青生
苦ヲ
第1話 青に溶けてく
2019年4月2日。シアンに溶かされている私。そんな私を然程遠くない所から、かめのぞきとびゃくぐんが睨んでいる。愛想を尽かされたのだろうか、嫌気がさしたのだろうか…分からない。でも、最後だから理由が知りたい。溶ける前に私と仲直りしてほしい。仲直り?自然と浮かぶこの言葉に私は考える。喧嘩でもしてしまっていたのだろうか…。してしまったとは言い切れない、けど多分そうなんだろう…。そしてまた私は考える。喧嘩?表現が間違っている様な気がしてきた。仮に喧嘩なら睨まれる理由を知っているはず。そうでは無いと考えると…。答えには辿り着けない。いっそ聞いてみようかしら。『ねぇ、どうしてそう私を睨むの?』『 』返事は来ない。諦めよう。
睨まれる事についての諦めはついた。が、生きる事にも本当に諦めがついているのだろうか?生きている"殆ど"の人が生に反する事を嫌うだろう。青が好きな人もいれば赤が好きな人もいる。それと同じで、全ての人では無い。かと言って半分や大半、何割といった表現を扱う事で数に表せてしまう。それを払拭する為に"殆ど"と表現した。好きな事、好きな人、好きな物、好きな色。必要であって必要で無い。あれば生きる事に充実するものであろう者たち。充実度は、0か100ではない。間に無数の数字がある。けど、その中で自分に合いする充実度が下がり切った時生きる事に反する気持ちが湧き出てくる。私の充実度はいくつだろう。好きな事は読書。好きな人はいない。好きな物は本。好きな色は青。…こう並べると貴女は、十分充実しているのではと思われるかもしれない。それは、違う、同じ好きでも割合が大きく変わる。同じ好きでも1〜100のうち50や80と様々である。
好きな本を読んでいる私は幸せだ。
だが、読み終わればどうだろう、思いに浸る暇もなくどす黒く波のようにとてつもない虚無感が押し寄せてくるのだ。
こう思ってしまうのが私だ。
私は私が嫌いだ。
私を好いてくれる人を私は嫌う。
私を求める人を私は拒む。
私を子として扱うものを親とは認めない。
私を生徒と呼ぶものに私は先生と呼ばない。
私は私である限り生きることを反する。
私である為に、私は生きたい。
私は、今ここにいる私を見失いそうになっていた。
そんな私を、シアンに揺れるシアン青が思い出させる。私は高校生だ…。
月日は、変わらず4月2日。涙は出ない。
青に溶けてく私。それを、睨むかめのぞきとびゃくぐん。
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