第94話 キーエフ軍の侵攻

 長雨の季節が終わり、海からは熱気を孕んだ風が吹いている。澄んだ夏の青空とコバルトブルーに輝く海が、ランスの南部にあるトゥール州の海岸線に広がっていた。


 平和な夏であれば、この地には数多の貴族達が集まりバカンスを楽しむのが常である。


 しかし今年は少し様相が違っていた。数多のランス貴族が集まった点に関しては同じだが、その目的がバカンスではなく、キーエフへと亡命する為だからだ。


 貴族達が亡命を図る為の橋頭保となったトゥールの州都は、海岸沿いにある港町のニーム。ここはランス随一の漁獲高を誇る漁港であると同時に、南海における海軍の重要拠点でもあった。


 とはいえランス王国は北海においてウェルズ王国と長らく対立を続けている関係上、海軍戦力を北側に集中させている。よってニームに駐留するランス海軍は「海賊軍」などと揶揄され、小規模な独立軍の様相を呈していた。


 そのようなことからキーエフ軍大将に昇進したザガン=フォン=ヴァレンシュタインは、「治安維持」を名目にして州都ニームへ侵攻。これを、三日と経たずに攻略してしまう。


 これが可能だったのも、海賊軍と称されるランス海軍南方艦隊が一戦も交えることなく後退したからだ。結果としてニームに駐留する陸軍兵力五千の制圧で事足りた為に、ヴァレンシュタインは自らが立てた計画よりも日数を大幅に短縮して、ランス南部最大の都市を陥落せしめたのである。


 もっともキーエフ軍としては、ニームを無視して北上を続ける方法もあった。しかしニームがキーエフの手にあれば物資を陸上からだけではなく、海上からも運ぶことが出来るのだ。


 またニーム単体でも最悪の場合には相応の物資が集積してあるから、三万の軍団を飢えさせる心配が格段に減る。だから多少寄り道をする形になっても、ヴァレンシュタインは理由を付けてニームを攻略したのだ。


 こうしてヴァレンシュタインは後方の安全と補給を確保した後、五千の兵をニームに残すと二万五千の兵を率いて北上を再開した。次に向かったのはトゥール州第二の都市、アルザスである。


 アルザスは大河リモジュに沿う形でニームから五十キロほど北上した地点にある、堅牢な城塞都市だ。

 そのリモジュ川は、アルザスを起点として二つに分岐する。

 つまりアルザスとは南、西、東を河に囲まれた形で、その中洲に築かれた城塞都市なのだった。


 ヴァレンシュタインは大きく回り込んで、アルザスの北側に布陣した。だが高さが二十メートルはあろうかという巨大な城壁と、しっかり閉ざされた分厚い門を見て辟易としている。


「流石に難攻不落を謳われるだけのことは、ある」


 部下達に陣営を築かせ、自身は小高い丘の上に馬を進めて巨大な城壁を見下ろし、ヴァレンシュタインは肩を竦めていた。


「難攻不落の城というものは、古来より内側から開かれるものですわ、お父様」


 傍で馬を並べ、父親と同色の朱色髪を風に靡かせる少女が、大人びた口調で言う。


「ルイーズには、何か考えがあるのかね?」

「もちろんですわ、お父様。わたくしに全てお任せあれ」


 ドンと小さな胸を叩く少女は、ニタリと笑っていた。ヴァレンシュタインは苦笑を浮かべている。


「任せることは出来ないが、話くらいは聞いておこうか。せっかくルイーズが、考えてくれたのだからね」

「フフン、考えを聞くだけだなんてヤボをお言いですわね、お父様。ここはわたくしが指揮をして……」

「いや、それはダメだルイーズ。君は確かに私の娘だが、あくまでも伍長の身。司令官に意見するだけでも大それた事なのに、指揮なんてもっての外だよ」

「あ、う、あ……でもミーネの馬鹿はわたくしより一歳も年下なのに、ランスの元帥になったと言うじゃありませんか。ですからここは、わたくしも一つ元帥に……そうすれば二万ちょっとの兵位扱えるのでしょう?」

他人ひと他人ひと、自分は自分! 他者と自分を比べても意味など無いのだよ、ルイーズ! だいたい元帥なんて、お父さんよりも階級が上じゃあないかね。そんなことを言うならお父さん、もう、お前の話を聞かないからね!?」

「ヒェ……ダメです、それはダメです、お父様。お話だけでも聞いてくださいまし」

「ふぅ……なら……仕方が無いね、では言うだけ言ってごらんなさい」

「は、はい」


 娘の意見を聞いたヴァレンシュタイン大将は、それを元に作戦を立案。翌日には麾下の将軍達を集め、実行に掛かる。帝歴一七八九年、七月下旬のことであった。

 

 ■■■■


「ヴァレンシュタイン閣下、ご命令通り近隣の村々から物資の徴発を致しました」


 ヴァレンシュタイン大将の大天幕に、くすんだ金色の髪をした少年が現れた。彼はキーエフ帝国軍少佐の軍服に身を包み、紺碧色の瞳で朱色髪の上官を見つめている。しっかりと伸びた背筋、そして適切な角度の敬礼が、彼の実直さを物語っていた。


 彼の名はグラディス=フォン=イシュトバーン。ヴァレンシュタイン大将の異母弟であり、類まれなる軍事的才能から、十四歳という異例の若さで大隊長となっている。


「うむ、そうか。住民は誰も殺していないだろうね?」


 天幕の奥で、机を前に様々な書類に目を通しながらヴァレンシュタインが言う。重々しい声であった。


 ザガン=フォン=ヴァレンシュタインは三十二歳と若いが、キーエフ帝国にとっては歴戦の宿将である。がっしりとした体躯とオールバックで纏めた朱色髪が特徴的で、剣も銃も良く使う男だ。

 しかし本質は理知的で、「いくさの勝敗は、九割が事前の準備で決まる」という信条の下、兵を動かしている件に関しては余り知られていない。

 

「もちろんです。食料も一週間分程度の備蓄は許してありますから、餓死するということも無いでしょう。しかしなぜ、こうも手の込んだことをなさるのです?」


 イシュトバーン少佐は血縁ゆえの気安さからか、返答に合わせて上官に質問をぶつけている。今まで書類に遣っていた琥珀色の瞳がジロリと異母弟を睨みつけた。が――……。


「叔父上には、そのようなことも分からぬのですか!? わたくしには父上の御心が、手に取るように分かるというのに! これでは何の為に父上が叔父上を抜擢したのか、全然分かりませんね、ね!? 父上!」


 イシュトバーンを睨んでいたヴァレンシュタインの瞳が、自身の横に立つツインテールの少女に注がれた。徐に立ち上がった帝国軍大将が、自らの血を分けた娘の頭上に拳骨を落とす。


 ――ゴイーン。


「ぷぎゃーーーーーー! 何をなさるのです、父上! わたくし、何か変なことを言いましたかしらッ!?」

「変なことしか言っておらん。だからルイーズ、少し黙りなさい」

「ええ!? 心外ですわッ! ミーネのアンポンタンなんかと違って、わたくしの方こそが真の軍事的天才。だからこそ父上も、わたくしを軍事顧問として連れてきたのでしょう!? この作戦だって――……ぷぎゃーーー!」


 ――もう一度殴られた。


 頭頂部を両手で押さえ、父譲りの朱色髪を揺らすルイーズと呼ばれた少女は美しい。だが拳骨を落とされ涙目になった姿は、どこか間の抜けたものだった。

 ルイーズが琥珀色の瞳で上目遣いに父を睨み、「スンスン」と鼻水を啜っている。


「やれやれ――……ルイーズ。私が君を連れてきた理由は、あくまでも経験を積ませる為。だから決して軍事顧問などではないのだが……」

「でも、この作戦を考えたのはわたくしです! だというのにこの仕打ちッ!」


 可愛い娘に睨まれて、ヴァレンシュタインも僅かにたじろいだ。そもそも戦場にまで連れて来てしまう程、彼はルイーズを溺愛している。だから顎に手を当て、少し悩む素振りを見せてから言った。


「うん、まあ……いささか穴だらけではあったが、原形を考えたのは確かに君だ。いいだろう、これも勉強の為。では、イシュトバーン少佐に説明をしてごらん」

「はい、父上。では叔父上、耳をかっぽじって聞かれませッ!」

「耳をかっぽじるッ!? 口が悪いよ、ルイーズ」

「やかましい、三下叔父上ッ! わたくしの作戦立案の妙、とくと聞きやがれですわッ!」

「はぁ……分かった分かった、聞かせて頂きましょう……」


 イシュトバーンはくすんだ金髪を左手で描き回し、口の悪い姪から目を逸らした。

 血縁上は確かに叔父と姪だが、年齢は一歳しか違わない。なのに叔父上、叔父上と言われることが、少年にはたまらなかった。しかも謎の上から目線だ、いい加減腹も立ってくる。

 

 とはいえ忸怩たる思いを抱きつつも年齢の近い姪の話を聞き、「ほぉ」と素直に納得するイシュトバーンの本質は、とても善良なのだった。

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