傷者

口一 二三四

傷者

 入学式から一ヶ月は品定めの期間だ。

 一つの部屋に押し込まれた四十人ほどの生徒が見た目、性格、出身中学、友達関係、利害と言った思春期真っ盛りの基準でそれぞれが自分の傍に置く友達を探す。

 この取捨選択がこれから始まる高校生活を決める、は言い過ぎかも知れないけど、少なくとも。

 一年間有意義に過ごせるかどうかを左右するのは間違いないだろうと私は思う。


「ねぇねぇアナタってさ」


 だからこうしてただ椅子に座ってても声をかけてくるのはなんら不思議なことではなくて。


「お父さんもお母さんもお医者さんなんだって?」


 自分の価値よりも両親の価値で近づいてくることも慣れっこで別段気にすることでもなかった。

 この町で病気になったらあそこへ行けばいい、と言われる程度のそこそこ大きな病院。

 院長と副院長を務めるのが私の父と母というのは自ら紹介しなくても知られていることだ。なにせこのクラスにいる人間やその家族も一度はお世話になっているだろうから。

 物珍しさか仲良くしてたらなにかおこぼれが貰えると思ってか。一人が口を開けば様子見していた周りも寄ってくる。

 両親のことを聞いてきたり、病院のことを聞いてきたり、豪邸に住んでいるのかと聞いてきたり。

 子供の頃から散々聞かれて飽きている質問に愛想笑いで答える。


「どうしてこの学校に来たの?」


 それにまぎれて誰かが口にした言葉に一瞬喉が詰まり、言うよりも早いと左手首を晒す。

 微かな悲鳴が耳に入ったけど、気にせず視線が集中する箇所に目を落とす。

 華奢な手首の端から端まで続く傷痕。

 まだ赤みの残る真新しいソレは自らで自らを傷つけた証明であり、両親や周りのプレッシャーに負けてカッターナイフを入れた痕跡でもある。


 ――いい学校に入りなさい

 ――私達のようになりなさい

 ――お父さんとお母さんが優秀だから

 ――きっと貴女も優秀になるわ


 そう言われ続けて中学時代の全てを勉強に費やした私は、けれどそれに耐え切るための心を育てることができなかった。

 その結果がこれ。

 今自分がここに居る原因であり、ここより高い場所に行けなかった理由。

 考えて考えて考えて考えて、言えなかったのだ。


『私はお父さんやお母さんみたいに優秀じゃない』


 こんな方法でしか限界を、私と言う存在の平凡さを知ってもらう術が思いつかなかったのだ。

 それを昨日今日会ったばかりの、ましてやこれから楽しい学園生活を始めようとしている人達に伝える気はさらさら無い。

 ただ知っておいてほしかった。放っておいてほしかった。

 親と周りの期待と自分の至らなさで押し潰されてしまった今の私を。

 さっきまでの賑やかさが嘘みたいに凍りつく空気に、申し訳ないことをしたなと思う。

 手首を隠し俯けば机と、一言二言添えて去って行く足が見える。

 詳しいことはなにも伝えていないけど、それが余計薄気味悪かったのだろう。

 訳ありの友達を好んで持とうと思う人間は稀だ。加えて深くを語らないならなおさら。

 様々な事情を考慮した上で接するにしても、それには多くの時間を有する。

 今はまだいいだろう。一人のクラスメイトとして認識してればいいだろう。

 そんな雰囲気が教室の中に漂っている気がした。


「……ちょっとちょっと」


 声がしてフッと目線をずらす。

 誰もいないと思っていた視界の端に誰かの足先が見えた。

 顔を上げると同じ制服を着た女の子。

 当たり前の姿に目を丸くした私を、彼女は真っ直ぐに見つめて左手を上げる。


「アタシも、同じ」


 袖をまくり露わにした箇所には傷があった。

 私がついさっき晒した自傷痕と似た、自らの肌に刃物を入れた証拠。

 自分のよりも幾分か古く見えるソレは、彼女が私と同じ苦悩か、はたまた別の理由で刻んだ叫び。

 戸惑う私に大丈夫、大丈夫と小さな声で呟く彼女は幼子をあやすみたいで。


「痛かったでしょ? リストカット」


 気遣うように。寄り添うように。

 苦笑いを浮かべながら口にした言葉は。


「……うん、痛かった」


 どんな慰めよりも優しく聞こえた。

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