或る問答

高村 芳

或る問答

「ねえ、サティ、もしこの世に“不老不死の人間”が存在するとしたら、その人間はどんな人間だと思う?」


 神経質なほどに清潔に保たれている研究室で、白衣を着た男は同じ白衣を着た女に訊ねた。男が右手に持つインスタントコーヒーは淹れたてなのか、微かに湯気が立っている。女のキーボードを打つ手がわずかに止まったが、再び淀みなく流れ始めた。


「あなたにしては珍しい空想的な質問ね、エリック」

「からかうなよ、サティ」


 サティ、と呼ばれた女は鼻で笑った。エリックは太い黒縁の眼鏡をあげてから、短い金髪の前髪に無造作に触れる。彼の苛ついたときの癖だ。空いているデスクチェアを引き寄せて、彼女の横顔を見ながらどさりと腰を下ろす。ひょろりと長いエリックの足を包むスラックスは、折り目が無くなっていた。いったい自宅に何日帰っていないのかしら、とサティは溜息をついた。


「不老不死の人間……そうね。殺人鬼になるんじゃないかしら?」


 手を止めてエリックの方に向き直りながら、彼女はニヒルな笑みを浮かべた。対してエリックは、不味いことで有名なコーヒーをむりやり喉に流しこんでから首をかしげた。その眉根は、いつもパソコンに向き合っているときよりも寄せられている。


「人を殺すのかい? 自殺、しようとするのではなく?」

「ええ、あくまで推測だけれど」


 彼女はボールペンを唇に当てて、もったいぶるような口調で自身の考えを披露する。エリックは研究者独特の輝いた目でサティに詰め寄る。


「どういうことだい? 僕にわかるように説明してくれ」

「あら? 世間から“生物学の権威”と謳われる貴方にもわからないことがあったのねえ」

「だから、からかわないでくれよ」


 エリックが少しクセのある髪に触る回数が増えていくのを、彼女は心の中で笑う。


「私が考えるに、」


 サティは再度パソコンの方に向き直り、キーボードを叩き始めた。


「不老不死、ということは死なないのだから、長い歳月を生きるのよね? そうすると、普通の人間では一生という短い時間の中でできないくらいの、様々な経験をすることになるわ」


 エリックはコーヒーを飲みつつ、静かにサティの話に耳を傾ける。


「生物は自分の意識とは関係なく、何事にもわ。それこそ様々なことを経験することによって。不老不死の人間は長い歳月の中で、笑うことにも泣くことにすらも慣れて、感覚が麻痺してしまうでしょうね」

「一理あるね」

「そして不老不死の人間は無感覚で無感情になると思うわ」


 飲み干したマグカップを掲げながら、エリックはサティとの問答を楽しんでいる。


「それが殺人鬼とどう関係があるんだい?」

「人間がたとえ無感覚・無感情になったとしても、さらなる刺激を求める本能だけは、消え去ることはないと私は思うわ。だから自分が生きてきた中で経験したことのない、新しい経験を求めるのよ。たとえば、殺人とかね」

「なるほど、だから不老不死の人間は殺人を犯す、ということなんだね。君も結構想像力が強いんだね」


 マグカップを研究室の角にあるシンクに置きながら、エリックは高笑いする。サティはエリックの台詞に唇を尖らせる。


「あら、結構理にかなった推論だと思うけど?」

「さあ、仕事しようか。楽しい楽しい問答はこれで終わり」

「全く、そういうところは調子いいんだから……」


 そうして、二人とも背を向けてパソコンに向かい、黙々と作業を続けた。



  *



 三年後、エリックとサティの研究開発チームは、ついに不老不死の薬を開発することに成功した。初めての人間における実験体はエリック博士自らが志願したと書物には記されている。

 そしてそれからさらに一〇八九年後、人類は滅亡した。

 たったひとりの不老不死の殺人鬼を残して。


「誰かいないのか……殺させろ殺させろころさせろおおおおおおおおお……」


 その殺人鬼は不毛な砂漠の地平線で叫んだ。

 ぼろぼろに錆びた黒縁眼鏡をあげ、砂にまみれた金髪を無造作にかきむしりながら。




  了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

或る問答 高村 芳 @yo4_taka6ra

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ