第13話 エルウィン=フォン=デッケン


 エルウィン=フォン=デッケンは、この年十六歳。百八十センチに届く長身と均整のとれた肉体、ピンクブロンドの長い髪が特徴的な、美しい若者だ。

 彼はフェルディナントの首都バルトラインより、南西二十キロの地点に小さな領土を持つニコラウス=フォン=デッケン男爵の長男であった。

 

 そのエルウィンが十三歳でフェルディナント社交界にデビューしたとき、爵位持ちの貴族としては下級の出自でありながら、数多の縁談が舞い込んだという。

 しかし彼はその全てを断り、十五歳になるとランス国軍士官学校の門を叩く。むろんそれはデッケン家が武門であったから――という理由もあるが、何よりも彼は軍人になりたかった。


 このフェルディナント公国で士官になろうと思えば、二つの条件が必須である。それは貴族であること、そしてランスかプロイシェの士官学校を卒業することであった。


 エルウィンが留学先としてランスを選んだのは、貴族士官の大半がプロイシェの士官学校を卒業していたからだ。

 上級貴族の大半と同じ道を歩んでは、父の後を継いで大佐、そして連隊長になるのが関の山。それ以上を目指そうと思えば、何らかの賭けに出る必要があるとエルウィンは考えたのだ。


 彼には、まだ誰にも語ったことのない野望があった。それは――王になること。だからこそ、彼の夜空を思わせる濃紺の瞳は深く、その内に凄絶な情熱を秘めているのだった。


 けれど公爵に従属している貴族でありながら、王を目指すなどあり得ぬことだ。大逆すら通り越し、蒙昧の輩と謗られ打ち殺されても文句は言えないだろう。

 だからエルウィンは幼いころから真剣に、そのことだけを考えながらも、全てを秘して生きてきたのだった。

 

 ■■■■

 

 エルウィンは後頭部で縛った自慢の髪を靡かせ、ランス国軍士官学校の制服を汗と泥に汚しながら、一昼夜に渡り馬を掛けさせていた。

 夏が終わり秋が訪れていても、替え馬を用いて駆け続ければ、どうしても汗や泥に塗れてしまう。それでも少年が急ぐのには、大きな理由わけがあるのだ。


 本国の父より帰国命令が出されたのである。それも、ただの帰国命令ではなかった。

 なぜならヴィルヘルミネ派とボートガンプ派に分かれて、フェルディナントが内戦へ突入する機運が高まっている――ついては帰国し、ボートガンプ侯爵の側に立って共に戦うべし、との命令だったからだ。


 といってエルウィンが急いだ理由は、戦意が昂じた為ではない。むしろ大勢に流されたであろう父の判断を、諫める為なのであった。


「父上、どうか早まって、ボートガンプなんかに兵を預けないでくれよッ!」


 月明りだけが照らす街道を、エルウィンが駆ける。その横顔は、月の女神さえも篭絡する美しさであった。


 ■■■■


 エルウィンが実家の屋敷に辿り着いたのは、翌日未明のこと。朝靄を纏った闇の中、彼は実家の門を潜り、慌てて迎え入れた馬丁に手綱を渡すと、速足で父の寝室へと向かった。

 まだ微睡の中にいるであろう父を叩き起こすことに、彼は一切の躊躇をしていない。のちにエルウィンは電撃的な機動戦術を得意とするようになるのだが、その一端がこの時も現れていたのだろう。


 果たして父ニコラウスはベッドに身を起こし、慌てて帰宅した息子に眉を顰め、微苦笑を浮かべていた。


「このように朝早く、父を叩き起こしてまで言うことが……ボートガンプ侯爵には付くな、と――エルウィン、どういうことだか、私に詳しく説明をしてくれるかね?」

「はい、それは勿論です。現在ランスにおいて民衆と貴族、王族が対立していることは、父上も既にお聞き及びでありましょう」

「うむ……財政の困窮から、王が貴族に免税特権を廃させようとした動きで、一時は内乱騒ぎにもなった。加えて民衆は重税に耐え兼ね、暴動を起こしている。どうあれ王家の状況は芳しくないと、そう聞いた」

「芳しくないどころか――数年のうちに王家も貴族も、民衆に押し潰されるでしょう。それはつい先日までランスにいた僕が、身をもって感じるところであります。

 しかるに今、我がフェルディナントにおいて民衆に人気があるのは――果たしてヴィルヘルミネ様か、それともボートガンプ侯か……」


 エルウィンはここで言葉を切り、ベッドに座る父親をじっと見た。ニコラウスもまた息子と同じくピンクブロンドの髪を背中で束ねた、美しい顔立ちをしている。


「――ヴィルヘルミネ様であろうな」


 顎に指を当て、眉間に皺を寄せるニコラウス。息子の言わんとすることは理解できるが、それでも――と言葉を繋げた。


「ボートガンプ侯の下には、既に多くの貴族達が集まっている。これに参集せねば、裏切り者と言われよう」


 父の言葉を頭を振って否定し、エルウィンが言う。


「父上――まずもってお考え下さい、本当の裏切り者がどちらなのかを」

「ボートガンプ侯こそが、裏切り者だというのか?」

「はい。そもそも公国の主はフリードリヒ様であらせられる。にもかかわらず自らの本拠によって貴族、兵を集めるなど、これはボートガンプ侯の紛れも無い謀反でありましょう。

 それに父上――我らのような者が参集したところで、すでに貴族の大半がボートガンプ侯の下へ集っている今、大切になどされますまい」

「と、言うと?」

「つまり父上の連隊は解体され、再編成された軍の指揮下に組み込まれる。いかに父上が連隊長職にあるとはいえ、貴族としては低い爵位なれば我らの扱いなど、その程度のものです」


 夜空色をしたエルウィンの瞳が、怪しく煌めいた。彼は巨大な野心に相応しい、凄絶なまでの軍事的才能を持っている。それがまさに今、世に出んとしているのだ。


「ではお前は、私にヴィルヘルミネ様に付け――と言いたいのかね?」

「はい、父上。なぜならヴィルヘルミネ様の陣営には今、まとまった武力がありません。あっても近衛大隊の六百のみ――父上が千二百の連隊を率いて味方に加われば、きっと厚く遇されるでしょう」

「だが、エルウィン。それで勝てるのか? ボートガンプ侯とは数が違い過ぎよう」

「父上――先ほども申し上げました通り、ヴィルヘルミネ様は民衆を味方になさっておいでだ。たとえ一戦し敗れたとして、民衆に支持される限り幾らでも再起が出来るのです」

「しかし――……」

「父上ッ! ボートガンプ侯の下へ行けば、デッケン男爵家は永遠に賊軍の汚名を着る羽目になりますよ!」


 カーテンの隙間から払暁の光が侵食し、室内の闇を払う。その先にはエルウィンのギラギラとした双眸があった。

 ニコラウスは、エルウィンの野望を聞いたことはない。だが彼は今、こう問わずにはいられなかった。


「私がヴィルヘルミネ様に従うことは、お前の夢を叶える一助になるのだろうか?」

「……はい」

「そうか。では、全てを任せよう。きっとお前の才能は、私などより遥かに優れているのだから」


 エルウィンは大きく頷き、そして立ち上がった。

 

「委細、お任せを。早速ヴィルヘルミネ様と、話を付けて参りましょう」


 わずか二時間ほどの滞在時間で、再び馬上の人となるエルウィン=フォン=デッケン。彼とヴィルヘルミネの会合は、もう間もなくのことであった。

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