二階と藤田シリーズ

mee

098-2

便利屋勤務の男二人が心霊退治をしたりしなかったりするお話です。

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 ごほ、ごほ。ごっほ、ごほ。

 なんだか調子の悪そうな二階を尻目に、俺は山のような仕事を片付けている。なんなら先月の(非常に大変だった)仕事の見返りに、俺のこのデスクワークを少しは手伝ってほしいもんだ。と思ったりもするんだが、ああも体調悪げにされるとなかなかそうも言いづらい。しかし真面目だよなあ、風邪ひいてる時、俺なら微熱もあるってことにして喜んで家で寝てるけど。

「ねー、二階くん大丈夫なの?」

 椅子を寄せ、俺にコソコソとなんかのチクリでもするみたいにして聞いてきたのは同僚の松原だ。知るかよ、大丈夫なんじゃねぇの? と返したいところではあるが……

「いや、知らねーんだよ俺も……ま、数日すれば治るんじゃないの?」

「でも、結構前からよ?」

「そーなの?」

「うん。藤田、先週五日間いなかったでしょ。その前も行き違いだったっけ? なーんかここ二週間ぐらい、二階くん、ずっとゴホゴホ言ってんのよね」

「ええ? 病院行かせたほうがよさそうだな」

「ばか、あんたじゃないんだから、行ってるわよ病院ぐらい。二階くん、自己管理の意識高いんだから」

 まーそっか。病院嫌いの俺と違って、薬とか飲んでるのよく見るし。

「じゃ、なんでまだ体調悪そうなの?」

「それが私も知りたいの」

 じゃあ自分で聞けよ、と言いたいのはやまやまだが、二階に話しかけづらいってのはよく分かる。俺も相棒組まされる機会がなかったら、二階にわざわざ話しかけたり雑談したり昼に誘ったり、みたいなことは無かったかもしれない。この職場には結構いる《あんまり話したことない同僚》の一人となっていたことだろう。松原と二階は一度組んだことがあったはずだが、一回きりの仕事で親しくなれるほど二階は簡単な男ではない。

「所長も『大丈夫なの?』ってちょっと心配してたし。ね?」

「じゃあ所長が聞けよ……」

「話しかけづらいんだって」

「うそー……」

 従業員に話しかけられない社長。そんなことってあるか? と思いつつ、まあ、そういう男がいるとしたら二階なのかもしれないとも思う。

 はーあ、と小さくため息をつく。松原にドンと背中を押されながら、二階の席へ向かった。

「おい、二階」

「……ん?」

 案の定、返事をする声がすこし鼻にかかっている。いつもはもう少し中低音の、わりとしっかりしているはずの声が、微妙に甲高くなっていた。肩まで流れる長髪もこころなしかツヤが落ちて病人ぽい。

「どーしたんだよ。風邪ひくなんて珍しいよな?」

 二階は振り返りはしたものの、顔を顰めたまま、まったく口を開こうとしない。仕方ないので下の名前の方でも読んでみたが、

「……名前で呼ぶな」

 と怒られただけだった。じゃあちゃんと質問に答えろっての。

 二階。この便利屋において唯一俺と同い年。身長もそこそこ同じぐらい、血液型も同じ、お揃いのような長い髪。こうして並べてみると、俺たちはおおよそのスペックがよく似ているが――ひとつだけ決定的に違うところがある。二階が霊能力者であるのに対し、俺には全く霊感がない。

 霊能力者、という言葉を使うと『ちょっと違う』と言われがちなんだが、詳しい説明聞いても俺には結局よくわかんねーんだよな。お札とかをパシパシ使って、悪霊怨霊の類を倒す。――ま、霊能力者でいいでしょう。その道の人に言わせれば『ちょっと違う』んだとしても、一般人の俺らにとってはこれが一番分かりやすい。

「で、そのぐずぐず言ってんのは何? 病院行ったんだろ?」

「行った。……花粉症の疑いあり、だそうだ」

「うわー」

 こいつ、仕事の関係でもともと体調崩しやすいところあるのに、花粉症まで!

「アレルギー検査? みたいなのしたの?」

「した。血を抜かれた。でも、結果が出るのが三週間後って言われて……今日、取りに行くつもりだったんだが……」

「あれ? 今日二階って午後休?」

 ホワイトボードのお手製勤務表を確認する。二階――午後、外出。十四時アポ。十六時半アポ。

「仕事入ってんじゃん。行けんの?」

「いや、ダメ。だから予約とか調整しないといけないんだけど、色々やってたら……」

 目頭をおさえ、彫刻の『考える人』みたいなポーズで悩ましそうにしている。まあ、体調悪いうえに忙しいときって、そういうこともあるよな。一番最初にやらなきゃいけない調整がついつい出来ていなかったりとか。

「でも、予定って十四時と十六時半だろ? 受け取りだけなら間で行けるんじゃないの?」

「そうなんだが、薬を飲んじゃって、運転できないから、車が……ええっと、バスなら間に合うのかな、まあそのへんも良く分からず……」

 ダメだこれ。かと言って、明日の二階のご予定は――早朝の調査業務、午前中は社外会議、そこから午後にかけては役所へ行く仕事(なんで行くんだろ、俺入社してから一度も仕事で役所なんて行ったことないけどな)、夜にはまた別件の仕事、二十一時退勤予定、そして次の日も……。

「今日行っといたほうがよくね?」

「うん、そうなんだ、そうなんだが……」

 相変わらず二階は『考える人』のポーズのまま動かない。まったくもー。俺は社用車の使用状況を見に行く。ワゴンがひとつ空いていた。

「二階――俺、今日は午後は珍しくなんの予定もないからさ、専属タクシー運転手やってやるよ」

 予定がないのは今日中に会社で片づけなければならない仕事があるからなのだが、まあ、パソコン持ってけば車のなかでも出来るでしょう。

「え……送ってってくれるのか?」

「おう」

 二階という男。話していて不快というわけでもないが愉快というわけでもない、不愛想というわけでもないが親しみがあるというわけでもない、どちらかというと偏屈で他人を寄せ付けないタイプの微妙な性格のこいつになんだか構ってしまう理由は一つしかない。

「藤田、ありがとう」

「どういたしまして」

 感謝だけはやけに素直にするから。車のキーを取って、俺は二階とともにオフィスを出た。



 で、こいつの午後の仕事が一体なんなのかというと、やっぱり心霊現象の調査だった。

「あら、お二人ですか?」

「はい。私が二階で、彼が藤田。記録係として来てもらいました。急に決めたので、事前にお伝えできていなくてすみません」

「ああ、いえいえ、別に構いませんよ。どうぞお入りください。管理人の眞形です」

 もともと二階一人であたるはずだった仕事――ってことは大したことない霊なんだろう。じゃあなんで俺が、車で大人しく仕事せずにここに一緒についてきているかというと。

「ほんっと、いいお屋敷ですねー……」

 ロケーションが最高だからだ。小高い丘の上に建つ古めかしい洋館。小ぶりではあるが、日本にこんなのあるんだー、ってぐらい立派な造り。レッドカーペット。俺が今まで見たことがあるなかで一番近いのはディズニーランドのホーンテッドマンションだな。ってことで霊のひとりやふたりは普通にいそう。あまりに綺麗なもんだから、まあ三十分か一時間ぐらい時間をつぶしても罰は当たらないだろうと、ご相伴にあずかることにした。

「あはは、そう言っていただけると嬉しくはあるんですが、なかなか管理が大変で。相続はしたものの、住めるような家でもないし、どう維持したものかと元々悩んでいたところにこの心霊騒ぎでしょう。ちょっと行く末が不安ですよ」

「……勿体のないことです」

 二階が神妙そうにうなずくが、立派な建築の将来を憂慮しているというよりも、ただ単に具合がわるいという感じだった。俺には分かる。

 花粉症なら、屋内に入れば多少はマシになるかなあとも思ったのだが、二階はむしろ顔色を青くしているように見えた。……あ、もしかして、花粉症と「心霊アレルギー」との合わせ技に苦しんでいるんじゃないだろうか?

 二階には、霊が見える。霊だけではなく、魑魅魍魎、悪霊生霊、餓鬼に河童にぬえくだん、とにかく異形の者どもがなんでも見える。そして、いわゆる『霊感のある人』にありがちなように、周囲に霊がいるともれなく体調を壊す。――というか、霊で体調を壊せるような繊細なセンサーのことを『霊感』と呼ぶのかもしれない。

「で、なにか感じる?」

「いや……その、もともと体調が悪いから、よく……」

 あらまあ。センサーもぶっ壊れてるってわけだ。しかしまあ、『体調が悪くなる』のは二階の持つ力の副作用でしかない。二階は見えるし、祓えるし、異形のものと話ができる。今回のこの館の問題は何だっけ?

「お電話でも、二階さんには、大したことはないと思うとお話いただいておりましたが……たしかに、なんでもないのかも、と思うこともあるんです。この館に今、人は住んでいません。大小あわせて十二室あるだけの、こういう造りの建築にしてはかなり小ぶりの館です。何人か近隣にお住まいのアルバイトの方に来ていただいて、最低限の管理をしています。六年前までは入館料を取ってツアーをしたりしたこともあったんですが、今は止めています。再開しようかという話はずっと出ていたんですが……アルバイトの方が、なんだか此処はおかしいとたまに噂をするようになりまして。近所では幽霊館と評判になってしまいました」

 ありゃー、そりゃ災難だ。ま、でも、こんなに立派な館なら、ご近所さんに頼らなくても十分プチ観光スポットになれる気がするが。写真を撮るのが好きな人とか、コスプレするのが好きな人とか用のプランまで作れば、一室貸すだけでも色々ビジネスできそうに思うんだが――ま、不動産の管理なんてしたことないからよく分かんねーけど。

 二階はぼんやりと壁の絵を見つめながら、管理人の眞形さんに質問を投げかける。

「失火したのは東のほうですか? 六年前?」

 な、なんのことだ?

「……おや。ニュースになっていないのに、よくご存じですね」

 眞形さんも苦笑して頷いた。どうやら二階の言うことは図星だったらしい。

「隠してはおけないですね。そうです、ご近所の方ならみんな知っていますが、六年前……というか、もう少し前かな。突然夜に火が出まして。ありがたいことに火災検知器をつけていた部屋だったので、すこし壁が焼けただけで済みました。一番被害があったのは本ですね。スプリンクラーが動いてしまったので、背に水がかかってしまって……カーペット等も燃えましたが、この館、内装はほとんど安物なんです。レプリカというか、新しいものというか。古くてすこしでも価値があるのは、本と絵ぐらいですね」

「絵のほうには被害がなかった?」

「火があがったのは部屋の中でしたから。絵はここ、廊下にしかないんです。――火元がなんなのか、というのも実はまだ判明しておらず、でも中から生じたのは確実だったので、すくなくとも第三者の放火ではないということであまり細かい調査は行ってもらえませんでした」

「なるほど……」

「でも不気味なのに変わりないでしょう。消防車が来ても放水の必要はないぐらい、最小限の火事ではあったんですが、それでもご近所には謝罪にまわりました」

 なるほど。じゃあ近所の人は、以前から、なーんかあの館おかしいぞ、と思っていたりしたわけだ。ま、立派な洋館ってだけで、なんのいわくもなくとも、幽霊話を噂したくなるもんだとは思うけど。

「噂の内容はどのようなものでしょうか」

「他愛ないものです。窓に人影を見たとか、悲鳴が聞こえる気がするとか。誰かに実害が出ているわけでもありません」

「なるほど……」

 二階はやはり廊下の絵画をひとつずつ眺めながら、考え込んでいる。二階の顔立ちや、黒い長髪を見て、俺は『二階って陰陽師みたいだなあ』といつも思っているんだけど、こうして洋館のなかに立っているとこれはこれでよく似合う。ドイツかどっかの貴族みたいだ。

「……幽霊、だと思いますか?」

「今のところ、そうとは思えません。ご依頼通り、簡単に護符だけを」

 眞形さんは頷いて、お願いしますと一礼した。

「ところで……風邪ですか?」

「多分、花粉症です。すみません」

「あ、いえいえ……季節外れの花粉症ですね。お大事に」

 眞形さんは同行しないようだ。あとはよろしくと言って「事務室」と書いてある部屋のなかに入っていった。こんな館が職場なんて、羨ましい限りだな。

 この仕事にあてられた時間は一時間。元々、調査工数はあまりかけられないのだろう。おまじない程度の気持ちで、札を貼りまわって終わりになるんだろうか。

 二階は相変わらず、絵画を見つめている。たぶん油絵だ。こういう洋館に飾っているにふさわしい感じの。少し暗い絵だな、とは思った。女性がひとり、黒いドレスをまとって、黒い背景を背負って、ソファかなにかに座っている。俺の貧弱な絵画知識レパートリーのなかで、一番よく似ている絵を見つけるとすれば「モナ・リザ」だろうか。でもモナ・リザほど微笑んでいない。神経質そうに、そして真剣に、こちらをまっすぐ見つめている、すこし年を重ねた女性の絵だ。

「……この絵、好きなのか?」

「ん? 好きってこともないが……メアリ・シェリーの肖像画だ。象徴的だな」

「だれ?」

「『フランケンシュタイン』は読んだことないのか?」

 名前ぐらいは聞いたことがある。ああ、だからこの絵はこんなにオドロオドロしい感じなのか。かなり壮大なファンアートなんだな。

「ないなー、俺怖い話苦手だからさ」

「よく言う……」

「いやいやいや、お前もさあ、よくそういうの読めるよね?」

 世間の人は、幽霊や悪魔を、あくまでフィクションだと信じていられるから、消費して楽しめるのだ。二階や俺のように――そう、俺ももう、さすがに心霊現象がこの世界に《ある》ということを疑ったりはしない――世界には人間ではない異形の化け物がたしかにいるのだと知っている人間にとって、怪談やオカルトはノンフィクションになってしまう。

「俺も怪談話は苦手だよ。ただ、ああいう人造人間的なものとか、ゾンビとか、そういうのはまあ……好きとは言わんが、たまに読む」

 ゾンビって、幽霊と紙一重な気がするが……まあ、ちょっとジャンルが違う、というのは分からんでもない。ホラーよりもコメディに近い作品だってあるもんな。(コメディ作品にキャッキャと喜びポップコーンをむさぼる二階、ってのもなかなかイメージしづらいが)

「危険は少ない。一応札を貼って帰ろう」

 ふーん。こんな見た目の、こんなに雰囲気のある、しかも六年前に火の出ている洋館。俺からしたらすでにビンゴきまってる感じだが、二階の印象はそうではないらしい。……ま、雰囲気に左右されず判断できる、ってのが二階の『力』のひとつでもあるのかもしれないが。

 二階はすでに俺と絵画に背を向けて廊下の奥へ歩き出していた。一応、凡人代表として、聞いておくことにする。

「火が出てんのって、やばいんじゃねーの?」

「ああ……実は、そうでもないんだ。むしろ、なんなら浄化されてしまっていると思う」

「浄化?」

「そう。これはあくまでも日本の霊の話だが……この国は死者を火葬にするだろう、だから霊は、火を見たり、火に包まれたりすると、だいたいその場から離れる」

「え……なんで?」

「色々と理屈はつけられるが……でも、霊体が嘘をつけないことと関係しているんじゃないかな。日本人は結局、炎に焼かれたら死後の世界に送られる、とぼんやりながらイメージしているんだ。霊はかなり素直な存在なので、火に焼かれると、そのまま死ななければならないと思うんだ――死ぬというか、行くというか」

「な、なるほど……」

「だから今も、火が出たところとは逆の方向に向かってる。館中見回る時間はないから、適当にポイントポイントに貼って帰ろう」

 こんなに洋風チックな館に、あの和風バリバリの札を貼るってのはちょっと不思議な気分だな。まあ見えないところに貼るんだろうけど。高いもんばかり置いてあるんだろうに勝手に歩き回らせてくれるなんてやけに信用されているな、と思ったが、よく見たら一定間隔で監視カメラが付いていた。部屋のなかにもおそらく設置されているんだろう、そういえば六年前までは一般の人が入館できたんだっけ。あの「事務室」から、遠隔で見えるようになっているのかもしれない。見た目よりもハイテク。

 早速二階は『回覧室』と書かれた札の下がった扉を開き、部屋のなかを歩き回り始めた。立派な書見台がいくつか置かれた部屋だった。面白いもんだなー、見学に来た甲斐があるってもんだ。

「しっかし、すごい数の本だな。あ、『本は大事にお手に取って下さい』だってさ。見てもいいってことかな?」

「構わないんじゃないか? 俺も今、いくつか動かしちゃってるし……」

 二階は棚からいくつか本を出し、奥のほうを物色している。ああやって、怪異が隠れていないか確認しているんだろう。本はひとつひとつ、どれもしっかり『西洋の貴族の家にありそうな本』って感じで製本されている。背が硬い、っていうのかな。カバー部分もしっかりしている。順番に一つずつ開いて書見台に乗せてみる。こんなにじっくり読書するのなんて初めてだ――と思ってわくわくしたもんだったが、残念、考えてみりゃ当たり前だが本の中身は横文字だった。ぱっと見読めなかったから、どうやら英語ですらないようだ。アルファベットっぽい文字ではあるが。一冊目は植物に関する本のようだった。二冊目は筆跡に関する本だろうか……三冊目はほんとに文字ばかりで何を語っているものだか全くわからなかった。四冊目に至っては、文字部分が一部欠けていた。まったく全部書かれていないというわけではないから何か意味があるんだろうが、読めないからサッパリなんのこっちゃか分からない。空きがあるってことは、問題集とか計算ドリルとかなのか?

 ……なんてふうに色々俺が物色している間、二階は真摯に仕事をしており、五分ほどで作業は終了した。

「よし、次の部屋に行こう」

「おうー……ん、今日は『働け』って言わないのな」

「一人分の時給しかもらっていないし。それに、多分この仕事、俺にもそんなに期待されていないと思う」

 二階がお札のしまわれている透明ジッパーを、丁寧に丁寧に閉じながら言う。おれにはミミズのようにしか見えない文字が書かれた茶色の古紙たち。

「え、どーゆーこと?」

「ここの人、洋風趣味だろ、どう見ても。ロザリオが飾ってあるし、そこの瓶の中には聖水が入ってる。まあ、念のため自国の対処も試してみるか、って感じなんじゃないかな」

「でも、そもそも霊はいないんだろ?」

「霊が一切いない場所なんてないよ。だからこの館か、館近くか、どこかに何かはいるだろう。悪霊かどうかは知らないけど……どちらかというと、気になるのは、いくら安いとはいえ、なぜ俺が呼ばれたのか、ということだが……」

 ふーん。というか。

「お前って、安いの?」

「……まあ。教会からエクソシスト呼ぶよりは、かなり安いと思うが……」

 そ、そうなんだ。フリーランスになってもやっていけるんじゃないかコイツなら。俺みたいに、出来る仕事に変に偏りがあるわけでもないし、自己管理もできてるし。

 ……今は、風邪っぴきだけど。

「……てゆーかさ」

「なんだ? さっきから」

「お前、薬飲んでるんだよな?」

「飲んでる。だから運転していただいている。どうもありがとう」

「い、いや、そういうこと言わせたいわけじゃなくて……それでも鼻がぐずってんのって、なんなの? 普通、花粉症って薬飲めば一応落ち着くんじゃないっけ、人によるの?」

「……」

 二階は、黙った。考え込んだ。こんなに何かに納得している二階は珍しい。前回の中学校の仕事以来、二回目だろうか。

「いや、たしかに……なんか、医者にかかればとりあえずなんとかなるような気がしていたが……市販薬ではあるけど、こんなにも何も効能が感じられないというのは、すこし……」

 不思議だ、と二階は訝しむように考え込んだが、しかし結局なにも答えが出なかったらしい。ため息をついて、部屋を出て、また廊下を歩き始めた。

 二階が、医者にかかればとりあえずなんとかなるような気がする、と言うのはなんだか面白かった。大抵のお客さんは、二階にかかればとりあえずなんとかなるような気がする、と思って、心霊現象調査をお前に頼んでいるような気がするから。洋風とか和風とかさ、そういうことじゃないんだよ、多分。



「……よし、大体これでいいだろう」

 三室まわって、お札を貼った。室内の優美な雰囲気を崩さぬよう、二階はあの手この手で視界に入らない隙間を探していた。ごっほ、ごほ、ごほ、ごほ。二階がせき込む。とりあえず貼ればいいなら俺やろうか? と申し出てみたが、そんな簡単なものでもないそーだ。そりゃそうか。

「もしかしてさあ、花粉じゃなくて、埃アレルギーとか、あと、食べ物とか? なんか違うやつなんじゃねーの?」

「うっ、可能性はあるな。室内にいても具合が悪いし……自宅だけは、何故か楽になるんだが」

「ほんとになんなんだろうなあ……」

 可哀そうだが、病気じゃ俺には何もできない。さっさと病院連れてってやるぐらいしか。

 さ、仕事も終わったし、管理人の眞形さんに挨拶だけして帰るか。――と、腰をあげて伸びをした時だった。

「藤田……見えるか?」

「え?」

 二階が、一つの本棚を指差していた。特に目立つ本があるわけでも、本が欠けているわけでもない。よく見えないのでもう少し本棚に近づいてみようと歩き始めた俺の手を、二階が押さえた。

「な、なに?」

「行くな。何も見えてないってことだな?」

「お、おう……ってか、ここからじゃ何も見えねーんだけど」

「俺が指差したのは本棚のほうじゃない。もっと手前にいる緑色の化け物のほうだ」

「……えっ?」

 もう一度本棚を見る。いや、見えない。俺に見えなくて、二階に見える。ということは――

「いや、そうだよな……確認するまでもない。あれは明らかに『フランケンシュタイン』だ……」

 二階の顔が引きつる。俺は空虚を見る。見えないってのはこれはこれで恐ろしいもんだ。手を引かれ、引かれるままに、俺は二階と部屋の外へ出た。



「――あれは、どう考えても異形のものだ」

 閉めた扉に二階が札を貼る。それ、ほんとにフランケンシュタインにも効果あんの?

「だろうなぁ。ハロウィンはもう過ぎてるし、フランケンシュタインがふらふら家の中歩いててたまるもんかよ」

「あれの本体がいるはずだ」

「本体?」

「うん。なんだか半透明だったから。多分、完全じゃあないんだ……」

「じゃあ、不完全なうちに倒しちまったほうがいいんじゃないの?」

「うーん……実態がなんなのか分からないことには。見た目はひどいが、危険じゃなさそうだし、たぶん、祓わなくていい可能性のほうが高い」

 え、化物だろ。祓わなくていいの?

「そのままにしとくのはナシだろ?」

「いや、そうでもない……あれは、悪魔や怨霊の類じゃない。なにか物に縁があるはずだ。まずはメアリ・シェリーの肖像画を見に行くが――とにかく、不完全なものを探そう。もう半分がどこかにいるはずだ」

 不完全、ねぇ……二階が廊下を駆けていく。メアリ・シェリーの肖像画はすぐそこだった。ぱっと見、欠けているものはなかったらしい。相棒は首をひねって絵画を睨み続けている。

「不完全な……もの……ねぇ……」

 そんなもの、この屋敷にあっただろうか。本と絵画とレプリカの家具しかないこの屋敷に。絵画のほうは、二階が見ている。俺が見るべきは――

 ふと思いだす。あったよな、変な本。さっきの閲覧室に。

「なー、二階。その絵、どう?」

「なんにも分からん……これが本体ではないんだが、やけにこの絵の周りが歪んで見える。関係はある……というか、この絵の周りによくいるのか……? やはり、さっきから気になってはいたんだが……」

「ところでさ、不完全? かどうかは分からないけど、なんか解かれてない問題集みたいなのなら見たけど」

「問題集?」

「そ。なんか普通に本なんだけど、合間合間でたまにヌケがあってさ。なんで解いてないんだろーなー……なんて……」

 二階が絵画から目を離して俺を見る。あ、なんか機嫌悪そうだな。

「藤田、絶対にそれが本体だ……上製本の問題集があってたまるか……」

 そ、そーなの?

「そうか、本体は本か……それって、回覧室か?」

 俺の返事を待たず、二階は歩き出す。

「本のお化けってこと?」

「違う、たぶん、付喪神だ。炎で炙られた程度じゃ消えないわけだ」

「つくもがみ?」

「物は百年大事にされると魂を持ち、付喪神になる。神、とはついているが、いわゆる神仏とはちょっと違う。精霊みたいな感じかな。本の付喪神とは珍しい」

「へぇ……」

 霊というよりも、妖怪って感じだろうか。江戸時代ぐらいには、そういうこともありそうだが……。

「なあ。メアリ・シェリー、だったか? そいつって、フランケンシュタインのなかでどんな役割を果たすんだ?」

 二階は驚いたように目を丸くしてから、ああ、と笑った。

「メアリ・シェリーは『フランケンシュタイン』の作者だよ。つまり、彼にとってはある意味母親だ」

「ああ……なるほど」

 勝手に登場人物だと思っていた。作者さん、油絵で肖像画が描かれるほどの人物だったんだ。まあ、俺でも知ってる小説の作者だもんな。

 二階は回覧室に入り、俺が指差す前にその本を手に取った。

「そーそーそれ! よく分かったな」

「よく分かった、も何も……これ、『フランケンシュタイン』の私家版じゃないか」

 シカバンってなに? と聞きたたかったが、また馬鹿にされそうだったので俺はやめておく。

「で、対処法は?」

「簡単だ。この本を、メアリ・シェリーの前に置く」

「……それだけ?」

「多分、フランケンシュタインはメアリ・シェリーの絵を母親だと思っている。その前に行きたいんだが、その……本だし、あまり目がよくないので、よく迷っている。それが人の目に見えた……こともあるのかもしれない。まあ、そのままにしていても害はないだろうが、毎日迷わせるのも可哀そうだ。これは立派な本だし、メアリ・シェリーの絵画の下に棚でも置いて飾っておけばよく似合うだろう。眞形さんに提案してくる」

 ……ほー。それだけで、直るの?

「でもさ、危険だろ。炎が出たのは、その本のしわざなんだろ?」

「うーん。違う」

 違うのかよ! 洋館で炎が出る。怪しい噂が続く。それって全部異形の者のしわざ……じゃないの?

「最初から言ってるだろ、失火は関係ない。そもそも人ではないものが出した炎なら、たぶん機械の検知にもひっかからず、スプリンクラーで消せなかったんじゃないかな……」

 そ、そーなの? もうよく分かんねぇなあ、心霊現象って。

「じゃ、もしかして、ほんとに祓わなくていいの?」

「付喪神は霊でも悪魔でもない。なんなら……こういうのも変だが、自然現象のようなもの、というか……」

 いやまあ、それは言い過ぎだと思うが……。

「本って、みんな百年経てば神様になんの?」

「みんなじゃない。大事にされていれば、だ。他の本だって粗雑にされているわけではないだろうが、この本は特に読み込まれ愛されていたんだろう。本棚の中でも手に取りやすいよう下に置かれていたし。眞形さんの趣味かな」

「なるほどなー。でもさ、あの管理人さん、本の趣味もいいみたいだが、霊能力者の審美眼もあるよな。エクソシストには見つけられねーだろ、東洋の付喪神」

 オカルト知識がほとんどない俺でも、『付喪神』が日本に伝わる妖怪であることは知っている。エクソシストよりは、道士や僧侶や陰陽師の出番だろう、多分。

「そうとも限らんだろうが、まあ、たしかにそうだな……」

 二階はわらった。



 残り時間が十五分を切っていたので、眞形さんには手短に報告を済ませた。「フランケンシュタイン」はやはり個人的に思い入れのある本だったらしい。化物が自分の館を歩き回っていたと聞いても、なぜか嬉しそうにわらった眞形さんの表情を見て、たしかに祓わなくてよさそーだなと俺は思う。俺にはよくわかんないけど、付喪神は放火しないらしいし。じゃあ火がついたのはなんのせいだったんだよ、と聞く俺に、その解明は探偵の仕事であって俺の仕事じゃないと二階は言い切った。少なくとも心霊現象が原因ではないらしい。

 その後俺たちは、急いで車を走らせた。ギリギリだったが、なんとか予約が取れた。二階は病院に駆け込んでいく。懐かしいなあ、初めて二階と仕事した病院だ――つまりは、昔は霊の巣窟だった、ってことなんだけど。結果の受け取りだけだったからか、二階はめちゃくちゃすぐに戻ってきた。お世話になった看護師さんに笑顔で見送られて、ちょっと気まずそうにしているのが面白い。俺も運転席から腕だけ出して手を振った。なつかしーなー、一年ぐらい前だっけ?

「お待たせ」

「全然待ってないぜ。で、どうだった?」

「……健康体、だった」

 二階がひらりと一枚の紙をよこしてくる。人の診断書的なものって見てもいいのかよ、と思いながら、まあ見せられたのに無視するのも悪いので手に取ってみる。花粉だけじゃなくて、いろんなアレルギーの調査を一気にまとめてやったようだ。稲、クラス0、ブタクサ、クラス0、リンゴ、クラス0、ハウスダスト、クラス0――。

「つまり? アレルギーじゃないってこと?」

「ああ……」

「ってことは?」

「対処方法がない、ということになるんだが……ちょっと不思議なのが、さっきからやけに調子がいいんだ」

「……え?」

 改めて二階の顔を見る。たしかに、顔色がいい。さっきも結構元気よく車から飛び出していったような……。

「もしかしたら……幽霊だったのかも」

「……は、はぁ?」

 ゆ、幽霊?

「ここって結界が張ってあるだろ、以前の案件のときの名残りで」

「あー、たしかに。このへん一帯に張ったやつだっけ?」

「そう。病院の敷地に入ったときから寒気が止まった気がする。ちょっと車を出してくれないか?」

「お、おう、いいけど……」

 発進。そういえば二階と一緒の仕事で、俺が運転するのって珍しいな、と思う。二階は結構ハンドルを離したがらない質なので。

「……どう?」

「やっぱり、気持ち悪い」

 二階が顔を顰める。額に少しずつ汗が滲んでいく。

「でも、あの館には……付喪神? はいても、幽霊はいなかったんだろ?」

「うん……というか、さっきの館は関係ない。俺、この二週間ぐらいずっと具合悪かったし……」

「じゃ、なんで?」

「知らん……多分、どっかの莫迦が霊体を刻んで流したんだろう。炎で焼いたのかもしれない。あるいは呪いか……いるんだよ、なんちゃら清めしたなんたらをスプレーすればいい、とか、適当に考えてそういう荒いことをするやつが……」

 なんちゃら清めになんちゃらスプレー。疑似科学かニセ医学みたいだな、と俺は思わんでもなかったが、そもそも二階は霊体がどうとか呪いの残滓がどうとか言っているわけで、合理的なのか理論的なのかオカルティックなのか、もうよくわからん。

「じゃ、花粉じゃなくて幽霊だったってこと?」

「多分……」

 と言いながら、ごほ、ごほっと咳を繰り返す二階が哀れだった。そりゃ、マスクも薬も効かないはずだ。二階はもごもごと何事かを言って護符を湿布みたいにスーツの内側に張っていた。それでいいのかよ? と茶化したくなったがやめておいた。



 次の現場。二階が(今度は)なんの変哲もないオフィスビルに入っていくのを見届けて、俺はワゴン車のなかでPCを開く。よーし、今日は結構いろいろ冴えてたし、このまま書類のお仕事も片づけちゃうぞ。そう思いながらスイッチを押す。つかない。電源が、つかない。

「……あれ、パソコンって、そのへんのコンビニとかで充電できるんだっけ……?」

 五分検索して、どうやら無理そうだ、ということが分かった。しょうがない。もう自分の仕事はやめにして、二階の助手に徹しよう。あーあもう、結局半日仕事できなかったじゃん。

 たしか五階だったかな。なぜか停止中の表示が出ているエレベーターに、俺は特に不審も感じず通り過ぎ、外階段を上る。いい風が吹いている。戸に鍵はかかっていなかったので、鉄臭そうなドアノブをひねったらすぐ開いた。二階はなぜかすぐそこにいた。ちょうど巨大な黒い雲に包まれて、護符を落としているところだった。大ピンチじゃねーか。俺はそれを拾ってやる。

「……来てくれてありがとう。青い護符を出してくれるか?」

 俺の目には護符は全部茶色に見えるけど、ご丁寧に『青、退魔用』と書かれているジッパーを選ぶ。中からお札を取り出す。おれにはただの古紙に見えるし、ここにどんな化物がいるのかも分からない。でも、恐ろしいものが見えないからこそ、護符を拾って渡してやれる。

「どういたしまして、はいどーぞ」


 結局、そのまま二件目の悪霊退治をすることになった。心霊仕事を梯子したのは初めてだ。ちなみに俺がほっぽりだした書類仕事は、七割ぐらい松原がやってくれていた。のこり三割を、これから二階と片付けようと思う。


<了>

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