第52話 丘の上(4)

 今度はどこからだ!

 

 正面か!

 ニケの反応に合わせて横に大きく飛ぶ。


 次の瞬間、フィオナが姿を現し、直前まで俺が立っていた空間に鋭い突きを繰り出していた。

 突きをかわされた彼女がゆっくりと振り向く。


「これは困りましたね。まさか三度までかわされるとは思いませんでした」


 セリフとは不釣り合いな穏やかな笑みだ。

 いま、よける直前に風圧を感じた……。


 フィオナは間違いなく俺の正面から迫っていた。彼女は消えたり現れたりしたわけじゃない。

 空間系の能力ではなく、幻惑系か……?


 いずれにしても俺との相性は最悪だな。


「フィオナ、やめて! アサクラ様もフィオナと争わないでください!」


 メリッサちゃんの悲痛な思いが叫び声となって俺とフィオナに届いた。

 フィオナの穏やかな笑みがわずかに歪む。


「本当に酷い人です、メリッサを連れてくるなんて」


「真実を知らずにいるよりも、辛い真実でも知っておきたいと思うことだってあるんですよ」


「同意しかねます」


 知りたくもなかったことがたくさんあったから、と彼女が寂しそうに微笑む。


「ブラッドリー様、二人を止めてください! お願いします!」


「申し訳ない」


 泣きながら懇願するメリッサちゃんから、ブラッドリー小隊長が顔を背けた。


「そんな……、ブラッドリー様、お願いします! フィオナは優しい子なんです……。無理やり協力されられたんです、きっと、そうです……」


 泣き崩れるメリッサちゃんの肩をアリシアが無言で抱きかかえた。

 そんな二人から顔を背けたままブラッドリー小隊長が辛そうに言う。


「私では……、二人の戦いを止められないのです……」


「手出しは無用です! シスター・フィオナは俺が止めます。ブラッドリー小隊長はアリシアとメリッサちゃんの護衛をお願いします」


「あてにしています」


「タルナート王国側の増援があるかも知れませんから気を付けてください」


 不意打ちでアリシアに攻撃が向けられたら大惨事になる。

 それはブラッドリー小隊長も理解しているようで、「彼女たちに危害が及ぶような事態にはさせません」、と少し緊張した面持ちで言った。


 もう少し、もう少しでフィオナの姿を見失った理由が分かりそうなんだ。

 考える時間が欲しい……。


「シスター・フィオナ、俺には分からないと言いましたが、それはどういう意味ですか?」


「言葉通りです。アサクラ様のように恵まれた、強力な魔力を持った方には理解できないことです」


「俺と同じように強力な魔力を持った貴女には分かって、俺には分からないのですか?」


 まったく話が見えない。


「この国で、いいえ、この大陸で、魔力を持たない者の絶望と劣等感が分かりますか? 物心つく頃には知るのです、魔力がないことの不遇を、みじめさを。私は十一歳まで魔力がありませんでしたから、嫌というほどそれを知っています」


 魔力がある圧倒的なアドバンテージ。

 この異世界に迷い込んだ俺でも容易に想像できる。いや、俺が想像するよりも遙かにその差は大きいのだろう。


「魔力がない人たちだって必死に生きて、子を育てています。魔力がないことを言い訳にしているように思えますよ」


「そうですね……、私の両親も必死に生きていました」


 彼女の雰囲気が変わった。

 抑揚のない口調で話を続ける。


「魔力がなくても成功できると信じて商人になりました。幸運にも、私の家族はささやかな幸せを手にすることができたのです。夕食に温かいスープが並ぶ。両親の笑顔がある。たったそれだけで幸せだった。魔力なんてなくても幸せだった」


 彼女の頬を涙が伝う。


「でも、魔力をもった人たちが全てを奪った。父と母は、魔力を持った商人にだまされて虫けらのように殺されてしまった」


「フィオナ……、そんな、おじさんもおばさんも、元気だって……」


 メリッサちゃんが悲しみと驚きがない交ぜとなった表情でフィオナを見詰める。


「本当のことを言えなかったの、ごめんね」


「フィオナ、あたしの方こそごめん。あたし、あたし……」


 嗚咽おえつを上げるメリッサちゃんから視線を俺に戻したフィオナが寂しそうな笑みで言う。


「理由は、魔力を持たない私の両親が商人としてそれなりに成功していたからです。魔力がある商人たちからねたまれひがまれました」


 魔力がある人々は魔力がないというだけで見下す。自分より下だと思っていた者が成功することが許せなかったのだと。


「両親に少しでも魔力があれば、騙された挙げ句、殺されるようなことにはならなかったでしょう」


 誰もが言葉を失った。

 沈黙が流れる。


 魔力がないというだけで、必死に努力してつかんだ小さな幸せが奪われる。

 言葉がでてこない。

 胸が締め付けられる。


「国も領主も冷たいものでした。いいえ、魔力のある者たちの言い分にだけ耳を傾け、魔力ない私たちの言葉は黙殺されました。ですから、私はお祖父様の手を取ったのです」


 そのお祖父様が黒幕なのか?

 俺は彼女への同情を押し殺して言う。


「気の毒だとは思う、同情もする。それでも、罪のない子どもたちを誘拐して良いことにはならない」


「言ったはずですよ、誘拐なんてしていません」


 涼やかな声が静かに響いた。

 風がさらった長い髪が彼女の頬にかかる。


 パズルのピースのようにバラバラだった情報を頭のなかで組み上げていくと、俺のなかで一つの仮定が形を成した。


「まさか……!」


「お気づきになりましたか?」


 穏やかな笑み。だが、たったいま自分のなかで形を成した仮定を重ね合わせると、その笑顔がとても寂しいものに思えた。


「貴女は魔力と引き換えにタルナート王国に魂を売ったんですか?」


 彼女の言う『お祖父様』の向こうにタルナート王国があるのは間違いない。

 どんな方法を使ったのかは知らないが、俺の仮定が正しければタルナート王国は魔力のない人間に魔力を発現させることに成功した!


「本当、貴方は恵まれた方です。何でも持っている……。強力な魔力も、財力や人脈も。そればかりか頭まで切れる」


 どれも偶然手に入れたものばかりだ。

 彼女の境遇と照らし合わせると、一層、胸が締め付けられる。


「つまり、我々が誘拐されたと思っていた子どもたちは、全員、魔力を与えられることと引き換えにタルナート王国へ亡命した、と」


「概ねその通りです」


 急速に湧き上がってきた疑問と疑念、そして、わずかないきどおり。


「他国の人間である必要はありませんよね?」


 俺は疑問を口にした。

 魔力のない者たちならタルナート王国にもたくさんいる。なぜ、わざわざ危険を冒してまで他国の住民を誘拐する必要がある?


「私たちは実験体なのです。成功すれば生きて魔力を手にすることができます」


 彼女の一言が俺の抱いていた疑念を払拭した。

 そして憤りが急速に拡大する。


 百歩譲って大人は良いとしよう。だが、判断力がまだ備わっていない子どもに命をかけた未来を選択させるのは間違っている。


「少しお喋りが過ぎたようですね。そろそろ終わりにしましょう」


 そう口にした彼女の笑みはどこか寂しそうに思えた。

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