ノタマノーライフ

@ichiryu

プロローグ

 はじめに女神は天と地を創造された。

 地は形なく、むなしく、やがて淵のおもてにあり、女神の霊が水のおもてをおおっていた。

 女神は「ノタマあれ」と言われた。するとノタマがあった。女神はそのノタマを見て、良しとされた。女神はノタマを模してボールをつくり、ボールを打つためにバットをつくられた。女神をボールを投げる者をピッチャーと名付け、バットを持ってボールを打つものをバッターと名付けられた。第一日である。

 女神はまた言われた、「水の間にあおぞらがあって、水と水を分けよ」そのようになった。女神はあおぞらを造って、あおぞらの下の水とあおぞらの上の水を分けられた。女神はその青空を天と名付けられた。第二日である。

 女神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」そのようになった。女神はそのかわいた地を陸と名付け、水の集まった所を海と名付けられた。女神は見て、良しとされた。第三日である。

 女神はまた言われた。「陸に四つのベースを全ての辺が等しいひし形上に置き、下と左、下と右を結ぶ線の延長線上に細長い棒を立て、棒と棒の間に緩い弧を描いた柵を立てよ」そのようになった。女神はひし形の中央の地中にノタマを置かれ、この特別な地をフィールドと名付けられた。女神は見て、良しとされた。第四日である。

 女神はまた言われた。「ピッチャーはボールを投げ、バッターはそのボールを打ち返せと」女神はフィールドを駆ける十八の選ばれし者とフィールドに歓声を送るあまたの者を創造された。女神は見て、良しとされた。ピッチャーが投げ、バッターが打ち、ボールが美しい放物線を描いて、柵を越え、あまたの者は大きな歓声を送る。女神はこれらを祝福して言われた。「投げよ、打てよ、駆けよ、叫べよ」

 ノタマの始まりである。


 ここは日々ノタマが行われているノタマ・パークがあるダブルディの街。

 ノタマ―――創世の女神であるクイーン・オブ・ノタマに敬意と感謝を込め、いかに自在にボールを操ることができるかを示す祭事。ピッチャーがボールを投げ、バッターはそのボールを打ち返し、指定された位置に設けられているフェンスをノーバンドで越えることができた回数を競うゲームである。

 誰もが同じ才を持って産まれてくるダブルティの街。とびきり美しい者もいなければ、とびきり醜い者もいない。とびきり足が速い者もいなければ遅い者もいない。完璧な均質社会。

 今、僕の目の前では五〇メートル走のタイムが測定されている。

 「ダルイ、かったるい」が口癖の椎名君が心底めんどくさそうな顔をしながら、重い足取りでスタートラインに立つ。先生が手を上げ、椎名君が軽く腰を落とす。「スタート!」の声と共に手が振り下ろされ、駆け出していく。タイムは一〇.七六秒。小学二年生の平均値とほぼ同じタイム。椎名君は口癖の言葉通り何の努力もしていないということになる。

 次にランニングを趣味としている大川君が椎名君とは打って変わって軽い足取りでスタートラインに立つ。開始の合図と共に勢いよく駆け出していき颯爽とゴールラインを通り抜けていく。タイムは九.九九。平均値とのタイム差は〇.七七。

 僕の番。先生の声。それを合図に右足に力を込め、力一杯地面を押し出す。次に左、その次はまた右。交互に力の限り地面を押し出して体を運んでいく。風を切る心地よさはすぐ息苦しさに変わっていき―――ゴール。タイムは一〇.七四秒。平均とほぼ変わらないタイム。

 均質な社会は平等な社会。持って産まれた才が同じなら、積み上げた努力が差を分けることになる。日々のランニングで努力した大川君は何の努力もしてこなかった椎名君や僕より〇.七七秒速く走ることができる。この〇.七七秒が大川君の努力の価値ということになる。

 誰かが人より優れた業績をあげ、多くの人の注目を浴びる。その人を見た誰もが思う。「ああ、あの人は今までにその業績に見合うだけの努力をしてきたんだろう」と。その人を見て、あの人のようになりたいと憧れを抱く者は努力を重ね、日々その人へと近づいていく。

 「努力したって何になるんだ」なんて誰も言わない、努力のループが生き続ける社会。

 誰もが努力の楔から逃れることのできないこの世界でその楔から外れることを許された存在がいた。それがノタマのピッチャー。クイーン・オブ・ノタマに認められた”特別な存在”。

 いくら望み、願い、努力を重ねようと認められない者は決して辿り着くことのできないポジション。多くの羨望と嫉妬を一身に集める存在。

 あの日、僕は選ばれた存在になった。僕はこれから歩くことを許された特別な道を何のためらいもやましさもなく進むことが出来ると信じていた。あの事実を知るまでは―――。

 僕は女神からのプレゼントを受け取った。多くの人が望むプレゼントを。僕はそのプレゼントをどうすべきなんだろうか?無邪気に喜ぶべきだろうか、謹んで辞退すべきだろうか?それとも―――。

 これは僕の決断の物語である。

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