ヘングレ・フェイト

林檎飴

本編

告白しますと、私は、妻の意見だとかその時の劣悪な生活環境という、状況に耐えられずに、罪を犯してしまいました。二度も罪なる行動をしてしまいました。


一度目は未遂に終わりました。木こりであった私と私の妻は二人、その当時に育てていた息子と娘を森へと連れていき、私が一言「ちょいとこの場所でおとなしく待っててくれ、すぐにお母さんと帰ってくるから」と二人に向けて言い捨てて、家へと帰ったのを今でも鮮明に記憶しています。最早殺人にも近しい愚行でありました。


しかし、その待機するように促す旨の言の葉を聞いたヘンゼルの顔といったら不気味なものでした。なぜか笑みを浮かべていたのです。あれは、その日の前日に妻としていた計画が盗み聞きされていたがゆえの余裕の表情でしょう。きっと彼は、もとより森でのたれ死ぬつまりなど無かったのでしょう。私はそれに安心し、帰路につきました。因みにヘンゼルは、もう一人の子であるグレーテルの兄でした。グレーテルは妹でした。


私は家にそのヘンゼルとグレーテルが、夕飯時に帰ってきてくれ安堵しました。胸の辺りに漂っていた不安と正義に満ちた偽善の塊が、自然と抜け落ち、ほんと一安心。


けれど、妻に「もっと遠くへ捨ててこい」と云われ、もう、どうしようもなくなりました。自殺しようかとも迷いました。


せっかく自分たちの元へ帰ってきてくれた二人をもう一度手放すなんて誰ができるでしょう。───妻が魔女のようの感じられ、恐怖しました。そして子供たちの運命に私はみすぼらしい枕を濡らしました。


さて、それ以降はあんまし覚えていません。もっと深い森へと今度は妻抜きにして行き、計画のことも二人には明かさずに、孤独な想いをしながら私は帰りました。二人の愛しい子は帰ってきませんでした。


***


そう、二度と。妻は流行り病で早死にし、私は小説家になり、前よりも裕福な暮らしをしております。けれども、あの子供たちと過ごした日々のほうが、心は何倍も豊かでした。


私の綴る文章は、自分でも嫌になるほどの悲しみがにじみ出ています。過去の過ち、それがいつまで経っても拭えそうにないのです。一人だけ、過去の体験をベースに完成された自分の文体を有効活用し、妻も無し子も無しに一人だけ幸福な人生を送っているのが現状です。


この私の生涯は一時の選択が災いして、このような有様になりました。自業自得。そう罵られるかもしれませんが、この、寿命を迎えて死にそうな今、私は日記として今までの罪を書き記しております。


もう、感情がブレブレで、いつものような落ち着いた文体ではありませぬが、けれども、この遺書には悲しみが内包されているでしょうから、読者はこれも文学として後の評価しなさるのでしょう。東洋の文豪にもそのような方がいらっしゃっと存じ上げております。


恐ろしいのは人の柔軟性。このような懺悔も、きっと公表されたのなら最初のうちは私を批判しなさる人がたくさんに出てくるでしょう、擁護しなさる聖人もいらっしゃるでしょう。


しかし時の移ろいは精神にさえ影響します。柔軟な人間は、後々私の人生に考察・研究をしなさり、数多の想像を膨らませて、やがて後世の人々は私の人生を怯え、憐れみ、悲しむのでしょう。


そうなのです。もっとも人間の恐ろしいところは想像力の高さにあります。


この「どんな人であったのだろう」という素朴な疑問は、ありもしないことにさえ想像を発展させます。


かく言う私もそうでした。


「今頃ヘンゼルとグレーテルは、死んでいるに違いない。けれど、どうだ。もし森に魔女がいたらどうなる。森に異端人がいるなんて陳腐な寓話じゃないか。───嗚呼、二人はどうなっているのか。知りたい。知ってどうにかなる訳じゃないが、という実は知りたくないのだけれど、嫌に想像してしまう。」


過去の業は、そうやっていついかなる時でも私の心を蝕みます。


この苦しみは、罪悪感が根源の好奇心が呪いになっているから、未来永劫と永久に続いていく病なのです。


子供たちの分まで生きていこうという気持ちが自殺衝動さえも遮りました。ほんとうに生き地獄でした。




兎に角私は罪悪感と心の弱さゆえ、死ぬことなく、数々の作品を後世に残すこととなりました。


私の告白は以上となります。こうして、作家の半生が明らかになっても、あなたたちは私の作品を楽しむことができますか?


───できるでしょうけど。罪悪感が、想像力を無限に増幅させるのですから…。


とは言いつつも、面白ければ何かを考えるのが人間。けれど考えすぎることはいけません。


─────深淵を覗けば、その闇を取り込むのもまた人なのですから。…まあ単純に事の全てを知ってはつまらないからほどほどがよろしいだろ。ということ。




 ***




薄茶色のボサボサ髪の女が一人、森の廃屋で暮らしていた。その森には木こりの男も同居しているのだが、ここ数日、彼は家に帰ってきていない。


「───はぁ……」


女が白木の椅子に体重をかける度にギシギシと、何かがそぎ落とされるような不快な音がたつ。


「運命ね」


溢すように女は呟く。


「そう、そういうこと。あの人たちの気持ちはこういうものだったのかもしれませんね」


女は椅子から立ち上がる。同時に椅子の脚が寿命を迎える。


「逆らえない運命。それを抜ける出すということは軌跡でも起こらなければ打ち破れない。森の夜は永いのだから。あの人は分かっていたのに、それでも、がむしゃらに私を助けようと頑張った。───その勇気ある行動は果たして無駄にしてしまっても良いのでしょうか」


彼女は首を横に振る。もうあの男は死んでしまったのだろうけど、それでも精いっぱいに生きたいと思っているようだ。


男は死んだ。なぜなら彼はそういう運命の元生きていたのだから。


───そういう彼女も死ぬに決まっている。そういう運命を男と共有しているのだから。


けれども、自己投影されなかった女は果たして今生きているのだろうか?死んでいるのだろうか。


神は亡くなった。あの日見た神はいるのだけど、創造神はもういない。


ゆえに、女には可能性があるのだろう。


彼女を束縛する存在はもういないのだ。迷いの森を抜けだすのは、もう運と奇跡に頼る他無い。




太陽の光が森を照らす。女は長年住んでいた家を出た。振り返ることはない、もう此処には用が無いのだから。


暗雲は森にもうかかるまい。木のみを一口、女は食べ、旅へ出た。


夜明けの先を見つめながら、女は長年ぶりに一人で歩く。まるで今まで眠り続けていたかのようによちよち歩きである。


───もし神が少女を照らすのなら、少女の未来は晴天。闇を起こすのなら未来は無い。


けれど、中立もしくは目を逸らすのならば、彼女の未来は文字通り”白紙”でしょう。


神は、自分勝手なのだから。そうでしょ?


もっとも神なんてこの世にはいないし、寧ろその神の概念を暴力的に扱うのが人間で、故に運命は常狂う。


グレーテルとは、誰で、初めからいたのかさえ、神さえ知らない…………。

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ヘングレ・フェイト 林檎飴 @KaZaNeMooN

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