第16話 ヘルムートの策略


 プロイシェ王国はフェルディナント公国の北東に位置する、東西に細長い国である。その北側は海に面し、南東には大国キーエフと国境を接する軍事大国でもあった。

 

 しかし一方で国家予算の八十パーセントを軍事費に充てるなど、極端な政策も目立つ。その理由は、この国の人口が周辺にある大国の半分以下だったからだ。

 

 例えばランス王国の二千万人、キーエフ帝国の千五百万人という人口に対し、プロイシェは凡そ三百万人に過ぎない。

 これでもフェルディナントと比べれば二倍以上だが、プロイシェ王国もまた、列強から見れば中小国の一つに過ぎなかったのである。

 

 そのプロイシェの王都ツェペシュは国土中央北部にある小さな半島、その西側の根元にあった。

 

 フェルディナント公国の若き宰相が、王都ツェペシュに着いたのは十月二十日のことである。それから急ぎ書簡をしたため、駐在している公使を介して、プロイシェ国王オイゲン三世に謁見を願い出た。それが叶ったのは、書簡を送ってから三日後のことである。

 

 一国の宰相でありながらも待たされたのは、ヘルムートが平民だからであろうか。

 ともあれ謁見に漕ぎ着けたヘルムートは黒塗りの馬車に乗り、プロイシェ国王の座所たる宮殿の門を潜ったのである。


 白い大理石を基調として、黄金をふんだんに使った宮殿は目にも鮮やかだ。フェルディナントの公宮を二倍ほどに広げ、予算を五倍ほど掛ければ、このように豪壮な建物が出来るのではないかと思われた。

 しかしヘルムートは高い天井と、それに描かれた大天使のフレスコ画を見て冷笑し、内心「軍国という割には、余計なところに金を使っていますね」と毒づいている。


 謁見の間に通されたヘルムートは真紅の絨毯を進み、王まで凡そ二十メートルという所で止められた。いかに他国の宰相とはいえ、相手が国王とあってはこれ以上の接近は許されないらしい。まして彼は一介の平民でもあり、貴族として遇されてはいないのだから。


「お目通りが叶い、恐悦至極に存じます」


 丁寧に膝を折り、黒髪の宰相がプロイシェ国王に頭を下げる。居並ぶ大臣達を前にした、当然の外交儀礼だ。


「うむ――……よく参られた、ヘルムート=シュレーダー殿。面を上げられよ」


 鷹揚に頷き右手を翳す国王オイゲン二世は、この年五十六歳。鼻と顎の下に灰色の髭を蓄えた、痩身の男であった。彼の父は大王と呼ばれた英雄、フリッツである。


 フリッツは生涯五十三度も戦い、プロイシェをダランベル地方の盟主と呼ばれるまでに領土を拡大させた。大国たるランス、キーエフを相手に戦い、一歩も譲らなかったのである。

 つまりフリッツ大王こそが、この国を軍国たらしめたのだ。


 もっとも、その息子である現王に、フリッツ大王の面影はない。彼は偉大な父の業績を食い物にして、ただ安穏と自らの地位を保っている。少なくともそういう印象を、ヘルムートは王の容姿と声から受けていた。


 ヘルムートは国王の言葉に従い顔を上げると、口の端を吊り上げ「では」と周囲を睥睨する。

 ここで国王と重臣達の関心を引けなければ、この先、会談へたどり着くことなど不可能だ。であれば注目を浴びるために多少の冒険をすることも、ここは仕方のない場面であった。

 隣に並ぶ公使がヘルムートの余りにも太々しい表情に、冷や汗をかいている。


「いやはや、軍国と聞いておりましたが、中々に壮麗な宮殿。名高きフリッツ大王は自らの幕営をして我が宮殿と申されたそうですが、はてさてオイゲン陛下におかれましては、軍を率いる気が無いのかと思えますな。実に文化的で素晴らしい宮殿です――ハハハハハッ!」

「「無礼なッ! いきなり何を申すかッ!」」


 国王に代わり、階の下に立つ大臣達がヘルムートを一喝した。それを軽く受け流し、黒髪の宰相は紫眼を怜悧に煌めかせる。


「失礼。――本日、私が参りましたのは、貴国が軍国と名高い存在であればこそ。でなければ、一秒たりとも用がありませんので。まさか、このように堕落しているとは露程も思わず……」


 むろん、外交上の関係を考えれば、謁見時にこのようなことを言うべきではない。

 当然ながら居並ぶ重臣達は不審の声を上げ、「無礼だぞ!」との叱責すら飛んでいた。「帰れ」とも。しかし、それら全てを無視してヘルムートは声を張り上げる。


「現在、我が国は非常に困った事態となっております。それはボートガンプ侯爵に謀反の兆しがあるからなのですが――……」

「だから何だと言うのだッ! そのようなもの、自業自得ではないか!」


 ヤジが飛ぶ。ボートガンプ派だろうか? と一瞬だがヘルムートは考えた。

 すでにプロイシェは、ボートガンプとの密約が成っている。しかし、それを知るのは一部の重臣だけのはず。だからこそヘルムートは口を閉じず自らを信じ、言葉を紡いでいく。

 

「我が国と貴国の間には、大小の諸侯領がございます。しかし貴国の力をもってすれば、これを押し通ることはたやすいでしょう」


 ――当然だ。だからこそ、プロイシェはボートガンプの為に、三千の援兵を送ろうとしていたのだから。


「ですから私が求めますのは、軍国と名高き貴国からの――援軍にございます!」


 凛とした、実に通る声でヘルムートが言う。一部の重臣達は失笑した。密約を知っている者達だ。また、別の者達は困ったように眉根を寄せている。


「貴国に援軍を送って、我が国にどのような利益があるというのか?」


 財務大臣が口を開いた。彼こそボートガンプと盟約を結んだ張本人である。ここでヘルムートを一刀両断にしようという魂胆であった。しかし――ヘルムートは笑みさえ浮かべ、満場の人々を見渡し、声高らかに言う。


「もしも貴国の軍がボートガンプ軍を打ち破りましたならば、我が国は彼の領地をそっくり――貴国に差し上げようではありませんか。

 これに関しては、摂政たるヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント様も承認なさっておいでです――いかがかな?」


 まさに破格の条件を提示し、ヘルムートは再び群臣達を睥睨した。今まで苦笑を浮かべていた者は固唾を飲み、罵声を浴びせていた者は口を噤む。

 広い謁見の間が、とたん静寂に包まれた。そんな中、嗄れた笑い声が響き渡る。国王だった。


「ふっふっふ――ふはははッ、よう言いよる……が、その話、本当であろうな?」

「むろんのこと――陛下のプロイシェ軍が行くところ、その全てを領土として献上致してもよろしい。もっとも、陛下にフリッツ大王のような気概があれば――……ですが」

「余の気概……のう。だが、余がフェルディナントを、いや――ボートガンプを攻め、領土を拡大すれば、それは即ち、そなたの主が我が臣下となるも同じではないのか?」

「我が主たるヴィルヘルミネ様とて、ボートガンプ候との戦に敗れれば、全てを失います」

「ふむ――それよりは、余の臣下として生きるが良いと申すか」

「御意。また、貴国が我が国を併呑なされば、このダランベル地方の統一にも一歩近づきましょう。これこそ、フリッツ大王の悲願ではなかったかと……」

「うむ――よろしい。三万の軍を出し、ボートガンプを討ち果たそうではないか。父上の悲願を叶えるは、息子の務めぞ……ッ!」


 枯れ木のような国王の両目に、戦意の焔が灯った瞬間である。

 こうして謁見は終わり、ヘルムートは恭しく首を垂れた。その口元には死神を思わせる、冷たい笑みが浮かぶのだった。


 ■■■■


 その後、ヘルムートはプロイシェの閣僚、軍部と詳細な打ち合わせをした。彼等の軍事行動を、出来るだけ細かく把握する為である。

 しかし翌日、プロイシェ宮廷で行わるという晩餐会は丁寧な物腰で辞し、彼はプロイシェと南東で国境を接するキーエフへと向かった。


 キーエフでも同じく皇帝との謁見時、多少の無礼を働き関心を買った。そして彼は言ったのだ。


「プロイシェ陸軍が、三万もの兵力を南西の国境へ集結させる様子。この機を逃さず、かの国を撃滅すべきではないでしょうか?」

「プロイシェが軍を動かすは……何故か?」


 問う皇帝の視線は、猜疑心に満ちたものだった。


「むろん、我が国を攻め取る為にございます――陛下」

「それはつまり、余に救援を求めていると、そういうことではないのか?」


 むろん、キーエフの皇帝とて一筋縄ではいかない。だがこれに対し、ヘルムートは一歩も引かなかった。


「――そうお思いなら、この山国で安穏と過ごせばよろしい。ですが我が国が落ちれば、次は貴国。いにしえの大帝国も軍国の武威を前にして、怖気づきましたかな?」

「なんだと!?」

「これは貴国にとって大きなチャンスになると、私はそう申し上げているのです。今こそプロイシェを攻められよッ! 奪われた版図を、取り戻す時ですぞッ!」


 ヘルムートのこの言葉に皇帝は玉座を蹴り、ついにプロイシェへの出兵を決意する。


 ■■■■


 こうしてプロイシェ王国はボートガンプとの盟約を反故にし、三万もの兵力を南西へ集めた。

 対してキーエフ帝国は十万の大軍をプロイシェとの国境に集結。この報を受けたプロイシェは、急ぎ南東へと軍を差し向け、戦争状態へと突入したのである。


 ――ここに至り軍国プロイシェは、フェルディナントの内戦へ介入するどころではなくなった。つまり全てはヘルムートの策略通り。こうして黒髪紫眼の若き宰相は、一人で二国を手玉に取ったのである。

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