第94話 作戦開始

 ゴブリン。

 スライム。

 オーク。

 ホブゴブリン

 ポイズンフロッグ。

 バリアンウルフ。


 第2層と第3層の間にあるダンジョンでは、珍しくない魔物たちである。


 それが檻の中に閉じこめられ、大人しくしていた。

 微動だにしない。

 だが、死んでるとは思えないほど、生き生きとしている。

 まるで剥製――いや、それ以上である。


 会場にいたエルフたちの思考は、共通のものであっただろう。


 以前、シュバイセルが見せた巨大オークだ。

 あれと同じ物を見せられていると考えた周囲のものたちは、次第に動揺を抑えていった。


「先日、宮廷にてこのような魔物をお披露目する会が催され、大成功に終わったと伺っております」


 エイリナの話に、聞いていたラバラケルは満足そうに頷く。

 一方、シュバイセルは顔面を蒼白していた。

 1人「まさか」と呟くが、誰も耳を貸そうとはしない。


 皆、その美しい姫の一挙手一投足を見つめていた。


「それにあやかり、私も魔物の剥製を用意してきました。喜んでいただければ幸いです」


 すると1人の男の子が列を飛び出す。

 エイリナの下へと駆け寄ると、純真な眼をキラキラさせて尋ねた。


「もっとちかくで見てもいーい?」


「勿論。でも、もしかしていきなり襲いかかってくるかもしれないわ。お父さんとお母さんと一緒に見ようね」


「うん!」


 男の子は大きな頭を揺らして頷く。

 すると、両親が現れると、子どもが手を引き、檻の方へと誘った。

 その様子を見て、他の者たちも列を抜けて、檻の周りに集まり始める。


「お見事ですな、エイリナ姫」


「ご満足いただけて何よりです、“おおきみ”」


 御簾の向こうから声が聞こえて、エイリナは再び畏まる。



「お待ち下さい!」



 その声は空に放たれた空砲のように響き渡る。

 一瞬にして辺りは静まり、視線が1点に集中した。


 エイリナも顔を上げて、声の出所に視線を向ける。


 そこにいたのは、顔を青くしたシュバイセルだった。


「皆様、どうか! どうか! 俺――私めの話を聞いてください。その魔物は危険です。絶対に近づいてはいけません!」


 声を張り、注意を喚起する。


 しかし、誰もその場を離れようとはしない。

 皆が首を傾げるだけだ。


「何者か?」


 それは御簾の向こうから聞こえた。

 “おおきみ”の声であることに気付くまで2秒間。

 惚けたシュバイセルは、慌てて御簾の方へ向かい、拝跪する。

 “小臣ことど”は“おおきみ”に対して、立礼は許されていないのだ。


「シュ、シュバイセルでございます」


「ああ……。先日の――――あのオークは見事であった」


「あ、ありがたき幸せ」


「しかし、あのオークは良くて、エイリナ姫より賜った魔物の剥製が危険というのは、どういうことか?」


「そ、それは…………。信じがたいことと存じますが、この魔物たちが生きているからでございます!」


 シュバイセルは言い切る。


 だが、生きているといわれて、素直に信じるものは少ない。

 確かに生きているかのように、魔物たちはどれも禍々しい。

 しかし、今ここにあって、微動だにしないのは何故か。

 その理由を答えられる者はいない。


 それはシュバイセルも同様だった。


「何を馬鹿なことを言っているのだ、シュバイセル!?」


 ラバラケルが猛る。

 鼻の穴を膨らませ、部下を睨み付けた。


 その赤い顔を見て、シュバイセルは尻餅を付きそうになったが、なんとか堪える。

 1度唾を呑み、こう切り返した。


「ならば心音を確かめさせて下さい。そうすれば、安全と考え、私も引き下がりましょう」


 提案する。

 そこには強い信念が隠されていた。


「“おおきみ”……。どうやらシュバイセル殿は、何か私に含むところがあるようです」


「そ、そういうことではない。俺は私情などで――――」


「黙れ、シュバイセル」


 その手の平で押しつぶすような声は、御簾の向こうから聞こえた。

 シュバイセルは慌てて平伏する。

 横に立っていたラバラケルも、頭を垂れる。


「エイリナ姫は我が国との友好的な関係の持続を望み、このようにわざわざ詫びに参られたのだ。お前との些細な諍いのために、このような贈り物まで用意していただいた。その心遣いがお前にはわからぬのか?」


「お言葉ですが、“おおきみ”。それとこれとは別――――」


 ゴンッ!


 その瞬間、シュバイセルの額が地面に打ち付けられた。

 ラバラケルだ。

 “おおきみ”に口答えをしようとした部下の頭を、即座にひっぱたいたのである。

 不意の一撃は諸に決まる。

 ラバラケルはさらにシュバイセルの首根っこを捕まえ、引き揚げた。

 その時すでに“小臣ことど”は白目を向いている。


「“小臣ことど”が“おおきみ”に口を挟むなど。……“おおきみ”、失礼いたしました。この者は小生が厳しく躾ておきます故」


「許そう、ラバラケル。お前に任せる」


「はっ! ありがとうございます」


 ラバラケルは不肖の部下を引きずり、その場を後にする。


「エイリナ姫、余からも謝罪しよう」


「いいえ……。どこの国にも、愚かな部下はいるものです」


「心遣い痛み入る。では、余はこれにて……。余は少し興が削がれた。他の者たちはゆるりと鑑賞していくがよい」


 御簾の向こうの気配が消える。

 同時にエイリナは頭を垂れ、他の者もそれぞれの礼を尽くす。


 にわかに喧騒が戻り、皆が珍しそうに魔物の剥製を眺めていた。


 エイリナはふっと息を吐く。


「第1段階成功ね」


 その口角は歪んでいた。



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