一番幸せなヒト

凉白ゆきの

第1話 妬み

 割れんばかりの拍手。上司からの賞賛。女性社員たちからの憧れのまなざし。その中心にいるのは大人しそうな一人の男性だった。


「あ、ありがとうございます。ホント驚きです。これも皆さんのおかげで……」


 そう言って謙遜するのを遮って部長が言う。


「いやいや、これは君のお手柄だ。難攻不落と言われてきた岩本工業さんからの受注をゲットしたのは他の誰でもない、君じゃないか。聞いたよ、会長さんからえらく気に入られたんだって?」

「あ、はい。なぜか気に入っていただいて」


 男は照れ臭そうに頭を掻く。


「またまたぁ。そのきっかけも聞いたよ。会社の前で転んで困っていたお婆さんに手を貸してあげているのを偶然会長さんが見ていたんだろ? 日頃の行いだよなぁ」


 部長は満面の笑みで続けた。


「数字だけじゃない、やっぱり人間力にんげんりょくってやつが大事なんだよな、うん」

「そうよね、雑用だってイヤな顔一つせず引き受けてくれてたもん」


 女性社員たちも同調する。そしてある人物にチラリと目をり聞えよがしに言った。

 

「ちょっと営業成績がいいからって、電話が鳴っても出ようともしない人とはえらい違いだわ」


 俺のことだ。


 俺は常に営業成績トップ。自他共に認める部のエースだ。岩本工業との契約は俺にとっても悲願だった。毎日のように通いこの契約を結ぶことがいかにメリットがあるかを熱心に説いた。現場の担当者は充分理解してくれていた。だが、最終的に決めるのは会長だ。


「すまないがうちは昔からの付き合いを大切にしていてね。確かに君の資料はよくできている。でもこの資料からは何というか、熱が伝わってこないんだよ」


 何度か直接会長と話す機会もあった。だがその度にそんな意味のよくわからない理由を付けられ契約には漕ぎつけなかった。ところが、である。俺がたまたま他社との打ち合わせで不在だった時、ヤツは岩本工業に届け物をした。来年のカレンダーだったという。そのとき、例の出来事が起きたのだ。


(たかだかババア一人に手を貸したぐらいで)


 納得などできるはずもなかった。俺はチッと小さく舌打ちするとヤツを見ないようにしてその場を後にする。


 その夜、夢にアイツが出てきた。時々夢に出てくるアイツ。ぼんやりとしていて捉えどころがなく朝起きるとどうしても顔が思い出せない。


「またイライラしてるのか、相棒」


 相棒、アイツはなぜか俺のことをそう呼ぶ。


「おう。そりゃもうイラついてるよ。ようやく掴みかけていた手柄を何の取り柄もないようなボンクラに横取りされたんだぜ? そりゃイラつくってもんだろ」


 吐き捨てるようにして俺は言った。


「ああ、そりゃそうだ」


 アイツはニタリと笑う。そして唐突にこう言った。


「じゃあ気分転換にオレの仕事を手伝ってくれよ」


 急に何を言い出すのだろう。


「仕事? 何だよ、それ」

「なに、簡単なことさ」


 俺は少し興味を覚えた。


「何をしろってんだよ」


 するとアイツは我が意を得たりとばかりに大きく頷くと言った。


「この街で一番幸せなヤツを探せ」


 アイツの口から出てきたのは意外な言葉だった。


「一番幸せなヤツ? そんなの探してどうするんだよ。第一、一番幸せかどうかなんてどうやって決めるんだ」

「簡単さ。聞いてみればいい。不幸な人間ほど周りの幸せなヤツを羨んでいる。そういう不幸そうな人間に、周りに幸せなヤツがいないか聞いてみるといい」

「ふうん」


 他人の幸せを羨む不幸なヤツ……。オレはボンクラ同僚のはにかんだような笑顔と舌打ちして立ち去る自分が頭に浮かんだ。いや、俺は別にあんなヤツのこと羨んでなどいない。


「で、幸せなヤツを見つけたらどうなるっていうんだよ。俺にそいつの幸せをくれるとでもいうのか?」

「ああ、そうだ。そしてその幸せな人間は……」


 しばらく間をあけてアイツは言う。


「死ぬのさ」





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