おっさんの俺に地球を救えったって、そりゃ無理だろ。

しろめしめじ

第1話

 星が綺麗な夜だった。

 まるで、懐メロの歌詞を彷彿させるノスタルジックなフレーズ。

 懐メロと言う言葉自体、今の若い世代にはもはや死語なのかもしれない。その語彙の意味が分かるか否かで、恐らく世代が大きく分かれるだろう。

 そんな昭和の匂いがプンプンする一節を思い浮かべながら、茂利一行は一人ほくそ笑んだ。

 誰かに話し掛けたわけでも、ましてや声に出したわけでもない。ただ脳裏に思い浮かべただけなのだが、余りにもベタなフレーズにこっぱずかしくなったのだ。

 夕食後のウォーキング。去年の春から始めてそろそろ一年になる。

 元々は妻と娘がダイエットにと始めたのだが、人間ドックで引っかかってから、茂利も一緒に歩くようになった。見た目はそれほど太っているわけでもないのにでもないのだが、肝臓がフォアグラ状態になりつつあると医師から手厳しい指摘を受けたのがきっかけだった。

 ただし、一緒にと言っても、妻と娘は常に彼の数メートル先を歩いている。

 二人とも黒っぽいパーカーにデニムを履いているせいか、家中電灯で足元を照らしていなければ、その姿は完璧に濃厚な闇の中に溶け込んでいる。

 楽しそうに会話をしながら歩く二人の後ろ姿を眺めながら、彼はその後を追うように、とぼとぼとゆっくりとした足取りで続く。

 別に並んで歩くのを彼が拒んでいるのではない。むしろ彼自身は、妻や娘と肩を並べて歩きながら、一日の出来事を互いに語りあいたいのだ。

(この距離を詰めるのに、あと何年かかるのかな)

 茂利は苦笑を浮かべた。

 やがてそれは、寂し気な吐息に取って代わる。

 一見、すぐにでも叶いそうな、ささやか過ぎる夢。でも茂利にとってそのハードルは、キリマンジャロを単独で登頂するよりも遥かに厳しい現実の箍に、がっちりと咥え込まれていた。

 理由は分かっている。娘が頑なに彼を嫌がっているのだ。

 一人娘の明里あかりは今年で二十歳になる。

 地元の国立大学に進学したのだが、急にやりたいことじゃなかったとか言い出して、半年もいかないうちに中退してしまった。娘から大学中退の相談を受けた時、茂利は憤慨し、彼女の話には一切耳を傾けず、頭ごなしに激しく叱咤した。それ以来、二人の関係はぎくしゃくしたままだったのだ。

 ただ、妻は違った。一方的に持論を明里に集中砲火した茂利とは違い、彼女は娘と正面から向き合い、じっくり話し合った後、その決断を受け入れたのだ。

 よって、母親との関係は良好で、それ故、大学中退後も明里は気兼ねなく家に居場所を得る事が出来たのだ。

 どちらかと言うと、家に居づらいのは、むしろ彼の方だった。昨年の春、単身赴任からか解放され、再び家族揃って生活出来る喜ばしい環境になったはずなのだが、現実はそうではなかった。

 六年間の単身赴任の間に、彼の居場所は無くなっていた。一日の生活のリズムが、妻と娘中心の生活になっていたのだ。

 家に戻った彼が、久し振りの家族の団欒を堪能したのは、ほんの何日も無かった。

彼が家に戻ったことで、長年続いていた生活パターンが崩れ、そのストレスが溜まったのか、妻と娘が日に日に苛立ちを見せ始めたのだ。

 悲しい現実だった。一家の主の帰宅は、妻にとっては余計な面倒を見なければならないお荷物が増えたに過ぎなかったのである。

 だが、茂利の存在を貶めた原因は、他にもあった。

 今回の異動に伴って彼の地位が降格したことも、家族とのぎくしゃくした関係を生み出している要因の一つなのかもしれなかった。単身赴任先の上司と折り合いが合わず、たえず衝突した結果が、彼の人事異動に大きく影響を与えているに違いなかった。

 異動が決まった時、当然その旨も家族には伝えている。その時は、それでも帰ってこれたのだから良かったのではと、失望する彼を慰めてくれた妻だった。が、次月の給与明細を見た時、彼女は非情な現実を垣間見ることになったのだ。

 彼が居場所を無くしたのは、家庭だけではなかった。

 会社で彼を待ち受けていたのは、更に地獄だった。

 主任という名ばかりの役職名を与えられ、自分よりも一回り以上若い上司に罵倒されながら苦手なパソコンのキーを叩く毎日は、茂利にとって苦痛以外の何物でもなかった。

(会社は、俺をやめさせようとしているのか)

(俺は只のお荷物なのか)

 打ちのめられ、喘ぎながらも、家族を養う為には現実に食い下がっていかなければならず、それでいて割り切れない自分自身の弱さに苛立ちすら覚えながら、蓄積するストレスに悶絶する刹那の時を刻んでいた。

 不意に、彼は目頭が熱くなるのを覚えた。右手の親指と人差し指で瞼をそっと押さえる。

 涙が止まらなかった。

 日々、喪失していくモチベーションと消失していく人間性に、彼は自身の感情をコントロールするのが困難になりつつあった。それこそ、「生きがい」という観念も、彼の思考の中ではもはや痕跡すら残っていない死語となっていた。

 自分は壊れかけているのだ――彼は、そう実感していた。

 以前の、未だ若い頃の彼なら、どんな逆境もポジティブに気持ちを切り替えて立ち向かう精神力を持ち合わせていた。ある意味能天気な思考の持ち主のはずだった。

(希望と活力に満ちた「俺」は、いったいどこへ行ってしまったのだろう)

 茂利は苦悶に顔を歪ませながら、大きな吐息をつくと、徐に夜空を見上げた。

 今宵は新月。

 月明かりの無い漆黒の夜空に輝く無数の星が、静かに煌めいている。農地の広がる郊外故の特典だった。広がる水田の所々に集落の集まる様は、広大な海に浮かぶ小島のようにも見える。外灯や家々の明かりが水田や農地に寸断された結果、圧倒的に濃厚な闇が夜を支配している。それ故、尚更星の明かりが映える環境に恵まれているのだ。これが都会ならば、此処まで綺麗には見えないだろう。

(出来るならば)

(俺も、夜空に瞬く星の一つになりたい)

 茂利は、まるで神に救いを求めるかのように、すがる思いで一際輝く星を見つめた。

 北極星。シリウス。死を司る異国の神の名を冠する星。その白く輝く星の冷たい光は、実際には途轍もない高温を放出しているのだろうけれど、彼の心には氷の刃となって容赦無く突き刺さっていた。

 何もかもが、虚しかった。

 何もかもが、切なかった。

 もし、未確認飛行物体が彼の前に現れ、連れ去ろうとしても、恐らく何の抵抗もせずにその身を委ねるだろう。例え実験台として身を刻まれる結果となったとしても。

 不意に、前を歩く妻と娘のペースが早くなる。

(そんなに俺と歩くのが嫌なのか)

 茂利は悲しそうに目を伏せると、項垂れながら歩みを進めた。

 そんな彼を更に振り切ろうとするかのように、二人は歩くどころか駆け足に近い足のストロークを繰り返しながら、ぐいぐいと道を進んでいく。

 彼は走り出した。歩いている時と違い、風が頬を優しく撫でていく。

 意地だった。

 追いつけば、露骨に煙箍れるのは目に見えている。

 とは言え、このままじゃいつまで経っても距離が縮まらないままだ。

 様々な憶測と心の葛藤に苛まれながらも、彼は行動に出たのだった。

 妻と娘は、街灯のある十字路で立ち止まると、体をくの時に折り曲げて苦しそうな呼吸を繰り返した。そこ茂利がふうふうと息を荒げながら追いつく。

「お父さん、大丈夫?」

 意外にも、妻が苦し気な呼吸を繰り返しながらも心配そうな表情で茂利に声を掛けた。

「あ、ああ」

 茂利は乱れた呼吸を整えながら妻に答えた。生き絶え絶えになりながらも走って追いかけてきた彼を心配したのか、妻は神妙な面持ちで彼を凝視している。

 久し振りに走った彼の膝は悲鳴を上げていたが、妻が自分の事を心配してくれたのだと思うと喜びはひとしおだった。

「あれ、何だったんだろう」

娘が、帯びた眼付きで彼の背後を見つめた。

「あれって?」

茂利は訝し気に振り返った。

 何もない。

ただ、タールの様な漆黒の闇が広がっているだけだ。

「お父さん、気がつかなかったの?」

妻は呆れた顔でそう溢すと、深々と溜息をついた。

「これよ、これ」

 娘が、彼の眼前にスマホをぬううっと突き出した。

 動画の様だが、真っ暗な画面のど真ん中に、不思議な光の玉が浮かんでいた。

 最初、真っ赤に輝いていたのが青になり、次に紫になったかと思うと緑になる。 妙な規則性に従いながら、光の玉は目まぐるしく色を変化させていく。

「何だこれ……」

 彼は食い入るようにスマホの画面を睨みつけた。

「スマホの明かりか? それは無いな。俺、スマホは触っていないし」

「お父さんじゃないよ。これ、お父さんの後ろにいたもの」

 娘が眉毛を吊り上げながら口を尖らかせる。

「じゃあ、誰か俺の後ろを歩いていたんじゃないのか。それって、きっとそいつのスマホの明かりだろ?」

 彼は苦笑を浮かべた。二人が突然走り出したのは、決して彼との距離を置く為ではなかったのだ。ほっとしたものの、結果的には二人から見捨てられたわけだから、到底素直には喜べない。

「人影は見えなかった。この変な光だけがふわふわ浮いている感じに見えたんだけど」

「まさか、空飛ぶ円盤だったりして」

 妻が不安そうに闇に包まれた水田の中の一本道を見つめた。

 茂利は妻が口走った空飛ぶ円盤という何となくレトロな表現に目を細めた。 

「今日はもう帰ろうよ」

 怯えた素振りで周囲を見回す娘に賛同し、三人は家に向かって歩き始めた。流石に同じ道ではなく、街灯が立ち並ぶ住宅街を抜ける道を選ぶ。 

茂利はゆっくりと天を仰いだ。

もしも本当にUFOだとして、自分をさらおうとしてたのなら、自分にとって最大のチャンスだったのかもしれない。

(惜しいことをした)

 人知れず吐息をつく彼の口元に、寂しげな笑みが浮かんだ。







 



















 










 



 


 




 




 










 

 

 


 

 

 

 





 




 

 




 



 

  



 





 

 

    

 



 


 

 


  









 

 


  

 

 









  


 





 





  


  

 

 

 


 

 





 


 

 


 






 










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