第92話 混迷の新政府


 帝歴一七八九年のランス王国は激動であり、束の間の安寧さえ許されない。


 二月には王都近郊で叛乱が発生し、六月には王都を揺るがす革命が起こり、絶対君主制から立憲君主制へと移行した。この際ランス西部において半独立国化していたモンペリエ州が帰順したことは朗報だが、すぐに国を揺るがす重大事が発生している。七月早々、ヴァレンシュタイン中将率いるキーエフ帝国軍三万の軍勢が、南東の国境を越えたのだ。


 この事態にランス新政府がどれほど狼狽え、半狂乱の醜態を晒したことか。何せ国政を担ったことの無い人々が、理想と欲望を接着剤として結合した集団である。そうなるのも、当然の帰結であった。


「キーエフに何の名分があって攻め寄せて来るのか!」

「貴族の保護だとぬかしているぞッ!」

「何が保護かッ! 散々甘い汁を吸っておきながら、奴等、今度は他国に助けを求めたのか、売国奴めッ!」

「いや、売国奴を利用して、我が国を奪う気なのだッ!」

「くそっ! 混乱に付け込みおって!」

「革命の高邁な理想を理解せぬ、愚かな専制君主の犬どもめがッ!」


 様々な罵詈雑言が議事堂の中に響き渡るも、何らの解決案も出てこない。議長たるデルボアも額に手を当て、高い天井を見上げていた。彼は初めて、国政を牛耳ることの難しさを痛感していたのかも知れない。


 そのような最中にあって理想の灯を消さず、なお冷静さを保っていたのは、公正党ジャスティスの党首たるマクシミリアン=アギュロンくらいのものであった。

 彼は痘痕あばたの残る頬を指で掻きながら、喧騒に満ちた議場の中央をゆっくりと歩き、議長席にいるデルボアの前に立って進言をする。


「まずは国王陛下にご相談あって、キーエフの帝室に働きかけて頂くべきです。キーエフは我等に宣戦布告をしたわけではありませんから、国際法上はまだ交戦状態にありません。今ならばまだ、外交的に解決を図ることも可能です」


 キーエフを罵るだけの雑言の中、唯一アギュロンだけが打開策を示したと言ってよい。むろん、これに同調する人々もいた。しかし議長は「ううむ」と唸り、糸のような目の奥で忙しなく瞳を動かしている。


「だが他国の軍隊が、我が国の領土に踏み込んだのです。これを看過すれば、我が国の威信が地に落ちてしまう」

「議長。戦って負ければ、威信どころか出来たばかりの新政府も失われるのですよ。しかも我が政府は未だ、キーエフ帝国に承認されていません。だからこそ国王陛下のお力が必要だと申しているのです」


 デルボアのつるりとした頭部には、脂汗が浮かんでいた。彼と国王の仲は、良好と言い難い。シャルルに借りなど、一つとして作りたくなかった。


「他国に認められようが認められまいが我が国の主権は民衆にあり、我ら議員こそが彼等の代表です。

 ならば国王に問うまでも無く、他国の軍隊が領土を侵している今、これを打ち破るべく決議するのは、当然の義務と言えるでしょう」


 デルボアの宣言に、議場が割れんばかりの歓声に包まれた。アギュロンは一礼して胸元に抱えていた埃っぽい帽子を被り、党員達が待つ席へと下がっていく。


「――……我等は果たして、帝国に勝てるのでしょうか?」


 席に着くと、アギュロンは側にいた銀髪の青年に声を掛けた。彼の弟こそ十七歳にして少佐に昇進した俊英、オーギュスト=ランベールだからである。


「さあ、私には何とも。弟に見立てを聞いておきましょう」


 弟と同じ赤い瞳に慚愧の念を宿し、ファーブルは答えた。彼は少なくとも弟から、「ランスには、もはや有能な上級指揮官がいない」と聞かされていたから、戦うべきではないと考えていたのだ。


 その点はむろんアギュロンも同じで、下手に戦い負けて民衆の支持を失えば、ようやく進み始めた革命が頓挫する――と考えていた。彼にとって革命とは人生そのものであり、私心は無い。だからこそ新政府を守る為ならば、王に頼ることも辞さないのだ。


「――それにしても、先生。キーエフが攻めてくるタイミングが、余りにも良過ぎませんか……」

「相手の痛いところを攻めるのは、何も裁判だけではないようです。国家同士も同じだ、ということでしょう。そもそも絶対君主を戴く国に、私達の理想が理解できる筈もありませんからね」


 逆境に追い込まれた筈のアギュロンだが、黒々とした双眸には少年のような理想の煌めきがある。

 ファーブル=ランベールは師の両目に輝きがある限り、未来は明るいのだと信じ、ただひたすらにアギュロンの後を追うのだった。


 ■■■■


 ランスの首脳を混乱の坩堝に詰め込んだキーエフ帝国政府にも、当然ながら言い分がある。


 以前よりランスの社会情勢に不穏なものを感じ、キーエフは軍備を整えていたのだ。とはいえ、満を持して兵を送った――という程ではない。


 六月革命により大挙して反革命派貴族がキーエフに雪崩れ込み、続々と救済を訴える嘆願書が皇帝の下へ届いていた。最終的には、これに押される形での出兵だったから、「なし崩し」と言えなくもないのだ。


「ランス王家の権威だけが失墜するのなら、一向に構わん。だが民が王権、ひいては帝権を蔑ろにするようになってはたまらぬのだ」


 数々の嘆願書に目を通しつつ、三十路にようやく年齢の届いた皇帝は、こううそぶいた。


 また、フェルディナント公国が宗主国を蔑ろにしてランスの利権を掠め取った事実を、皇帝官房の諜報機関が嗅ぎ付けている。


「ランスにおける此度のこと、フェルディナントの女狐めが、随分と暗躍いたしておりましたようで……」


 官房長の報告に皇帝は目を細め、口の端を僅かに吊り上げた。


「ふん――……国を富ませたいのであろう、それは理解してやっても良い。しかし物事には、程度というものがある。その辺りを、あの小娘にも教えてやらねばな」

 

 加えてキーエフ皇帝ヨーゼフは、ランス王妃マリー=ド=クリスティーナの実兄でもある。そしてマリーは二月の叛乱騒ぎが終わったあと、兄へ不安を訴える手紙を何通も送っていた。

 手紙の中でマリーはヴィルヘルミネと仲が良いことも書いているので、ある程度の心象は良かったのだろう。


 それでもキーエフ軍がランス南東部へと軍を進めた理由は、亡命に追い込まれた貴族達の救済と復権を名目にした、ランス新政府とフェルディナント公国に対する牽制であることは否めない。

 

 要するに、「これ以上勝手な真似をするなら、相手になるぞ」という圧力である。


 とくにフェルディナントに対して今回の出兵に際し、帝国は何らの連絡をしていない。しかも指揮官がフェルディナント公爵と同格の選帝公、ザガン=フォン=ヴァレンシュタイン大将なのだがら、まさに当てつけのような人事であった。


 もっとも、これに対しフェルディナントの宰相たるヘルムートは、冷然としたものである。非公式ながら内務大臣ハドラーには、「それがどうしたというのだ。凡庸な帝国政府が、いかにもやりそうなことではないか」と豪語したという。


 ハドラーとしては、帝国の強大な軍事力が公国へいつ矛先を向けるとも知れぬ状況に辟易としていたが、ともかく黒髪の宰相は終始落ち着き払っていたのだった。


 一方ランスから訪れた援軍を要請する使者にも、ヘルムートは冷笑と共に明確な拒絶の意志を示している。


「我が国はランス王家と同盟を結んだのであって、あなた方と同盟を結んだわけではありません。ランス王シャルル陛下が要請なさった援軍ならばともかく、あなた方の為に割く兵はありませんな」


 とはいえ、断られて何もせず戻るのでは子供の遣いも同然だ。使者は食い下がった。


「わ、我が政府が崩壊すれば、貴国との間に結んだ条約も消えてしまいますぞ。よろしいのですかッ!?」

「むろん、それは困ります。しかしながら、考えてもごらんなさい。そもそも、我が国はキーエフ帝国内の一公国ですぞ。つまりあなた方の願いを聞くと言うことは、宗主国に弓引くことになるのです。ほら、無理な相談というものでしょう」

「し、しかし今は、ヴィルヘルミネ様は我が国におられるのですぞッ!」

「ほう……使者殿は、我が国の摂政たるヴィルヘルミネ様を、人質となさるおつもりか?」


 中天に達する寸前の陽光が、ヘルムートの執務室を熱している。しかし使者が背中にかいた汗は、酷く冷たいものだった。それ程に宰相の紫眼は怒気を孕み、使者を睨め付けていたのだ。


 こうして、ランス軍は独力でキーエフ軍と対することになったのである。


 だが独力でランスがキーエフと戦う際、大きな問題があった。オーギュスト=ランベールが懸念していた通り、今のランスには有能な上級指揮官がいないのだ。それどころか中、下級士官でさえ不足している有様だった。


 なにせランス軍における上級指揮官は、ほとんどが大貴族。しかし彼等は既に亡命しており、もはや国内に留まっている者は僅かである。そして、この状況下にも関わらずランスに留まるような大貴族は、時世に疎く逃げ遅れた無能者であった。


 それでもデルボアは、期待を込めて一人の男を選んでいる。何故なら彼の戦績が、今のところ不敗だからだ。予備役ながらも中将の職位を持つ彼の名は、ガスパール=ド=シチリエという。

 だからこそデルボアは自信満々で五万の兵を彼に預け、革命政府の名においてキーエフ軍三万の討伐を命じたのだった。

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