。

 空中に放り出された青い炎からまた小さな小粒の青炎が生まれる。

 まるで、炎が涙を流して泣いているように見えた。

 それを見て、最初黙って聞いていた民衆は、途中から泣き出した。

 それは民衆だけではなかった。

 日本語がわかる兵士も涙をぬぐっていた。

 柳子は、早口で歌を英訳していたが、途中で放棄した。

 もう、日本語わからなくていい。

 わからなくても、こころの思いは理解出来るでしょう。

 半場強引とも云える自己判断だった。

 それに対して兵士は誰も反論しなかった。

 初めて聞く、義太夫三味線の音色。

 まずこの音色にこころがいかれてしまった。

 西洋楽器にはない、人間のこころのひだの奥まで染み渡る得体の知れない、それでいて、妙に心地よいものだった。

 五月雨式の拍手がいつまでも続いた。

 最初に鐘也に駈け寄ったのは、茶山だった。

 手にカンナを持っていた。

「見てくれよ!あんたの浄瑠璃、義太夫三味線には魂が幾重にも積み重なってる!最高じゃよ。さっきの浄瑠璃聞いて、このカンナもほれ、蘇ったように、生き生きとしとる」

「そうですか」

「夏の残暑で萎れかかってたのが、鐘也くんのお陰で生き返したのね」

 二番手に駈けつけた柳子が説明した。

「素晴らしい」

 イチジョージも駈け付けた。

「さて、問題を改めて」

 茶山はぐっとイチジョージを睨んだ。

「この京都植物園に将校ハウスを作るのはよしとしよう。けど、カンナが咲いてる畑をつぶすのはやめてくれ」

「計画の変更は出来ない」

「じゃあどうしても、カンナ畑をつぶすのか」

「やむを得ない」

 イチジョージの声が一段と低くなった。

「わかった。皆の衆、これがアメリカさんの答えだ」

 茶山は、くるっと踵を返すとブルトーザーの前で一団を組む連中の中に入って行った。

「茶山さん、どうしたんですか」鐘也が聞く。

 さっきまで夏の残りの厳しい光を放っていた空が、一転にわかに急に曇って来た。

 まるで、茶山のこころの代弁をするかのようだった。

「わかりました」

 短く答えると鐘也も後に続いた。

「鐘也君、やめなさい!」

 柳子が、金切り声を上げた。

「きみは関係ないだろう」

 イチジョージも叫んだ。

「乗りかかった船です」

「確実に難破するけどいいのか!」

 耳元で茶山が叫んだ。

 耳が壊れるほどの叫び声だった。

 イチジョージが兵士に合図を送った。

 それは天にも通じたようだった。

 ポツリと雨粒が落ちて来た。

 すぐに雨は豪雨に変身を遂げて京都植物園にいた一団に容赦なく雨の大砲を降らせた。

 民衆、兵士の怒号を上回る雨音だった。

 ブルトーザーがエンジンの音を唸りながら、パッカーを大きく上下させて、鐘也らに襲い掛かろうとしていた。

 さらに稲光が、さく裂していた。

 柳子は走り出した。

「鐘也君、駄目!」

 争いの中に柳子が飛び込んだその時だった。

 一条の稲光が鐘也を襲った。

 鐘也は気を失った。


      ( 4 )


 地面がピカピカ光る一本道を鐘也は裸足で、ゆらゆら身体を左右に大きく揺らして歩いていた。

 道は、光り満ちていた。

 裸足だけど、全然熱くなかった。

 熱を帯びないLEDの素材の道なのかもしれない。

 道は、光の束で作られていた。

しかし、両側の世界は、それと対照的に真っ暗な闇が支配するものだった。

鐘也は、両手で空を切ったが、全く何も当たらなかった。

少なくとも、黒色のパネルではない事が判明した。

道はしっかりしていた。

途中何度も立ち止まって上下に、身体を飛び跳ねてみたが、全く揺れない。

少なくとも、吊り橋ではないようだ。

手すりがないけど、怖くなかった。

透明の手すりがあるのか、きわきわまで行けるが、それ以上進めない。

道から飛び降りる事も出来ないようだ。

 道の向こうから、蘭世がにこやかに笑いながらやって来た。

「お婆ちゃん!」

「鐘也、元気か」

「うん元気。でもないか」

 鐘也は自分の身体を見た。

 確かに身体がここにあるのに、声を発する場所は別の場所にある感じだ。

それに何だか浮遊する感じがしたのだ。

 それを蘭世に云った。

「それはね、半分死んでるからなの」

「半分だけ!そんな中途半端な身体は嫌だ」

「私だっていやだよ!大事な孫が、宙ぶらりんだなんて」

「じゃあどうしたらいいんですか」

「簡単な事。この白い線を跨いでこっちに来るか、今来た道を引き返すか、どっちかだよ」

 ふと見ると鐘也の足元に白い白線があった。

「こっちに来るんだったら、宝物見つけたんだろう。はい頂戴」

 蘭世は手を差し出した。

「宝物!」

「まさか、私との約束破ったんじゃないだろうねえ」

「わかってるよ」

「さあ、さあ、さあ」

 蘭世の手が顔にまで近づく。

「どうした!宝物!」


 うんうん唸りながら、鐘也は額に汗をかき続けた。

 はっとして目が醒めた。

 自分がベッドに寝かされているのに気づいた。

「やっと気づいたようね」

 にっとほほ笑む白仮面のほとりがいた。

「ほとりさん!どこ行っていたんですか」

「私は逃げやしない。ずっといたよ、あなたのそばに」

「嘘つかないで下さい!京都植物園にいなかったじゃないですか」

 鐘也は少し膨れた。

「嘘じゃない。あなたが創作浄瑠璃、カンナの花の歌、歌っている時もいました」

 ほとりは、意外な言葉を発した。

 やっぱりあの場所にいたのか。でもどこに?

 鐘也はわけがわからなくなっていた。

「柳子さんは」

「今、ちょっと出て行ってる」

「茶山さんはどうなったんですか」

「心配しなくていいから」

「僕は、どうなっていたんですか」

「結論から云うと、あの京都植物園での乱闘騒ぎの時に、落雷があったのよ。直撃しなかったけど、きみの近くに雷が落ちたってわけ」

「僕は別に貴金属を持ってなかったのに」

「そう、持ってなかった。このスマホ持ってなくてよかったねえ」

 ほとりは、そっとベッドの脇の小さな机の上に置いた。

「あっ!どこにあったんですか」

「あの乱闘騒ぎの時に、君の隣りに鍬を持った人がいたの。覚えているかな?」

「わかりません」

 少し考えるふりをしてから答えた。

「無理もないわよねえ。その鍬に落雷したの」

「そうだったんですか」

「まさに、くわばらくわばらってわけなの」

 笑わそうと思って、ほとりは、ダジャレを云ったが、鐘也には理解出来なかったようだ。

「京都は盆地だから、急なにわか雨や落雷が多いのよ」

 気を取り直して、説明をした。

「あの時、カンカン照りだったのに、一転俄かに天気は下り坂でした」

 その時、病室のドアがノックされた。

 イチジョージと茶山が入って来た。

「気が付いたようです」

 ほとりが二人に云った。

「よかった、よかった」

 イチジョージはベッドに近づき、鐘也の手を握った。

「茶山さんは大丈夫ですか」

「ああ、悪運強いからなあ」

「それで、あのカンナ闘争はどうなったんですか」

「カンナ闘争か!お前さん上手い事名前をつけるなあ。よし今回の闘争名は(カンナ闘争)に決めた。そのカンナ闘争だが、結果は水入りならぬ雷入りかなあ」

 よくわからない説明に鐘也は戸惑った。

「柳子さんが私に云ったんだ。京都の雷は、菅原道真の怨霊だと」

 菅原道真は藤原時平の謀略で、左遷先の九州大宰府で無念の死を遂げた。

 その後、雷が京都御所に落雷。

 人々は、道真の怨霊だと畏れた。

「日本は歴史が長い。京都は特に長い。迷信だとは片付けられないと判断して、カンナ畑へのブルトーザー導入は中止した」

「中止した原因にもう一つ大きな事件があったんだよ」

 さらに茶山が説明した。

「もう一つですか」

 鐘也の応答に、イチジョージは大きくうなづいた。

「実は、ブルトーザーを操縦していた奴が云うには、幾らアクセルを踏み込んでも、進まなかったんだ。それどころか、アクセルを踏めば踏むほど、鐘也くんの義太夫三味線の音色と語りが耳を襲ったんだ。云っておくがそいつは全く日本語が理解出来ないんだ。それでも呪文のように耳にこびりついていたそうだ。奴とブルトーザーは金縛りにあったと云っていた」

「じゃあ将校ハウス建築は諦めたんですか」

「いや諦めてない。カンナを別の所に植え替える。作業が済むまでの一時中断ってわけだ」

「よかったですね、茶山さん」

「それもこれも、お前さんのお陰だ」

 今度は茶山が鐘也の手を握った。

「僕は何もしてませんよ。ただ、義太夫三味線で創作浄瑠璃を演奏、語っただけですから」

「イチジョージがさっき話してくれたじゃないか。それが一番重要なんだよ。それがあったから、進駐軍も動いてくれたんだ」

 そこまで云って、茶山は、手に持っていた小さな箱を取り出した。

「これを受け取ってくれ」

「何ですか、これは」

「開けてみてくれ」

 茶山に促されるまま、鐘也は、箱を開けた。

 中から、カンナの花びらを形どった、ブローチが出て来た。

 新品ではなく、一部焼け漕がれていた。

「これは・・・」

「一般人からしたら、単なる安物ブローチだけど、わしにとっては大事な宝物でもあるんだ」

「茶山さんにとっての、宝物だったら、部外者の僕が受け取れません」

 鐘也は、ブローチを箱に入れて押し戻そうとした。

「まあ聞けよ」

 茶山は語り出した。

 昭和20年8月6日。

 この日、茶山は、所用で広島から対岸にある、松山・北条にいた。

 北条で広島に新型爆弾が投下されて、壊滅状態だと聞かされてすぐに戻った。

 焼け跡から、救出された娘は、幼子を出産した後亡くなった。

 茶山にとって、孫娘の幼子は、奇跡的に命は救われた。

 娘の遺品が、この焼けたブローチだったのだ。

「孫の名前はカンナにしたんや」

「だったら、なおさらこのブローチは受け取れません」

「よーく見てくれ。何も全部お前さんに託そうとは云ってない」

 茶山に云われて、ブローチを見た。

「半分だけですか」

「偶然持ったら半分になった。そこで半分は孫。後の半分はお前さんにやろうと思ったんだ」

「だったら、余計に受け取れません」

 話を聞いた鐘也は、語気を強めた。

「まあ最後まで聞いてくれ」

 最初、茶山も遺品を最後まで処分するのはためらった。

 半分になったブローチなんて、自分が死ねば、どこかに処分されるかもしれない。

 だったら、これは「物を云わない」語り部として誰かに持ってもらおうと思ったそうだ。

「茶山さん、近い将来、広島に原爆資料館が出来ます」

「お前は未来人か!何でそう断言する!」

 確かにそうだ。

 今は云っても、誰も信用してもらえない。

 だとしたら、ここは預かりの形にして、自分が原爆資料館に寄贈すればいいと思った。

「お前はこの中で一番若い。だから長い時間、語り部として持っていられる。お前が年取ったら、また若い奴に託す。広島原爆語り部の、長い平和マラソンのバトンでもあるんだ」

「この半分ブローチは、今日から平和のバトンでもあるわけですね」

「名前つけるの、相変わらず上手いねえ」

「わかりました。お預かりします」

 鐘也は受け取る事にした。

 少し焼け焦げた所を指で擦った。

 形全体が少し変形していた。

 爆心地では、人の影の階段、変形した弁当箱があったのを鐘也は知っていた。

 その日の夕方、鐘也は退院した。

「戻ろうか」

 改めて、ここへは都座の秘密の通路の一つを通って来た事に気づいた。

 病院の前で、鐘也は茶山と握手した。

「元気でな」

「茶山さんこそ」

「よろしく頼んだよ」

「わかりました」


 こうして、秘密の抜け穴からの「京都植物園」カンナ闘争の旅から無事に戻った鐘也とほとりだった。

 二人は、再び今度は都座の西側の一階のロビーのソファに座った。

「あの人に、挨拶して帰りたかったなあ」

 と鐘也はつぶやいた。

「あの人って柳子さん」

「そう。カンナ闘争の時、僕の後に続いて、ブルトーザーが迫る危険を顧みずに飛び込んで来てくれたんだ」

「凄いじゃない」

「凄いです。若いのに、普通出来ませんよ」

「後日談だけど、進駐軍の日本占領は昭和26年ごろに終わるけど、京都植物園の日本への返還はずっと後で、昭和35年ごろなの」

「どうしてそんなに遅れたんですか」

「一言で云えば、そこが将校にとって、居心地がよかったって事」

「酷いなあ。すぐに返還しろよなあ」

「京都は、ほぼ戦前の形で残っていたから、観光気分で過ごすのもあったのよ」

「市民の憩いの場所なのに」

「将校ハウスの敷地は一部で、あとは広大な緑の公園。しかも自分ら専用だからいいよねえ」

「おまけに治外法権なんでしょう」

「あら、若いのに随分知っているのね」

 鐘也は、立ち上がって窓を見た。

 ここから、四条大橋、四条河原町繁華街が見渡せた。

「あれっ!」

 鐘也は小さな声を上げた。

「で、電車が地上走ってる!」

 都座のそばを流れる鴨川に沿って、京阪電車が地上を走っている。

 昭和62年に地下化されるまで、鴨川の土手の上を走っていたのだ。

 向かいの菊水レストラン脇に、掘立小屋のような簡素な駅舎が見える。

「電車ぐらい前から走ってるわよ」

「ほとりさん、そうじゃなくて、地上走ってます」

「もちろん、この時代だから、地上走るの当然でしょう」

「この時代って」

「もう次の時代が、きみをお待ちかねのようね」

 そこまで云って、ほとりの口元から、謎めいた笑みが生まれた。

「次の時代かあ」

 鐘也は、つぶやいた。


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