宝石達の戯れは人に求められるものだろうか?

Rosso

記憶のブラウニー

「起きる」

 俺はそう言っててベッドから起き上がる。

 今日はお客さんが来るとダイアが言っていた日だ。

 昨日ブラウニーを作って仕込んであるからお茶請けは問題ないとして、屋敷の掃除はいつ客が来ても良いように怠るわけにはいかない。

 怠ったことねえけど。ダイアがうるさいから。

 俺にあてがわれた小さいけれど豪奢な部屋のクローゼットからいつもの服を取り出してベッドに放る。

 寝巻きを脱ぎ捨てて下着姿になった俺はまずブラウスに手を伸ばす。

 袖に腕を通し、フリルのたっぷりついた前を止める。黒いリボンをネクタイ代わりに蝶々結びにして、俺は次に黒いショートパンツを手に取った。

 ショートパンツを履いてサスペンダーをいい感じに留めて、上にやっぱり黒い燕尾のベストを着てボタンを留める。

 最後はソックスと腕章だ。黒いソックスに黒いソックスガーター。

 腕章には黒地に紫色のラインが入っている。リボン型のそれを左腕につけて留めて俺は鏡の前に立つ。

 ……うん、完璧。これならヘマタイトお祖母様もにっこり微笑んでくださるに違いない。ダイアに文句を言われることもないだろう。

 身支度を整えた俺は自室を出て階下の台所へ向かう。

 キッチン、ではない。此処は台所だ。

 大人数が使用することを前提として作られたここを表すのにキッチンなんて生易しい言葉だと狭く聞こえるだろう?

 広いんだ、これがまた。俺一人しか……いやあとお一人使われるけど、二人で使うには広すぎる。

 そんな台所を贅沢に使っている身としてはここの掃除から始める必要がある。

「……こんなもんかな」

 昨日の夜にブラシがけはしたから軽く箒で掃くだけで済む。調理器具も箒で掃いた後使いそうなものとか外に出ているものは一通り洗ったし……。

 箒を片付けながら見回していると、台所の入り口の辺りで何かが動く気配がした。

「ふわあ……むーちゃん相変わらず早いね……まだお外暗いよー?」

「ルビィ」

 ふわふわの赤毛が寝癖なのか元からの癖なのかわからない天パの同僚が眠い目を擦り擦り台所に入ってくる。

 こいつはルビィ。腕章の色は赤。特徴的なのはその耳を覆うフカフカのイヤーマフ。

 ルビィは俺の同僚で、パートナーだ。

俺と同じ格好をしているが、俺より幼く見えるのはその垂れ目の顔立ちや細っこい手足が奴を実年齢より下に見せているんだろう。

「お前だって今日は早いじゃないか。いつもなら日が昇るまでは寝てるだろ?」

「だって今日はお客様が来るってダイア様が……」

「お前も忘れてなかったか。偉い偉い」

「えへへー」

 近付いて頭を撫でてやると嬉しそうに相好を崩す。

「昨日の夜ミーティングで仰ってたからね、忘れないよ」

「そうかそうか。んー……まだ皆起きてこないだろうと思って何も用意してなかったんだけど、ブラウニーの切れ端でよかったら食うか?朝ご飯の時間までまだ結構あるだろ」

「良いのっ?!」

 おお、いい食いつき。赤い目がキラキラしてやがる。

「俺も味見がてら食うつもりだったから、半分こな。その代わりバニラアイス添えてやる」

「うわあありがとうむーちゃん!!大好きっ!!」

 ぴょんとその場で跳ねて俺に抱きつくルビィ。反応がいちいち小動物じみていて可愛いんだよなコイツ。

 俺は馬鹿でかい業務用の冷蔵庫を開けて作り置いていたブラウニーを取り出す。

 それを綺麗に切り分けて、綺麗にならない端の方を皿二つ分よけてブラウニーを冷蔵庫に戻した。

 次にアイスクリームディッシャーを水に浸し、軽く水を切ってから、冷凍庫から取り出した業務用アイスクリームに突き刺した。水に軽く浸すことでくっつきにくくなるんだ。

 調理台に二つの皿に形の悪いブラウニーとアイスが乗ったところでルビィが歓声を上げてぴょんぴょん跳ねる。

「凄い凄い、全然このままお客様に出せちゃうよぅ!!」

「いや、ブラウニーの形が悪いからお客様やダイア、ヘマタイトお祖母様にはお出し出来ねえよ」

「むーちゃんはストイックだねえ」

 くすくすと笑われてもルビィ相手だと怒りは湧いてこない。

 これがダイアだったりラピスラズリ兄弟だったらぶん殴るところだけど。

「さ、早く食べようぜ。うるさいのが降りてきたら面倒だしアイスが溶けちまう」

「わわっ、そうだね。うふふ、むーちゃんとボクだけの秘密のお茶会ー」

「コーヒーはインスタントのドリップだけどな」

 そう言いながら俺は俺用に買っておいた特用のインスタントドリップコーヒーの袋を開ける。

 カップ二つに紙のドリップコーヒーをセットしてお湯をゆっくりと注ぐとインスタントといえどコーヒーのいい香りが辺りに満ちた。

「ルビィは先に食ってろよ。お前食うの遅いんだから」

「んん、もう頂いてますーぅ」

「良き良き。ご感想は?」

「ブラウニーがしっとりザクザクー!!アイスクリームがとろけてさらにしっとりー!!あまあまうまうまででもちょっとほろにがー」

「よしよし、大体思う通りの感想だ」

 牛乳と砂糖を入れてカフェオレにしたコーヒーを持ってルビィが座っているところに運ぶ。

 俺も丸椅子を調理台に引きずっていき、朝ご飯前のお茶会と洒落込むことにした。

 ブラウニーには胡桃をたっぷり仕込んであるからザクザクした食感が楽しめる。

 甘すぎると紅茶の渋みが際立ってダイアが嫌うからビターチョコで今回は作った。

 バニラアイスの甘味で甘さを調節しながら食うとちょうどいい。

 カフェオレも甘すぎず苦すぎずホッとする味だ。インスタントなんて俺に飲ませるなとダイアは言うけどインスタントの質も上がったものだと俺は思う。

 ……俺が貧乏舌だとは思いたくない。

「美味しいねえむーちゃん」

「あ?ああ、そうだな、うん、よく出来た方だと思う」

「カフェオレも美味しいー」

「よかった」

 貧乏舌は俺だけじゃないらしい。

「ふう、ご馳走様ですぅー」

「お粗末様」

 アイスクリームの一雫までブラウニーで掬って食べ終えたルビィが両手を合わせる。

「これからお掃除でしょ?手伝うよ、むーちゃん」

「そりゃ助かる。俺は玄関先を掃くから、お前は玄関の中を掃除してくれるか?」

「うん、わかったよ!」

 皿とカップを片付けながら有難い申し出に遠慮なく乗っかる。

 一人で掃除するにはこの屋敷は広すぎる。玄関とトイレ掃除と客間の掃除だけでももう一度行っておくかと思っていた矢先のルビィの申し出は本当に有難いものだった。

 快く引き受けてくれたルビィと連れ立って台所を抜けダイニングルームを抜け、正面玄関へ向かう。

「おはよう、二人とも。早いのね」

「ヘマタイトお祖母様!」

「おはようございます、ヘマタイトお祖母様」

 俺の次にいつもは早起きなヘマタイトお祖母様と正面階段のところで鉢合わせた。

 ルビィが嬉しそうにその名を呼び、俺は深々とお辞儀をする。

 ヘマタイトお祖母様はこの館の主にして俺達のお祖母様だ。

 といっても血は全員繋がっていない。

 この屋敷内で血が繋がっているのはラピスラズリ兄弟だけだ。

 お祖母様は俺達を個別に集め、この屋敷……パーンショップ、“ジュエルボックス”を経営しているオーナーだ。

 俺達は住み込みの従業員というわけだ。

 あ、ダイアだけは違うか。

 あいつはジュエルボックスの現店長としてヘマタイトお祖母様と正式に養子縁組を組んでいる。

 まあそれだけの実力はあるんだけど、あの高飛車な性格だけは何とかならんものか……。

「これからお掃除かしら?精が出ますね」

「今日はお客様が来る予定なのです!」

「いつ来ていただいても大丈夫ですが念には念を入れておいて損はありませんから」

「まあ、ルビィも紫水晶もよく働く働き者ですこと。本当に皆、わたくしの自慢の孫だわ」

 楚々と微笑み、ヘマタイトお祖母様は階段を降りて俺とルビィの頭を撫でた。

 ふわりと香る沢山のハーブの香りが心地よくて俺は目を細める。

 淑女という言葉はお祖母様のためにあるのではないだろうか。シルバーのドレスに身を纏い、たっぷりとしたレースの袖が目の前で揺れるのを俺はぼんやり見ていた。

「でも無理は禁物ですよ。この屋敷は広いのだから、必要なところだけでも」

「そういう訳には参りません。ジュエリィ家として恥ずかしくない屋敷であるよう努めます」

「ボクもボクも!精一杯努めますっ!!」

 ヘマタイトお祖母様の言葉を遮って俺が言うと、ルビィも同調して手を挙げる。

 それを見たヘマタイトお祖母様は「まあ」と口元に手を当てて驚いたような素振りを見せてから再び小さく笑った。

「頼もしいこと」

「光栄です。では、仕事がありますのでこれで失礼致します。ルビィ」

「はあい。ご機嫌よう、マイマダム」

 胸に手を当ててルビィと俺はそれぞれに礼をする。

「ヘマタイトお祖母様、相変わらずお美しいね!」

「あの方は皺の一本まで美しいさ。さ、仕事仕事。そろそろうるさいのも起きてくる頃だぞ」

「そうだねー」

 くすくす笑いながら俺の後をルビィがついてくる。

 騒がしい今日が、また始まる。


◆◆◆


 玄関の掃除とトイレ掃除が終わった頃、朝ご飯の時間になった。

「朝食作るの、今日はラピスラズリ兄弟だっけ」

 ということは十中八九ベーコンエッグとフレンチトーストだ。あの兄弟は自分の好きなものしか作らないし、昨日の夜フレンチトーストの仕込みをしていたのを俺は知っている。

 朝と夜の食事を摂るのは家族全員で、がこの屋敷のルールだ。

 勿論お客様対応中は別だが、そこはそれ、ダイアが上手く調整しているらしい。どうやっているのかは知らないが。

「あ、紫水晶お疲れー」

「お疲れ様」

「ラピス、ラズリ、おはよう」

 ダイニングルームに入ると給仕をしているラピスラズリ兄弟に遭遇した。

 青い髪に、ところどころ金色のメッシュ。右目に眼帯をしているのがラピスで、左目に眼帯をしているのがラズリだということ以外見た目で見分ける術は殆どない。

 服も同じ燕尾の執事服に、左腕の腕章も黒地に深い青のラインが入ったものだ。

 まあ性格が悪戯好きが共通している以外は正反対だから見分けは慣れればつく。

 ……ルビィは無理らしいけど、それはルビィだから仕方ない。

「もう朝食出来てるよー」

「けど、ダイアが起きてこない」

 軽い口調で間延びして喋るのがラピス。

 端的で感情が殆んど篭っていないのがラズリ。

 うん、わかりやすい。

「紫水晶、何うんうん一人で頷いてるのー?」

「気持ち悪い」

「気持ち悪いとは失礼な。それで?あの寝坊助がなんだって?」

「起きてこない」

「ヘマタイトお祖母様もそろそろお庭から戻られる頃だっていうのにダイアが起きてこないから困ってるんだよー」

「困った」

「困ったねえー」

「……」

 これ見よがしにラピスとラズリは両手を相手に絡ませておでこをくっ付けてクソデカ溜息を吐いてみせた。

 これはもしかしなくてももしかするだろう。

「誰か起こしに行ってくれないかなー」

「そこにいる紫水晶とか」

「お前らで行けよ」

 ラピスとラズリがよこす視線を振り払う様に手で払って見せるが気にした風はない。

「だって俺達給仕があるしー」

「忙しい」

「俺だって忙しいわ!」

 まだ客室の掃除が終わっていないのだ。忙しいと言えば忙しい。

「でも朝ご飯が食べられないとぉー」

「困る」

「でしょぉー?」

 だが双子は聞く耳持たない。特にラピスの方が。

「ということでぇ、紫水晶にはダイアを起こしてきて欲しいんだよねー」

「おまっ……!あいつの従者だろうが!!」

「ヘマタイトお祖母様の従者だからってダイアを起こしに行っちゃ駄目って法律はないもんねー」

「無い」

「だからー紫水晶お願ぁい」

「い、嫌だ」

 俺は一歩後ずさった。

 ダイアの寝起きはすこぶる悪い。何度起こしに行って偉い目に遭ったか……。

「そしたら客室の掃除は俺達がしてあげるよぉー」

「やる」

「給仕も滞らない!客室掃除の手間も省ける!これ以上何か必要ー?強欲だなあ紫水晶はー」

「む、ぐぐ……」

「ヘマタイトお祖母様をお待たせする気か?」

 ラズリの一言に、俺はがっくりとその場で肩を落としたのだった。

 それは反則だろうがよー……。


◆◆◆


「あ"あ"?」

「だから、朝食の時間なんだってば。早く起きろくださいダイア!!」

 案の定、ダイアの機嫌は最悪だった。

「勝手に食ってろ」

「いやいやいやそういかないのはお前もよく知ってるだろ!!ヘマタイトお祖母様の作った掟は絶対なんだから」

「ったくうっせーなあ……。服」

「はいはい」

 俺は素直にクローゼットを開けて用意してあるダイアの制服を取り出して持ってくる。

「着せろ」

「はいはい……」

 ダイアの怠惰は今に始まったことじゃ無い。

 俺は素直にダイアの寝巻きの前ボタンを外し、まずはシャツを手に取ってダイアの腕をそれに通した。

「ボタン」

「わかってるよ」

 自分と同じフリルのたっぷりついたシャツのボタンを止め、次はスラックス……と視線を泳がせた時だった。

「紫水晶、手」

「ん?」

「立たせろ」

「あー、はいはい」

 良かった、ベッドから立ち上がる気にはなってくれたようだ。

 介護のように抱きかかえてスラックスを履かせるよりはよっぽどいい。

「おまっ……!!ちょっとは力入れろよ……!!」

「へっ、もっと力入れろよ紫水晶」

 明らかに面白がっている口調でダイアが言う。

 こいつ、もう目が覚めてやがるなと思っても俺は従者、奴は主人。

 俺の直接の主人はヘマタイトお祖母様だけど、ダイアも主人であることに変わりはないのだ。

 なんとかかんとかダイアを立たせて、寝巻きのズボンを下ろす。

「なあ」

「あん?」

「この体勢ってフェラさせる時みたいだよな」

「ぶはっ」

 ななな何を言ってるんだこいつわ!!!!

「阿呆なこと言ってないで足上げろ!ほら右、左!」

「へーい。……おーおー真っ赤になっちゃって、何を想像したのやら」

「お前が変なこと言うからだろっ!!」

 スラックスをなんとか履かせ、シャツをインしてベルトを締めて一件落着……じゃない。

「ソックス」

「あ、忘れてた」

「裸足でローファー履けってか」

「忘れてたって言ってるだろ!!」

 ソックスとソックスガーターを持って再びベッドに腰掛けたダイアの前に跪く。

 ダイアの足を自分の膝に乗せてソックスを履かせ、ガーターをつける。

「ベスト、ジャケット」

「急かすなって」

 丈の短いベストを着せ、その上からジャケットを着させる。全部のボタンを止めて、ループタイを締めて、最後に黒地に白いラインの入った腕章をつけて準備完了。

「鏡の前へ」

「かしこまりました」

 手を取って大鏡の前へ歩み寄らせる。

 白く輝くサラサラの髪、虹色虹彩の瞳。

 黙っていれば美形なんだよなあと後ろ手を組んでダイアが前髪を直している様子を眺めた。

 俺、紫水晶を除いてこの屋敷の奴らはタイプこそ違えど超がつく美形揃いだ。

 それこそ、作り物めいている。

「ん、よし。ご苦労さん、紫水晶」

「身に余る光栄にございます」

「じゃあヘマタイトお祖母様をこれ以上お待たせしてはいけないから行くぞ」

「お前がもうちょっと早く起きればお待たせすることはなかったんだどな」

 ぼそっと俺が呟くとしっかりと聞き取っていた地獄耳のダイアが笑顔で俺の前に立った。

「そういうこと言うのはこの口か?ああ?」

「いひゃい!」

 ぐにいいい、と両頬を引っ張られて俺は爪先立ちになる。

 悔しいことだがダイアの方が背が高いのだ。

「らいあ!!」

「要らんことを言うからだろ」

 そう言って解放された頬を俺は撫でさすりながら自室を出ていくダイアの後を追った。

 やっぱりダイアの寝起きに立ち会うべきじゃない。そう思いながら。


◆◆◆


「いただきます」

 ヘマタイトお祖母様が食事を前に声をかける。

「「「「「いただきます」」」」」

 五つの声がそれに唱和する。

 そして朝ご飯が始まった。

 大きなテーブルの、所謂“お誕生日席”に座っているのがヘマタイトお祖母様、そこから右隣、時計回りに、俺、ルビィ、向かいにダイア、ラピス、ラズリ。

 席は全て決まっていて、客人を呼ぶことはない。客人を呼ぶときはサロンを開放してビュフェ形式でご馳走を振る舞うのだという。見たことはないけれど。

「ダイア、今日はお客様がいらっしゃるそうですね」

「はい、ヘマタイトお祖母様」

 かちゃかちゃと食器の音がする中、ヘマタイトお祖母様とダイアの声がダイニングルームに響く。

「準備は滞りなく?」

「勿論です、ヘマタイトお祖母様」

「宜しい。少し久しぶりのお客様です。持て成しに不備の無いよう気をつけなさい」

「そこも抜かりなく。紫水晶にお客様の好物を用意させております。お出迎えにはラピス、給仕はラズリ、その他の諸事はルビィが処理します」

「宜しいでしょう」

「抜かりはありませんよ、いつも通りにね」

 ダイアが微笑む。

 こういう時のダイアは店長として頼もしい限りではあるのだけれど、何か含みがあるような笑い方をする。

 俺はそれがなんとなく怖い。他の皆は慣れだと笑っていたけれど。

「紫水晶も随分とこの仕事に馴染みましたし、問題ありませんよ」

「そうね。紫水晶はこの生活に不満はない?仕事がきつすぎるとか、多すぎるとか」

「いいえ、ありません、ヘマタイトお祖母様」

 俺は切り取ったフレンチトーストを飲み込んでから答えた。

「強いて言うならダイアの世話をラピスとラズリがきちんとやって欲しいなと思うくらいです」

「あーっ、紫水晶、告げ口ー」

「酷い」

「なんだよ、今朝のことは客室の掃除だけじゃ足りない貸しだからな!」

「おほほ、仲のいいこと」

「……恐れ入ります」

 ダイアが代表して頭を下げる。へへんいい気味。

 ……とか思っていたら口パクで「後で覚えていろ」との信号がダイアから送られてきた。怖っ!!

「ルビィとも仲良くしているようですし、紫水晶については問題なさそうね。わたくしは今日一日庭の手入れをしております。お客様の対応はいつものようにダイアに任せますが、問題ありませんね」

「イエス、マイマダム」

 ダイアが胸に手を当てて深々と礼をする。

「皆さん食事は終わりましたね?」

 ヘマタイトお祖母様の声に全員がナイフとフォークを置く。

「それではご馳走様でした」

 凛とヘマタイトお祖母様の言葉がダイニングに満ちた。

「「「「「ご馳走様でした」」」」」

 五つの声が輪唱するように満ち満ちた。


◆◆◆


 この屋敷を訪れるお客様は必ず“ナニカ”を抱えている。

 その“ナニカ”をなんとかしたくてこの屋敷を訪れるのだ。

 客間のテーブルにダイアが座り、俺達従者は壁にずらりと並んで背後を見守っている。

「あ、お客様の足音がします!」

 耳のいいルビィが足音を聞きつけたらしく手を挙げた。……勿論俺には何も聞こえないし、他のメンバーも右に同じくだ。

 ルビィは飛び抜けて耳がいいのだ。その距離、約一キロメートルに及ぶとはルビィの談だが、その聴力はマイナスにも働く。

 だからルビィは必要な時以外イヤーマフを外さない。

 イヤーマフは、彼の耳を守る盾でもあるのだ。

「来たようだねえ。……ラピス」

「はぁい」

 お茶をソーサーに戻し、ラズリに渡しながらダイアがラピスに命じる。

「お迎えを」

「仰せのままに、マイマスター」

 言われたラピスは深々と一礼をして部屋を出て行った。

「じゃあラピスが帰ってくるまでに紫水晶はお茶の準備を。ラズリはそれを運んでくるように。ルビィはここで待機だ」

「「「イエス、マイマスター」」」

 三つの声が重なり合う。

 俺の仕事は台所仕事だが、用意が終わればルビィと同じく会話を聞きつつ待機を命じられる。

 台所に行き、冷蔵庫からブラウニーを取り出し、皿に盛り付ける。

 朝とは違い、添えるのはアイスクリームではなくて生クリームとミントの葉だ。

 紅茶はダージリンのファーストフラッシュをストレートで淹れる。カップは湯で温めておき、ホットで飲めるようにしておいた。今年のインド産は苦味が少なく香りがいいのでストレートを好むダイアはお気に入りだ。

 そして何より、事前にダイアから伝えられていた通り、お客様のためにミルクポットとシュガーポットを添えるのを忘れない。

「ラズリ、頼む」

「了解」

 これらを全て銀盤に載せてラズリに渡せば俺の仕事は終わりだ。

 おかわりがあれば別だが。

 最初に紅茶をお出しし、次にダイアから合図があったらブラウニーを出す。その順番を伝えるのも忘れない。

 “商談”は上手くいっているだろうかと思いながら台所仕事を命じられるこの身の辛さよ。

「さて、と……」

 一通り片付けが終わったところで客間に顔を出すと、いきなり声が聞こえてきた。

「引き取って貰えるんですか?!」

 静かにドアを開けてルビィの隣に並ぶ。

「ええ勿論。貴女がそれを望むのであれば。対価は勿論お渡ししますよ」

 商談は上手く行っているようだった。

 ダイアの対面に座っているのはセーラー服の女子高生だった。

 長い髪を二つに結んでお下げにしている。

 顔立ちは可もなく不可もなく、至って普通のどこにでもいそうな女子高生。

 でもその表情には必死さが見て取れた。

「だったらお願いです……私からこの人形を買い取ってください……!!」

 そう言って取り出したのは、スマホだった。

 そのスマホケースにはジャラジャラとストラップがついていて、スマホが本体なのかストラップが本体なのかわからない。

 その中から一つの人形を取り外すと、女子高生はテーブルに置いた。

「香織さん」

 ダイアが紅茶を啜った後に彼女の名を呼んだ。

「本当に良いんですね?」

「必要なら七日以内に買い戻しに来れば良いんでしょ?だけどそんな日は来ないわ。だって彼は私を騙していたんだもの!」

「ふむ……ではこの人形を質草に、貴女の中の彼、井上達也に関する記憶を消して差し上げましょう」

 どうやら今回は痴情の絡れらしい。

「彼女、元彼に二股された挙句に振られたらしいよー」

 こっそりと、いつの間にか隣に立っていたラピスが耳打ちで教えてくれる。

「なんでも、現場を見て問い詰めたら別れ話を急に切り出されたんだって。理由は不明」

「へえ……」

「コホン」

 ダイアの咳払いにお喋りはそこまで、という意味を感じ取って俺達は姿勢を正した。

「では香織さん、今から貴女は記憶から自由になります。でもその前に、うちのパティシエが作ったお菓子を食べて頂きたい」

「お菓子……?」

 香織と呼ばれた少女が首を怪訝そうに傾げる。

 ダイアが手を二回打ち鳴らすと、ラズリがブラウニーを運んできた。

「うちのパティシエは腕が良くて絶品ですよ。そこらのケーキ屋に絶対に劣らない。ですがこのブラウニーには魔法がかかっています。貴女の記憶を消す魔法がね」

 因みに言っておくが、俺は事前にダイアにブラウニーを作るようにとレシピを渡されていた。

 その通りに作っただけで、何の魔法も込めちゃいない。

 そもそも俺には魔法なんて使えないのだ。

 そう、“俺には”。

「このブラウニー……胡桃が沢山入ってる……」

 香織さんがブラウニーにフォークを突き刺し、一口食べて目を丸くする。

「それにこの味……達也がよく連れて行ってくれたケーキ屋さんと同じ味……」

「どうです、美味しいでしょう」

「うっ、うぅ……!」

 一口食べるたびに香織さんの目から大粒の涙が零れ落ちる。

「達也……どうして、達也……」

「……」

 それを黙って見つめるダイアと俺達。

 香織さんは最後にくーっと一気にミルクと砂糖のたっぷり入った紅茶を飲み干し、カップをソーサーに置く。

「……あら?私、何でここに来たんだっけ……」

 紅茶を飲み終えた香織さんは、涙の後も消え去って、けろっとした顔をしていた。

 不思議そうに首を傾げ、俺達や目の前のダイアを見比べている。

「お茶を飲みに来られたのですよ」

 ニコニコとダイアが答えると、「そうだったっけ……」となおも首を傾げていたが、急に思い立ったように立ち上がって言った。

「私、帰らないと」

「おや、もうお帰りですか。ではラピス、道案内を。ラズリ、片付けをして。ルビィと紫水晶は僕と一緒にお客様をお見送りだ」

「「「「イエス、マイマスター」」」」

 それぞれに役割を与えられて、俺達は動く。

「あの……有り難うございました。なんだかスッキリしています。何をしていたか全然思い出せないけど……」

「良いんですよ。対価はきちんと頂いておりますし、香織さんはそれを望まれた。ここは夢の館ですから」

「夢の館……」

 ダイアの言葉に香織さんはそれこそ夢を見ているようにうっとりと繰り返す。

「そう、これは夢なのね」

「はい。ですからこのラピスから離れぬように。夢の中の通い路に迷い込んでしまわぬようお気をつけて」

 ダイアがにっこりと輝くような笑みを浮かべて送り出す。

「では、ご利用有り難うございました」

「「有り難うございました」」

 ダイアが胸に手を当てて一礼するのに合わせて、俺とルビィも一礼をする。

 ラピスは香織さんの手を取り、お姫様のように扱いながら玄関の扉を押し開けて屋敷を出て行った。

「……うん、無事帰り路についたみたいです」

「……ああ疲れた。紫水晶、ブラウニー、アイス添えで。後、紅茶も入れ直して俺の部屋に持って来い」

 ルビィがイヤーマフを外して暫く音を聞いていた後にこう言ったかと思うと、ダイアの傍若無人が顔を出した。

「なんだよまだ食うのかよ。昼飯入んなくなるぞ」

「昼飯はそのブラウニーで十分。どうせサンドイッチか何かで軽く済ませる気だったんだ」

「そんなに疲れる商談だったのかよ」

「疲れるも何も、恋の拗れなんて面倒臭いことこの上無い」

 ダイアは後ろ手にずっと隠し持っていた香織さんの人形を取り出して眼前に持っていき、眺める。

「どうせ十日後にこれを取り戻しに来て騒ぐんだ。ウチの期限は七日だって刷り込んでる筈なのにな」

「え、取りにくるのか?」

 一度手放した記憶を必要とするということだろうか。

 別れた彼氏と寄りを戻すとか?

 ダイアの愚痴を聞いた俺は相当不思議そうな顔をしていたんだろう。

 ニヤリと笑ったダイアは俺の肩に手を置いて、囁いた。

「訂正。お前の分もブラウニーアイス乗せを持って俺の部屋に来い。良いものを見せてやる」


◆◆◆


「で、なんだよ良いものって」

「そう急かすな。まずは紅茶を一杯、だ」

「ハイハイ」

 持って来たポットのお茶をカップに注ぐ。

 ダイアの分と俺の分、二つのカップになみなみと注がれた琥珀色の液体は、花のような香りを立ち上らせている。

「溶けないうちに食えよな」

「うちの従者は従者の自覚が全く無い」

 くっくっと喉奥で笑いながら、並べられた二つの皿の上をダイアは満足そうに眺めている。

 なんだかんだ俺に構う辺り、ダイアは主人扱いが嫌いなのだ。

 ルビィでは子供っぽすぎるし、ラピスやラズリではどうしても最後は主人と従者という関係が出てしまう。

 その点では俺はダイアにとって唯一友人と手放しで言える存在なのかもしれない。

 ……俺がそうであるように。

「で、ことの顛末だが」

「んむ?」

 本日二回目のアイスクリーム乗せブラウニーを口にしながら俺は間抜けな声を出した。

「何のことはない、あの女の勘違いだ」

「勘違い?二股かけられて振られたんだろ?」

「そこからもう勘違いなんだ」

 アイスクリームを掬って口に入れつつ、ダイアが溜息を吐く。

「良いか?あの女が見た二股の相手は男が通っているケーキ屋の娘だ。男はパティシエ志望でな、そこのケーキ屋に高校を辞めて弟子入りするつもりだったのさ」

「……それならそうと言えば良いじゃないか。何も別れなくても」

 思った疑問をそのまま口にする。

 するとダイアは「ちっちっちっ」と指を振って俺の言葉を否定した。

「男の覚悟って奴だな。男は高校を辞める事もあの女にギリギリまで言わないつもりだった。別れたのも遊んでる暇が無くなるからだし。あの女に自由でいて欲しかったのさ」

「……」

 俺は無言でブラウニーを齧る。

 ダイアはなおも続けた。

「十日後、男は女に学校を辞めること、待っていて欲しいけれど女には自由でいて欲しかったから別れたことなんかを話す。その時女は記憶を取り戻しにこの館を再度訪れるだろう。ま、ラピスとラズリに門前払いさせるがな」

「ひっでえ」

「酷いものか。これはちゃんとした契約だぞ。それにこれも手に入った」

 そう言いながら、ダイアは席を立ち、部屋の宝石箱の蓋を開ける。

 中から取り出したのはあのストラップの人形だった。

「それ、そんなに重要なものなのか?ただのストラップにしか見えないけど」

「こういう人形には念が篭もりやすいのさ。念が篭もって熟成させれば強力な呪具になる。この先きっと役に立つ」

「はあ、そんなもんか」

「俺達の時間は長いからな。紫水晶、“お前と違って”」

 そう、俺とダイア達には大きな違いがある。

「宝石の化身は永劫を生きる。人間のお前みたいに刹那的に生きちゃいないのさ」

俺は人間、ダイアを始め、ヘマタイトお祖母様、ルビィ、ラピス、ラズリは宝石の化身。

 俺は本来招かれざる客だったのだ。

 それをヘマタイトお祖母様は拾って下さって、ここに居る。

 俺も、この店に質草を入れて、対価としてこの場所にいる。

 人としての生を捨てること。その望みを叶えるために無期限の奉仕を質草にして……。

 まあ、こんなに高待遇だとは思ってもみなかったけれど。

「お前は死を拒否した。だから紫水晶、お前はその紫の瞳を得たときから人の化身として存在する定めを負った。もうお前には死は許されない。ただ時が来たとき滅ぶだけだ。俺達と同じように。その期間が短いだけの違いしかない」

 ダイアが俺の頬に触れる。

 目元を親指で擦り、目を覗き込む。

「だから覚えておけ、紫水晶。お前は人の業というものを。俺達の戯れが人にどのような影響を及ぼすのかを。宝石の扱いを間違えたら、どんな呪いが降りかかるのかを」

「……知ってるよ」

 そう、俺は知っている。

 人の欲深さを。

 人の非情さを。

 人の無常さを。

「それよりアイスクリーム溶けるぞ」

「……っふ、あは」

 俺がフォークで指し示した先で、ダイアのブラウニーに乗っけたアイスがでろりと変形していた。

 それを告げただけなのにダイアは大きな目をパチクリさせて、それから破顔した。

「はっ、あはは、はははははっ……!!だから好きだよ、紫水晶」

「そりゃどーも。俺はお前があんまり好きじゃねーよ、ダイア」

 溜息を一つついて、俺はブラウニーの切れ端を口に放り込む。

 お茶会はもう少し続きそうだった。


◆◆◆


 十日後。

「返して!ねえ返してよ!!私と達也さんの思い出返して!!」

 お下げの少女は一人で館にやって来た。

 そしてラピスに門前で捕まった。

「そう申されましても期限は四日前に過ぎておりますー。一度果たされた約束は、私共にも取り消すことは出来ないのでー」

「そんな……何とかならないの!?」

 尚も食い下がる少女に、ラピスは口の端を上げて笑う。

 ニンマリと、人の顔ではなく化け物の顔で笑う。

「覆水盆に返らず。記憶という曖昧模糊としたものを七日間掛けて消し去った以上、取り戻す術はありませーん。お引き取りをー」

「……っ、あの白髪の子に会わせてよ!!直接話させてよ!!」

 一度は怯んだものの、少女は尚も食い下がった。

 その少女の手をそっと姫君のそれを手にするように手に取って、ラピスは笑う。

 笑う。

 笑う。

 笑う。

「無理でーすお引き取りを。さあ、私がお送り致しますからー」

「嫌よ、嫌、嫌!!彼を待つためにどうしても記憶が必要なの!彼を愛していたあの気持ちが……!!」

 館の周りの深い森がどんどんと暗さを増し、白い靄が辺りを包む。

「あの気持ちがどんなに大切だったか、わかったのに……!!」

 少女の声は、霧の中に消え去った。


◆◆◆


 ここはパーンショップ“ジュエリーボックス”。

 宝石達と一人の人間が住まう館。

 宝石達は戯れに人の願いを叶えるが、それには質草がいる。

 質草を期限内に買い戻せるかどうかは貴方次第。

 質に入れて手に入れた願いで幸せになるかも貴方次第。

「さて、お茶の準備をして頂戴、紫水晶」

「はい、ヘマタイトお祖母様」

「ボクも手伝うよっ」

「俺も」

「ああ疲れたー。俺はパスー」

「偶には働け、ラピス」

「イエスマイマスター。もう働いて来たんですけどねー」

「あれは予定調和の仕事だろう。紫水晶が苺のタルトを焼くと言っていたんだ。あの焼きたて一口目は俺のものなんだから俺の従者であるお前が確保しに行くんだ」

「うへぇ傍若無人ー。流石ダイアー」

「一口目は皆平等だ馬鹿ダイア!」

 俺の怒鳴りに宝石達が笑う。

 いつもの日常、いつもの非日常。

 何でもない日の何でもないお茶会はいつまでも続く。

 次のお客様がいらっしゃるまで。

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宝石達の戯れは人に求められるものだろうか? Rosso @Rosso58

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