夜伽

雪うさこ

コンタクト



 おれとせつは幼馴染であり、恋人であり、そして家族でもある。


 たまたまおれの母親が、産院で隣で寝かされている赤ん坊の母親に声をかけたのが始まりだったと聞く。


『あらやだ。お隣の野原さんじゃなくて?』


『まあまきさん? まさか同じところで出産とはね。——仲良くしてくださいね』


 そんな偶然と、他愛もない母親同士の交流から始まったおれたちの関係は三十七年を迎える。


 最初はただの幼馴染。いや、違う。二人はいつも一緒だったし、そうあるべきだと思っていたから。


「雪、コンタクト慣れた?」


 社会人になってから一緒に住み始めたマンションのリビングで、ほっと息を吐く雪に視線をやる。


 帰宅したばかりで緩められたネクタイ。元々陶器のような雪白の肌は青みがかっていて疲労の色が濃かった。


 ここのところお互いに仕事が忙しい。自宅には寝に帰ってきているような毎日だった。


「たまにチクチクする。これ、着けないとダメ?」


「社会人なんだから。みんなとは違った瞳の色は忌み嫌われるだろ?」


「でも——。もう十年以上これで仕事をしてきた」


「だからだろ? もうそれなりの地位に来ているんだ。余計な詮索をされる必要はない」


 嘘だ。全部嘘。そんなの言い訳だ。ただおれは、雪の双眸それを他人には晒したくないだけなのだ。


「視力が悪いわけでもないのに、面倒——」


 彼はそう言うと、ふと細い指を目元にやる。


 ——ああ。


 吐息が洩れた。左の人差し指を下の眼瞼がんけんに添え、中指で上の眼瞼を持ち上げる。それから、右手の人差し指と親指でコンタクトを摘み取り出す様を見ていると、心臓が跳ね上がった。


 雪が躰からは、何故かおれの心をざわつかせた。


 鳶色とびいろだった瞳が、おれの大好きな白緑色びゃくろくいろを取り戻す様は自分だけのものという独占欲を掻き立ててくれる。


 彼にカラーコンタクトをさせるという案は、よく思いついたものだと自画自賛すべきことであった。


「楽——」


 慣れないカラーコンタクトレンズの圧迫感は、雪に負担をかけていることは知っている。だが、おれはそれを強要していた。


 瞳の色は日照時間と関連していると眼科医の雪の母親から聞いた。日本にも、ほんのわずかだが青色や緑色の瞳を持つ人間が存在するのだそうだ。雪はその一人だ。昔はもっと鳶色が強かったが、年齢を重ねるとともにそれは薄れて淡い緑色に見えた。


 そんな不思議で魅惑的な色を他の人間に晒すなんてあり得ない。


「あのさ。気が付いたんだけど。お前の躰を隅々まで味わったと思っていたけどさ。そういや、まだ確かめていないところが一箇所だけあったな」


「え? ——実篤さねあつ


 座っていたソファの背もたれに雪を押し付け、右手で顎を挙上する。


「ちょっと、なに——?」


 不満の声を上げる彼を無視して、背もたれに彼の後頭部を押し当てると、そのまま覆い被さる。雪の匂いが鼻を掠めた。


「実篤——!」


「動くなよ。危ないから」


 左の手のひらで白い額を押さえつけながら、親指で上眼瞼を。それから右手親指の下を頬に添えてからその親指で下眼瞼を押し開く。


 なにが起きるのかと不安気な色を帯びる虹彩に映る自分の顔を確認するとますます心が波打つ。


 ——雪の視線はおれだけのもの。


「ちょっと……! 実篤?」


 嫌がるように躰を強張らせているのを知りながら、瞼に唇を寄せ、そして舌を差し出して、雪の眼球に触れた。


「……っ!」


 雪の眼球は暖かい。


 虹彩を覆う薄いシリコン状のコンタクトを舌先で絡め取るように引き剥がすと、雪は吐息を洩らした。


 口の中に入ってきたコンタクトは薄くて直ぐに食い敗れそうなほど脆い。


 息を潜めている雪の反応が面白くてつい口元が緩んだ。


「おれ器用だから大丈夫だろ?」


 そっと唇を離すと、非難を込めた瞳がおれを見上げていた。


「そういう問題じゃない」


「怒るなよー。別に痛くなかっただろ?」


「痛いわけじゃないけど。怖い。それに——変!」


「変かなー。指で取るより痛くないはずだけど。唾液のpHは中性だし」


 変態フェチかもしれないけど、好きなんだけどな。こういうの。


 怒り出した雪は「実篤って本当に変」と何度も繰り返しながら廊下に出ていった。それを見送って笑ってしまう。


 ——これはやめられないだろう? 隅から隅まで味わいたい。だってお前の全てはおれのものだからだ。








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