クリスマス
年末が近いこの時期は、ともかく忙しい。新しい年を迎えたからと言って、おれたちの時間は、なに一つ変わることはないはずなのに。人間って奴は、区切りをつけるのが好きなのだ。
正月だって、元日から市長の公務が重なっていて、休みなんて、あってないようなものだ。いつも忙しさに追い立てられて、巷で楽しんでいるイベントに興味などあるわけもないのだが……。
車の時計は深夜の11時を回ったところ。
おれは地下の駐車場に車を停めると、そこでいそいそと赤い服を着こんだ。今時は、こういう服が、あちこちで売られているようだ。昔と違って、便のいい世の中になったものだ。
「サンタクロースっていうのは、クリスマスの前夜に、子どもたちに贈り物を配って歩く、赤い外套、白髭の老人のことなんだって。四世紀頃の小アジア、ミュラの司教聖ニコラウスがオランダ方言で訛ってできた言葉みたい。けれど絵本には、サンタの国の話がたくさん書かれているでしょう? ねえ、
今朝。突然、雪がそう言った。おれの家は、まあ普通の家庭だったから、当然の如く、両親が枕元にプレゼントを置いていってくれていた。小学校中学年くらいになると、姉たちに「サンタなんていない。お父さんたちなんだから」と、教えられてショックで泣いたこともあった。
しかし、雪の家にはサンタは来た事がないという。確かに。雪の母親は、まったくもって現実主義者であるし、そういう子供騙しみたいなことをして、喜ばせようなんて気持ちが一ミリもない人だ。
——だったら、おれがサンタになってやろうじゃないか!
ここところ、元気のない
巷は、クリスマスの商品が撤去され始めているというのに、そこをなんとか、無理を言って、サンタのコスプレを手に入れたのだ。それからプレゼントは……雪の大好きなお菓子セットだ。これなら文句あるまい。全部クリスマスパッケージバージョンだぞ。……もう値下げになっていたことは内緒だけど。サンタが来た事のない、雪に幸せを届けるんだ! そ、そして……その後は……。
エレベーターから降りて、我が家の玄関をそっと開ける。なんだ。中は真っ暗じゃないか。雪は寝てしまっているようだ。おれは、抜き足差し足で、そっと寝室を覗く。もちろん、電気は消したまま。起こしたら元も子もない。そう思って、そっと足を踏み入れた瞬間——。
バチン!
とてつもなく大きな音とともに、右足首に激しい痛みを覚える。「痛い!」と声を上げる間もなく、天井から、重い縄のようなものが落下してきて、おれは床に倒れ込んだ。
「な、な、なんなんだ!?」
その瞬間。パチっと照明がついた。人影にはったとして見上げると、そこには雪が立ち尽くし、おれを見下ろしていた。
おれは、——というと。頑丈な金属製のものが足をがっちりと挟み込んでいて、その上、重い縄でできた網に捕らわれた格好だった。
「なんだ。サンタクロースかと思ったら、実篤じゃない」
「そ、そうだけど……」
「おかえり」
「た、ただいま」
雪はふいっと踵を返すと、ベッドにもぐりこんだ。
「おおお、おおい! おい! こ、これなんだ。痛い。足が痛いぞ」
おれの騒ぎに面倒くさそうに躰を起こした雪は、表情を変えることなく言った。
「サンタクロースって、本当にいるのかどうか見てみたかった。だから罠、しかけたんだけど。実篤じゃあ、どうでもいいや。サンタクロース、まだ来ないんだ。ムームル先生の『サンタを追え』ってサイトを見ると、もう日本は配り終わっているはずなのに。どうして、こないんだろう。そんなに悪い子にしていたつもりないんだけれど」
雪はため息を吐いてから、折り紙で作った小さいツリーを指さす。そこには、神棚から持ってきた湯呑と、お供え皿にビスケットが一枚載せられていた。
「ツリーのところには、牛乳とクッキーを置くんだって」
「は、はあ!」
「実篤。さっさと寝てくれない? 人が起きているとサンタクロース来ないって聞いた」
「い、いやね。あのね。痛いよ。これ、痛い! 足に食い込んでるよ!」
昔見たアメリカのアニメで、ねずみを捕らえるときに、こんな罠あったよ! 確かにね。真ん中にチーズ置いてさ。取ろうとすると、脇の鋼鉄みたいなギザギザしたヤツがバチンって閉じるやつ!
「それ、どうやって外すんだろう?」
「ど、どうやってって……」
「ともかく早く寝たほうがいいよ。おやすみ」
雪は、そう言ったかと思うと、さっさと室内の電気を消して、布団にもぐりこんだ。
おれは、ただ。真っ暗な寝室の床に、途方にくれて座っていた。
——クリスマスなんて、取りやめだ! もう絶対にやらないんだから!!
—クリスマス 了—
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